第13話 愛人

 「よう、ニア。よく来てくれたな。まあ、座れ。立ち話もなんだしな」


 エルキュールはニアを呼び出し、座るように促した。

 ニアは恐縮しながら、椅子に座る。


 「あ、あの……どのようなご用件で?」

 「そんなに怯えるな。何も取って食おうってわけじゃない。ただ、お前の魔族ナイトメアとしての特性を調べようと思ってな」

 「特性?」

 「ああ」


 魔族ナイトメアに関して書かれた書籍は、無数にある。

 問題は書かれているないようが、必ずしも一致していないことだった。


 エルキュールとしては、魔族ナイトメアの種族としての特徴や特性を調べたいのだ。

 

 半分は学術的興味、もう半分はニアをどうやって使う・・か判断するためだ。


 「取り敢えず、尻尾を見せてくれ」

 「は、はい……分かりました」


 ニアはスカートの中から、恥ずかしそうに黒い尻尾を出した。

 先端は逆三角形……というより、ハート型の可愛らしい形をしている。


 ニアからすれば、この尻尾は自分の体の中で一番隠したいコンプレックスだ。

 この尻尾の所為で、差別され、貶され、そして今でも侮蔑の目で見られるのだから。


 「ふむふむ……」


 エルキュールはそんなニアのコンプレックスの塊を、何の躊躇も無く鷲掴みにした。


 「ひゃああ!!」


 ニアは思わず悲鳴を上げる。

 体をビクリと震わせ、尻尾をパタパタと動かす。


 「動くな」

 「ひゃ、ひゃい……」


 エルキュールは興味深そうに、ニアの尻尾を撫でたり、擦ったりする。

 エルキュールの手が動くたびに、ニアの体が震える。


 「どんな感じだ?」

 「く、くすぐったいです……」


 ニアは顔を紅潮させながら、答える。

 様子を見る限り、ただの「くすぐったい」ではなさそうだ。


 「くすぐったい以外には? 正直に答えろ」

 「え、えっと……その……ひゃん!! ひゃ、ひゃめてくらはい……」

 「勅命だ」

 「う、う……キモチイイデス……」

 「何だ? 聞こえないぞ」

 「き、気持ちいです!!!」


 ニアは涙目で答える。

 なるほど、なるほどとエルキュールは極めて真面目そうな顔で頷き……


 「ちなみに自慰はどれくらいの頻度でする?」

 「……三日に一回です」

 「オカズは?」

 「そ、その……陛下に抱かれる妄想……って、これ関係あるんですか?」

 「すまん、無い」


 エルキュールはパッと、ニアの尻尾を手放した。

 ニアはグスグスと半泣きで、尻尾をスカートの中にしまった。


 「ひ、酷いです……」

 「すまん、すまん。まあ、自慰云々は俺のセクハラだが……尻尾については極めて真面目な話さ。文献には、魔族ナイトメアの尻尾は……他の魔族ナイトメアとの通信手段だったり、魔力を効率的に扱うための組織だったり、それこそ性感帯だったり……記述がバラバラでな。少し、調べる必要があった」


 至って真面目な顔で言うエルキュール。

 そんなエルキュールの雰囲気に押されて、ニアは納得してしまった。


 ……お前が自ら触る必要はあったのか? 


 「……ニア、お前の尻尾。抓ったり、引っ張ったりすると痛いか?」

 「それは……まあ、敏感な部分ですから……」

 「つまり、男にとっての股間と同じ弱点だな。ちゃんとしまっておけ。掴まれたらお終いだ」


 男の股間よりも掴みやすそう、という点ではニアの尻尾の方が致命的な弱点と言える。 


 次にエルキュールは、ニアの角に触れる。 

 漆黒の禍々しい色をした―エルキュールから見るとただの黒色―角をツンツンと弄る。


 「どうだ? 感覚は?」

 「……いえ、ありません。触られているのは……少し分かりますが」

 「ふむ……まあ、そんなものか」


 気になるのは、鹿の角のように骨が変化したものなのか、サイの角のように毛が変化したものなのか……

 どちらだろうか? 


 「この角って、生え変わる?」

 「え? ……まあ、確かに一度取れたことはありますが」


 ニア曰く、生え始めてから一年で一度落ちたようだ。

 そして再び生えて、現在に至る。


 「なるほど……鹿の角に近いのかな? 鬼人種オーガの角も生え変わると聞いたことがあるが」


 東方の国には鬼人種オーガと呼ばれる種族がいて、彼らの頭には白い角が生えている……

 という話をエルキュールは書物で読んだことがある。

 が、しかし実物を見たことがないので、ニアの角と比較するのは難しい。


 「まあ、角と尻尾は後回しで良いだろう。……最後に魔眼とやらだ。何か、見えたりしないか?」

 「……少なくとも、私は皆さんと特に変わってるとは思いませんが」


 ニアの瞳は、美しい桜色だ。

 これで片方の瞳の色が水色だったりすれば、分かりやすいが……


 残念ながらオッドアイ、というわけではない。

 

 「うーん、もしかしたら何かコツがあるのかもな……発動するための。何か、唱えてみてくれ」

 「……何か、とは?」

 「覚醒せよ!! 我が魔眼!! みたいに?」

 「……恥ずかしいのでしたくないのですが、ダメですか?」

 「いや、多分効果無いから良いよ」


 エルキュールは肩を竦めた。


 「はあ……こうなったら魔術研究会か、ヒュパティアたちに見せてみるしかないな。あとは……あの色魔の精霊アスモデウスなら、知っているかもな。今度、聞いてみることにするよ」 

 「……何から何まで、すみません」

 「気にするな」


 子猫を拾ったら、最後まで世話するのが拾った者の責任だ。

 ニアを拾った以上、無責任なことをするつもりは皆目ない。


 「何か、恩返ししたいのですが……」

 「恩返し? お前が俺に? お前に何が出来るっていうんだ」


 エルキュールの問いに、ニアは口籠った。


 「その……陛下が触りたいとおっしゃるのであれば……角も尻尾も……どこだって触っても……この体を使うくらいしかないので……」

 「何だ? 抱かせてくれる、って言いたいのか?」

 「……陛下がそう、お望みになるのであれば。この身は陛下に捧げます」


 ニアはエルキュールを正面から見つめる。

 少し顔が赤いが……瞳は真剣そのものだった。


 エルキュールは溜息をついた。

 

 ニアの両肩を両手で掴む。

 そして……唇を近づけ……

















 「随分と安いんだな。お前の俺へのご恩とやらは」














 底冷えするような、冷たい声で囁いた。

 ニアは思わず、体を震わせた。


 何か分からないが……

 自分の発言がエルキュールの機嫌を損ねた、ということだけは分かった。


 「なあ、ニア。お前くらいの……十二歳のガキの処女の値段って、いくらか知ってるか?」

 「……いえ、知りません」

 「銀貨一枚だ。よく、覚えて置け。お前の体、処女膜なんぞ銀貨一枚の値打ちしかない。奴隷として売った場合は……まあ、それでも金貨十枚か……それ以上ということはないな。文字の読み書きもまともに出来ない、少し容姿が良い程度のガキの値打ちはその程度だ」


 エルキュールは淡々と言う。

 人には値打ちが存在する。


 誰もが平等、というのはあくまで建前なのだ。


 そして……

 ただ容姿が良いだけの人間ならば、それこそ星の数ほどいる。


 大した値打ちは無い。


 「思い上がるな。お前の価値はその程度だ。その程度で、恩を返した気になるな」

 「で、ですが……私は……」

 「そもそもだが、俺は忙しい。抱くのにも時間が掛かるんだ。どうしてお前のような、貧相なガキを……お前の性欲と自己満足のために抱いてやらなければならない?」


 ニアを抱く時間があったら、カロリナかルナリエか……

 それとも召使のシファニーちゃんでも抱く。


 「……申し訳ありません」


 ニアは泣きそうな顔でエルキュールに頭を下げた。

 お前の処女は銀貨一枚だ。

 と思い人に言われて、傷つかない人間はいない。


 思春期の少女ならば、尚更だ。


 エルキュールはそんなニアの頭に手を置いた。


 「今のお前には価値は無い。が、未来では分からん。……俺はお前に期待しているんだ。恩を返そうという心持ちは立派だ。今は勉強して、武術を学んで……将来俺の役に立て。そして……まあ、そうだな。俺がお前を、代替の効かない、宝石のように価値があると判断した時は……抱いてやろう。まあ、あくまでお前が望むのであれば、の話だがな」


 エルキュールの言葉に、ニアは顔を輝かせた。


 「本当……ですか!!」

 「本当、本当……嘘は付かんさ。ああ、でも俺は十四歳未満は絶対に手は出さないと決めてるから最低でもそれ以降だぞ」


 エルキュールにも多少の良識はあるのだ。


 「分かりました……陛下、必ず陛下のお役に立てる人間になります!!!」

 「ああ、頑張れよ。期待はしている」


 まあ、あくまで期待だけだが……

 エルキュールは心の中で呟いた。






 「よく来てくれた、ヒュパティア」

 「は、はい……」


 後日、エルキュールはヒュパティアを宮殿に呼び寄せた。

 ヒュパティアはおどおどした様子で、ソファーに座っていた。


 「そんなに緊張するな」

 「す、す、すみません」


 とはいえ、怯えるのも無理はない。

 

 異教徒であるヒュパティアの命は、エルキュールの掌の上にあるのだから。

 もしエルキュールの機嫌を少しでも損ねれば……


 ヒュパティアは牡蠣の貝殻で全身の肉を削がれて殺される……

 ことになるかもしれない。


 「こいつが『振り子の等時性』についての論文、これが『落体の法則』についての論文だ。……証明しておいてくれ。俺とお前の共同研究、という事にしていい」

 「は、はい……へ、陛下がそうおっしゃるのであれば……で、でも……良いんですか?」

 「最後に証明し、整理しなおして発表したのがお前なら、お前の成果だろう。正直、俺には学術的な論文をまとめる才能はない」


 エルキュールは肩を竦めた。

 エルキュールが書いたモノは、論文と言えるような代物ではない。


 論文として綺麗に纏められるほど、エルキュールには物理学に関する知識はないのだ。


 これをちゃんとした『理論』に落とし込み、人に説明するには……

 ヒュパティアを通す必要があった。


 それに……

 そもそも両方ともエルキュールが発見した法則、というわけではない。


 いや、この世界に於いてはそうなるが……


 「あ、その……へ、陛下は……」

 「何だ?」

 「ど、どうして……そ、その……メシア教徒なんですか?」

 「そりゃあ、メシア教徒として生まれたからさ。急にどうした?」


 戸惑いながらヒュパティアが尋ねると、エルキュールはあっさりと答えた。

 ヒュパティアは眉を顰めた。


 「わ、私には……メシア教は……め、迷信にしか見えません」


 ヒュパティアは声を震わせながらも、エルキュールにはっきりとそう告げた。

 そして尋ねる。


 「……へ、陛下ほど聡明な方が……ど、どうしてう、生まれながらにメシア教徒だからと言って……め、メシア教に、ぎ、疑問を覚えないのですか? め、メシア教の教義には矛盾が多すぎます!!」

 

 そしてはっきりと、自分の意見を言った。


 「め、迷信を真実として教えることほど……恐ろしいモノはないと思います……」


 そして言い切ってから、ヒュパティアは顔を下に向けた。

 エルキュールがどんな顔をしているか、怖くて見ることが出来ない。


 (あああ!! 私は何を言ってるんだ!!! い、言わなきゃ良かった……)


 ヒュパティアの狐耳がプルプルと恐怖で震える。


 「ヒュパティア」

 「ひゃ、ひゃい!!」

 「公衆の前でそれを言うな? 流石の俺も庇いきれない」


 ヒュパティアは恐る恐る顔を上げて……

 エルキュールの表情を確認する。


 エルキュールは苦笑いを浮かべていたが……しかし怒った様子は見られなかった。


 「お、怒らないのですか?」

 「別になあ……メシア教の教義に矛盾が多いのは今に始まったことでも無いしな。それにお前が何を言おうと、俺がメシア教徒であることは変わらないさ」


 エルキュールは穏やかな表情でそう言い切り、そしてゆっくりと紅茶を飲む。

 ヒュパティアはそんなエルキュールを見習い、紅茶を少し飲んでから尋ねる。


 「ど、どうして矛盾があるのに……」

 「大切なのは、それが真実であるか、虚偽であるかじゃないからさ」


 エルキュールは笑みを浮かべ、ソファーに凭れ掛かる。


 「『神を試みてはならない』と、主は言った。メシア教に於いて大切なのは、それが真実であるか、虚偽であるかではない。ただ、信じること、信仰することにある。信じる者は救われる、というやつだな」


 エルキュールは紅茶を一口、飲んで喉を湿らせる。


 「死後のことなんて、どうせ分かりはしないじゃないか。だったら、信じてみるのも良いだろう。救われるらしいからな。ただ、俺はそれを強制しようとは思わない。人は信じたいモノだけを信じる生き物だ。だから信じたいモノだけを信じてれば良いのさ。どうせ、真実なんて存在しないのだから」


 もっとも、自分はレムリア皇帝だからメシア教以外の宗教については、ある程度の規制を加えなくてはならないし、またメシア教を推奨しなければならないが。


 と、エルキュールは付け加えた。


 「そ、そうですか……ご、御無礼をお許しください。……変なことを聞きました」

 「ああ、以後気を付けろ。それともう一度警告するが……メシア教の司教の耳に、今のお前の発言やそれに類似するものが入ると不味い。例え仲間のうちであっても、メシア教の批判だけはするな。そしてその事を仲間に伝えろ。俺にも庇い切れる限界というものがある」


 レムリア帝国の多数派はメシア教である。

 そして皇帝の権威は、メシア教の守護者としての地位に由来するところが大きい。


 メシア教を国家統一の柱にしている以上、どうしてもエルキュールは『メシア教徒』の側に立たなくてはならない。

 

 「は、はい……気を付けます……と、ところで陛下。じ、実はお頼みしたいことがあるのですが……」

 「どうした?」

 「そ、その……実は陛下のアレクティア勅令のおかげで、その……大学の入学者が増えたのです。で、ですが……今度は手狭になってしまいまして……そ、それに……アレクティア図書館の再建や、写本にもかなりお金が必要で……で、ですから……だ、大学の拡大の許可と……その、ご援助を頂けないかなあ……と」


 ふむ……

 エルキュールは思案を巡らせる。


 写本、に関しては大歓迎なのでいくらでも援助してもいい。

 が、大学の拡大となるとメシア教を刺激する可能性がある。


 あまり大々的にやらず、目立たずひっそりとやってくれ。

 というのがエルキュールの本音だ。


 しかし文化や科学の発展を考えると、ヒュパティアたちの活動は奨励した方が良い。

 

 「どれくらい欲しい?」 

 「え、えっと……最低でも――くらいは」

 「うーん……」


 エルキュールが悩んでいると、ヒュパティアは突然エルキュールの左手を掴んだ。

 驚いて、エルキュールはヒュパティアの目を見る。


 ヒュパティアの目には迷いの色があった。

 が、しかし迷いを振り切るように頭を振り……


 エルキュールの左手を自分の、豊満な胸に押し当てた。


 「こ、これで如何でしょうか?」

 「……ふむ、なるほど。面白い提案だな」


 エルキュールはニヤリと笑みを浮かべて、立ち上がった。

 ゆっくりと、ヒュパティアに近づいていく。


 左手はそのまま、エルキュールは右手をヒュパティアの顎に添えてクイっと、上げた。

 そして……


 「ん……」

 

 ヒュパティアの唇に自分の唇を合わせた。


 「ところで聞くが、これで何人目だ?」

 「……一人目です、陛下」


 ヒュパティアは顔を赤らめて、答えた。

 エルキュールはヒュパティアの背中に手を置き、体を引き寄せる。


 「悪いのは君だぞ? ……君のように知的で、美しい女性に誘惑されてしまえば……断れるはずがないのだから……」

 「は、はい……そ、その……初めてなので優しく。そ、それと資金援助の方は……」

 「分かってる。……君と俺が親しい友人・・・・・であるうちは、支援しようじゃないか」


 エルキュールはニヤリと、笑みを浮かべて……

 そしてヒュパティアの唇を再び蹂躙した。

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