第12話 レムリア皇帝エルキュール一世の優雅な一日 午後
十二時半から一時。
すやすやと、エルキュールは寝息を立てていた。
所謂シエスタ、というやつである。
つまりお昼寝だ。
本人曰く、「この方が仕事の効率があがる」だそうだ。
……言うほど仕事、してないだろ。お前は。
と、言いたいところだが彼は皇帝である。
皇帝が過労死しそうな国、というのはそれはそれで恐ろしい。
皇帝が昼寝に勤しめる程度の国が、一番良いのかもしれない。
「皇帝陛下、お時間です。そろそろ……」
「うーん……あと少し……」
「昨日は『なんで俺を叩き起こさなかったんだ!!』と御怒りになられたではありませんか……起きてください!!」
召使のシファニーがエルキュールを揺すり起こす。
エルキュールは欠伸をしながら、目を覚ました。
「はあ……仕事するか……」
憂鬱そうにエルキュールは呟いた。
一時から四時。
この時間は群臣たちを集めて会議が開かれる。
基本的には予算案や社会問題を解決する新たな法律の制定などについて話し合われる。
この時間に話し合われるのは緊急性の無い議題であり、会議は翌日まで長引くことがある。
飢饉や疫病など、何らかの緊急性がある問題を話し合わなければならなかった時は翌日に先送りされることなく、朝から晩まで話し合われたりする。
本日は緊急性の無い社会問題……売春についてであった。
「現在、帝都には二千人以上の売春婦がいると推定されています。メシア教の教義に於いては、夫婦や婚約関係にある男女以外が性行為を行うのは当然禁止されております。当然、金銭的やり取りによる性行為など、以ての外です。しかし現状に於いて、帝都では売春婦に身を落とす女性が多く、そして買春をする者たちが後を絶ちません」
会議を取り仕切るのは、レムリア帝国のナンバー2であり、実質的な宰相であるルーカノスである。
「また売春婦の中には十歳を満たない幼女も確認されております。女性の売春婦だけでなく、少年による男娼も存在しており、風俗と信仰の乱れが懸念されます。これらの売春は人攫いや非合法の人身売買の温床となり、犯罪者組織の資金源となっております。また売春により性病などの疫病の流行も懸念され、深刻な事態となる前に何らかの規制、または禁止するための法律の制定が急がれます」
そう言ってから、ルーカノスはチラッとエルキュールの顔を確認する。
それを合図にして、エルキュールは口を開いた。
「聞いての通り、帝都で横行している売春行為について何らかの行政的・法的処置が必要だ。知っての通り、先帝や先々帝の時代より我が国では売春を禁じる法律が再三でているが、何の効果も上げていない。諸君らの意見を聞きたい」
そしてエルキュールは口を閉じる。
基本的に会議に於いて、エルキュールは最後の最後まで自分の意見を言わない。
というのも、エルキュールが自分の考えをあらわにすると会議の方向性がそちらに引きずられてしまうからだ。
皇帝と全く異なる意見を言う事は出来ない。
そうなると、会議を開く意味が無くなってしまう。
それにできるだけ家臣たちに意見を言わせた方が、家臣たちは「皇帝は自分たちの考えを聞いてくれる」と考えて、積極的に自分の考えを表明するようになる。
エルキュールとて万能人ではない。
家臣たちの意見は貴重だ。
ただ、エルキュールという人間は基本的に自分の考えをそうそう曲げないので、会議の九割は殆ど意味をなさないのだが。
そしてまず初めに意見を言ったのは、アントーニオであった。
というのも、こういう会議では一番地位が低く、若い人間から発言するのが伝統だからである。
まあ、あくまで意見があるのが前提だが。
「根本的な問題として、そのような売春行為が横行する社会的・経済的な背景が問題なのではないでしょうか? 未亡人や幼女・少女が売春をするのは個人の信仰、人格的な問題ではなく、そうせざるを得ない金銭的事情と、それ以外の仕事をすることができない社会的な事情が問題であると、私は考えます。故に如何に厳罰化しようとも、根本的な問題を解決しない限りは、売春の問題は解決できないでしょう。むしろ厳罰化することで、より治安が悪化する恐れがあります」
世の中にはしたくて売春をしている人間と、したくないのに売春をしている人間がいるが、どちらかと言えば前者よりも後者の方が多いだろう。
他にも「それ以外の生き方が分からない」という人間もいる。
後者を救済しない限りは、売春問題は解決できない。
というのがアントーニオの意見であった。
さらにアントーニオは続ける。
「また非合法・合法を問わず、売春の横行は悪質な奴隷商人だけの責任ではなく、身を売らなくてはならない状況に人を追い込む、悪質な
(こいつ、さらっと攻撃したなあ……)
エルキュールは内心で笑みを浮かべる。
行き過ぎた権力闘争は君主として止めるが、まあこういう場所での喧嘩の売り買いに関してまでエルキュールは干渉するつもりはない。
というより、退屈な会議に於いてエルキュールの数少ない暇つぶしの一つにもなる。
そして案の定、
「売春の原因が社会的・経済的な問題が背景にある、というのは私も理解できます。が、しかしその責任を金融業者にまで広げるのは少々強引と言わざるを得ませんな。返済の見込みのない、信用の無い人間に対してはどうしても利息を上げざるを得ず、その体を担保とせざるを得ない。またそれに多くの社会的弱者が
そう言ってシャイロックはアントーニオを睨みつける。
アントーニオは涼し気な顔をしているが、しかし若干顔が引き攣っている。
この異教徒と外国人の喧嘩は会議の名物と化していた。
まあ、エルキュールからすると二人の言い分はどちらも理がある。
現代日本的な考え方だとやはりアントーニオの方が正しいが、レムリア帝国の倫理観や金融業者の社会的地位を考えれば、シャイロックの意見も尤もである。
日本では金融業者にはエリート、インテリなイメージがあるが、この世界では「まともな仕事のできない人間がやる仕事」である。
日本の金融業者と、レムリア帝国の金融業者では大人と赤ん坊ほど、体力(資本力)が違う。
日本と同じような法規制をすれば、軒並み潰れて経済が破綻する恐れも十分にあるのだ。
そしてこの争いに、もう一人別の人物が参戦した。
ルーカノスである。
「売春横行の原因が社会的・経済的な問題が背景にある、というのは一理あると私も考えます。しかしそもそも安易にそのような道を選ぶのには、やはり倫理観や道徳、信仰の乱れでしょう。未亡人は売春をしなければ生活が出来ない、と言います。ええ、確かにそのような方もいるでしょう。しかし我が国には小麦法を中心とする弱者救済の法律があり、近年では陛下のご尽力により孤児院も作られました。果たして本当に売春をしなければ生きていけない人間が、大部分なのでしょうか? 安易な道に逃げている者も多いのではないでしょうか? 厳罰化もまた、同時並行で行うべきでしょう」
そう言ってルーカノスはアントーニオの意見に異議を唱えて……
「そもそも『体を担保にさせて金を貸す』という行為も私は如何なモノかと、考えています。本当に弱者を救済しようという考えがあれば、返済はある程度待つべきです。私には利益を求めるために、利息を高く設定しているようにしか見えない。利息を低くすれば、きちんと返済できる人間もいるはずです」
ルーカノスの言い分もまた、間違っているとはエルキュールは思わなかった。
要するに「売春しなきゃ生活できないっていうけど、頑張って生活してる人もいるでしょ。それは甘えだよ」と、ルーカノスは言いたいのだ。
ここだけを切り取ると自己責任論者に聞こえるが、別にルーカノスは弱者救済については否定していないし、むしろそれに関しては賛同を示している。
ルーカノスの意見は『厳罰化も同時並行でやるべきだ』、つまり自助努力出来る人間には自助努力させて、どうしても出来なさそうな人間は助けよう、と言っているわけだ。
実際、いくら支援しても本人に立つ気が無ければ永久に立てない。
鞭を打って強引に立たせるのも、手段の一つだ。
利息の話に於いても、実際に『高い利息を吹っかけて、返済不能にし、人身売買で儲けてやろう。お主も悪よのう……、いえいえ御代官様こそ』みたいな奴も割といるので間違っては無い。
斯くして会議は三者三つ巴のバトルが始まる。
三人とも互いに嫌い合っているため、とても白熱した議論になっている。
エルキュールはそれを聞きながら、退屈そうな顔をしているガルフィスやクリストフを見た。
軍人である二人の顔には「どうでも良いから早く終わらせてくれ」と書いてある。
エルキュールは二人に問いかけた。
「ガルフィス、クリストフ。お前たちには意見はあるか?」
二人は顔を見合わせた。
あからさま……ではないため傍目からは分からないが……長年の付き合いのエルキュールだから分かる。
((うわぁ……指すなよ……意見なんてねえって))
と顔に書いてある。
手も上げてないのに、先生に指名されてしまった小学生のようであった。
「専門外ですので、特にありませんが……軍のガス抜きとしてある程度売春は必要かと」
「我々からすると、売春の是非以前に兵士が気軽に利用出来、かつ安全な売春宿を作って頂けないかと……」
嫌そうな顔の割には、中々建設的な意見が出てきた。
エルキュールは愉快そうに笑みを浮かべた。
結局のところ、需要があるから供給があるのだ。
供給があるから需要があるのではない。
売春は買春をする人間がいなければ成立しない。
そして人間に性欲というものが存在する限り、買春は無くならないだろう。
「ですが……」
「しかし……」
「やはり……」
ルーカノス、アントーニオ、シャイロックの論争が徐々に激化していく。
そしておそらく言いたいことを言い尽したのだろうか、少しずつ同じことを繰り返し言い始める。
やがて本旨とは関係ない方向に議題がズレたところで……
パン!!
とエルキュールが手を叩いた。
一瞬で静まり返る。
「お茶の時間だ。休憩にしよう。三十分後、再び」
エルキュールはそう言い残して、さっさと退出してしまった。
「しかし、会議というのは面倒だ。ずっと座りっぱなしで人の話を聞いてなくちゃいけない」
「……それが陛下の仕事ではないですか?」
「……当たり前」
エルキュールはカロリナ、ルナリエを呼び出して優雅に紅茶を飲んでいた。
料理長の作ったスコーンを食べながら、紅茶を飲む。
「ニア、お前なかなか上手いな」
「お褒めに預かり、光栄です」
ニアが空になったエルキュールのカップに紅茶を注ぐ。
別にニアは召使でもなんでもないのだが……まあ、カロリナやルナリエも一度は通った道……というより、たまにやらされることだ。
「ルナリエ、お前も見習え」
「……五月蠅い」
ルナリエは珈琲を飲みながら、エルキュールを睨む。
ハヤスタンの姫であり、そしてレムリア皇帝の妻になる人物に紅茶を入れる技能は不必要だ。
「しかし陛下、何か参考になる意見とかはあるんじゃないんですか?」
「うーん、まあ参考にはするよ。でもほら、俺って頑固だからさ」
「……自分で言いますか」
カロリナは呆れ顔でエルキュールを見る。
プライドが高く、自信家のエルキュールは滅多に考えを曲げない。
無論、正しいと思ったことは素直に取り入れるのだが。
問題はその「正しいと思ったこと」が滅多にないことだろう。
「まあ、それに決めなきゃいけないことは、家臣の助言を聞こうが、聞かなかろうが、取り入れようが、取り入れまいが……どちらにせよ確かだ」
レムリア帝国は中央集権国家であり、皇帝の権力が絶対的な、独裁国家である。
そしてエルキュールはそれを治める独裁者だ。
独裁者である以上、その決定の全責任はエルキュールに圧し掛かる。
如何に優秀な家臣を揃えたところで、その助言を聞いて判断するのは君主であり、独裁者。
そしてその決断の全責任は君主、独裁者にある。
ルーカノス、アントーニオ、シャイロック。
三人とも、非常に優秀な人物であることは確かだ。
しかし三人とも、売春の問題一つとってもその考え方はバラバラであった。
政治とは、そういうものなのだ。
正解は時と場合によっていくらでも変わるし、また一つでもない、そして絶対に正解を出せる人間もいない。
結局、最終的な意思決定をする者が優秀でなければ如何に優秀な助言者を集めたところで、意味は無い。
エルキュールくらい、図太い精神を持ってなければ独裁者は務まらない。
独裁者に必要なのは、咄嗟に最善を選ぶ判断力と……
己の失政で
なーに、一万人なんて全人口の二千分の一じゃないか。
くらい、人の命を
そういう意味では、エルキュールにとって皇帝は天職だ。
「さて、俺はそろそろ戻る。じゃあな」
「はい、では夕食の時に」
「頑張ってね」
エルキュールはカロリナ、ルナリエから分かれた。
「全ての売春施設を一つに集めてしまう、というのはどうだろうか?」
エルキュールは前提として、このように考えている。
売春を全て、取り払うことは不可能である、と。
需要があるから供給があるのであって、供給があるから需要があるわけではない。
買春をしたい人間がいる以上、売春はなくならないし、買春をしたい人間を無くす、などとはとても不可能だ。
人間の本能に反する。
というか、そもそもエルキュールは売春という行為そのものは問題視していなかった。
そもそも問題視する理由が無い。
本人がそれでよければ、それでも良いというのがエルキュールの考えだ。
男の労働者がせっせと汗水たらし、何か月も掛けて稼いだ金貨一枚と、人気の売春婦が一日で男に貢がせた金貨一枚は、等価値だ。
いや、一か月と一日という時間を比べれば後者の方が価値があると言える。
現実的な話で言えば、職業には『貴賤』がある。
しかし稼いだ金貨には、貴賤は無い。
そこから税金が取れるのであれば、大歓迎だ。
問題は現状売春が『違法行為』のため、税金が一銭も取れていないということと……
不本意に売春をしている人間や、売春によって社会的・衛生的な問題が発生しているという点だ。
これさえ、どうにかしてしまえば良い。
では、どうするか?
簡単だ。
合法化して、管理下に置けばいい。
管理下に置けば現状の酷い状態はある程度改善できるし、税金も取れる。
問題はどうやって管理下に置くか、ということだ。
買春、売春に必要なのは売る側の体と、買う側の金銭だけ。
その気になれば、どんな安宿でも、それこそ道端でも行うことはできる。
そこで行われている売春が、健全なモノか、不健全か、合法か、非合法かを判別するのは非常に難しい。
ではどうするか?
売春をしても良い、特別区を作れば良いのだ。
場所が限られているのであれば、管理もし易く、あまりにも酷い運営のところは取り潰すことができる。
そしてその場所以外で行われている売春は、非合法として内容に関係なく全て取り締まればいい。
こうすることで、治安も良くなるだろう。
要するに、レムリア版吉原を作ろうぜ!
というわけだ。
「売春は許されざる行為であるが、しかし根絶することは不可能であり、そして役に立っている面も大きい。故に特別区外での売春行為の一切を禁じ、特別区に於いては国の認可が下りた者のみ、売春宿の運営を許可する。……ということにする。では、具体的な基準や罰則について議論してくれ。尚、金融業について先程意見が出たが、此度の議題はあくまで売春であり、金融業はそれを逸脱する。これについては、日を改めて議論しようと考えている。また、売春に身を落とす女性の、経済的・社会的な問題の解決についても、また日を改めて議論したいと考えている」
十分に意見が煮詰まり、そして休憩を挟んで熱が冷めたところで……
会議に一定の方向を示した。
そもそもだが、時間を掛ければ掛けるほど良い議論が、良い意見が出る、というわけではない。
むしろ時間を掛けるほど、本質が失われて、意味の無い話し合いになる。
それは時間の無駄だ。
そしてエルキュールは無駄を嫌う。
だからタイミングを見計らい、自分の意見を言う事で方向性を示す。
そうすることで、会議を次のステージに進めるのだ。
エルキュールが意見を言ったことで、再び議論が熱を帯び始める。
前半ではルーカノスたち大臣の論争が主だったが……一定の結論が示された今は、どちらかというと官僚たちが議論を進めている。
細部を決めるのは彼らの役割だ。
大臣たちが意見を出し、討論し……
君主が決断し、方向性を示し……
最後に官僚たちが細部を煮詰める。
後に君主政治、いやあらゆる政治体制に於ける理想形態の一つ。
とまで言われる、政治体制がそこにはあった。
四時から五時。
「やるな、ルナリエ」
「……陛下も」
エルキュールとルナリエは汗を掻きながら、体を縺れ合わせていた。
……セックスではない。
護身術のための、武術鍛錬である。
日によって弓や槍、剣と変わるが……
今日は体術であった。
エルキュールがルナリエの関節を取り、地面に押し倒そうとする。
ルナリエはそれに何とか、抵抗する。
とはいえ、男のエルキュールと女のルナリエでは体格や体重に差もあるし、エルキュールはこちらの方面にも才能がある。
ルナリエはあっという間に、地面に押し倒された。
「ふふ、ルナ。どうだ? 抵抗できまい」
「……変態」
「その変態に好き勝手される気分はどうだ?」
エルキュールはルナリエが動けないことを良い事に、お尻や胸を撫でたり揉んだりする。
ルナリエは身を悶えさせながらも、それに耐えるしかない。
「いったいいつまでそのクールな表情が持つか……ここの辺りは……ぐぇ」
「陛下、何をしているんですか?」
「いや、ちょっとスキンシップを……」
カロリナに首を掴まれて、エルキュールはルナリエから引きはがされた。
「陛下、次は私とやりましょう」
「え? い、いやお前とだと勝てない……」
「実力が上の相手と戦わないと、強く成れませんよ?」
この後、エルキュールはカロリナにボコボコにされた。
「ざまぁ」
五時から六時
エルキュールたち三人は鍛錬を終えると、夕食の席に着いた。
加えて、さらに二人の人物が招かれていた。
「ご招待、ありがとうございます。皇帝陛下」
「そう、堅苦しくしなくてもいい。仮にも兄弟だ」
頭を下げるティトゥスに対して、エルキュールは座るように促した。
ティトゥスはもう一度頭を下げてから、椅子に座る。
そしてもう一人は……
「皇帝陛下!! 本日のご飯は何ですか? 私、楽しみで楽しみで……」
「……あなたはもう少し、堅苦しくして貰いたいな」
「まあまあ、そう言わず。皇帝陛下」
「……」
椅子に座り、ニコニコと微笑んでいる女性……
エルキュールにとって、腹違いの姉、ティトゥスにとっては同腹の姉、ハドリアヌス三世の長女、リナーシャ・ユリアノスである。
年は四十二歳。
とはいえ、
美しい長い髪に、優しそうな瞳が特徴的だ。
「……ユリアノス家の兄弟って、似てないようで似てるよね、いろいろ」
「……私もそれは同感です」
ルナリエとカロリナがひそひそと話合う。
ハドリアヌス三世は二人の
二人の正室はそれぞれ二人ずつ子供を産んだ。
生まれた子供の年齢は、現在では……
長男ハドリアヌス(五十三歳)
長女リナーシャ(四十二歳)
次男ティトゥス(三十二歳)
三男エルキュール(十八歳)
となっている。
ご存じの通り、我らがエルキュール帝に歯向かって、幽閉されたのはハドリアヌスでエルキュールとは同腹の兄弟。
リナーシャ、ティトゥスはエルキュールたちとは異腹だ。
そしてエルキュールは同腹のハドリアヌスよりも、リナーシャやティトゥスと仲が良い。
エルキュールとハドリアヌスは、本人たちは間違いなく否定するが……
自信家で傍若無人、暴力的で自分勝手、我儘、虚栄心が大きいところがそっくりだ。
そしてリナーシャとティトゥスは、無欲で空気が読めて、自由奔放なところがそっくりだ。
そして四兄弟は全員、顔の方も似ている。
一番美形なのはエルキュールだが、リナーシャもそれに引けを取らないくらい美しい容姿をしている。
ティトゥスやハドリアヌスも、
ユリアノス家の皆さまは八十前後だ。
東大合格にお釣りが帰ってくるレベル。
「リナーシャ、あなたにはいろいろ言いたいことがあるが……まあ、食事を取りながらでも出来る。まずは食べようか」
ユリアノス家の現家長であるエルキュールが宣言したことで、夕食が始まった。
まず初めに、食欲を増進させるための食前酒が運ばれてくる。
これは非常にアルコール度数が強い酒だ。
そしてセットとして、一口サイズの料理が運ばれてくる。
簡単に説明するのであれば、お通しのようなものだ。
当然、内容は日によって違うが……
「生魚か、珍しいな」
何の魚かは分からないが、身は紅い。
それが一輪の花のように、盛りつけられていた。
「はい。オリーブとレモンで味を調えたものです。……魚は一度瞬間冷凍されたものですので、ご安心を」
「料理長の出したものは疑わんさ」
無論、長期間は魔力が持たないのであくまで個人レベルだし、一般的に普及するレベルではなく、とても軍事に転用できるような代物ではないが……
寄生虫を氷結させて殺す。
くらいは可能だ。
そのためレムリア帝国では、魚の生食は珍しくない。
首都が港町であることも、それを手伝っている。
一口でそれを食べてから、食前酒を口に含む。
やはり度数が強い。
今日はリナーシャにいろいろ言いたいことがあるため、早い内から酔うわけにはいかない。
エルキュールはそう考えて、飲み過ぎないように一杯で終わらせる。
その後、料理は一皿ずつ運ばれてくる。
三人は雑談を交えながら、食事をする。
そして……
「ところで、リナーシャ。あなたにはそろそろ結婚して頂きたいのだが、誰か思い人はいないのかね?」
「強いて言えば陛下ですね」
「冗談は結構だ」
夕食を終えた後、エルキュールはリナーシャに問いかける。
リナーシャははぐらかそうとするが、失敗する。
「はあ……まあ、特にいませんけど……」
「じゃあ、俺が決めても構わないな?」
「まあ……とんでもない爺さんだとか、とてつもなく生まれが低いとか、凄まじい不細工とか、信じられないくらい貧乏でなければ」
政治的な思惑で、爺さんに嫁がされる王族貴族……というのは割とある。
もっとも、
「安心して欲しい。見た目は三十代くらいで十分若いし、身分はとても高い。顔は……まあ、不細工ではない。それに強いし、かなりの権力者だ。……まあ、外国だが」
「外国……なるほど、分かりました」
「構わないか?」
「ええ……ただメシア教から改宗するつもりはありません。そのことを相手に了承して頂けるのであれば」
「それについては無論……ただあくまで候補の一つ。そもそも検討中のことだ。……他にもいくつか候補を見繕っておこう。……それと、誰か思い人でも見つけたら報告して欲しい。そちらを優先しよう」
人口増加を考えるのであれば、国内での恋愛結婚がもっとも望ましい。
相手が聖七十七家の
六時から八時。
この二時間はエルキュールにとって、もっとも大切な時間だ。
書庫に篭っての、読書である。
ペラペラとエルキュールは本を捲る。
最近は忙しいせいで、あまり本を読めていない。
まあ、エルキュールは本を読む速度がかなり早いので、常人よりはずっと多くの本を読んでいるのだが。
今日、エルキュールが読んでいるのは古代キリス語の古典作品だ。
複数の神様が人間の戦争に干渉したり、神が人間の英雄に殺されたり……とルーカノスが見たら発狂しそうな内容だ。
八時から九時。
お風呂の時間だ。
レムリア帝国には入浴の習慣がある。
また、かつてレムリアの属州だった時期があるハヤスタンも同様だ。
首都や主要都市にある公衆浴場の是非については、混浴等の問題により様々な議論がされているが……
富裕層は屋敷に風呂を所有しているため、上流階級の間では風呂に入るのは当たり前だ。
そしてレムリア帝国でもっとも金持ちな、エルキュールは当たり前に風呂を持っている。
「レムリア宮殿のお風呂、大きいから好き」
「喜んでもらえて光栄だ、ルナリエ」
「やっぱりお風呂は大きい方が良いですよね」
エルキュール、カロリナ、ルナリエは一緒に風呂に入ることが多い。
三人とも事実婚しているから、特に問題はない。
風呂で行為に及ぶか、及ばないかは基本的にエルキュールのその日の気分と調子しだいだろう。
エルキュールはもぞもぞと、石鹸をスポンジに擦り付けて泡を立てる。
このスポンジは海綿動物から取られた……いわゆる天然スポンジというやつだ。
富裕層の多くはマイスポンジを一つ、保有している。
「そう言えば、陛下。石鹸を増産しようとしている……という話を聞きましたが、本当ですか?」
「石鹸? ……ああ、確かにヒュパティアたちに量産方法を確立しろ……という命令を出したな」
正確に言えば、石鹸の材料である『ソーダ』の量産方法だが。
「どうして石鹸を? 専売にして売るの?」
「いや、公衆衛生のためだ。各家庭に石鹸が供給されれば、今よりもずっと疫病が押さえられるからな」
不衛生な貧民がいくら疫病で死んでも、しったこっちゃない……
と言いたいところなのだが、疫病というのは蔓延するモノで……
エルキュールのところにとばっちりが来る可能性がある。
病気の予防は大切だ。
「ただ……まだまだ量産方法が確立していない。数年は先の話だよ」
石鹸の材料は、油とソーダだ。
このうち、油は牛脂だろうと豚脂だろうと……
オリーブ油だろうと、綿実油だろうと、ダイズ油だろうと、パーム油だろうと、どうでもいい。
幸い、オリーブはレムリア帝国で非常に盛んに栽培されている作物だし……
綿花、大豆はエルキュールが取り入れた。
パーム油の原料である、アブラヤシもミスル属州や東部地域で盛んに栽培されている。
石鹸製造で油の需要が上がればオリーブ油を生産している農家が儲かり、儲かった農家が金を消費して……という景気の好循環も期待できる。
問題はソーダだ。
ソーダは木灰や海藻灰から作られる。
レムリア帝国は海洋国家で、商船軍船問わず常に大きな船を建造し続ける必要がある。
そのため木材の使用は控えたい。
だがしかし、仮にレムリア帝国の全国民に石鹸を行き渡らせようとすれば、大量の木の伐採が必要になり……
そうなると船の建造が難しくなる。
……いや、そうなる前に薪の供給不足により、薪の価格上昇が庶民の生活を圧迫するだろうし、鉄の生産コストも上がるだろう。
つまり木灰以外から、ソーダを作る方法がある。
ソーダを作るのにもっとも手っ取り早いのは、電気分解である。
……が、しかしこれは不可能だろう。
レムリア帝国の魔術師に依頼すれば、電気分解でソーダを生産できるところまで漕ぎつけることはできるかもしれないが……採算が採れるか、といえばほぼ間違いなく採れない。
魔術は基本的に役に立たない。
手品の方が、まだ有用性がある。
電気分解が無理、となればルブラン法かソルベー法のどちらかになる。
ソルベー法がルブラン法を駆逐した歴史的推移を考えると、ここはソルベー法を採用するのが望ましい。
問題はソルベー法に関する、化学式等は記憶しているが実際の作り方に関しては、エルキュールは分からないということだ。
そういうわけで、エルキュールはヒュパティアたちに製造方法の開発を丸投げしていた。
「まあ、そんなつまらない話はともかくとして……背中を洗ってくれないか?」
エルキュールは自分の背中を指さして、頼んだ。
ここ一年、エルキュールは自分で背中を洗っていなかった。
「はい」「分かった」
カロリナとルナリエは同時に返事をして……睨み合った。
「私が洗います。あなたは嫌でしょう? 退いてください」
「あなたの胸では洗えない」
「む、胸……胸は関係無いでしょ!! あと、私は巨乳です!!」
「……
「五月蠅い!!」
口論を始める二人。
エルキュールは溜息をついた。
「どっちの胸でも良いから、早く洗ってくれ」
「だから胸は関係ないじゃないですか!!」
「それはあなたがペシャンコだから」
「だから私はCカップです!! 巨乳です!!」
その後、二人は仲良くエルキュールの背中を洗った。
え、何を使ったか、だって?
そりゃあ、スポンジをだよ。
何を邪推しているんだ。
胸を使って洗ったんだな、とか考えちゃうのはあなたの頭が不健全だからであって、この小説が不健全だからではありません。
九時から十時。
「………………これだ!」
エルキュールがカードを引く。
そしてエルキュールは引いたカードと自分のカードを見比べて……
「上がり!! 勝った!!!」
「ぐぬぬ……も、もう一回やりましょう、陛下」
エルキュールからカードを引かれたカロリナの手元に残るのは、ジョーカー一枚。
カロリナの敗北だった。
風呂から出た後、三人は酒を飲みながらトランプで遊んでいた。
なお、トランプの絵柄やゲームのルールは日本で一般的に使用されるものと、同じだ。
エルキュールが持ち込んだのだから、当たり前だが。
「もう眠い……寝ようよ」
ルナリエが欠伸をしながら、目を擦る。
すると、カロリナがルナリエに文句を言った。
「私はまだ一回も勝ってないんです!!」
「お前が勝つまでやったら、夜が明けるだろ」
「永久に無理」
エルキュールとルナリエの言葉に、カロリナは悔しそうに表情を歪めた。
「そんなに怒るな、カロリナ。愛してるよ」
「ん……」
エルキュールはカロリナの唇を、自分の唇で塞いで黙らせる。
ピチャピチャと、唾液が絡み合う音が響く。
「へ、陛下……」
「もう、寝よう。な?」
エルキュールはカロリナを御姫様抱っこで、ベッドまで運んだ。
そして……
「ルナリエ、お前も来い。命令だ」
「……はい」
ルナリエも顔を紅潮させながら、エルキュールの下に駆け寄り……
二人はキスを交わした。
斯くして、エルキュールの長い一日が終わった。
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