第14話 東方外交 起


 「どうだ、ルーカノス。ニアはどんな感じだ?」

 「そうですね……驚くほど優秀、と言えます」


 ニアの身体チェックをした次の日、エルキュールはルーカノスを呼び出してニアの教育の進展を尋ねた。

 すると、ルーカノスからニアを賞賛する言葉が出てきた。


 「ほう……お前はよく、ニアを叱っているイメージがあったが?」

 「あの子はその方が良く伸びます。間違っているところを素直に直せる、良い娘ですから」

 

 ちなみにルーカノスはエルキュールの教育を担当したが……

 その時は褒め捲って育てた。


 叱ればエルキュールの自尊心を傷つけ、拗ねて真面目にやらなくなると見抜いていたからである。

 エルキュールは褒めれば褒めるほど、調子に乗せれば乗せるほど、「さすエル」「さす陛下」と持て囃してageまくるほど、調子が上がり、努力し、結果を残す。


 教え方、というのは人それぞれ合わせるべきである、というのがルーカノスの考えだった。


 ルーカノスは珈琲を一口、飲んでから続ける。


 「キリス語の矯正はかなり進みました。キリス語の読み書きも、そこそこ出来るようになりましたね。レムリア語も簡単なものなら話せるようになっています」

 「まだ数か月なのに優秀じゃないか。勉強以外は?」

 「そうですね……意外にダンスが上手ですね。反射神経、動体視力には目を見張るものがあります。ですがそれ以上に……動きが精密で正確です。同じところを続けて突く能力は素晴らしい……と、武術の指南役が言っていましたよ」

 「ふむ……なるほどね。今度、カロリナに見せてみるのも良いかもな」


 ともかく、貴族として生きていくのに必要なダンスや……

 武人として生きていくのに必要な武術の才能はあるようだ。


 「ただ歴史や政治、軍事、弁論の教育はしていませんから、まだ彼女がどれくらい優秀な子に育つかは分かりません。今のところは、ただ優秀な子供……というだけですから」

 「それは分かってるさ」

 

 エルキュールとしては、ニアが無能ではないという事実さえ分かれば今は満足だ。

 別に無能だったからといって、捨てたりはしないが……テンションは下がる。

 

 できれば拾って良かったと、思いたいモノだ。


 「何か、魔族ナイトメアとしての兆候は?」

 「特には。ただの女の子にしか、私には見えませんね。……これからどうなるか、分かりませんが」


 魔族ナイトメアを闇雲に危険である、とまでは言わない。

 が、未知の存在であることは確かであり、そして危険が全くないわけでもない。


 幼獣のころは大人しくて可愛らしいチンパンジーも、成獣になれば豹変したように凶暴化する。

 ニアもその類……の可能性も否定できない。


 何にせよ、経過は確認すべきだろう。


 「ところでルーカノス、最近何か悩んでいるようだが……大丈夫か?」

 「ええ……まあ……分かりますか?」

 「そりゃあな。何年の付き合いだと思っている?」


 ルーカノスはエルキュールの物心がついた頃からずっと側にいた。

 エルキュールにとっては、親のようなモノ。

 当然、ルーカノスが何か悩みを抱えているというのであれば……すぐに分かる。


 「……最近、ファールスとの戦いがありましたよね?」

 「あったな」

 「それで……ファールスに連れて行かれた者達が返還、または一時的に帰って来ましたよね? その時に……知人がいないか確認したのですが……居なかったので……少しだけ……」

 「そう言えば……三十年前の戦いにお前は従軍したんだったな」


 先代皇帝ハドリアヌス三世はファールス王国と二度戦い、二度敗北している。

 一度目は八十年前……

 ファールス王国で発生した内乱に乗じて、ファールス王国に攻め込んだのだ。


 最初、この奇襲は大成功して多くの領土を得たが……

 ファールス王国の内乱に終止符を打ち、新たに即位した国王ササン八世当時二十歳に敗北。

 

 獲得した領土の全てを奪われ、そして賠償金を支払うことになった。


 それから五十年後、つまり三十年前。

 ブルガロン王国とファールス王国が共同でレムリア帝国に攻め込んできた。


 この時もハドリアヌス三世は大敗北して……

 以後、ファールス王国に毎年、多額の貢納金を支払うことになったのだった。


 そしてこの二度の戦いで多くの長耳族エルフがファールス王国に連行された。

 

 三分の二は身代金の支払いで解放されたが……

 三分の一は解放されず。ファールス王国に抑留されることになったのだ。


 ちなみにこの時、ルーカノスはファールス軍に捕まった。

 そしてメシア教会の諜報活動について洗いざらい話すように言われ、拷問されて……


 股間をブレイキングされてしまったというわけだ。


 「知り合いってのは……誰だ?」

 「ウァレリウス・コーグ家の次女、ヘレーナです。私の……婚約者でした」


 メシア教では聖職者の妻帯は認められている。

 というのも、メシア教の最高権威である姫巫女メディウムが血統継承だからだ。


 姫巫女メディウムが良いなら、他の聖職者も良いだろう……という考えだ。


 性行為は悪とされるが、結婚して子を増やすことに関してはメシア教は奨励している。


 「ウァレリウス・コーグ家……聖七十七家の一つ、ウァレリウス家の分家、コーグ家か。つまり純血……そして女か」


 長耳族エルフの人口が少ないのは、レムリアもファールスも同じだ。

 純血となれば、尚更だ。

 

 そして……どちらも女性を特に欲している。


 性行為を子供の製造と、割り切って考えた場合……

 男性と女性が一対一である必要はない。


 男性は何人でも、同時に女性を孕ませることができるが……

 女性の胎は、原則として赤子一人に付き、一つだ。(双子や三つ子は例外だが……)


 要するに、国としては睾丸は少なくても良いが子宮はたくさん欲しいというわけだ。


 戦争で女性長耳族エルフを、それも純血を捕虜としたのであれば……

 返さないで、お持ち帰りするのが当然だ。


 もっとも、性奴隷にされるということは……純血ならばあり得ない。

 レムリアでもファールスでも、純血ならば貴族だから相応の扱いはされる。

 

 純血の独身長耳族エルフ男性に割り当てられるのが普通だ。


 

 ちなみに……

 レムリア帝国で女性が戦場に出ることが許されているのは、長耳族エルフだけである。

 長耳族エルフは身体能力が高く、また精霊術の技術に性差はないので、男性も女性も十分に戦える。


 獣人族ワービーストも身体能力が高いので、獣人族ワービースト女性も戦場で活躍することが出来るが……

 基本、戦場で戦うというのは名誉なことであり、支配階級の仕事ということもあり、レムリア帝国では獣人族ワービースト女性が戦うことは許可されない。


 西方の獣人族ワービースト国家では、一部女性騎士がいるようだが。

 まあ、それでも戦場は男性の世界だ。


 「うーん、生きていてもファールス貴族の妻になっている可能性が高いな。……しかし先の戦争で、ファールスに渡った長耳族エルフのうち、すでに家庭を築いていてレムリアに帰れない者についても、一時帰国させるように条約を結んだし、事実何人も一時的に帰って来たはずだが……」


 ファールスに囚われ、ファールス貴族と結婚させられたレムリアの長耳族エルフが、夫と子供を連れて、レムリアの親や兄弟の元に挨拶しに来たのは最近のことだ。



 「……死んでいる可能性が高いな」

 「ええ……まあ……一度諦めたことですので……気は落としましたが、悲しいというほどではありません。やっぱりなあ……というところです。生きているなら、手紙の一つ二つ、来てもおかしくないですからね」


 ファールスに囚われた長耳族エルフと、レムリアにいる長耳族エルフの家族の文通は、さほど珍しい話でもない。

 手紙が来ない、ということはすでに神の国に旅立っている可能性が高い。


 「まあ……俺の方も少し探してみることにしよう。生きているか、死んでいるかくらいははっきりさせたいだろ? お前も、その女性の家族も……ところで、どういう女性だ?」

 「髪は灰色で……長耳族エルフにしては妙に胸の大きい人でしたよ。敬虔で、優しく、そして剣の腕も立つ強い女性でしたね」

 「胸が大きい、ねえ……」


 長耳族エルフの言う、「胸が大きい」はあまり信用できない。

 C以上はみんな、胸が大きい扱いされるからである。

 人によっては、Bでも巨乳だと主張する長耳族エルフもいる。


 長耳族エルフはペチャパイがデフォルトだ。


 「ですが、陛下。過去の女性です。私は信仰の世界で生きると決めました。……ヘレーナを探してくださるのは、本当に嬉しいですが……どうか、御政務の方を優先してください」

 「それは分かっているさ……ところで、話は変わるが……大聖堂のデザインは前に渡した内容で構わないか? そろそろ返事をくれるとありがたいが」


 大聖堂……というのは、エルキュールがティトスに再建を依頼したノヴァ・レムリア大聖堂、つまりノヴァ・レムリア大司教座が置かれている建造物のことである。


 老朽化が著しいので、立て直されることになったのだ。


 すでに予算もデザインもエルキュールが目を通し、許可が出ている。

 あとはルーカノスがイエスというだけだった。


 「あれで問題ありません。本日申し上げるつもりでしたが……初めに申し上げるべきでしたね。申し訳ありません」

 「いや、構わないさ。別に急ぐ用件でもない。……あと、何だったっけかな? お前に言っておかなくてはいけないことが……ああ!! 思い出した。エデルナ国王が崩御したんだった」

 「エデルナ王が?」

 「ああ、まだこれは俺の耳に入ったばかりのことだがな」


 

 エデルナ王国。

 それはレムリア帝国より西の、アペリア半島の西方派メシア教徒の国だ。

 主要民族は獣人族ワービーストで、君主は高位獣人族ワービーストの豹族だ。


 「新たな国王は誰か分かっていますか?」

 「一応、親レムリア派のティウディミルが即位するようだ。……だがまだ若い。反レムリア派の勢力が伸長する可能性があるな。こればかりは経過を見るしかないが」

 「……一先ずは同盟関係は維持される、と考えても良さそうですね」


 エデルナ王国とレムリア帝国は同盟関係にある。

 というより、エデルナ王国が形式上レムリア帝国の主権下にある、といった方が良いかもしれない。


 エデルナ王国とレムリア帝国の歴史的関係は少し複雑だ。


 時は遡ること二百年。

 アペリア半島には、西レムリア帝国が存続していた。


 しかし西レムリアのユリアノス家はほぼ断絶し、最後に残ったのはレムロス―皮肉なことにレムリアの建国者と同じ名前―という、混血長耳族ハーフ・エルフの子供だった。


 レムリア帝国の皇帝位は純血長耳族ハイ・エルフのユリアノス家の男児が代々受け継がれてきた。

 故に混血の皇帝の即位は、法的な根拠が薄かった。


 また……幼いレムロスは後ろから貴族に操られており、西レムリア帝国の政治は混乱状態だった。

 それを不満に思ったのが、東レムリア帝国だった。


 そこで……

 東レムリア帝国は西レムリア帝国のレムロスに退位を迫ったのである。


 が、大人しく退位には応じない。(というより、レムロスを陰で操る貴族が許さない)


 だが東レムリア帝国もファールス王国を相手するのに手一杯で、戦争する余裕もない。

 そこで東レムリア帝国は考えた。


 蛮族にやらせよう。


 当時、東レムリア帝国にはとある有力獣人族ワービーストと同盟関係にあった。

 その一族の族長の名前をディートリヒと言い、ディートリヒは幼いころをノヴァ・レムリアで過ごした経験があり……東レムリア帝国としても、多少信用出来た。


 それに……その一族の軍事力が無視できないものとなっていて、東レムリア帝国としては少しでも遠くにお引越しして頂けないかと、考えてもいた。


 そこで東レムリア帝国はディートリヒに「アペリア半島をお前にやる。西レムリア帝国を滅ぼしてこい。あ、帝冠はちゃんと返せよ。そうすればアペリア半島の王位と、西レムリア帝国の執政官・護民官の地位をプレゼントしてやる」と提案したのである。


 ディートリヒとしてもアペリア半島が手に入るのであれば、これは幸い……

 というわけで、アペリア半島を侵略。

 西レムリア帝国を滅ぼし、アペリア半島の大都市エデルナを首都とした、エデルナ王国を建国したというわけだ。


 ちなみに、この時西レムリア帝国の帝冠が東レムリア帝国にちゃんと届けられたので……

 法律上、東西レムリア帝国は統合されている。

 よって、西レムリア帝国の滅亡というのは、レムリア帝国からすると間違いであり、正しくは東西の統一なのである。


 実質的には滅亡だが。


 そういうわけで、以来レムリア帝国とエデルナ王国は同盟関係にあるのだった。


 「近々、エデルナで即位式が行われるはず。当然俺も招かれるから……その時が勝負だ。あと、ついでにレムリアの姫巫女メディウムに、ルナリエの改宗を頼もうと思っている」


 何を隠そう、アペリア半島はレムリア帝国の発祥の地であり……

 古都レムリア、レムリア総主教座がある土地だ。


 折角、改宗させるのであれば……

 姫巫女メディウムにして貰おうと考えたわけだ。


 「レムリア総主教もやはり、来るでしょうね。あのハゲめ……」

 「……姫巫女メディウムと俺が表面上、仲良くしてるんだ。お前らも、仲良くしろよ」


 エルキュールは苦笑いを浮かべた。

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