第5話 新たな税制改革 とても自然な導入

 それは秋が深まり始めた頃の事である。


 「うーむ、金が足りん」

 「はあ……お金が足りない、ですか?」


 昼食中、エルキュールはカロリナ、ルナリエと並んで食事を取っている時、思わず呟いた。

 エルキュールの呟きに、カロリナが首を傾げる。


 「ファールスへの莫大な貢納金は停止したんですよね?」

 「まあ、な」

 「賠償金もかなり貰いましたよね?」

 「まあ、確かに多額の賠償金は得たよ」

 「専売の珈琲や骨灰磁器も売れている」

 「売れてるよ」

 「税収も減ったわけではない」

 「まあな」


 むしろ、収入は増えているはずである。

 お金が足りない、ということはないはず。


 「どうしてお金が無いんですか?」

 「それはだな……」


 エルキュールが答えようとした時、 慣れないナイフとフォークを使い、料理と格闘していたルナリエが呟いた。


 「支出が増えた?」

 「まあ、そういうことだな」

 

 エルキュールは大きく頷いた。


 「……陛下の凱旋門ですか?」

 「あれは賠償金で立てたモノだ。別に関係ないよ」

 「では、タウリカ半島での植民都市の建設ですか?」

 「あれも賠償金だ」

 「ミスル属州で始まった大規模な治水事業……」

 「それも賠償金だ」


 エルキュールはファールス王国から得た賠償金を主に公共事業に使用した。

 ハヤスタン王国に貸し付けた金も、賠償金からだ。


 他にも繊維産業の育成、新たな農地拡大、鉱山の開発など……

 諸産業の育成のための投資に使用した。


 賠償金はあくまで一時的に得た、泡銭なので……

 毎年、多額の維持費が必要になるような事業には向かない。


 逆に一度に多額の資金が必要になる事業には向いている。

 そういうわけで、エルキュールは賠償金を以上のような事業に使ったのである。


 「じゃあ、他に何にお金を使ったんですか?」

 「遺族年金と、孤児院建設とか? あとは新たに官僚の規模を拡大したんだが……想定以上に出費が大きくてな。軍拡予算が絞り出せん」

 「……官吏の数を増やしたのは、まあ分かります、年金と孤児院というのは、どういうことですか?」

 「そのままの意味だよ」


 此度、エルキュールは珍しく社会福祉、というモノに手を出した。

 

 遺族年金、というのは要するに戦争で夫を亡くした妻、父親を亡くした子に対して年金を払おうというシステムである。

 

 今までは補償金という形で、一度に多額の金が遺族に支払われていたが……

 このやり方ではすぐにお金を使い果たし、困窮する者達が大勢いた。

 しかも家族の人数などは全く考慮されず、全て一律同じ額で、不平等であった。

  

 それに場合によっては財政難を理由に、支払われないケースもあった。


 そこでエルキュールは今までのやり方を一新し、戦死者が扶養していた人数に応じて年単位で定額を支払うことにしたのである。

 

 また……

 負傷した兵士やその家族にも、(その負傷の度合いにもよるが)定額の年金を支払う制度も導入した。


 二つ合わせて、兵士年金制度である。


 エルキュールがこの制度を導入したのには、いくつか理由がある。

 

 現実的な理由としては、治安の悪化を防ぐため。

 残された遺族が生活のために犯罪を犯したり、また一度に支払われた多額の補償金目当ての強盗が起きるのを防ぐ、という狙いがあった。


 また、残された家族の生活を国が補償してくれる……となれば兵士たちも死を恐れずに戦うだろう。むしろ、家族のために必死に戦うだろう。

 という士気高揚の狙いもある。


 建前的な理由としては、人道の為、兵士に報いるため。

 まあ、これについては説明する理由は無いだろう。そのままの意味だ。


 そして最後の、エルキュールの個人的・感情的な理由として……


 一緒に命を懸けて戦ってくれた兵士たちの家族が困窮する―妻が売春をし、子供が盗みを働く、場合によっては奴隷として売られる―ような状況は、我慢できない、というところがあった。


 エルキュールという男は、所詮人間であり、依怙贔屓もする。

 エルキュールという人間にとって、(カロリナなど、身近な人間を除いた上で)最も可愛いのは自分の命令に忠実に従い、戦い、死んでいく兵士たちと、その家族である。

 

 そんな可愛い可愛い兵士たちとその家族を厚遇するのは当たり前である。


 ちなみに次に可愛いのは、一緒に働いてくれる官僚である。

 レムリア帝国という広大な国家を支配するには、官僚たちの頑張りと忠誠がなくてはならない、ということを誰よりも知っているのは、その官僚を動かしているエルキュールである。


 忠義には報いたくなってしまうのは、君主としては当然だろう。

 

 官僚、公務員―特に税金を集める徴税官―というのは得てして嫌われやすい職業だが、民から嫌われている官僚を見ると、ますます可愛がりたくなってしまうのが、エルキュールという人間の心理であった。


 尚、対照的にエルキュールがもっとも嫌いなのは大して税金を支払っていない癖に、小五月蠅いノヴァ・レムリア市民であることは、言うまでもない。


 

 孤児院は……

 まあ、説明するまでもないだろう。


 これも建前は人道、本音は治安対策のためである。


 ただ……エルキュールの個人的な思想として、『人間は平等である必要は無いが、出来うる限り公平であるべきであり、機会は均等に与えられるべきである』というものがある。


 別に全ての子供たちに平等の教育を施せ、とは考えてはいないが……

 それでも最低限、犯罪者にならないだけの『養育』はされるべきだと、考えていた。


 

 官僚組織拡大については、後述する。


 「孤児院に関しては、教会や修道院を支援する程度で済んだから良かったが……意外に年金に費用が掛かってな」

 「それは……まあ、そうでしょうね」


 人一人を一年養うのには、それなりに費用が掛かるのだ。

 それを何千人、何万人……となれば莫大な費用が必要になるのは当然だろう。


 「というか……軍拡、と言いますと新しく歩兵を増やすのですか?」

 「いや、今度は騎兵だ。歩兵は間に合っているからな」

 

 ファールス王国との戦いで、エルキュールは騎兵戦力の不足を痛感した。 

 下手をすれば、戦争芸術を決められてしまった可能性すら、あるのだ。


 ファールス王国の騎兵総数が八万前後、という話なので……

 最低でも四万……というのがエルキュールの目標であった。


 「しかし……長耳族エルフ重装騎兵クリバナリウス、ロングボウ部隊ですでに二万も動員していますよ?」


 純血長耳族ハイ・エルフ混血長耳族ハーフ・エルフを含めた、長耳族エルフの総人口は、約二百万ほど。

 

 長耳族エルフの精霊術は戦争以外にも、様々な諸産業に利用されているため……

 戦争に動員し過ぎると、レムリア帝国の農業、鉱業、林業、水産業など、様々な経済活動に悪影響を及ぼす。


 尚……レムリア帝国の総人口は二千万なので、長耳族エルフは総人口のたった一割ということになる。

 不妊気味の長耳族エルフは子供が生まれにくく、それだけ人口の回復率も遅いので、戦争での死者数増大は国体そのものを揺るがす可能性がある。


 ちなみに、ここではあまり関係ない話だが、実は近年までレムリア帝国の人口は千二百万前後であった。

 八百万が、この数年のうちに増えたことになる。


 どういうこっちゃ? 

 ということだが、簡単だ。


 八百万人の新生児が生まれたのだ。




 ……というのはさすがに冗談である。

 エルキュールが人頭税を廃止したことで、数年前の人口調査の時には『いません』と言っていた人間が、廃止後の人口調査では『実はいました』と、言いだしただけの事である。


 エルキュールとしては、長耳族エルフ人口の総人口の割合が減ってしまったことを嘆けば良いのか、それとも総人口が増加したことを喜べばいいのか、分からないという感じであった。


 

 閑話休題。

 


 「あと数万くらいなら、動員してもさほど大きな影響は無いと俺は考えているよ」


 騎兵というのは育成に時間が掛かり、その上維持費も莫大だ。

 しかしその機動力、突破力は他の兵科では代用できない。


 故にレムリア帝国はもっとも信頼できる、長耳族エルフを騎兵として育成し、戦場に投入していた。

 あくまで、戦争の主戦力は長耳族エルフである。


 という建国以来の大原則を守り続けている。


 エルキュールもそれをある程度踏襲するつもりではあるが……

 場合によっては変える必要もあると、考えていた。


 「増やすのは重装騎兵クリバナリウスですか?」

 「いや、中装騎兵カタフラクトだ。重装騎兵クリバナリウスの破壊力は確かに素晴らしいが……その分機動力は劣る。柔軟な軍の運用には、中装騎兵カタフラクトが必要だ」


 重装騎兵クリバナリウス中装騎兵カタフラクト


 どちらも重装騎兵の一種であるが、微妙に違いがある。


 重装騎兵クリバナリウスは馬も鉄製の鎧を身にまとっている。

 一方中装騎兵カタフラクトの馬は鎧を身に着けていない。


 つまり重装騎兵クリバナリウスの方が重く、破壊力があり、その分鈍重である。

 というわけだ。


 「……騎兵って、どれくらい維持費が掛かるの?」


 イマイチ話に付いて来れず、疎外感を感じたのかルナリエがエルキュールに尋ねる。

 ハヤスタン王国は長い間武装を禁じられていた影響もあり、ルナリエにはそっち方面の知識が欠けていた。


 「うーん、そうだな。レムリア金貨『ピー』枚くらいだな」

 「……えっと、つまり……ファールス銀貨『バキュン』枚くらい……」


 ルナリエは指折り数え、そして目を見開いた。


 「……高い」

 「まあ、重装騎兵か軽装騎兵かにも依るけどな。うちの重装騎兵クリバナリウスはそれくらい掛かってるよ」


 馬を維持するには大量の飼料が必要なので、どうしても維持費は高くなるのだ。


 「それで中装騎兵カタフラクトをどれくらい揃えたいんですか?」

 「まずは一個軍団だ。しかし費用が足りない」

 「なるほど……まあ、確かにファールス王国の騎兵に対抗するのであれば、最低でも三個軍団は騎兵が欲しいところですよね」


 カロリナも武の名門、ガレアノス家の娘である。

 レムリア帝国の安全保障を確保するには、それだけの騎兵が必要なのは十分理解できる。


 一方、ルナリエは放心状態だった。


 「レムリア金貨『ピー』枚、ファールス銀貨『バキュン』枚……」


 それはハヤスタン王国が逆立ちしても絞り出せない額だ。

 レムリア、ファールスが超大国であることを改めてルナリエは再確認した。


 「で、陛下。どうせ、どうにかする方法をすでにお考えになられてるんでしょ?」

 「お、よく分かったな」

 「そりゃあ、長い付き合いですから」


 エルキュールが自分から溜息交じりに悩みを口に出した時は……

 すでに解決方法を用意しており、「俺はこんな困難な状況も打破する方法を思いついたんだぜ」というアピールに他ならない。


 「それで、方法は?」

 「二度目の税制改革と……、専門家を雇おうと思っている」


 エルキュールはニヤリ、と笑みを浮かべた。

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