第10話 養子


 一月が経過した。

 

 キチンと食事を取り、暖かいベッドで睡眠をしっかりを取った結果、ニアはすっかり元気になった。

 少し前までは足取りもフラフラとおぼつかず、顔は土気色で、骨が浮き出るほど痩せこけていて、パニック映画のゾンビの方がまだ元気ではないか、というレベルであったが……


 現在は血色も良くなり、ちゃんと歩けるようになった。

 まだまだ療養は必要だが。


 そして……


 「あの……エルキュール様。これから何をするんですか?」

 「俺の婚約者を紹介しようと思ってな」

 「……婚約者、ですか」


 ニアの声のトーンが下がる。

 何となく、ニアが落ち込んだ理由を察しながらもエルキュールは気にしない振りをして、ニアを後ろに引き連れて歩く。


 ニアはキョロキョロと辺りを見回しながら、歩く。

 

 ニアが部屋から出たのは、今日が初めてだ。

 あちこちに美しい絵画や壺が飾られ、ふわふわとした絨毯が敷かれた長い廊下……


 ニアの十二年の人生で、初めての経験である。


 今まで何となく、

 エルキュールがとてつもなく偉い人、というのは察していたが……


 エルキュールの『館』を歩いてみて、改めて身分の違いを実感した。


 (……私みたいな魔族ナイトメアはそもそも、話しかけることすらできない人なんだ……うん、こうして後ろを歩けるだけでも、満足しないと)


 と、考えるものの初めて抱いた恋心というのはそうそう簡単に振り切れるものではない。


 悶々とした気分のまま、ニアはエルキュールの背中を追いかける。


 何分歩いただろうか?

 ようやく、大きな部屋に辿り着いた。


 そこには複数の、これまた偉そうな人達がいた。

 

 女性は二人。

 一人は赤い髪、もう一人は青い髪。


 男性は八人。

 一人は赤い髪の大柄な男性、もう一人はどことなくエルキュールに似ている青い髪の男性。そしてルーカノスという、中性的な容姿の男性。

 他にもやはりエルキュールに顔が似ている男性が一人、獣人族ワービーストの男性が一人、黒人の人族ヒューマンが一人、そして鉤鼻の気難しそうな人に、優しそうな顔の人。


 それ以外にも多数の、とても高そうな服を着た人達がいた。

 

 ニアの心臓が激しく脈打つ。


 エルキュールはそんなニアを、彼らの前に押し出すように立たせた。


 「ほら、とりあえず自己紹介をしろ。こいつら、魔族ナイトメアと目を合わせると死ぬとか、アホなことを抜かすんだ。無害だって、アピールしろ」

 「え、あ、はい……」


 ニアはエルキュールに促されるままに前に出る。

 好奇心や嫌悪、恐怖、同情など……様々な感情が込められた視線がニアを射貫く。


 「そ、その……ニアです。年は十二歳で、えっと……魔族ナイトメアです。で、でも十歳までは人族ヒューマンで……だから……その、先祖返りで、両親は人族ヒューマンでした。あと……、その……メシア教徒です、正統派の!」


 声を震わせながら、ニアは自己紹介をする。

 その様子を見て、ニアが無害そうだと感じたのか、嫌悪や恐怖の視線が弱まっていく。

 

 「け、決して皆さんには迷惑を掛けません。……だから、か、帰るところがないので、しばらくここに居させてください。その、私を拾ってくださったエルキュール様・・・・・・にはとても感謝を……」


 その瞬間、一斉に彼らは顔を顰めた。

 ニアは体を震わせる。


 何か、間違いを犯したのかと。


 一人の赤い髪の女性が進み出る。


 「……もしかして、説明してないんですか?」

 「ほら、サプライズって大切だろ。お前もそう思うだろ、カロリナ」

 

 赤い髪の女性……カロリナは溜息をついた。

 そしてニアのところまで歩み寄る。


 「ニアちゃん。このお方がどういう身分の方か知ってますか?」

 「え? その……き、貴族の方、ですよね? と、とっても偉い……」


 カロリナは深い溜息をついてから、ニアにネタ晴らしをした。


 「この人はこの国の君主。レムリア帝国皇帝、エルキュール一世です。……以後、名前で呼ぶのは不敬ですので、陛下とお呼びなさい」

 「ふぇ? こ、皇帝……陛下……え、あの皇帝……え、じゃあ……ええ!?」


 ニアは振り返って、エルキュールの顔を見る。

 エルキュールは微笑んだ。


 「名乗るのが遅れたな。ニア。俺はエルキュール。レムリア帝国、皇帝エルキュール一世だ。以後、宜しく」

 「えええええ!!!!!!」


 





 「悪趣味にも程がありますな……陛下」

 

 クリストフが顔を顰めた。

 さすがに、これは心臓に悪いだろう。


 「いや、そもそもエルキュールと名乗った時点で分かるべきだろう。俺の名前くらい、我が国の国民なら覚えていて然るべきだ」

 「……そもそもエルキュールという名前はそこまで珍しくないでしょう。それに一般庶民なら『皇帝陛下』で事足りますから、知らないのは無理もないかと。……褒められる行為ではありませんよ」 

 

 ガルフィスも、エルキュールの『遊び』を遠回しに非難する。

 

 レムリア国民が自国の皇帝の名前を知らない。

 と、いうのは何だか不思議に思うかもしれないが……


 そもそも皇帝の名前は呼ぶことそのものが不敬である。

 故に普段は『皇帝陛下』と呼ばれる。

 

 つまり名前を呼ぶ、使う機会が存在しないのだ。

 

 そのため一般庶民の中には「皇帝陛下万歳!! 我らの偉大なる皇帝陛下万歳!! 神が我らに与えたもうた皇帝陛下、万歳!! え? 皇帝陛下の名前? そりゃあ、それくらい知ってるさ。えっと……あれ? 何だっけ?」という者は大勢いる。



 

 聞きもしないし、使いもしないからである。


 

 それと同じで、ニアが『エルキュール』と聞いてすぐさま自国の皇帝と結びつけるのは難しい。

 

 「悪かった、悪かった。ごめんな、揶揄って」

 「そ、そそそそそ、そんな滅相もございませんです!! ここ、皇帝陛下!! い、今までの、ご、御無礼をお許しくださいですます!!」

 「取り敢えず、深呼吸して落ち着け。敬語が滅茶苦茶になってるぞ」


 エルキュールに促されるままに、ニアは大きく深呼吸をする。

 大分落ち着いてのか、ニアは改めてエルキュールに謝罪した。


 「ご、御無礼をお許し……」

 「いや、別にいいさ。知らなかったんだから、仕方がない。それに半分俺のお遊びだ。さて、そろそろ本題の方に入ろう。確か、紹介だったな」


 そう言って、エルキュールはまずカロリナとルナリエを指さす。


 「俺の婚約者のカロリナとルナリエだ。ちょっとお前のことをまだ警戒しているが、まあ、多分慣れれば大丈夫だ。で、こいつがガルフィスで突撃おじさんだ。こっちの青いのはクリストフ。三章まで来たのに、中々出番がない、不遇な人だ。で、こいつはエドモンド。一応俺の兄貴だな。特に特技は無いが、弱点も無い。使い勝手のいいタイプだ。この黒豹はダリオス、大麻中毒だ。この黒いのがオスカルだ、この中で一番常識人で面白くない。鉤鼻の金に五月蠅そうなのがシャイロック、六星教徒。虐められてるという点ではお前の仲間だ。こっちの優しそうなのがアントーニオだ。あと、ここにはいないけど三章始まって顔すら出していない金髪巨乳や、二章の中盤で出てきて以来行方不明の狐娘、たまに顔を出す俺の異腹の兄貴と名前は出てるけど、なかなか顔が出て来ない異腹の姉貴がいるが、そいつらは後で紹介するよ」


 などという感じで、エルキュールは一人一人紹介していく。

 普通に生活していれば、見ることすらない偉い人の羅列で、ニアの頭が沸騰しそうになる。


 しかしそんなニアには気を遣わず、エルキュールは紹介を続ける。

 そして……


 「最後にこいつがルーカノス・ルカリオス。お前を治療した命の恩人でもある。職業は……ノヴァ・レムリア大司教。まあ、俺に比べれば偉くないからそんなに緊張するな」

 「よろしくお願いしますね、ニア。そこのお方に比べれば大して偉くない、あなた寄りの人ですから、緊張しなくて結構ですよ」

 「だ、大司教? ふぇぇ!? ノヴァ・レムリア司教座の? は、はい! よ、よ、よろしくお願いします……」


 おそらくルーカノスのことを偉くないと言えるのは、レムリア皇帝か姫巫女メディウムくらいである。

 メシア教世界に於いて、レムリア皇帝、姫巫女メディウム、レムリア大司教の次にルーカノスは偉いのだから。


 「ついでにお前のパパになる人だ」

 「なるほど! パパですか!! ふぇ? パパ?」


 ニアは首を傾げる。

 ルーカノスも首を傾げる。


 それを見て、エルキュールは愉快そうに笑う。


 「うん、親子似てるな。良かった良かった。じゃあ、ルーカノス。後は宜しく……」

 「ちょ、ちょっと待ってください!! パパって、親子って何ですか?」

 「いや、お前がニアを養子として引き取るんだよ。それくらい読み解け」

 

 エルキュールの爆弾発言に、周囲が騒然となる。

 こいつ、正気か? という目で群臣たちがエルキュールを見る。

 

 「な、何故私が!!」

 「一つ、魔族ナイトメアに差別感情が無い。二つ、ずっと前にお前「子供が欲しいなあ」って言ってただろ。三つ、ちんこの無いお前は何があっても間違いが起きない。以上!!」

 「そんな無茶苦茶な……まあ、確かに子供は欲しいと思ってますけど」


 種子が無いどころか、そもそも男性器がないルーカノスは次世代に遺伝子を残せない。

 が、そのことはすでに割り切っている。


 しかし妻もいない、子もいない、つい最近まで手塩に育てていた可愛い可愛い次期皇帝エルキュールはすっかり小生意気になってしまった、ということもあり、最近酒を飲みながら「養子が欲しいなあ。女の子がいい」などとぼやいていた。


 それをエルキュールは覚えていたのである。


 「まあ、お前がどうしても嫌だというのであれば、まあ強制はしないぞ。強制しても良好な親子関係は築けない。まあ、どうしても嫌だというなら仕方がない。ああ、残念だなあ」

 「……分かりましたよ。引き受けます。ええ、魔族ナイトメアとはいえ、メシア教徒ですからね」


 ルーカノスからすると、ニアよりもどっかの六星教徒シャイロック神を冒涜する女狐ヒュパティアの方が、よほど存在を許せない。

 

 それよりは魔族ナイトメアのニアの方が同じメシア教徒として、受け入れられるというものだ。

 

 それに……

 魔族ナイトメアに対して学術的な興味が、ルーカノスにはあった。


 ルーカノスはエルキュールに、何故ニアを拾ったのか、助けたのか、その……建前抜きの真意を尋ねた時のことを思い出す。

 エルキュールはその時、こう言った。


 「まあ、正直なところこのガキが死んだところで俺に不利益はない。気分は悪くなるが、特に親しい間柄でもないしすぐに忘れるだろう。……ただ個人的に魔族ナイトメアという種族に興味がある。何しろ、資料でしか知らないからな。その能力を調べたい。それに、もし優秀だったら家臣として将来的に使えるしな」


 (おそらく、陛下は私に魔族ナイトメアを研究せよと暗にご命令しているのだろう)


 ルーカノスはエルキュールの真意を汲み取ったのだ。


 「よし、決まりだな。良かったな、パパが出来たぞ!!」

 「パパ? パパ……ノヴァ・レムリア大司教様がパパ? これは夢? そうか、私……幻覚みてるんだ……」


 

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