第3話 大豆
大豆。
それは味噌、醤油、豆腐、納豆などの原料であり、米に並んで日本人の食には欠かせない作物である。
世界的には飼料、そして大豆油などに利用される。
また多量の植物性たんぱく質を含んでいるため、『畑の肉』などとも言われていて、とても栄養価が高い。
さらに根粒菌とも共生しているため、窒素固定を行うことができ、荒地でも育ちやすい。
と、文句の付け所が全く無い作物である。
「でも、あまり美味しくないですね。ちょっと苦いような……」
「まあ、これはただ炒っただけだからな。美味しくないのは仕方がない。だが、味は料理方法でどうにでもなるだろ? それに家畜の餌としても、有用だからな」
炒った大豆を食べながら、エルキュールはカロリナに大豆について説明していた。
エルキュールが大豆を入手したのは、先のファールス王国との戦争の時である。
たまたま偶然、東方から来た商人が取引していたのを買い占めたのだ。
あまり売れていなかったところを見る限り、ファールス王国では栽培されていないのだろう。
「料理、というと何がありますか?」
「うーん……この種子は熟しちゃってるけど……青い時に収穫して塩ゆですればそれなりに美味しく食べれると思うぞ?」
つまり枝豆である。
他にも味噌、醤油などの利用方法はあるが……
作り方は知識の上で知っているだけで、実際に作れと言われても作れないので、口に出すつもりは無かった。
無論、味噌も醤油もあった方が料理の選択肢も増えるのは間違いない。
なので開発は続けるつもりではある。
基本的に、大概のものは人と金と時間があれば創り出すことは可能だ。
エルキュールはその全てを持っているので、いつかは醤油と味噌を口にすることはできるだろう。
加えて基礎的な知識は持っているのだから、完成は時間の問題である。
「大豆は荒地でも育つからな。これで帝国の食糧問題もある程度、緩和されるだろうさ……それよりも、君に見せたいものがある」
「今度はどんな豆ですか?」
「豆じゃないよ。豆よりも良いモノだ」
エルキュールが手を叩くと、召使が例のモノを持ってきた。
大きな白い布と、籠一杯に入った羊毛のようなものだ。
「何ですか? これは」
「この布は綿布。そしてこの羊毛みたいなのは木綿だ」
「……もしかしてバロメッツですか? 羊がなるという伝説の木の実ですよね? 実在するんですか?」
カロリナは身を乗り出した。
エルキュールは苦笑いを浮かべる。
「半分正しく、半分間違いだ。まず羊が実る木は実在しない。ただ羊毛のような実がなる植物は存在する。それがこれだよ」
「夢がないですね」
「……そういわれてもな」
尚、木綿……つまり綿花を見つけたのもファールス王国領内である。
この世界の綿花の一大生産地はシンディラで、ファールスではさほど大規模に生産されていなかったようだが……それでも細々と生産されていた。
それをエルキュールが遠征からの帰還の際にレムリアに持ち運んだ、というわけだ。
繊維業は比較的やり易く、そして儲けられる産業なのでエルキュールは羊毛と木綿の繊維業を、国の産業の柱にするつもりでいる。
さらに絹をどうにかして導入し、染料にまで手を出せれば完璧だろう。
この繊維に加えて、珈琲と砂糖、骨灰磁器の四輪車でエルキュールは外貨を稼ぐ計画だ。
ただ……これ以上の産業には手を出そうとは、あまり考えてはいなかった。
無論、香辛料だとかそういう農作物もできれば栽培したいのは山々である。
しかしやたらと手を伸ばしても、全て中途半端に終わるのは目に見えている。
だったら特定の産業に力を注いだ方が良い。
香辛料を栽培したところで、香辛料の本場には生産量でも質でも敵わないのだから。
「ですが、陛下。個人的に疑問があるのですが……」
「どうした?」
「畑は有限ですよね? 商品作物を増やせばその分、食用の穀物の供給量が減るのではありませんか? 先帝陛下はそれを懸念して、何度も商品作物栽培を制限していましたよね?」
レムリア帝国では商業は卑しいと考えられているが、それと同じくらい商品作物の栽培は卑しいとされている。
食べられないからである。
一部の金持ちだけが商品作物で贅沢し、その分穀物の価格が高騰するため貧乏人が食べられなくなる……
故に望ましくない。
というのが、この世界の一般的な考えである。
だが、エルキュールの考えは違う。
「そもそも飢饉が発生するのは、穀物の自給率が低いからじゃない。ミスル属州に食糧の大部分を依存しているからだ。ミスル属州で天候不順が起きれば、一気に穀物の供給量が低下する。……ミスル属州での穀物生産量は減らして、他の場所で穀物を栽培すべきだろう」
「ですがミスル属州ほど、穀物の栽培に適した属州は無いのでは?」
「無いなら、征服すれば良いだけだろ?」
エルキュールはニヤリと笑みを浮かべた。
レムリア帝国は三つの大陸に跨っており、そして三つの海に面している。
北の『アーテル海』、西の『アルブム海』、そして南の『ルベル海』の三つだ。
このうちアーテル海とアルブム海は海峡でつながっており、この海峡に面した湾岸都市がレムリア帝国首都、ノヴァ・レムリアである。
「このアーテル海を北に進んだこの場所……タウリカ半島とその周辺地域が次の遠征目標だ」
後日、エルキュールは群臣たちを集めて会議を開いた。
もっとも、会議と言ってもエルキュールがやるといったからにはやるのは半分確定したようなもので、群臣たちにできるのはエルキュールの計画に修正を加える程度なのだが。
「タウリカ半島ですか。確か、我が国の領土でしたね? かつては」
「ああ。維持出来なくて放棄したがな」
ガルフィスの問いに、エルキュールは答える。
この遠征はエルキュールがかつて提唱した、国土回復戦争の一環でもあった。
「なるほど。ハヤスタン王国を我が国の属国に収めた今なら、タウリカ半島を領有すればアーテル海の制海権は我が国のモノ。というわけですな?」
クリストフはエルキュールの意図を汲み取る。
アーテル海沿岸の主要な国は、レムリア、ハヤスタン、ブルガロンだがこのうちブルガロンは海軍どころかまともな港すら持っていない。
現在のレムリア帝国はハヤスタン王国の港も自由に使うことができるため……
アーテル海の天井部分に当たる、タウリカ半島を支配できればアーテル海をレムリアは完全に支配することができる。
「まあ、それもあるが……一番は北方諸国との交易と新たな穀倉地帯の開拓だ。……ミスル属州だけに小麦の供給を頼っていては、飢饉が起きた時に対応できないしな。それにレムリアの商品を売る相手も欲しいし」
実はアーテル海の北の沿岸部には
エルキュールはここを新たな帝国の食糧供給地にしようと考えていた。
そして……何よりタウリカ半島より北には北方諸国が存在している。
現在でも北方諸国からの商人が小型の船で川を下り、ノヴァ・レムリアにやって来ているが……
タウリカ半島に大きな湾岸都市を築けば、その交易はさらに活発になるだろう。
琥珀やテン、狐などの毛皮などが北方諸国の特産品だが……
これらはレムリア帝国だけでなく、北方諸国やファールス王国でも一定の需要があるので、中継貿易による利益も期待できる。
逆に北方諸国はレムリア帝国に香辛料や砂糖、陶器などの贅沢品を求めていて、これらの特産物の輸出による外貨獲得も期待できるだろう。
と、このように経済的にタウリカ半島を征服するのは大きな利があるのだ。
そして何より……
「現在、タウリカ半島にまともな敵対的政治勢力は存在しない。精々、狐種の
わざわざ強い敵がいるところ(具体的にはファールス王国、西方諸国)に攻め込むのは馬鹿正直というものだ。
戦争の基本は弱い者いじめ。
弱い国をぶん殴って、低リスクで利益を得るのが基本だろう。
今回はまさに低リスク、高リターンと言える。
だが……
「統治と防衛はどうなさるおつもりですか、陛下?」
「何も最初から面での征服は考えてはいない。いくつかの都市国家を屈服させて、その都市国家の周辺にレムリアから屯田兵を入植させる。それに出来るだけ、旧支配層は温存して地方官僚として雇うつもりだ。あとは相応の総督を派遣して、じっくりと内陸部を征服すればいい」
ルーカノスの問いにエルキュールは具体的に答える。
強引な征服をしない限り、特に反抗は無いだろう、とエルキュールは考えていた。
レムリア帝国の安全保障下に入ることは、タウリカ半島とその周辺の都市国家にとっては大きな利益がある。
レムリアの旗を掲げるだけでも、臆病な蛮族は逃げて都市への攻撃は控えるだろう。
「と、いうわけでクリストフ。船を用意しろ。あと歩兵は二個軍団ほど、連れて行く。騎兵と弓兵は……まあそれぞれ五個大隊で十分だろう。歩兵は俺とダリオス、騎兵と弓兵はガルフィス、エドモンドの指揮だ。オスカルは首都の守りを任せる。……行くぞ、久しぶりに楽な戦争だ!!」
「「は!!」」
「これで最後か。まあ、こんなものだろうな」
開いた城門にレムリア軍の兵士が突撃していくのを見届け、エルキュールは紅茶を飲む。
これで一息つけるだろう。
「想像以上に簡単でしたね」
「まあ、大概の都市は俺を歓迎してくれたしな」
気が抜けた表情のカロリナに、エルキュールは肩を竦めて答える。
遠征を始めて数か月、夏が終わる前にエルキュールはタウリカ半島沿岸部の侵略を終えた。
タウリカ半島の住民は大別して、農民と商人に分けられるが……前者からすれば強大なレムリア帝国の安全保障下に置かれるのは悪い話ではなく、後者からすれば以前よりも商売がやり易くなる、と反抗する理由は特になかった。
とはいえ全てがエルキュールを歓迎したか、というとそういうわけでもない。
タウリカ半島には北方諸国から支援を受けることで、一定以上の支配力を持った政治勢力がいくつか存在した。
元々タウリカ半島はレムリア帝国の領土だったこともあり、旧レムリア領民の子孫たちが半分ほどタウリカ半島で生活していた。
彼らはタウリカ半島に侵入してくる蛮族に日々の生活を圧迫されていたため、多くはエルキュールによる支配を歓迎したのだった。
一方、もう半分は
タウリカ半島に移住してきた
また彼らの多くは非メシア教徒でもあった。
彼らはレムリア帝国の支配下に置かれるのを嫌い、いくつかの部族はエルキュールに対して反旗を翻したのだ。
が、しかし精々五〇〇〇程度の傭兵しか集められない彼らは籠城戦以外に取れる選択肢は無く……
そして援軍の当てもない籠城戦で勝てるはずもなく、あっさりと敗北したのであった。
「それで陛下、この後どうするの?」
「タウリカ半島のどこかに植民都市を建設して、支配の拠点にしようと思う。まあ、いくつか候補はあるから後で見に行こうか」
ルナリエの問いにエルキュールは答えた。
地図で良さそうな土地はいくつか見繕ったとはいえ、それでも最終的なチェックはこの目で見る必要があるだろう。
「……どうした、カロリナ?」
「陛下、この五か月間疑問に思ってましたが……何で淫売女がいるんですか?」
「私にはルナリエという名前が……」
「五月蠅い!! 私は今、陛下と話しているんです!!」
カロリナはルナリエを睨みつけてから、エルキュールに詰め寄る。
「何でですか?」
「ルナには兵站を頼もうかなあ、と思って。こいつ、交渉も上手いし計算もできるから。実際、この戦争では随分と役に立ってもらった」
実は攻城戦に於いて、食糧で欠乏するのは守備側ではなく攻撃側である。
というのも軍隊が同じ場所に止まってしまうので、現地調達による食糧供給が難しくなるからだ。
遠方から食糧を掻き集める必要がある。
今回は首都から船で直行できたので、それでも簡単な方だったが……
「……ルナって何ですか?」
「愛称」
「私には無いのに、何で新参の女に愛称があるんですか!!」
「何だ? お前も欲しいのか?」
すると、カロリナはプイっと顔を背けて顔を赤くし……
「別にそんなんじゃないですけど……」
「うーん、カロリナだからリナとか? でも、リナさんは別にいるからな……」
エルキュールは腹違いの姉を思い返す。
現在四十ほどで、未婚の『若い』
愛称はリナであった。
が、外見は二十代と変わらないので行き遅れているかといえばそういうわけでもなかった。
ユリアノス家出身の純血
閑話休題。
「よし、じゃあこうしよう。お前に俺を『エルキュール様』と呼ぶ権利をやる」
「そ、そんな!! 恐れ多いです!!」
「……じゃあ、ベッドの上限定だ。どうだ?」
「ええ! そ、そんな……で、でも……わ、分かりました。じゃあ……二人きりの時は『エルキュール様』とお呼びします」
カロリナは顔を赤くして、小さく頷いた。
怒りは一応、消え去ったようだ。
そして幸いなことに「……単純」というルナリエの呟きも、カロリナの耳に入らなかった。
とりあえず、二人の睨み合いも収まったが……
(早いところ、二人を仲良くさせないと、俺の胃腸に悪いな)
エルキュールは溜息をついた。
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