第23話 西方外交 急 後

 「ご説明願おうか、チェルダ王!!」


 エルキュールが強い口調で問いただす。

 チェルダ王はエルキュールを睨みつけてから、大きく手を振ってエルキュールを振りほどこうとするが……


 エルキュールは強く握りしめ、放そうとしない。


 長耳族エルフ獣人族ワービーストでは、獣化無しの状態では長耳族エルフの方が身体能力に長けているのだ。


 エルキュールの握力は二百キロ。

 そう簡単に振りほどけるものではない。


 「あなたが先程の件について、説明し、そしてその手でセシリアを殴らないと約束するのであれば、放そう。再度問う。ご説明願おうか? チェルダ王!!!」


 エルキュールは強く腕を握り締める、

 チェルダ王は苦痛に顔を歪めた。


 「……分かった、説明する。だから放せ、レムリア皇帝!!」

 「暴力は振るわないと誓うかね?」

 「そんなことを、するはずがなかろう!!」

 

 エルキュールは鼻を鳴らしてから、手を離した。

 チェルダ王はエルキュールに握られて部分を擦りながら、エルキュールの問いに答える。


 「……少し、そこのお嬢さんと神学的な論争をしていた。それだけのことだ」

 「ほう……私の目にはセシリアにあなたが暴力を振るおうとしていたように見えたが?」

 「そのセシリア……というのが、そこのお嬢さんの名前かね? 私はただ、頭を掻こうとしただけだ。それをあなたが勘違いした。もう、良いだろう?」


 「殴ろうとした」、のかそれとも「殴ろうとしたように見えた」のか……

 それを判断するのは難しい。


 だがチェルダ王がそうだと主張する限りは、そうなるのだろう。

 少なくとも、チェルダ王とチェルダ王国はそのように主張するだろうし、絶対にそのことを認めようとはしないはずだ。


 エルキュールはほんの少しだけ……

 後悔する。


 もう少し、止めるタイミングを遅くすれば……


 と、そこまで考えてから「いや、今が適切なタイミングであった」と思い直す。


 後々の事を考えれば、セシリアに対して好印象を残しておくべきだ。

 そもそもチェルダ王がセシリアを殴ろうとしたことに関しては、完全に想定外。


 このことに関しては、チェルダ王に譲ってやればいい。

 ……誰が見ても、殴ろうとしたことは明白なのだから。


 精々、言い逃れさせてやればいい。


 それよりもエルキュールには、問い詰めなければならないことがある。


 「セシリア、チェルダ王と何で揉めていた?」

 「え、えっと……この方はチェルダ王国の……」

 「そんなことは今はどうでも良い。何で揉めていた?」


 エルキュールに問い詰められ……

 セシリアは答えた。


 「この方……チェルダ王がニアを侮辱したのです。……魔族ナイトメアは帰れ、劣等種、ドブネズミ。そんなことを言ったんです。ですから、発言を撤回してニアに謝罪するように求めました」


 なるほど……

 とエルキュールは頷いた。想定内である。


 「そう言えば、先程セシリアに劣等種と言っていたようだが……それはペテロ家が、人族ヒューマンが劣等種である、と主張したいのかな? チェルダ王」

 

 エルキュールはわざと、大きな声で言う。

 チェルダ王は首を大きく横に振った。


 「まさか、そんなことを思うはずがない」

 「では、先程の劣等種という発言は? まさか、言っていないなどとは言いませんな?」

 「それは……」


 チェルダ王は少し迷ってから、答えた。

 

 「そこの魔族ナイトメアに言ったのだ。何か、問題が? 魔族ナイトメアという種族が野蛮であることは、あなたもよく知っているはずだ」


 そう……

 魔族ナイトメアは世界中で忌み嫌われている。


 人権だとか、差別はよくないなどという概念が一般的になっている地球とは違い……

 この世界では、そんな概念はない。

 だから魔族ナイトメアが劣っている、劣等種であるという発言は特別問題ではない。


 そう、魔族ナイトメアが劣等種であるというのは言っても問題ない。

 だがしかし、ニアに対してそれを言うのは……


 明らかに失言であった。


 「チェルダ王! それは私と我が一族、そしてノヴァ・レムリア総主教座への侮辱と捉えて宜しいか!!」


 怒り心頭でチェルダ王に怒鳴ったのは、ルーカノス・ルカリオス。

 ノヴァ・レムリア総主教である。


 五本山の総主教たちは、一国の国王と同等それ以上の権威を持つ。

 

 さすがのチェルダ王も、これにはたじろいだ。

 だが……チェルダ王にしてみれば、なぜルーカノスが怒っているのか分からない。


 「意味が分からない。なぜ、そうなる?」

 「その魔族ナイトメアの少女……ニア・ルカリオスは私の養子だ。さて、私の養子が劣等種で、ドブネズミだと、あなたは言ったと判断して宜しいか?」


 ルーカノスはチェルダ王に対し、怒りの声を上げる。

 チェルダ王の顔が青ざめる。


 ようやく、自分が致命的な失言をしたことに気が付いたのだ。

 急速に酔いが覚めていく。


 「そもそもだが……全てのメシア教徒は平等だ。そして……ニアは我が国の貴族であり、私の従者だ。だからこそ、この場に連れてきた」


 エルキュールは淡々とチェルダ王に言う。

 そして……


 魔力を解放した。


 「我が国の貴族が、私の従者がドブネズミ? 劣等種? それは私と、我が国への侮辱だ!!」


 『畏怖』の魔法が放たれる。

 会場の空気が一気に下がっていく。


 対照的にチェルダ王の体からは大量の汗が滝のように流れていた。


 「頭を下げ、謝罪しろ!! チェルダ王!! もし、謝罪しないというのであれば……」


 エルキュールは低い声で言い放つ。


 「我が国への、宣戦布告と受け取らせてもらうぞ!!!」


 チェルダ王は息を飲んだ。








 「なるほどねえ……あのレムリア皇帝、謀ったな」


 会場の騒動を一歩離れた所から見守っていたフラーリング王―ルートヴィッヒ一世―は呟いた。

 

 「陛下、それはどういうことですか?」

 「分からないか? ローラン」


 ルートヴィッヒ一世配下、円卓の七騎士の一人。

 『勇気』のローラン。


 伯の爵位を持つ、若い武闘派の騎士である。


 「申し訳ありません、陛下」

 「いや、いいさ……あくまでこれは、私の推測だからな。正しいという確証はない。……だが」


 ルートヴィッヒ一世は腕を組んだ。


 「そもそも、魔族ナイトメアをこの場に連れてくれば何らかの騒動が起きることくらいは想像出来る。特に……あの獣人族ワービースト至上主義で有名なチェルダ王が出席するんだ。まともな判断力があれば、敢えて連れてくることはしない。だが……あのレムリア皇帝は連れてきた。はっきり言って、愚か者の行動だ。しかし、もしこのような騒動を起こし、チェルダ王を嵌めることが目的であるならば……あの男、厄介だぞ」


 ルートヴィッヒ一世はエルキュールへの警戒を引き上げる。

 評判では、優しく、誰にでも分け隔てなく接する名君であると聞いていたが……


 前評判というのは、やはり全く役に立たない。


 「しかし陛下、チェルダ王は謝罪するでしょうか? チェルダ王国の軍事力ならば、レムリアと互角以上に渡り合えるはず。謝罪する必要は無いでしょう。正面から、打ち砕けばいい」


 宣戦布告と受け取るぞ?


 という脅し文句は、戦争をしたくない者に対して初めて有効となる。

 チェルダ王に対して、有効とは言えないのではないか?

 

 とローランは尋ねる。


 するとルートヴィッヒ一世は同意するように頷いた。


 「ああ、そうだ。だから……あの皇帝もついカッとなって言ってしまったというのであれば、この騒動は突発的なモノである可能性が高い。だが、もし……」

 「もし?」

 「予め、あのレムリア皇帝がエデルナ王やエデルナ貴族、そして高位聖職者たちと共同していたら……いや、そこまでする必要は無いな。あの、魔族ナイトメアに対する理解を得ていたとするならば……」


 この晩餐会はエデルナ王の即位を祝うものであり……エデルナ貴族が大勢出席している。


 加えて、レムリア総主教座からもほど近いという立地の関係上、高位聖職者たちも多数出席しているのだ。

 彼らが内心で「ニアちゃん、可哀想……」と少しでも思っていれば……


 正義はレムリア皇帝、悪はチェルダ王。

 その空気の中で……果たしてチェルダ王は謝らずにいられるだろうか?


 「面白い演劇だな、全く……私が登場人物でないのが実に惜しい。……今回は見学に徹しようか。今回はね……次は是非とも、私の監修した演劇をあなたに見て頂きたいよ。レムリア皇帝……いや、エルキュール陛下」







 長所は短所に、短所は長所になり得る。

 というのは、エルキュールの持論である。


 というのはどういうことかというと……


 差別されている、という事実は使いようによっては利益を得る道具になり得るということだ。


 政治の世界に於いて、同情というモノは非常に大切だ。

 例え大したことをしていなくとも、されていなくとも、同情されれば多数の支持を得ることが出来る。


 特に被害者、加害者というのは大切な要素だ。


 とにかく、自分と敵対する相手を加害者にしてレッテル張りすれば、あとはどんな無茶なことでも割と通ってしまうのが政治の世界なのだ。


 故に政治の世界では、被害者になることが大切であり……

 加害者にだけは絶対になってはいけない。



 さて……

 ニアという少女は、誰がどう見ても可哀想な少女である。


 今まで優しかった両親が……

 魔族ナイトメアという理由だけで豹変し、暴力を振るう。


 挙句、『お前は娘じゃない』と罵倒され、暖かい家と食事を失う。


 魔族ナイトメアというだけで、誰も助けてくれないばかりか……

 暴力を振るわれてしまう。


 そして今でも、魔族ナイトメアだと罵倒されないか……

 ビクビクと怯えているのだ。


 ああ、こんなに可哀想な少女が世界のどこにいるというのか?



 と、まあ大概の人間はニアの今までの人生を聞けば同情する。

 魔族ナイトメアに対して差別意識を持っていた人間も、さすがに心を少しも動かされない、などということはない。


 加えて、ニアは可愛らしい容姿をしている。

 可愛いは正義、というのは冗談抜きで本当だ。


 ブスと美女、両方が虐められていて……

 どちらの方が可哀想か? と聞かれれば多分殆どの人間は美女を選ぶ。


 人間はそういう生き物なのだ。


 可愛い奴隷ちゃんが創作物で大人気ヒロインになるのも、奴隷ちゃんを愛で続ける同人ゲームが売れまくるのも、自明なのだ。

 


 

 ニアの小動物を思わせる可愛らしい容姿に、小柄な体。

 おどおどした目や薄幸そうな笑顔。

 そして悲惨な過去。


 これは人の庇護欲をとにかく駆り立てる。


 事実、ニアは無自覚のうちに多くの人々を魅了してきた。


 最初はエルキュール。 

 次にルーカノス。

 カロリナやルナリエ、ダリオスたちは無論として……


 ニアに対して強い差別意識を抱いていた、シファニーでさえも今はニアに対して世話を焼いていた。


 今や、レムリア宮殿の人間は全員ニアのファンと言ってもいい。


 故にエルキュールは、そんなニアの魔性の性質を利用しようと考えたのだ。





 なーに、そんなに難しい作戦ではない。

 

 まずはニアをエデルナ王国に連れて行く。

 そして貴族や聖職者たちに、如何にニアが可哀想なのか語るのだ。


 エルキュールは人の感情を駆り立てるのが、非常に上手い。

 そんなエルキュールにしてみれば、貴族や聖職者たちをニアのファンにするのは実に簡単だった。


 斯くして、「ニアちゃん可哀想」ムードが形成されたのだ。


 ついでに正義感の強そうなセシリアにも引き合わせて、仲良くなって貰った。


 斯くして罠は張り終えた。

 後は、チェルダ王が上手くニアを罵倒するか、殴るかするだけである。


 その後は……







 「さあ、謝罪して貰おう。チェルダ王。私とニアと、ルーカノスに対して。もし謝罪するのが嫌だというのであれば、武力でもって無理やりにでも謝罪して貰おう」


 エルキュールはチェルダ王に詰め寄る。

 チェルダ王は周囲を見回した。


 (クソ……レムリアの家臣共に囲まれている……)


 気付けば、チェルダ王はガルフィス・ガレアノス、クリストフ・オーディアス、ルーカノス・ルカリオス、エドモンド・エルドモート、カロリナ・ガレアノスの五人に囲まれていた。

 少しでもチェルダ王がエルキュールに危害を加えようとすれば、彼ら五人の剣がチェルダ王の体をズタズタに切断するだろう。


 その周囲を、冷たい目をしたエデルナ貴族や聖職者たちが取り囲んでいる。


 チェルダ王の家臣たちは、チェルダ王を助けに行きたくても行けない状況だ。


 (エデルナ王やトレトゥム王、フラーリング王、姫巫女メディウムはどうしている!!)


 チェルダ王は彼らがエルキュールを諌めに来るのを待つが、しかし彼らはこちらの様子を冷たく見守るだけで、チェルダ王を助けようとはしなかった。


 当たり前だ。


 今、この場でチェルダ王を少しでも弁護しようとすれば……

 エルキュールから『差別主義者』のレッテルを張られることになるのは目に見えているのだ。


 火中の栗を拾ってまで、チェルダ王を助けようとする者はないかった。


 そもそも姫巫女メディウム自身、チェルダ王に玄孫を暴行されそうになったのだから……

 助ける義理は無い。


 それよりも彼らの関心は……

 チェルダ王がエルキュールに頭を下げるか、それとも戦争になるのか。


 その行方だけである。


 チェルダ王は歯軋りをする。

 このまま謝罪せず、戦争になっても勝つことはできるだろう。


 チェルダ王には自信があった。


 しかし……

 謝罪しなければ、国際的な非難は免れない。


 このままでは反チェルダ同盟が結ばれる恐れすらもある。


 それに……

 チェルダ王の王の座は、決して盤石とは言えない状況にある。


 今までの正統派や異種族弾圧政策で、不満を抱いている者たちが大勢いるのだ。


 そして……

 チェルダ王の息子は、チェルダ王とは真逆の……理想主義者であり、反獣人族ワービースト至上主義を掲げ、一部の貴族や聖職者から一定の支持を受けていた。


 下手をすれば、チェルダ王の王位すらも引っくり返りかねない。


 だが……

 しかしレムリア皇帝に謝罪するなど……


 そんなことをすれば、チェルダ王国と自分の権威が……


 チェルダ王は悩み、考えた末に……


 「……申し訳なかった。発言を取り消します。皇帝陛下。……ルーカノス殿にも、……………………ニア殿にも、謝罪する。申し訳ない」


 チェルダ王はついに頭を垂れた。

 レムリア皇帝がチェルダ王を外交的に屈服させた瞬間だった。


 この時、この瞬間……

 レムリア皇帝がチェルダ王よりも、上位であることが確定したのである。


 謝罪を受けたエルキュールは笑顔を浮かべた。


 「ならば、宜しい。……私も少し、怒り過ぎたようだ。申し訳ない、セシリアも、謝りなさい。君は言い過ぎた」

 「え、でも……」

 「謝りなさい」

 「……申し訳ありません、チェルダ王陛下。言い過ぎました」


 エルキュールはチェルダ王に軽く謝罪をし、セシリアも頭を下げた。

 そしてエルキュールはパンパンと手を叩いた。


 「いやはや、折角の祝いの席を台無しにしてしまって申し訳ない。今、起ったことはどうか皆さま、忘れて頂きたい。ええ、もう当事者同士は謝った。全ては過ぎたこと。皆さん、前を向いていきましょう」


 何一つ、気にしていない。

 とでも言うように、エルキュールは笑顔でそう言った。


 こうしてエルキュールは自分の度量の広さは見せつけて、さらに株を上げたのだ。


 ……まあ、忘れろと言っても忘れられるわけがない。

 チェルダ王がエルキュールに頭を下げた。

 この事実は未来永劫残るわけだが。


 

 ちなみに……

 この時、エデルナ王ティウディミルはこのように呟いたらしい。


 「レムリアの飼い犬になってしまうとは。初代が見たら泣くだろうに。ああ、実に哀れだ」



 ……獣人族ワービーストの聴覚は非常に優れている。

 彼はチェルダ王からの侮辱の言葉を、聞き逃していなかったのだ。

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