第2話 好き・嫌い

 「まあまあ、そんなに怒るな。なあ? ルナ」

 「……信じられない。あんなところで接吻するなんて」

 「そういうお前も、後半から嬉しそうだったじゃないか?」

 「……雰囲気に飲まれただけ」


 エルキュールとルナリエは馬に乗り、ハヤスタン王国首都エルシュタットに向かっていた。

 歩兵一個軍団と騎兵三個大隊、弓兵三個大隊、そして捕えた捕虜も一緒だ。


 本来、エルキュールほどの立場の人間は馬車に乗るべきだが……

 エルキュールは「ここは戦場である。それに兵士諸君が歩いているのに、自分だけ馬車に乗るのは忍びない」などと言ってそれを断り、馬に乗ることを選んだ。


 ルナリエもそんなエルキュールに合わせて、馬で並走していた。


 「……そもそも、ルナ・・って何?」

 「愛称」

 「……そんな愛称で呼んでいいと許可した覚えはない」

 「おや、驚いた。皇帝である俺に許可が必要なものがあったのか」


 すると、ルナリエはバツが悪そうに、表情を歪めた。

 目の前の男は止めてくれと言ってもやめない、むしろやめてくれと言えば言うほどやめないであろう。


 ということを今までの経験から学んだルナリエは、『ルナ』という愛称について突っ込むのをやめて、代わりに溜息をついた。


 「ところで、あの若い長耳族エルフの男についてルナは特に思うところはないのか?」

 「好きだった、愛していた」


 と、ルナリエは無表情で言ってから……


 「と、言えば良い?」

 「いや、別にそう言うわけではないが。まあまあ、そんなにツンケンするな。俺の個人的な興味という奴だ」


 ルナリエはエルキュールの答えに、溜息で答えてから……


 「ただの幼馴染……というより、幼い頃に知り合っていた、だけ。そういう人間ならハヤスタン王国には山ほどいる。特に思うところはない」

 「なるほど、では死んでもいいと?」

 「……ハヤスタン王国の不利益になる行動を採る人は嫌い。それが考え無しなら、余計に」


 ルナリエの解答に、エルキュールは肩を竦めた。

 すべてはハヤスタン王国の全体のために。


 ルナリエの考えは終始一貫している。


 ルナリエという人間が愛しているのは、ハヤスタン王国とその国民全体である。

 つまりハヤスタン王国の国民、一人一人に関しては特に情は持っていない。


 ハヤスタン人一人の命で、ハヤスタン人が一万人助かるのであればルナリエは喜んでその一人のハヤスタン人を殺すであろう。


 即ち、最大多数の最大幸福。

 というわけである。


 人命を駒として使い捨てられる。

 という意味では、やはりエルキュールとルナリエは思考がとても似ている。


 どちらも合理主義者であり、そして現実主義者なのだ。


 違いを上げるとするならば……


 エルキュールという人間は基本的に自分と自分に親しい人間を使い捨てにすることはなく、そして最優先が自分と自分の周辺の幸せであるということに比べて、


 ルナリエという人間は自分自身を使い捨ててでも、ハヤスタン王国全体の利益、安全、幸福を最優先するということだろう。


 「ところで、ルナは好みの男性はいるのか?」 

 「ハヤスタン王国の利益になる人。ハヤスタン王国を守ってくれる人」

 「じゃあ、嫌いなタイプは?」

 「ハヤスタン王国の不利益になる人。ハヤスタン王国を守ってくれないばかりか、ハヤスタン王国を危機に貶める人」


 別にそういうことを聞きたかったわけではないが…… 

 と、エルキュールは頭を掻いてから再度尋ねる。


 「では、俺は?」

 「守ってくれる限り、大好き。愛してる」

 「レムリア皇帝ではなく、エルキュールという個人を好きになってくれる気はないか?」

 「……ヤダ」


 エルキュールは何も言わず、肩を竦めた。


 まあ、恋愛というのはどうやって相手を堕とすか……というのも楽しみの一つである。

 

 最初から惚れられるのは、面白くない。

 というのが、エルキュールの考えであった。


 尚、今更ではあるがエルキュールはルナリエのことを女性として好ましく思っていた。

 出会いはあまり良い、と言えるものではないがエルキュールはあまり恨みは引きずらないタイプである。(それをネタに虐めたりするのは別として)


 見た目、容姿も好みであるし、考え方も合う。それにその高い愛国心に対しても、好意的に捉えていた。


 そして何よりも、少々反抗的なところがエルキュールの好みであった。

 具体的には、意地でも敬語は使わないところとか。


 

 「皇帝陛下!! ご報告がございます!!」

 「いちいち馬を下りんでもいい。早く言え」

 「は!! 偵察部隊からの報告でございます! 前方の川の橋が破損し、渡れそうにありません!!」

 「……なるほど、川の水位は?」

 「偵察部隊からの報告に依りますと……」


 偵察部隊からの報告を聞き、エルキュールは溜息をついた。

 とても、渡れそうにない。


 迂回する必要がありそうだ。

 ……が、しかしエルキュールとしては一つ気になることがあった。


 「……確かに三日前にハヤスタン王国で雨が降ったのは事実。しかしそれほどの大雨では無かったはず。……そんな簡単に流されるのか?」


 それともレムリア軍への嫌がらせか……

 

 「そんなにおかしい? 雨が降れば橋は流れるでしょ」

 「いや、普通はそんな簡単に破損することはないと思うが……」


 と、そこで少し気に成って、エルキュールはルナリエに尋ねる。


 「もしかして堤防も壊れる? 去年はどれくらい決壊した?」

 「えっと……」


 ルナリエの答えを聞き、エルキュールは顔を思わず手で覆う。


 「なるほど……よく分かった。そう言えばハヤスタン王国は封建制の国だったな」







 ファールス王国は封建制の国家である。

 その属国であったハヤスタン王国も、ファールス王国に合わせて封建制を採用していた。


 とはいえ、封建制と言っても様々である。

 ヨーロッパ、中国でも同じ封建制でも全く別物であるし、そもそも国や時代によってその内情は大きく異なる。

 それらを全て乱暴に『封建制』とまとめて語るのは聊か強引である。


 よってエルキュールは封建制の国家を、大別して二種類に分けていた。

 

 江戸幕府型と室町幕府型である。


 江戸幕府のように国の大部分の領地を押さえ、重要な土地を支配し、鉱山を押さえ、貨幣発行権も持ち、宗教勢力すらも屈服させた、他の諸侯と比べてずば抜けた強大な軍事力を有するリーダー、または王が存在すれば……

 その『封建制』は非常に強固で、安定的なモノになるだろう。


 逆に室町幕府のように、リーダー、または王の力が他の諸侯と比べてどんぐりの背比べ……場合によっては諸侯以下であれば……

 その『封建制』は非常に脆く、不安定なモノになるだろう。


 そしてファールス王国は間違いなく、江戸幕府型の『封建制』国家である。


 故にファールス王国は強大な軍事大国として、中央集権国家であるレムリアを圧倒する力を有している。


 では、ハヤスタン王国はというと……

 紛れもなく、室町幕府型の『封建制』の国家であった。


 こういう室町幕府型の封建制には様々な欠点がある。

 例えば諸侯が勝手に戦争を始めたり、外敵を相手に一致団結できなかったり……


 と様々だが、まあこれについては武装が禁じられていたハヤスタン王国にはさほど関係ない話である。(まあ、これから自主防衛しなくてはならない関係上、そうとも言えないが)


 では関係がある話というと……

 例えば、治水である。


 政治の『治』は治水の『治』であり、国も『治める』ものであり、そして水も『治める』ものである。

 国とは治水をするために誕生したと言っても過言ではない。


 黄河流域、ナイル川流域、メソポタミア地域で強大な国家が誕生したのは治水をするためである、と言っても間違いは無いだろう。


 というのも治水というのは、実施者にそれなりの権力がなければ行うことはできないからだ。


 まず第一に、財力が無ければ相応の労働力を集められない。

 中途半端な治水では、すぐに川が決壊するのは目に見えているであろう。


 第二に、関係者を説得できるだけの力、指導力がなければならない。

 というのも、治水工事のうちには川の流れを変えたり、分水したりする大きな土木工事が含まれていて、場合によっては地域経済に大きな影響を及ぼすのである。


 万人が納得できる方法など、存在するわけないので……

 最後には国家権力で一刀両断して、決めなくてはならない。


 そうしなければ効果的な治水工事はできないのだ。


 それ以外にも、中央の力が弱いと様々な公共事業に支障をきたす。


 と、まあ早い話……


 ハヤスタン王国のアルシャーク家には『治水』をまともにするだけの、力が無いということである。


 

 



 「しかし、金が無いにも程があるな。金さえあれば、俺が後ろ盾で治水工事を断行できたが……」


 ハヤスタン王国首都エルシュタットに戻ったエルキュールは、エルシュタット城の書庫でアルシャーク家の行政資料を読み、溜息をついていた。

 ハヤスタン王国に於ける、アルシャーク家の支配する土地が少なすぎるのだ。


 「と言われても、無いモノは無い」

 「だからと言って、放っておくわけにはいかない。……ルナリエ、徴税に関する資料はあるか?」

 「ある」


 エルキュールに命じられて、ルナリエはすぐに行政資料を持ってくる。

 ハヤスタン王国の税制について詳しく書かれた資料で、非常によく纏められていた。


 「読みやすいな。この資料を作った奴は優秀だな」

 「それほどでも」

 「……纏めたの、お前なのか」


 自慢げに胸を張るルナリエを、エルキュールは値踏みするように見る。


 (……こいつにあれを任せても良いかもな)


 これまでの付き合いで、ルナリエの交渉力や情報処理能力が高いのはよく分かっている。

 後はどれだけ信頼できるか、だろう。


 (まあ、今は良いか)


 エルキュールはルナリエのことは頭の隅に追いやり、資料を読み込む。

 

 「はあ……これは本格的に大改革をしなければならなそうだな」


 エルキュールは頭を掻いた。

 ハヤスタン王国にある程度の自主防衛をさせるのであれば、封建制よりも中央集権制の方が都合が良い。

 その方が、エルキュールも管理できる。


 それに税制もレムリアと同じにした方が分かりやすい。


 ……が、それをやるにはかなりの時間と労力が必要なのは目に見えており、エルキュールはレムリア帝国の内政で手一杯なので、そんなことをやっている暇は無かった。


 「内部改革に関しては親レムリア派のハヤスタン人に時間を掛けてやらせるしかないか。まあ、ファールスとは十年の不可侵条約を結んだし、いくらなんでも五年間は守るだろう」


 歴史上、不可侵条約というものが最後まで守られたケースは滅多に無いが……

 それでも最初のうちは一定の機能を保つ。


 それまでにハヤスタン王国の国家体制を変えて、常備軍を組織させればいい。


 と、それはそれとして……


 「取り敢えず、金を貸してやる。それで治水や橋の修繕をして貰う。技師はレムリアから派遣しよう」

 「……本当に良いの?」

 「雨が降るたびに橋が流され、川に決壊されちゃ、かなわんよ。その代り、ハヤスタン王には早急な改革を要求するが」


 金は二十年後を目安に返してくれればいい。

 と、エルキュールが言うとルナリエはエルキュールに抱き付いた。

 

 「さすが、陛下。貢納金を絞ることしか考えないファールスとは違う。大好き、愛してる」

 「そいつはありがとう」

 「ついでに『貸す』じゃなくて、『あげる』と言ってくれたらもっと大好きになっちゃう」

 「それはダメだ」

 「じゃあ、嫌い」


 ルナリエはエルキュールから体を放す。

 エルキュールは無言で肩を竦めた。

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