第24話 陰謀と陰謀

 「ははははは!!!! 見たか? あの犬男の顔!! いやはや、笑いが止まらん!! 『……申し訳ありませんでした。発言を取り消します』だとよ!!!」


 翌日、エルキュールは高笑いを浮かべていた。

 

 エルキュールに宛がわれた客室には、カロリナやルーカノスを始めとするレムリア帝国の重臣たちが集まっていた。

 

 昨夜のことで、エルキュールと話し合うためである。


 「あのですね、陛下。……いくら何でも、昨日のアレは……人間としてどうかと思います」


 カロリナはドン引きした顔を浮かべて、エルキュールに苦言を言った。

 

 控えめに言って、エルキュールの行為は最低である。

 マッチポンプをするために、ニアとセシリアという二人の純粋な少女の心を弄んだのだから。


 もっとも、二人とも(今のところは)そのことに気が付いていなかった。


 まだまだ人生経験が足りない……

 というより、エルキュールがどういう人間か理解していないからである。


 実のところを言うと……

 重臣たちの多くは、エルキュールが何かを企んでいるということは察していた。


 というのも、エルキュールがいつも以上に楽しそうだったからである。


 また……

 ニアを連れて行く、という行為は明らかに不自然である。


 ニアは確かにルーカノスの養子だ。

 しかし、それだけだ。


 ニアを連れて行くのであれば、それこそレムリア帝国の聖七十七家の子女を全員連れてこなければ不公平になる。

 

 確かにエルキュールはニアを可愛がっている。

 だが、エルキュールがニアに向けている愛情はペットへのそれであり……


 エルキュールはペットを重要な外遊に連れて行くようなタイプの人間ではない。


 加えて、ラウス一世―チェルダ王―という獣人族ワービースト至上主義者の存在。

 

 エルキュールの今回の行為は、犬アレルギーの人間がいると分かっておきながら犬をパーティー会場に連れ込むのと、同義である。


 揉め事が起こるのは確実。


 それを予測できないほど、己の君主は愚かではない。

 ……ということは?


 揉め事を起こすのが目的?


 と、いうところまで考えるのは……

 普段のエルキュールを知っていれば、予想することはさほど難しくは無かった。


 

 「まあまあ、そんなに怒るな。……さて、トドリス。昨日、交渉を頼んでおいたが……終わったか?」

 「はい。陛下のおかげで、スムーズに事が運びました。成功ですよ」


 トドリスの報告を聞き、エルキュールは満足気に頷いた。

 ガルフィスやクリストフは顔を顰めた。


 「……もしかして、トドリス殿は予め陛下からお話しを聞いていた……ということですか?」


 クリストフはエルキュールに尋ねる。

 エルキュールは静かに頷いた。


 「まあ、な。本当はお前らにも話しておくべきだったかもしれんが……視線で相手に勘付かれる可能性があった。この策謀はチェルダ王の機嫌と勘の悪さに大きく左右される。だから、僅かでも失敗する可能性が高まることは、避けておきたかった。あと、トドリス以外にもルーカノスには伝えていた。あいつには、チェルダ王を怒鳴りつけるという重要な役割があったからな」


 「……なるほど、そうですか」


 クリストフは納得の色を浮かべた。

 もっとも、感情の部分では「あらかじめ自分に話しておいて欲しかった」という思いもあるのだが。


 「しかし、陛下。チェルダ王はこのまま引き下がるでしょうか? 彼の王の性格を考えると……」

 「引き下がらんだろうな」


 ガルフィスが言い切る前に、エルキュールは断言した。

 

 「今回の外交での失態を、何とかして取り返そうとするはずだ。と、なれば手段は一つ。戦争だ」


 要するに、将棋で勝てなかったから……

 将棋盤でぶん殴って相手を殺そう!!


 と、チェルダ王は考えるはず、というのがエルキュールの予測だ。


 「なるほど……戦争、ですか。時期はいつ頃になるでしょうか?」

 「さすがに、今年中ということはあるまい。来年の春ごろ……いや、準備を考えると夏以降だろうな」


 帰国してすぐ、軍隊を率いてレムリアに攻め込む……

 などという行為は、さすがにあからさま過ぎる。


 恥に恥を上塗りする結果になる。


 来年あたり、ほとぼりが冷めてから……

 難癖を付けて攻めてくる、というのが可能性としてもっともあり得た。


 「だが、まあ……今回はお前の出番は多分無いぞ。ガルフィス」

 「それは……主戦場は海になる、ということですか?」

 「然り。九割の確率で、海だ」


 エルキュールは笑みを浮かべる。

 その表情には自信の色があった。


 「理由をお聞かせください、陛下」


 クリストフは期待の表情でエルキュールに詰め寄る。

 露骨に海戦したそうなクリストフに対し、苦笑いを浮かべながらエルキュールは根拠を話す。


 「まず第一に陸上だと補給が難しい。南大陸は砂漠気候。オアシス周辺や河川域は確かに豊かで、穀物やナツメヤシが収穫できるが……それ以外は人の住めない不毛の土地だ。進軍は難しい」


 南大陸沿岸部は豊かな地域と、貧しい地域の差が激しい。

 

 出来るだけ豊かな地域を通ろうとしても、砂漠を避けて通ることはできない。

 無論、軍用道路は通っているので通れないことは無いが……

 できれば、避けたいのが司令官としての本音だ。

 

 「第二、俺は陸戦が得意だし、実際そのような評判だ。今のところ、平原での戦いや攻城戦で敗北したことはない。……そんな相手に陸で挑もうとするほど、チェルダ王もアホではないさ。できれば、相手が苦手な分野、もしくは経験していない分野で挑もうするはず」


 エルキュールには海戦の経験がない。

 経験がない、というのは大きな弱点だ。


 戦争では自分の弱点をフォローし、如何に相手の弱点を突くかが重要になる。


 と、なればチェルダ王が海戦を挑もうと考えるのは自然の道理だ。


 「第三……相手が海戦で挑んでくるように、こちらからも仕掛ける」


 攻め込まれるのではない。

 攻め込ませるのだ。


 それがエルキュールの流儀である。


 「というわけで、クリストフ。お前の指揮には期待している。さすがに海戦はお門違いだからな。……勝てぬとは、言わせないぞ?」

 「まさか……あのような犬どもに後れをとるようなことは致しません。新兵器・・・もあることですし、ね。必ずや、陛下に勝利は献上いたします」


 クリストフはニヤリと笑みを浮かべた。


 

 「あの……皇帝陛下。先程、陛下とトドリス外務大臣がお話しになっていた、『交渉』というのは何のことですか?」


 エルキュールとクリストフ、ガルフィスとの話が終わるのを見計らい、カロリナがエルキュールに問う。

 

 「トレトゥム王国との、対チェルダ・フラーリングへの協力だ。……分かるか?」

 「……挟み撃ちできる、という地政学的な優位は分かります。ですが、陛下がチェルダ王を謝罪させたことと、どのような関係があるのか、教えてください」

 「……ふむ、分かった。取り敢えず一から説明しようか」



 チェルダ王国、トレトゥム王国、エデルナ王国、フラーリング王国。

 この四ヶ国は互いに良好な関係を築いてきた。


 というのも、四ヶ国共に獣人族ワービースト国家だからである。


 ……

 と、考えるのはあまりにも短絡的であり、愚かなことである。


 この理屈が成り立つのであれば、同じ『アジア人』同士の国はラブラブでなくてはならない。


 獣人族ワービーストを一つで括るのは、東アジアの諸民族を一つで括るに等しい行為である。


 獣人族ワービーストは犬型、猫型、狐型、狸型などのいくつかの『型』に分類され、

 さらにそこから、狼や獅子、豹、天狐などの無数の部族に分かれる。


 各部族間の仲はお世辞にも仲が良いとは言えない。


 よって、四ヶ国の諸民族も実際は非常に仲が悪い。

 互いに忌み嫌い合っているのだ。


 では、なぜ友好関係を築いているのか?


 それはレムリア帝国からの内政干渉を防ぐためである。


 何度も述べているが、チェルダ王国を除く三ヶ国は名目上はレムリア帝国領内の王国であり、レムリア帝国の属国で、レムリア法が適応される。


 そして衰退したとはいえ、レムリア帝国の国力は侮れない。


 加えて、自国領内には西レムリア帝国の遺民が大勢残っている。

 レムリア帝国は彼らに対しても、一定の影響力を未だに有している。


 故に三ヶ国は常に内政干渉を警戒する必要がある。


 とはいえ、レムリア帝国からの官職は西レムリア帝国の遺民を治める上で大いに役に立つし、箔にもなる。


 レムリア帝国と関係を悪化させたくはない。

 かといって、近づき過ぎたくもない。


 結果、彼らはレムリア帝国と唯一真正面から喧嘩できるチェルダ王国を頂点に、同盟とはいかないまでも、普通の友好国以上の関係を築くことで、レムリア帝国を牽制するという選択をした。


 一方でレムリア帝国も、「チェルダ王国と仲良くしているのは気に食わんが、一応俺の面子に泥を塗るようなことはしていないし、ぶっちゃけあいつらと喧嘩するほど暇じゃないからな……」と考え、それを黙認してきたのだった。


 だがしかし……

 近年になって、その関係は崩れつつある。


 エルキュールの即位による、レムリア帝国の再興。

 フラーリング王国の急速な発展と軍拡、国外への戦争、領土拡張。

 チェルダ王国の傲慢な態度。


 様々な要因が四ヶ国の関係をギクシャクさせてきていた。


 そして……

 新たにエデルナ王国に、親レムリア派の王が即位した。


 エデルナ王国はこれから、チェルダ王国とは距離を取り、急速にレムリア帝国に接近するだろう。

 フラーリング王国はルートヴィッヒ一世の指揮の下で、独自路線を取り始めている。

 チェルダ王国は強硬な国王、ラウル一世の指揮の下でますます外交態度が高慢になりつつある。


 さて、困ったのはトレトゥム王国である。


 レムリア帝国とは距離の関係でさほど親しくない。

 かといって、チェルダ王国に下に見られるのは癪だ。

 隣国のフラーリング王国に至っては、時折攻め込んで領土をかすめ取ろうとしてくる。


 困った、困った……

 というタイミングで起こったのが、エルキュールへのチェルダ王の謝罪である。


 トレトゥム王は、無様に頭を下げるチェルダ王よりも……

 頭を下げさせた、エルキュールの方が頼りになると考えたのだ。


 斯くして、トレトゥム王国は一気に親レムリアに傾いたのだ。

 

 「という感じ。分かった?」

 「……なるほど、分かりました。つまり、ただラウス一世を虐めたかったという陛下のご趣味というわけではないのですね?」

 「うーん、まあ三分の一くらいはそういうのもあるが……まあ俺も国益が絡まない限りはそんなことはしないさ」


 逆に言えば、国益と合致すれば嬉々として行うという意味でもあるのだが。

 エルキュールは仕事と私事を一致させることが、多々ある。


 「まあ、協力といっても口約束だけどな。お互い、頑張ろう程度で条約を結んだわけではない。大きな進歩ではあるがね。取り敢えず、一度チェルダ王国を殴って大人しくさせる。そうすれば、しばらくは南の安全は保障される」


 西はすでに固まっている。

 南はこれで固まる。

 後は北を固めて……


 「晴れて、野蛮人共と正面からやり合えるというわけだ。……くくく」


 エルキュールは愉快そうに笑った。






 一方、その頃ハヤスタン王国では……


 「ヴァハン・カルーランよ。最近、少し違和感があるのだが……」

 「違和感、でしょうか? 国王陛下? それは一体?」


 ハヤスタン王国の国王、フラーテス三世は側近の将軍、ヴァハンに疑問を口にした。


 「……最近、食事のおかずが一品減った気がするのだが?」

 

 王族の食事というのは量が多い。

 基本、食べきれない量が用意されるので一品二品減ったくらいで空腹になる、ということはなく、体重が減ることもないが……


 少し、気になる。

 

 「何故とおっしゃられましても……聞いておられないのですか?」

 「聞く? 何をだ」

 「治水・道路敷設・橋の建設や軍制・行政改革に資金が必要、ということで宮廷予算を減らさせた、とルナリエ様がおっしゃっておりましたよ?」

 「……そう言えば、そんな話があったな」


 ようやく、フラーテス三世はそのような報告を官僚からされたことを思い出した。

 成るほど、だからおかずが減ったのか……


 「だが、待って欲しい。私は予算は減らしても良いと許可は出したが、おかずを減らして良いと許可を出した覚えはないぞ? あ、いや別におかずが減ったことに不満を憶えているわけではなく、あくまで何故私のところに一度も、おかずを減らしたい、おかずを減らしたと伝える者がいないのか、と言っているのだが……」

 「? 私はそのことについても、ルナリエ様から聞きましたよ? ……誰も陛下にお伝えしなかったのですか?」


 話をすり合わせた結果、事の真相はこのようである。


 まずレムリア皇帝が、ハヤスタン王国の改革のための資金を絞り出すために、財政改革をハヤスタン王国に命じた。

 これはルナリエを通して、ハヤスタン王国の官僚に伝わり、諸々の改革案が作成され、それがルナリエのところに返り、それをレムリア皇帝が目を通し、再度官僚の下に返って来た。

 最終的にハヤスタン王国のフラーテス三世の下に、官僚を通して、改革のために必要な『今年度予算案』が上がり、それにフラーテス三世が押印した。


 そして決められた予算案の範囲内で、宮廷の料理や使用人の人件費が官僚たちによって定められ、事後報告という形でルナリエの下に行き、エルキュールの下に行ってから、再びルナリエを通して官僚に返って来た。


 それが実行に移された。

 というわけである。


 ヴァハンはその諸々の工程の中で、たまたまルナリエが帰って来た時に、ルナリエの口から少しだけ耳に挟んだのだった。


 「……なるほど、何となくカラクリが見えてきたぞ」




 ハヤスタン王国とレムリア帝国が結んだ条約の中には、このようなモノがある。


 ・ハヤスタン王国の予算案はレムリア皇帝とハヤスタン王双方の署名によって、初めて効力を発揮するものとする。

 ・ハヤスタン王国の法律案はレムリア皇帝とハヤスタン王双方の署名によって、初めて効力を発揮するものとする。


 つまりレムリア皇帝による、内政干渉を認める条文だ。


 まあ、これに関しては庇護して貰う立場として文句は言えないのでハヤスタン王は納得してないにしても、仕方がないと思っている。


 さて、気になることは……

 どれくらいのレベルでレムリア皇帝の許可が必要なのか? ということだ。


 例えばレムリア皇帝の許可なく、ハヤスタン王が街でちょっとしたお菓子を購入したりすることは、良いのか? 悪いのか?

 

 その答えは当然、『良い』だ。

 

 レムリア皇帝も、そんな些細なことまで許可を出したりする暇はない。


 レムリア皇帝の承諾が必要とされているのは、あくまで『予算案』や『大規模な事業』の時だけである。

 そもそもハヤスタン王だって、宮廷予算で『おくらにいくら、いくらにいくら使用されました』などという報告をされても困る。

 

 そういう細かいことは官僚が行い、最終的に国王の事後承諾を受ける。

 レムリアやハヤスタンではそれが常識だ。


 事実、レムリア皇帝も『宮廷予算』は把握していても、何にどれくらい使用されたかについては細かく把握していない。




 さて、以上のことを踏まえた上で……

 何が起こったのか、説明しよう。


 ハヤスタン王国の官僚たちは『決められた宮廷予算』の範囲内で、宮廷の料理や人件費などを決め、運用した。

 そしてそのことに対する事後報告を、ルナリエを通してレムリア皇帝に行ったのだ。


 ハヤスタン王には、一切報告せずに。



 「ルナリエはこのことを……」

 「いえ、お知りにはなられていないかと……『何故、こんなことまで私を通して(皇帝)陛下に伝えるのか。そんな些細なことまで伝えなくて良い。ハヤスタンの官僚は(皇帝)陛下の顔色を窺い過ぎだ!!』と怒っていらっしゃっていましたから」

 

 ヴァハンの言葉を聞き、フラーテス三世は溜息をついた。

 

 「もはや、この国の王はレムリア皇帝だな……」

 「そのようなことは……陛下、レムリア皇帝にこのことを抗議しましょう。陛下への報告無しに、このようなことが罷り通って……」

 「そのようなことをするな。……これはレムリア皇帝の意思ではないだろう。我が国の官僚の、独断だ。このようなことを抗議すれば、私に官僚や貴族を押さえる力が何一つ無いことがレムリア皇帝に知られてしまう」

 「で、ですが……」

 「下手な怒りは買うな。良いな? ヴァハン」

 「……はい、陛下」


 ヴァハンは不服そうな顔を浮かべているが、素直に引き下がった。


 「すまないな、ヴァハン」

 「いえ、陛下。私はこの国の軍人であり、そして私の唯一の主君は陛下です」


 フラーテス三世は唯一、自分をこの国の王として扱ってくれるヴァハンに対して感謝の念を抱いた。






 その夜のことである。


 「夜分遅くに申し訳ございません、国王陛下」

 「全くだ……して、緊急の要件とは? まさか今からお茶会を始める、などというわけではあるまいな?」


 フラーテス三世はとある大貴族の屋敷に招かれていた。

 仮にも国王を呼び出す、それも真夜中に。

 無礼千万の行為だ。


 しかし……それでも大貴族からの頼みである。

 そして昼間の宮殿ではできないような、重大な話。

 

 と、言われてしまえば人の好いフラーテス三世も断り辛い。

 そんなわけで、フラーテス三世は文句を言いながらも御足労してまで屋敷に赴いたのである。


 フラーテス三世はそのまま、屋敷の奥の部屋に案内された。

 そこにはハヤスタン王国の名だたる大貴族たちが勢ぞろいしていた。


 その面子を見て、フラーテス三世は何となく彼らが何を自分に求めようとしているのか、察した。


 大貴族たちはフラーテス三世に対して深々と頭を下げ、跪いた。

 

 「面を上げよ。……どのような要件だ。手短にな」

 「はい、国王陛下。では……本題から入らせて頂きます。陛下、レムリア皇帝を暗殺しましょう」


 あー、やっぱりそっちか……

 フラーテス三世は大貴族たちの予想通りの反応に苦笑いを浮かべた。


 「するかしないかは別として、どうやってするというのだね? 貴公らはとんでもなく優秀な、暗殺者でも抱えているのかね?」

 「結婚式後に行われる、我が国でのパレードの時です。その時にレムリア皇帝を殺してしまいましょう。我が国国内であれば、警護も緩くなりますし……それに結婚式後ならば、油断しているはずです。この機会を逃せば、我が国は永遠にレムリアの属国となります」


 なるほど……

 フラーテス三世はほんの少しだけ納得する。


 確かにそのタイミングならば、暗殺できるかもしれない。

 少なくとも、レムリア帝国を相手に反乱を起こす……などという案よりは随分と現実的だった。


 「仮にレムリア皇帝の暗殺が成功したとしよう。それでどうするのかね? まさか、レムリア皇帝を殺せばレムリア帝国が滅ぶ、などと思ってはいまいな?」


 大昔の戦争ではないのだ。

 大将首を取れば勝ち、というわけにはいかない。

 そもそもレムリア帝国は官僚制が整った、中央集権的国家。


 レムリア皇帝が死んでも、次のレムリア皇帝がすぐに即位するだろう。

 そして……

 怒り狂ったレムリア帝国がハヤスタン王国に攻め込んでくるのは目に見えている。


 あの皇帝は貴族・平民・武人・文人・聖職者・老若男女問わず、支持されているのだ。


 

 かつて、レムリアに三度抵抗した国家が燃やし尽され、女は全て奴隷として囚われ、男は殺され、そして徹底的に破壊され、跡地に塩まで撒かれた……という話はあまりにも有名だ。


 ハヤスタン王国はアレクティア派の国である。

 レムリア帝国からすれば、異端の国家。


 何の情けも掛けてくれないだろう。


 「ファールス王に庇護を求めるのです。レムリア皇帝の首を手土産にすれば、再びかの王は我が国を庇護してくれるはず。ファールス王は我が国に貢納金を求めましたが、しかし陛下を蔑ろにすることはなく、そして我が国の内政に口を出すこともありませんでした。レムリア帝国の属国、そして属州になり果てるよりは、ファールス王国の属国として生き残るのが最善の道かと」


 (なるほど、領地を取り上げられるのが余程嫌と見えるな)


 レムリア皇帝の指示の下で、ハヤスタン王国では貴族権力の削減が行われている。

 地方の権力と財源が中央に集まりつつあるのだ。

 もっとも、ここでいう中央というのはハヤスタン王ではなく、レムリア皇帝に、なのだが。


 「本当にファールス王は我が国を許すと? それにレムリア皇帝を暗殺しても、レムリアの国力は健在。ファールス王国は確かに超大国だが、レムリア帝国もそれに比類する超大国だぞ?」


 「いえ、陛下。レムリア皇帝を失えば、レムリア帝国の力は大きく落ち込みます。レムリア皇帝が今死ねば、その後を継げるのは兄であるティトゥスだけ。しかしあの者にはレムリア帝国の家臣をまとめ、戦争でファールス王を打ち破るだけの能力はありません」


 (本当にそう上手く、いくのかねぇ?)


 フラーテス三世は半信半疑だが……

 実はこの大貴族の認識は正しい。


 現在のレムリア帝国は、事実エルキュール個人によって支えられているのだ。


 例えば……

 レムリア帝国の宗教界の重鎮、ルーカノス・ルカリオス。


 彼はエルキュールの教師であり、エルキュールとは事実上の育ての親子の関係だ。

 だからこそ、ルーカノスはエルキュール政権を支えている。


 レムリア帝国の海軍大提督、クリストフ・オーギュスト。


 彼はエルキュールの叔父であり、血の繋がりがある。

 だからこそ、クリストフはエルキュール政権を支えている。


 レムリア帝国の陸軍大将軍、ガルフィス・ガレアノス・


 彼の娘、カロリナ・ガレアノスはエルキュールの婚約者である。

 だからこそ、ガルフィスはエルキュール政権を支えている。


 そしてダリオス、アントーニオ、シャイロック。

 彼らはレムリア帝国ではなく、エルキュールという個人に仕えている。




 もし仮にエルキュールが死に、ティトゥスが皇位に着いたとしよう。


 まず始まるのはルーカノス、クリストフ、ガルフィスの三者による実権争いである。

 これはレムリア帝国全土の貴族、聖職者、そして官僚などを巻き込んだ大規模なモノになる。


 そしてその政争にあきれ果てた、ダリオスやアントーニオ、シャイロックがレムリア帝国から離れるのは必然だろう。

 ダリオスなどは、反乱を起こす可能性すらあり得る。


 エルキュールという主柱を失えば、レムリア帝国は大混乱に陥る。


 故に……

 大貴族の計画は成功する可能性が非常に高い。


 もっとも、ファールス王の機嫌次第というのもあるのだが。


 「だが、ルナリエはどうなる? 我が国でパレードが行われるのは結婚式の後だ。あの年でルナリエに未亡人になれと? それに……夫を暗殺した妻という汚名をルナリエに被せるつもりか?」

 「……確かに、ルナリエ様にはお辛い思いをさせてしまうかもしれません」


 大貴族はそう言ってから……

 真っ直ぐと、フラーテス三世を見つめる。


 「ですが、そもそもルナリエ様は今、幸せなのでしょうか? レムリア皇帝とルナリエ様のご結婚……あまり良い噂を聞きません。ルナリエ様のためを思えば、レムリア皇帝を殺した方が良いのではないですか?」

 「そ、それは……」


 良い噂を聞かない…… 

 というのは、おそらくエルキュールがルナリエを強姦して無理やり男女関係を結ばせて、ハヤスタンをレムリアの属国にしようと画策した。

 という噂だろう。


 これに関しては事実無根であると、フラーテス三世は知っている。

 むしろ被害者はレムリア皇帝で、加害者はルナリエだ。


 だが……

 本当にルナリエは望んでレムリア皇帝と男女関係を持ったのだろうか?


 たまにフラーテス三世の脳裏にはそのことが過ぎる。


 ルナリエはハヤスタン王国のために望んでやったという。

 だが、ルナリエの本心としてはどうなのだろうか? 


 本当は心の奥底では、嫌だと思っているのではないだろうか?

 己を殺しているのではないだろうか?

 もっと、幸せな結婚があるのではないだろうか?

 自分はルナリエを、娘を犠牲にしているのではないだろうか?


 フラーテス三世はそのことが気掛かりだった。


 フラーテス三世は自覚している。

 自分が国王に相応しい人間ではないということを。

 そして……レムリア皇帝に支配された方が、ハヤスタンの民も、臣下も幸せだろうということも分かっている。


 だから自分が国王として扱われていないことは―確かに不愉快なのは事実だが―仕方がないと思っている。


 だが父親として……

 娘だけは守りたい。


 だからフラーテス三世は……


 「……すぐには決められない。もっと、具体的な計画を教えてくれなければ」

 「……分かりました、国王陛下。では……具体的な計画をお伝えします。レムリア皇帝とルナリエ様の結婚式の日の翌日までには、ご決断を」


 

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