第15話 東方外交 承
「ふむ……面倒なことになったな」
「困りましたね……」
エルキュールとトドリスはとある外交問題で頭を悩ませていた。
季節は三月。
少しずつ暖かくなり、昼寝をするには丁度いい季節……
ファールス王国から一通の手紙が届いた。
送り主はファールス王国、国王ササン八世。
『親愛なるレムリアの皇帝陛下。(中略)。お恥ずかしいことに私の娘のシェヘラザードが行方不明だ。西に向かったという目撃情報がある故、できれば捜索にご協力願いたい。もし見つけたら、私に連絡して欲しい。シェヘラザードの特徴は……』
というものだ。
「捜索、も何もいるからな……どうする? しらばっくれるか?」
「……知られた時にそれは不味いかと。というより、このような親書を送ってくるということは……もしかしたらすでにシェヘラザード姫がこの宮殿にいるという情報を掴んでいるかもしれません」
もし仮に……
この親書の中身が『うちのシェヘラザードを返せ!!』というものであれば、エルキュールは知らぬ存ぜぬで通すことができた。
シェヘラザードって誰だ?
どんな顔してるんだ? 知らねえよ。
ごめん、気が付かなかったわ!!
というレベルの対応でも、筋が通る。
しかし『シェヘラザードを探してほしい』というものだと、そうはいかない。
シェヘラザードの特徴と、シェヘラザードが行方不明……ということを知っておきながら、保護をした金髪の美しい
という言い分は通用しない。
『レムリア皇帝は我が娘と知っておきながら、シェヘラザードを監禁している!!』
という理由で攻め込まれれば厄介だ。
一応、ファールス王国との間には不可侵条約があるが……
娘が監禁されている、という大義名分があれば……破棄できないこともない。
歴史上、不可侵条約がまともに守られたことなど殆ど無い。
「どうする? 返すか?」
「返さない……という選択肢はありませんな。ハヤスタン王国の守りが固まっていない以上……東で揉め事を起こすわけにはいきません。ですが、ただそのまま返せば……」
「メシア教徒を保護しなかった、と謗りを受ける可能性がある……か。まあ、俺の面子は潰れるな」
とはいえ、返さなかったらササン八世の面子が潰れる。
そうなれば、戦争だ。
「正直、ササン八世に勝てる自信は無いぞ。あちらの軍事力は桁違いだし……何よりササン八世が厄介だ」
世界の征服者、『太陽王』ササン八世。
その名前はレムリア帝国にも轟いている。
何しろ、先代皇帝ハドリアヌス三世を二度も合戦でズタボロに破ったのだから。
流石のエルキュールも勝てる確証がない。
「取り敢えず、本人に聞いてみるか?」
「……そうですね、それが一番かと」
二人は一度、問題を棚上げした。
「お、お願いです、皇帝陛下!! ど、どうかここにいさせてください!! お、お父様は絶対に怒っています!!」
「だったら早く謝った方が……」
「わ、私のお尻がどうなっても良いというんですか!! こ、このままじゃ百回や二百回じゃ……」
やはり、アカイメネス家はお尻ペンペンで躾を行っているらしい。
仮にも十八歳の少女のケツを、父親が叩くというのは如何なものか……
犯罪的に不味い気しかしない。
が、ファールス王国ではセーフなのだろう。
……アカイメネス家独特の風習なのかもしれないが。
「謝るなら、早い方が良い」
「やっぱり長引かせるのは良くないですよ」
「ふ、二人までそんなことを言うのですか!!」
ルナリエとカロリナに言われて、シェヘラザードは涙目を浮かべる。
ルナリエは優しく、シェヘラザードの肩を叩く。
「一応、私はササン八世とは顔見知り。……許してあげるように、言ってあげようか?」
「……それ、逆効果になりませんか?」
ハヤスタン王国はファールス王国の同盟国、だった。
そう、過去の話である。
裏切りの首謀者であるルナリエが、ファールス国王に下手なことを言えば……
逆にシェヘラザードの立場が悪くなる可能性もある。
カロリナの問いに、ルナリエは答える。
「どちらにせよ、そろそろササン八世に顔を合わせておく必要がある。それが筋というモノ」
どうやら、ルナリエはこれを切っ掛けにササン八世と話を付けるつもりのようだった。
まあ、確かに裏切りっぱなしというのはあまり宜しくない。
一言、裏切ってごめんね、くらいは言うべきだろう。
「とはいえ、お前がいくら嫌だと言っても……取り敢えず、保護した事実は伝える必要があるな。俺から、お尻ペンペン百回くらいで許して貰えるように頼んでおこう」
「本当……ですか?」
「本当、本当……問題はお前が改宗させられることだな」
はっきり言って、シェヘラザードがお尻ペンペンされようがエルキュールにはどうでも良い。
いや、見てみたい気持ちはあるし、むしろやってみたいとすら思うが……
それはエルキュールの趣味の話であり、政治的にはどうでもいいことだ。
問題はシェヘラザードが改宗させられるか、否かである。
改宗させられなければ……エルキュールの外交圧力で、何とかメシア教徒の信仰を守ったと、面子は保たれる。
が、改宗させられるようなことになれば……笑えない。
「ササン八世のことだ。……絶対に嫌がらせに改宗させるだろうな」
元々シェヘラザードは改宗から逃げてきたのだ。
返せば改宗させられるのは自明だ。
もしかしたら、その気はないかもしれないが……
問題は無いか、有るかではなく、出来るか出来ないかであり、可能性の有無である。
シェヘラザードが改宗させられることになれば、エルキュールの顔が潰れる。
かといって、シェヘラザードを守れば……ササン八世と戦争になる。
出来ればどちらも避けたい。
どうするか……
「まあ、交渉してみるしかあるまい。上手く行けば、話し合いで済むかもしれない」
「ほ、本当ですか!!」
シェヘラザードはエルキュールに抱き付いた。
豊満な胸がエルキュールの腕に押し付けられる。
これがシファニーちゃんだったら、有無を言わさずに押し倒して犯すところだが……
仮にも一国の姫であり、あまり過剰な接触は要らぬ誤解を招く恐れがある。
エルキュールは無理矢理シェヘラザードを引き剥がす。
「落ち着け。やってみないことには分からん。トドリスと相談してみるよ。まあ、一応我々は
「はい!! どうか、どうかお願いします」
「というのはどうだ?」
「確かにシェヘラザード姫、先の条約破り、加えて例のカードを加えれば……交渉でかなり優位に立てるかもしれませんね。……しかしササン八世を刺激して、戦争になる恐れもあるのでは?」
「その時は、その時だ。まあ、タダで負けるつもりはない。もっとも、ササン八世が噂通りの人物ならば戦争は避けると思うが。俺なら勝てる確証の無い戦争はやらん」
エルキュールに破れ、領土を蹂躙され、賠償金を支払わされたファールス王国は……
まだ立ち直っている、とは言い難い。
無論、戦争をすることが出来ないほどのダメージは受けていないし、雪辱を晴らそうとしてくるかもしれないが、しかしササン八世の本音としては内政に注力したいはずだ。
それにファールス王国が目下、取り組んでいるのはシンディラ遠征であり、そして最大の仮想敵国は
レムリアと無用な争いをしようとは思わないはず……
多分、おそらく、きっと、そうだと良いなあ……
「一応、動員は掛けて置く。……安心しろ。仮に戦争になっても、易々と負けるつもりはない」
何だかんだで、この男は自信家なのだ。
最後に勝つのは自分だと、本気で思っているのである。
だからこそ、自分の勝利を疑わない。
……まあ、ササン八世も似たような質だ。
似た者同士、というわけだ。
「とりあえず、ササン八世には『了解した、探しておく』と連絡しよう。……そうだな、二週間後に『見つかった』と出そうか」
「少し短い気がしますが……そうですね、ササン八世が妙な気を起こす前に発見の報告をした方が良いかもしれません」
斯くして、シェヘラザードの一時返却が決まったのである。
それから二週間後。
ファールス王国では……
「お前の予想通り、シェヘラザードはレムリアにいたようだな。ベフナム」
「フォッフォッフォッ……しかし困ったものですなあ、姫君も。これはお尻ペンペン千回では済みそうにありませんなあ」
エルキュールからの親書を読んだササン八世は、深い溜息をついた。
そして頭を抱える。
「あのバカ娘め……全く、どこで育て方を間違えた?」
「メシア教徒に改宗することを許可したあたりからでしょうなあ。次点で聖火教への再改宗を強要したあたりでしょう。陛下にも落ち度がありますぞ?」
「……それは私も分かっている」
メシア教徒にとって、異教に改宗することは死後に煉獄に落ちることを意味する。
強制改宗となれば、尚更だ。
シェヘラザードが逃げるのも、無理は無いのだ。
「……やはり、レムリア皇帝の下に身を寄せていたと考えるのが妥当か?」
「そうですなあ……レムリアには間諜を送り、調査させましたが……目撃情報は一つも出て来なかった。それが、レムリア皇帝を手紙一枚で揺すっただけで二週間後に発見される……というのはあまりにも不自然。やはりレムリア皇帝がシェヘラザード姫を外交カードにするために匿い、隠していたと考えるのが自然でしょうな」
ササン八世にレムリアに親書を出すように助言したのは、ベフナムであった。
というのもシェヘラザードがレムリアに渡り、シュリア属州を通って首都のノヴァ・レムリアに陸路で渡ったところまでは辿ることが出来たが、しかしそこで情報が途切れたからである。
可能性として考えられるのは、レムリア皇帝に捕まったか……
それとも何らかの犯罪に巻き込まれたか、のどちらかであった。
どちらにせよ、レムリア皇帝の助力が無ければシェヘラザードを取り戻すことは難しい。
ササン八世は自分の弱みをレムリア皇帝に見せることになると渋ったが、ベフナムに説得されてレムリア皇帝に親書を出したのだった。
そしてベフナムの予想は的中した、というわけだ。
とはいえ、それに確固たる証拠があるわけでもない。
仮にエルキュールを糾弾しても、知らぬ存ぜぬされるだけなのは目に見えていた。
「何はともあれ、返してもらわねばならんが……」
「難しいでしょうな。シェヘラザード姫がレムリア皇帝にとっては、守るべきメシア教徒。仮にも親とはいえ、異教徒である聖火教の王の下にあっさりと返せば……彼の面子が潰れる。おそらく、何らかの……例えば『改宗を強制させない』等の条件を付けてくるでしょうな」
「……やはり戦か?」
「それは避けた方が宜しいかと。さすがに、二度も休戦協定を破るのは節操がないと非難を浴びます。外国だけでなく、国内の諸侯たちでさえもアカイメネス家を、陛下を信用しなくなくなる可能性がございます。……話し合いで解決するのが宜しいかと。最悪、何らかの譲歩が必要です」
すると、ササン八世は大きく首を横に振った。
「譲歩は出来ん!! これ以上、レムリアに負けるわけにはいかん」
これ以上、レムリアに屈し続ければ……
ファールス王国の国際的地位が危ぶまれるし、ササン八世の国内での求心力も低下しかねない。
今回ばかりは、勝たなくてはならない。
「ですが、レムリア皇帝の性格を考えると……あの若者は譲歩しませんよ。ええ、陛下と同じように負けず嫌いです。あの若者は自分の面子と戦争ならば、戦争を選ぶでしょう。……どうにかして、引き分けに持ち込みましょう。それしかありませぬ」
ベフナムはササン八世を宥めながら、レムリアの太った外交官―トドリス―のことを思い浮かべる。
レムリア皇帝に話が通じるか分からないが、しかしトドリスとならばある程度、交渉できるかもしれない。
ベフナムとトドリスは、何度も舌戦を繰り広げた仲。
だからこそ、お互いに信頼することはできる。
ファールスは戦争を望んでいない。
そしてレムリアも戦争は望んでいないはず。
ならば双方、歩み寄りの余地はあった。
「問題は『シェヘラザード姫の母上殿と、ぜひお会いしたい』という一文ですな。……親書には心配しているであろう、母親に早く顔を見せてあげたいなどと書いてあるが……」
「……あのレムリア皇帝にそんな人間らしい情があるものか。……やはり、勘付かれたかもしれないな。どうする?」
「……連れて行くしかないでしょう。親書には、『仮にも両親の顔を確認しなければ、メシア教徒をそちらに返すわけにはいかない』とも書いてあるのでしょう?」
つまりシェヘラザードの母親の顔を確認しない限り、シェヘラザードは返さない。
と、エルキュールは言っているのだ。
仮に条件が『領土を寄越せ』『金を寄越せ』『謝罪しろ』というような内容だったならば、跳ねのけることが出来る。
しかし『レムリア皇帝として、メシア教徒の守護者として、一人のメシア教徒を異教徒のご両親の下に返す以上、ご両親の顔を確認しない限り、返せない』と言われてしまうと……
断り辛い。
外野から見れば、要求して当然の条件であり……
また、受諾して当然の条件でもある。
「不利にはなるでしょう。しかし……そうでもしなければ、交渉そのものが始まりません。はっきり言ってしまえば、この程度大した条件でもないでしょう?」
「……まあ、その通りだが」
はっきり言ってしまえば、シェヘラザードの母親を連れて行く、連れて行かないは……
ファールス王国の国益、というよりはササン八世とシェヘラザードの母親の心情に関係する問題。
ベフナムからすれば、二つ返事で飲むべき条件だ。
「分かった、連れて行こう。……しかしこちらも条件に、シェヘラザードを連れて来るように設ける」
「それが宜しいかと」
レムリアとファールスはフラート河を国境線としている。
そして河は双方により、話し合いで利用されている。
そんな河の中に、一つの大きな中州があった。
この中州は普段は両側の漁民によって利用されているが……
レムリア、ファールスの国境の丁度真ん中にあるという地理的特性から、よく双方の君主の話し合いの場としても選ばれる。
そして今日、その中州に両国の首脳が集まっていた。
レムリア側からは、レムリア皇帝エルキュール一世。
外務大臣、トドリス。
ノヴァ・レムリア総主教、ルーカノス。
護衛として、カロリナ、クリストフ。
の五人。
ファールス側からは、ファールス王ササン八世。
宰相、ベフナム。
三の妃。
そして護衛として、カワード、シャーヒーン。
の五人。
そして最重要人物である、シェヘラザード。
合計十一名が決められた日時に中州に集まり、顔を合わせた。
「お初にお目にかかる、ファールス王、ササン八世陛下。私の名はエルキュール・ユリアノス。レムリア帝国、皇帝だ。ファールス王と、お呼びしても宜しいかな?」
まず初めに、エルキュールが一歩進み出る。
するとファールス王も一歩進み出る。
「こちらこそ、お初にお目にかかる。レムリア皇帝、エルキュール一世陛下。私の名はササン・アカイメネス。ファールス王国、国王だ。……どうぞ、自由に呼んでくれて構わない。私も、あなたのことはレムリア皇帝、とお呼びさせて頂く」
双方笑みを浮かべて、握手を交わす。
非常に友好的な笑顔だが……目が笑っていなかった。
「先日、うちのバカ息子が迷惑をお掛けした。そしてうちのバカ娘まで、申し訳ない。そしてうちの娘を返して頂き、ありがとう。感謝している」
「……まあ、そのことについてはいろいろと言いたいことはありますが」
エルキュールはさらりと、『娘を返して頂き……』というササン八世の発言を流す。
そして、タダで返すつもりはないというアピールをしたうえで……
「シェヘラザード姫の身柄の受け渡し、より前に実は話しておきたいことがあります。正確に言えば……ノヴァ・レムリア総主教が、シェヘラザード姫の母君が、ですけどね」
エルキュールはそう言ってから、一歩下がる。
すると、ルーカノスが一歩進み出た。
「お初にお目にかかります、ファールス王陛下。私はノヴァ・レムリア総主教を務めさせていただいています、ルーカノス・ルカリオスと申します」
そう名乗ってから……
ササン八世の後ろに控えていた、灰色の髪の美しい
「初めまして……いえ、久しぶりと言うべきでしょうか? ヘレーナ・ウァレリ……今はヘレーナ・アカイメネス殿、ですね」」
「ええ、久しぶりですね。ノヴァ・レムリア総主教……ルーカノス・ルカリオス」
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