幕間

第1話 その男の名は

 戦争終結から数か月、未だにレムリア帝国が戦勝気分に浮かれているころ、ファールス王国の宮殿は静まり返っていた。


 ただ、一人の男の靴音だけが響く。

 

 黄金色の髪、翡翠色の瞳。端正な顔立ち。そして長い耳。


 年は人間でいうところの、三十歳前半。

 長耳族エルフであることを考慮すると、百をようやく超えた程度であろう。


 服の上からでも、その鍛えられた筋肉がよく分かり、それを裏付けるように腰から重そうなロングソードを下げている。


 男はゆっくりと、頭を下げる群臣たちの間を通り、そしてどっしりと玉座に座った。


 「面を上げよ」


 男、ファールス王の声が静まり返った宮殿に響く。

 ファールス王は無表情で、そして群臣たちは恐怖で顔を引き攣らせていた。


 「ヤズデギルド」


 ファールス王に名前を呼ばれ、ヤズデギルドは体を震わせた。

 ファールス王は静かに命じる。


 「こちらに来い」

 「……はい、父上」


 ヤズデギルドはゆっくりと立ち上がり、震える足を必死に動かしてファールス王の下に跪く。


 「何か、弁明はあるか?」

 「ち、父上!」


 ヤズデギルドは声を荒げる。


 「私はレムリアと最後まで戦おうとしました!! しかしシャーヒーンが私を幽閉し、屈辱的な講和を結んだのです!! 全てはシャーヒーンの……」


 ヤズデギルドは最後まで言う事が出来なかった。

 ファールス王に首を掴まれたからだ。


 「このバカ息子が!!!」


 ファールス王はヤズデギルドを力の限り投げつける。

 ヤズデギルドの体がボールのように飛び、壁に強く叩きつけられた。


 「ち、ちちう……」

 「二度と私のことを父と呼ぶな!! ……素直に謝れば許したものを!!」


 ヤズデギルドが絶望の表情を浮かべる。

 そんなヤズデギルドを無視して、ファールス王は二人の男を呼ぶ。


 「カワード、シャーヒーン」

 「「は!!」」


 カワードと、シャーヒーンはファールス王の命令に従い、玉座の前に進み出て跪く。

 なお、カワードはレムリア帝国から三日前に解放されたばかりだ。


 「カワード、お前には私がシンディラに行っている間の留守と子守りを任せたはずだ」

 「はい……申し訳ございません。ヤズデギルド殿下をお止めすることが出来ませんでした。全ては私の責任です」

 「ああ、そうだ……よく分かっているな。相応の罰を受けてもらうぞ?」

 「……はい、覚悟しております」


 次にファールス王はシャーヒーンに視線を移す。


 「シャーヒーン、お前にはハヤスタン王国の守りを任せたはずだ」

 「はい……レムリアとの戦争が決まった以上、勝利を得るには相応の戦力が必要だと考え、カワード殿に兵を貸し与えました。……しかし、レムリアの皇帝に裏を掻かれ、手薄のハヤスタン王国を奇襲されました。……全ては私の判断ミスです。陛下」

 「その通りだ、お前の責任だ」


 そしてファールス王は二人に裁きを下す。


 「カワード、シャーヒーン。お前たちの持つ、全ての領土を没収する。また、財産も接収して此度の戦争での被害の補填とする」

 「……はい」

 「そして縛り首に……と言いたいところだが」


 ファールス王はそこで、言葉を切り、鼻を鳴らす。


 「全ての責任をお前たちに着せる、というわけにはいかない」


 ファールス王は淡々と、カワードとシャーヒーン、そして群臣たちに言い聞かせるように言う。


 「全ての家臣が反対すれば、此度の件は防げた。責任は重いが、全責任がお前たちにあるわけではない。武官、文官……ヤズデギルドを止めることができた者たちはお前たち以外にもいた」


 そう言って、群臣たちを睨みつける。

 一部……ヤズデギルドを裏で焚きつけた家臣たちは冷や汗を浮かべる。


 「また、私の判断ミスでもある。ヤズデギルドのオツムがここまで弱いとは、思っていなかった。それに……ハドリアヌスの後継者がここまで優秀だとは、予想していなかった。ヤズデギルドが馬鹿をやらかさなくても、レムリアの皇帝が攻めてくるのは時間の問題であった、かもしれない」


 そしてファールス王はカワードとシャーヒーンを見下ろす。


 「お前たち二人が優秀な将であることは、私が誰よりも知っている。お前たち二人が敗北したのはお前たちの実力不足ではなく、敵が優秀だったからだ。それにお前たちは今まで私に仕え、勝利を幾度も齎してくれた。その功績を無視し、たった一度の失敗を咎めるわけにはいかない。故に……」


 ファールス王は最終的な結論を下す。


 「お前たちへの刑は一時保留とする。また将軍の地位もこれまで通りだ。……次のレムリアとの戦で、レムリアを打ち破れ。その時は没収した領土をお前たちに返還しよう」


 判決を聞いたカワードとシャーヒーンは静かに泣いていた。

 涙を流しながら、二人は自分の主人に答える。


 「寛大な御処分、ありがとうございます……」

 「……必ずや、陛下のご期待に応え、レムリアを打ち破って見せます」


 二人の家臣の言葉を聞き、ファールス王は満足気に頷く。


 「よろしい……必ず、忠義に答えろ」







 「国王陛下、どうされましたか?」

 「よく来てくれた、ベフナム」


 その後、全ての武官、文官に裁きを下した後にファールス王は自室に一人の老人を呼び出した。

 二百三十歳を超える、この老人の名前はベフナム。

 

 先代国王の時代から仕える、ファールス王国の最高位の将軍兼、宰相である。

 

 ファールス王の右腕的存在であり……『杖』の二つ名を持つ。


 「こいつを読んで欲しい」

 「これは一体?」

 「新たなレムリア皇帝の政策、そして此度の戦争での様々な行動を記録した報告書だ。率直な感想を聞かせてくれ」

 「なるほど……少々お時間を頂きます」


 そう言ってから、ベフナムは分厚い報告書を読んでいく。

 じっくり一時間掛けて、ベフナムが読み終わると再びファールス王は尋ねる。


 「どう思う?」

 「敵に回すと厄介な男ですな」


 ベフナムは答えた。

 そして……己が感じた、レムリア皇帝の人物像に関して述べる。


 「革新的な思想を持ち、その上それを実行する行動力、知性、指揮能力を持っているようですな。かといって全てを変えるわけではなく……現状維持が良いと判断したものはそのまま維持する、保守的なところもある。そして弾圧するだけではなく、時には妥協を見せたり……非常に柔軟性に富んだ人物のようですな」


 「同意見だ。宗教改革や財政改革などはまさに政策の大転換と言える。だが、先代皇帝の政策を全て否定するわけでもなく、引き継いでいる部分も大きい。現状を正確に見抜き、対応する能力に長けていると見える。そして……目的のためならば、手段を選ばない」


 二人は新しいレムリア皇帝の能力を高く評価する。


 一方で……


 「しかしこの男、かなり虚栄心が強いと見えますな。その上、自分本位で我儘。他人のことなど一切考えない……いや、考えた上で自分の都合で平気で踏みつぶす、そんな男ですな」


 「我が国領内の軍事活動でも、如実に現れている。略奪を控えているのは自分の評判を守るためであり、そして軍事行動を円滑に行うための合理的な判断に過ぎない。事実、一部の地域では武力を背景に強引に物資を徴発したり、聖火教の神殿を破壊して財貨を盗んだり……お世辞にも善人と言えるような男ではない。全ては己の都合、気分、評判のため」


 二人は新レムリア皇帝の人格、性格を扱き下ろした。

 しかし……


 「だが、貴族、聖職者、平民問わず広く支持されている、ようですな」

 「人の心を機敏に察する能力に長けていると見える。人の心をよく理解する能力と、人の心を平気で踏み躙ることができる性格、そして合理性が合わさった結果が、レムリア皇帝の高い能力の柱なのだろうな」


 人の心が分からない君主は、如何に合理的、そして残忍なことができてもいつか臣民に背かれる。


 人の心を踏み躙れない君主は、如何に合理的で、人の心を理解していても、その優しさ故に『正しい』ことができない。


 合理性に欠ける君主は、如何に残忍で、人の心を理解できても、活かしきることができない。


 「その上、肝も据わっていると見えますな。あれだけの改革、よほど図太い精神か自信が無ければ、とてもではないができないでしょう」

 「カワードを背中から撃ったのも、あのレムリア皇帝と聞いている。その話が本当ならば、自ら戦争の最前線に立つだけの勇猛さがある、ということなのだろうな」


 獅子のような勇猛さと、狐のような狡猾さを兼ね備えた男。

 というのが、二人のレムリア皇帝への評価だった。


 「しかし……私は一人、このレムリア皇帝に似た男を知っておりますぞ」

 「うん? 誰の事だ?」

 「陛下です。我らが偉大なる国王陛下」


 ベフナムにそう言われ、ファールス王は苦笑いを浮かべた。

 そして静かに立ち上がる。


 「厄介な敵だ。しかし、如何なる敵も弱点はある。そしてこの私に今まで、打ち倒せなかった敵はいない」


 ファールス王はレムリア帝国のある方向を睨みつける。


 「レムリア皇帝、エルキュールよ。今は勝利の美酒に酔っていると良い……必ずや、貴様を打ち破ってみせよう」





 ファールス王国の最盛期を現出させた、偉大なる国王。

 中世初期に於ける、三人の偉大な君主の一人にして、この時代の三人の主人公の一人。


 レムリアに三度、黒突に五度、シンディラで七度。

 幾度も戦で勝利を上げた偉大な将軍でもあり、


 そして官僚制を整備し、国王の権力を最大限に高め、諸侯の力を削り、治水事業を行って農業生産力を飛躍的に向上させた偉大な政治家でもあり、


 様々な芸術を保護した文化人でもあり、


 そして八人の偉大な将軍を従えた、名君である。


 その偉大なる名君の名はササン。


 世界の征服者、『太陽王』ササン八世である。


 以後、千年未来先まで語り継がれるファールス人の大英雄であり……


 三大陸の覇者、『聖光帝』エルキュール一世の終生の好敵手ライバルの一人である。







 「そう言えば、いつもは私を出迎えてくれる可愛い娘が見当たらないのだが……いったい、いつ来てくれるのだろうか? それとも、メシア教徒弾圧の件でまだ怒っているのか?」


 ササン八世はベフナムに、シンディラ遠征の前に喧嘩別れした可愛い娘について尋ねる。

 ササン八世が何だかんだで一番可愛がり、甘やかしている娘だが……


 「……それについてなのですが、実は……」


 ベフナムの報告を聞き、ササン八世は怒りで顔を真っ赤にして怒鳴った。


 「あのバカ娘が!!!!! 探せ!! 百叩き……いや、千叩きにしてくれる!!!」

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