第9話 ナイトメア

 「今、帰ったぞ!!」

 

 エルキュールは意気揚々と、片手に拾った魔族ナイトメアの少女を手に持って宮殿に戻った。

 衛兵たちがエルキュールが片手に持っている、ボロボロの物体を見て首を傾げる。

 

 「皇帝陛下! どこに行っていらしたんですか?」

 「少し、散歩をな。あ、そうそう。お土産を持ってきたぞ」


 そう言ってエルキュールはカロリナにボロボロの布切れを纏った、少女を見せた。

 カロリナは顔を顰める。


 「陛下……ついに人攫いですか。しかも、その子、どう見ても子供じゃないですか。そういうのは……メシア教的に関心できませんが……」 

 「こんな汚い餓鬼に俺が恋愛感情抱くと思ってるのか? 失礼だな」


 エルキュールは割と綺麗好きなので、埃と土、糞尿塗れで頭にシラミがピョンピョン飛び跳ねている少女を相手に、性的に興奮することはない。


 そもそもロリコンでもない。

 性行為の相手としては最低でも十四歳以上が絶対条件である。


 「じゃあ、何ですか?」

 「さあ? 俺も分からんが……取り敢えず拾った物は拾った物。死なれると飯が不味くなる。取り敢えず、体を綺麗にした後に、医者にでも見せないとな」


 エルキュールは先程から、気絶したままピクリとも動かない少女の顔を覗き込む。

 心臓は弱弱しく動き、僅かな呼吸は確認できるが……いつ死んでもおかしくなさそうだ。


 「……まあ、陛下が珍しく慈善行為をしていることは少し気持ちが悪いというか、違和感を感じますが……」


 人の命を助けることが、悪いことのはずがない。

 珍しく、カロリナはエルキュールに対して感心の念を抱いた。


 「ところで、人族ヒューマンですか?」

 「いや、魔族ナイトメアだ」


 そう言って、エルキュールは少女の尻尾をカロリナに見せた。

 その瞬間、カロリナが怯えた顔で一気に十メートルほど距離を取る。


 「何て物を拾ってくるんですか!!」

 「何だ? ダメか?」

 「いや……だって、魔族ナイトメアですよね?」

 「それが?」


 魔族ナイトメアはこの世界では、恐怖と嫌悪の象徴である。

 エルキュールが異常なだけで、カロリナの反応は至極全うである。


 「だって……人を食べたりすると……」

 「俺は五体満足だが? そもそも、こいつは人どころか何一つ食ってないみたいだぞ?」

 「目を合わせると死ぬとか……」

 「合わせたが、俺は生きている」

 「尻尾を触ると魂を吸われるとか……」

 「触ったが吸われてないな」

 「あ、あと……瘴気を纏ってて、近づいただけで死んでしまうとか……」

 「俺もお前も生きてるだろうが」


 エルキュールの言葉を聞き、カロリナは少しずつ距離を詰めていく。

 そして恐る恐る、少女の体を指でツンツンする。


 「……大丈夫、そうですね」

 「だろ? さてと……シファニー。こっちに来い」


 先程から、エルキュールたちから目を逸らしていた召使の一人を、エルキュールは招き寄せる。

 召使は震えながら、自分の顔を指さす。

 エルキュールが大きく頷くと、観念したように恐る恐るエルキュールの下に歩いてくる。


 「こいつを洗って、清潔な服を着せてやれ。ああ、そうそう。シラミ塗れだから、そっちも落としておけ。できるだろ?」

 「え、えっと……魔族ナイトメアですよね、これ……」

 「何だ、不服か?」


 急速にエルキュールの機嫌が悪くなる。

 それと同時にただでさえ冷たい気温が、さらに下がるように感じられた。


 不機嫌になったエルキュールが無意識のうちに、『畏怖』の固有魔法を漏らしたのである。

 

 実はエルキュールは召使たちに滅多に怒る事は無い。

 文句を言ったり、不平を言ったり、愚痴を言ったりすることはあっても、怒ったりすることは稀である。


 普段怒らない人間の怒りほど、恐ろしいものはない。

 そして、怒っている人間が絶対的な権力を持つ専制君主で、加えて『畏怖』の魔法まで持っていては……

 召使たちが恐怖で顔を真っ青にするのも、当然と言える。


 「俺の命令に従わないとは、随分と出世したな。気分は共同統治者か? シファニー」

 「い、いえ……よ、喜んでお受けいたします!!」


 シファニーと言われた召使は、エルキュールから少女を奪うように手に取ると、あっという間に風呂場に掛けていく。

 エルキュールは機嫌がよさそうに、その後ろ姿を見送った。


 ちなみにエルキュールは宮殿に勤めている、大臣、将軍、文官、武官、衛兵、召使たちの顔と名前、家族構成や人間関係を全て把握していたりする。

 

 


 少女を洗い、清潔な服を着せて、暖かいベッドで寝かせるように指示した後、エルキュールはルーカノスを呼び出した。

 ルーカノスは治癒と工芸の大精霊『マルバス』と契約しているし、その上医学の心得もある。

 レムリア帝国で一番、『まとも』な医者である。


 寝ている少女を、ルーカノスが診察する。

 埃と糞尿で汚れている時は分からなかったが、少女は長耳族エルフと同等程度に顔が整っていて、可愛らしい寝顔を浮かべていた。

 肌は土気色で、痩せこけているが……

 ちゃんとした食事をとり、体調を整えればきっと光るだろう。


 桃色の髪も、今はぼさぼさで酷い状態だが、ちゃんと整えて、キチンとケアすれば良くなるだろう。


 「どうだ、ルーカノス。気絶してから、目を覚まさないのだが」

 「そうですね……脈は弱いですが、深刻なレベルではないでしょう。この雪の中なら、あと数時間で凍死していた可能性もありますが……直に目を覚ますかと。一応、私の『マルバス』で治癒を掛けます」

 「お前の精霊は怪我や病気の治療が専門だったと思うが……栄養失調も治療できるのか?」

 「焼け石に水……死を遅らせる程度には。ちゃんと食べないと、どちらにせよ死んでしまいます。……あの料理長ならば、こういう患者用の食事も作れるはずです。彼は薬師でもありますから」

 「そいつはもう頼んで、作って貰った。あとはこいつが目を覚ますのを待つだけだ」


 君主が病気になった時に、ちゃんと消化に良くて体力の付く食事を作るのも、料理長の仕事であった。

 エルキュールの為ではなく、魔族ナイトメアの為……というのは料理長としては、不服だったようだが、態度には現さずにすぐに用意したので、召使のようにエルキュールの怒りを買うことはなかった。


 「しかし……あなたという人は……まさか魔族ナイトメアを拾ってくるとは思いませんでしたよ」

 「不味かったか?」 

 「いえ……魔族ナイトメアに関する記述は、聖書にはありませんし……メシア教徒であるならば、魔族ナイトメアも同胞と言えるでしょう」


 メシア教という宗教は、隣人愛・神の前の平等を謡うことで信者を増やしてきた。

 建前上は、メシア教徒であるならば全て同胞である。


 異教徒や異端者は排斥するべきだ、ある程度は許容すべきだ、隣人として愛するべきだ……

 と、メシア教徒以外の者に対する扱いについては聖職者の間でも、意見が分かれるが……


 同じメシア教徒の中で、そのような差別は無い。

 神の前の平等というやつだ。


 もっとも、あくまで建前上の話ではあるが。


 「全く……俺は道端に落ちてる餓鬼共は全員孤児院に放り込めと命令したのだが……」

 「まあ、魔族ナイトメアなんて滅多に見るものじゃありませんから。私も陛下より長く……かれこれ百年は生きてますが、この女の子が初めてです」


 やるなら徹底的に。

 中途半端にはやらない。


 孤児院を立てて孤児を助ける政策に取り組んだ時点で、エルキュールはノヴァ・レムリアの孤児は全員助けるつもりだった。

 そのために助けられるだけの予算を組んだし、助けるようにと勅令も出したのだ。


 魔族ナイトメアだから、という理由で取りこぼされるのは遺憾である。


 「それで陛下、どうします? この女の子を助けたら」

 「無論、育てるつもりだ。どうせ、引き取り手もいないだろうしな。お前らの反応を見れば、どんな保護施設に放り込んでも、揉め事しか起こらないのは容易に想像できる。だったら俺の目の届くところに置く」


 野良猫に餌をやるなら、死ぬまで面倒を見ろ。

 面倒を見れないなら、餌をそもそもやるな。

 

 拾った以上は自立するまで、育てるつもりはある。


 「ということは、養子になさるおつもりで?」

 「うーん、俺の養子にすると嫉妬を集めそうだし、陰謀論唱えるアホが出てきそうだ。それにこの年で子持ちには成りたくない。……まあ、心当たりはあるからその辺は心配するな」

 「心当たり? ですか……一体誰ですか?」

 「多分、お前はビックリするよ」

 「はあ……」


 ルーカノスは首を傾げた。

 魔族ナイトメアを養子に欲しがる奇特な貴族が居ただろうか?


 まあ、エルキュールが心配するな、と言っているならば心配しなくていいのだろう。

 

 ルーカノスはそう考えて、深く追求しなかった。


 後にルーカノスはこのことを深く後悔するのだが、後の祭りであった。


 

 「うん……、ここは……」 

 「お、目を覚ましたか」


 エルキュールがルーカノスと話していると、少女が目を覚ました。

 髪の毛と同じ色の、桃色の瞳がエルキュールとルーカノスを映す。


 ルーカノスが少女に対して、指を三本突き出した。


 「何本に見えますか?」

 「……三、です」

 「意識はしっかりしているみたいですね」


 ここはどこなのか、目の前の二人の男性は誰なのか?

 少女は困惑気味に二人を見つめる。


 エルキュールは少女に問いかけた。


 「食事を用意してある。食べれるか?」

 「……食事?」


 まだ寝惚けているのか、少女は首を傾げたが……

 すぐにその言葉の意味を理解したのか、目を輝かせた。


 そして同時に大きなお腹の音がなる。


 少女は顔を赤らめた。


 「それだけ元気なら、まあ大丈夫だろう」


 エルキュールが鈴を鳴らすと、食事を召使が持ってくる。

 エルキュールはまず、薬湯を手に取った。


 「いきなり胃に固形物を入れると、胃が痙攣して死ぬからな。取り敢えず、これから胃に入れろ。ゆっくりだぞ?」


 言われるがままに、少女はお椀に入った薬湯に口を付ける。

 最初はゆっくりと飲んでいたが、途中から待ちきれなかったのかペースが速くなり、あっという間に飲み終えてしまった。


 少女が無事に食べ終えるのを確認すると、エルキュールは重湯を手渡す。


 「これもゆっくりと胃に入れろ」


 少女がゆっくりと、噛みしめるように重湯を飲む。

 それでもやはり、途中からペースが速くなり、あっという間に食べ終えてしまったが。


 取り敢えず、胃が痙攣して死ぬことは無さそうだ。

 と、判断したエルキュールは少量のミルク粥を少女に手渡した。


 ちなみにエルキュールはミルク粥は大嫌いだ。

 牛乳と粥という組み合わせが我慢できないのである。


 匙を使い、一口一口少女は粥を口に運ぶ。

 エルキュールやルーカノスが心配になるほど、そのペースは速かったが……


 突然、匙が止まる。

 

 「大丈夫か?」

 

 何事か、とエルキュールは少女に駆け寄る。

 ここまで来て、死なれては困る。


 「い、いえ……すみません、大丈夫です。あ、安心したら……ちょっと……」


 少女は泣いていた。

 ポタポタとしずくが、粥の中に落ちる。

 

 涙を流しながら少女は粥を完食した。


 「物足りないだろうが、今回はこの辺りで満足しておけ。……治ったら、ステーキでもシチューでも何でも食わせてやる」

 「あ、あの……どうして助けてくださったのですか?」


 少女はエルキュールに尋ねた。

 ふむ、なるほど。確かに気になるだろう。


 エルキュールは少し考えてから答える。


 「困ってる人を助けるのは人として当たり前じゃないか」


 ……どの口が言っているのだろうか?

 ルーカノスが白い目でエルキュールを見る。

 

 川でおぼれている犬を棒で叩くタイプの人間が、こんなことを言い出すのはとても気持ちが悪い。

 

 「……魔族ナイトメアですよ? 私は」

 「俺からすると、だからどうした、と言いたい事だが……まあ、お前や俺以外からすると重大なことらしいな。今はそんなことは気にせず、体を治すことを考えると良い」


 エルキュールはそう言って立ち上がった。

 ルーカノスも同時に立ち上がる。


 「三時間後にまた、様子を見に来る。……何かあったら、そこの鈴を鳴らすと良い」

 「あ、あの!!」

 「何だ?」

 「私は……ニアです。お、お名前を聞いても宜しいでしょうか?」

 

 エルキュールは少し考えてから、答える。


 「俺はエルキュール。こいつはルーカノスだ。まあ、お前の体調が治ったら詳しく説明してやる。それまでは余計なことは考えず、体を治すことだけを考えろ」


 そう言ってエルキュールとルーカノスは部屋から立ち去った。

 少女は一年振りの柔らかい毛布を被ってから、呟く。


 「……エルキュール様」


 顔をほんのりと赤らめて……

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