第26話 和平交渉 後

 時はほんの少しほど、遡る。








 「シャーヒーン!! き、貴様!! なぜ負けた!!!」


 「……申し訳ありません、殿下」




 シャーヒーンはヤズデギルドに対して、頭を深々と下げる。


 ヤズデギルドは顔を真っ赤にして、尚も怒鳴り散らす。




 「カワードはどうした!!」


 「……カワード殿はレムリア軍に捕らえられ、捕虜となっています」


 「あの無能が!! 恥を知れ!!!」




 シャーヒーンやここにはいないカワードに対して、悪口を言い続けるヤズデギルド。


 そんなヤズデギルドに聞こえないように、シャーヒーンは呟く。




 「……小僧が、調子に乗りおって」




 そもそもだが、カワードとシャーヒーンはこの戦争には反対だったのだ。


 現在の状況は、ブルガロン人の甘言に乗ってレムリア帝国と戦端を開いたヤズデギルドが元凶だ。




 結果、ブルガロン人はやはりファールス王国を裏切って早々に講和を結んでしまった。


 そしてファールス王国は単体でレムリア帝国の相手をせざるを得なくなり、大敗北したのだ。




 「シャーヒーン!! 兵を集めて来い!!」


 「……集めて、どうされるおつもりですか?」


 「レムリア皇帝と戦うに決まっているだろう!!」




 シャーヒーンは溜息を付いた。




 「……勝てるおつもりですか? 歩兵は壊滅的打撃を受けており、王都の防衛すら危うい。騎兵も少なくない損害を受けている。何より、カワード殿が捕えられてまともな指揮官が不在。これで勝てるのであれば、先の戦いで我々は圧勝しております」




 シャーヒーンは暗にヤズデギルドに講和を勧める。




 「……お前は俺に指揮が出来ないと言うのか?」


 「出来ない、とは決して申し上げません。ですが、国王陛下ならば間違いなくこの状態ならば講和のテーブルに着くかと」


 「父上は関係ないだろ!!!」




 ヤズギルドは声を荒上げる。




 常勝無敗とまで言われ、名君と名高いササン八世と比べてヤズギルドは凡庸な人間だ。


 その所為で……父親に対して強いコンプレックスを抱えていた。




 王位継承権争いも、欲しいのは王位ではない。


 父親から、ただ認めて欲しいだけだ。




 今回の戦争も……


 勝って領土を獲得すれば、認めてもらえると思って起こしたのだ。




 しかし……


 どちらかと言えば『ササン八世側』の人間であるシャーヒーンは、凡庸なヤズギルドの気持ちが全く理解できていなかった。




 「では、殿下。お聞かせ願えますか? まずどこからどれだけ兵を集めろと? 農民を無理矢理徴兵しますか? しかし訓練もまともに終えていない農民がどれだけ戦えるか、怪しいところでしょう。騎兵はどうされるおつもりで? まさか、予備役まで動員されるおつもりですか? それに……どのような戦術で勝利されるおつもりで? 少なくとも私には見当も付きません」




 「そ、それは……」




 シャーヒーンの問いに、ヤズギルドは声を詰まらせる。


 理屈の上ではシャーヒーンが圧倒的に正しい。




 しかし…… 


 これは失敗であった。




 もしヤズギルドがエルキュールに勝てる、巻き返せると思った上で「まだ戦う」と言っているのであれば、この説得は成功した。




 しかし……


 ヤズギルドの動機は極めて、感情的なモノであった。




 感情的な人間を理屈で説得しようとしても無駄、いや……火に油を注ぐことになる。




 「ええい!! 五月蠅い!! とにかく、俺は奴を倒す!! 兵を掻き集めて来い!!」


 「なりません!! 殿下!!」


 「黙れ!! では、お前は来なくていい!! 俺一人でやる。貴様のような臆病者は要らん!!」




 シャーヒーンは深い溜息を付き、そして立ち上がった。




 「な、何だ……」




 ヤズギルドはシャーヒーンの権幕に押され、後ずさる。


 シャーヒーンは大きな声で叫んだ。




 「大変だ!! 殿下がご乱心なされた!! 自ら敗戦の責任を負って、自刎じふんするとおっしゃっている!! お止めしろ!!」




 そう言って、シャーヒーンはヤズデギルドに飛びかかった。


 ヤズデギルドは叫ぶ。




 「な、何をする!! 誰か、この不忠モノを捕えろ!!」




 ヤズデギルドが叫ぶと、将軍、官僚、兵士や召使たちが二人の周りに集まる。


 そして……




 「ま、待て!! やめろ!! 俺は気が触れてなどいない!!」


 「気が触れている方は、皆そう仰います!!」


 「殿下!! お気を確かに!!」




 あっという間にヤズデギルドは連れてかれてしまう。


 この後、ヤズデギルドはシャーヒーンを含む将軍、官僚たちの手筈通り・・・・自室に軟禁されることになっている。




 「はあ……ひとまず、これで王都が落ちることはないか」




 シャーヒーンは溜息をついた。


 そして……


 講和の準備に取り掛かった。












 「これはこれは、皆さま。初めまして、の方もいらっしゃいますが、お久しぶりの方もいらっしゃいますね。では、名乗らせて頂きます。レムリア帝国、皇帝陛下の名代として遣わされました。トドリス・トドリアヌスと申します。お見知りおきを」




 人の良さそうな笑みを浮かべ、トドリスはファールス王国の群臣たちに向かって軽く一礼した。




 本来ならば、敗戦側であるファールスがエルキュールの元に行くのが筋。


 しかし今回、エルキュールは逆にトドリスを派遣した。




 エルキュールがファールス王国を尊重しているから……


 というのが表向きの理由であり、本当の理由はファールス王国内の内部調査であった。




 「はてさて、しかし困りましたなあ」




 トドリスは額に手を当て、眺めるような仕草で周囲を見渡す。


 トドリスが動くたびに、太ったお腹が揺れて中々コミカルだ。




 トドリスの動きはまるで道化のようで、周囲の油断を誘う。


 ……が、しかし彼の目は鋭かった。




 「ヤズギルド殿下はどこにいらっしゃるのでしょうか? それとも……今はあなたがヤズギルド殿下ですかな?」




 トドリスは鋭い眼光でシャーヒーンを射貫く。


 シャーヒーンは額に汗を浮かべながら、答える。




 「ヤズギルド殿下はご乱心なされた。……ヤズギルド殿下が御病気の時でも、国王陛下の代わりにある程度の外交交渉をする許可を我々は得ている。……御安心なされよ」




 「ほうほう、なるほどなるほど……クーデターでも起きましたかな?」




 一瞬、空気が凍り付く。


 トドリスはその凍り付いた空気を、正面からハンマーで破壊するように笑い声を立てた。




 「わははは!! 冗談、冗談ですよ!!」




 そう言って、トドリスはポンとお腹を叩く。


 プルン、とお腹が揺れた。




 そして……




 「では、早速始めましょうか」


 ニヤリ、とトドリスは笑みを浮かべた。












 トドリス・トドリアヌス。


 先帝ハドリアヌスの時代から、レムリア帝国の外交を一手に引き受けてきた男である。




 様々な言語に秀でており、そして世界中に人脈を持っている。


 そして何より……


 その外見から想像できないほどの、弁舌の才を持つ男。




 ハドリアヌス帝の時代に、レムリア帝国があの程度の領土の失陥で済んだのはトドリスの成果であった。




 『百舌』のトドリス。




 そんな男がシャーヒーンの前に現れた。


 シャーヒーンは全身から流れる汗を止めることが出来ない。




 シャーヒーンはそもそも軍人畑の人間であり、外交交渉などは畑違い。


 故にファールス王国の外務長官とトドリスの戦いを見守るしかないが……




 しかし面と向かい合ってないのにも関わらず、この気迫、空気。




 それだけでトドリスという男が、『外交』という戦場で厄介なのか、よく分かる。




 「では、まず私から条件を言いましょう……




 一つ、ファールス王国はハヤスタン王国の保護権を未来永劫放棄する。


 二つ、レムリア帝国のハヤスタン王国の保護国化を承認する。


 三つ、レムリア帝国からのファールス王国への毎年の貢納金を撤廃する。


 四つ、アルシニア州をレムリア帝国に割譲する。


 五つ、フラート河以西の全領土をレムリア帝国に割譲する。


 六つ、先の戦争(ハドリアヌス帝時代の戦争のこと)に於いて、ファールス王国が捕えたレムリア帝国の兵士、そして略奪した国宝、軍旗を返却する。


 七つ、十年間の相互不可侵。その後一年ごと、どちらかが破棄しない限り更新。




 以上でどうですか?」




 「無茶苦茶だ!! そのような条約、飲めるはずがないでしょう!!」


 「おやおや、随分と強気ですねえ。……では、陛下ともう一戦交えますか?」




 外務長官は声を詰まらせる。


 すると、トドリスは柔らかい笑みを浮かべた。




 「ご安心を。これも冗談です。ええ、あなた方の面子もあるでしょう。私も陛下も、そこまで鬼ではございませんよ」




 そう言ってから、トドリスは指を二本示した。




 「四つ目と、五つ目に関しては多少譲歩して差し上げても構いません」




 トドリスの言葉に、思わずシャーヒーンは口を出してしまう。




 「戦争を続けて、王都の守りを突破するおつもりか? レムリアの皇帝陛下は。随分と自信家ですな」


 「おやおや……では、私からもこう言いましょう。北の守りは大丈夫ですかな?」


 「そ、それは……」




 シャーヒーンは口籠ってしまう。




 ファールス王国の北方には、黒突コーツ族という騎馬遊牧民の大帝国が存在する。


 ブルガロン王国以上の大騎馬遊牧国家であり、その総兵力は十万以上。


 無論、全て騎兵だ。




 ササン八世も、この黒突族には手を焼いていた。




 そして……


 敵の敵は味方、ということもありレムリア帝国と黒突は国交があり、友好的な関係を築いていた。




 「黒突とは不可侵条約を結んでいる。貴国に心配されるいわれはございません」




 外務長官がトドリスに反論すると、トドリスは驚いたように声を上げた。




 「おや? 我が国と貴国も不可侵条約を結んでいたはずですが?」




 これには外務長官も口を噤むしかない。今回の戦争、非はファールス王国にあるのだから。




 ちなみに……


 トドリスが黒突を話題に出したのは、ファールス王国が不可侵条約を一方的に破棄したことを、攻めるためでもある。


 トドリスは常に、計算して口を開いている。




 「まあ、過ぎたことは良いでしょう。では……問題は四つ目と五つ目、どうしても受け入れられないと、仰いますか?」


 「……あまりにも過大な要求です。我々は確かに敗北したが、まだまだ戦える。領土を割譲するわけにはいきませんな」


 「ふむ……では、妥協案を出しましょう」




 そう言って、トドリスは笑顔を浮かべた。




 「フラート河以西の領土の要求は取り下げましょう。その代り、アルシニア州を割譲して頂きましょう」




 アルシニア州はハヤスタン王国の南にあり、フラート河とダジュラ河に挟まれた、肥沃な土地だ。


 そして……何より、両河の上流である。




 河の上流を押さえられるのは、地政学的に不味い。


 船で下ることで、あっという間に王都圏に攻め込むことが出来てしまう。




 「そ、それは……認められない」


 「では、逆にしましょう。アルシニア州は諦めましょう。その代り、フラート河以西の領土を頂きます」


 「それも不可能です」




 外務長官がそう言い返すと、突如トドリスは顔を真っ赤にした。




 「ふざけるな!!!」




 トドリスの声がファールス王国の宮殿中に響き渡る。


 思わず、外務長官やシャーヒーンは体を竦めた。




 穏やかな表情でニコニコ笑っていた人間が、突如激昂したのだから、驚くのは無理もない。




 トドリスは怒鳴り声を上げる。




 「こちらが譲歩すれば良い気に成って!! そもそも、この戦争を始めたのはどこの誰だ? 貴国が一方的に和平を破って来たのが原因!! 少しもファールスは誠意を見せるつもりはないのか!!」




 外務長官は慌てて、取り繕う。




 「お、落ち着いてください、トドリス殿!!」


 「これが落ち着いていられるか!!」




 トドリスは強く、外務長官を睨みつける。 


 外務長官は何とか、トドリスを宥めようとする。




 現状で戦争を再開すれば、王都が落ちることはなくともファールス王国の王都圏は甚大な被害を受ける。


 灌漑設備を破壊されるだけでも、ファールス王国の農業基盤は壊滅し、暫く立ち直れなくなってしまう。




 それに……


 黒突族の動向も無視できない。




 「で、ではこうしましょう!! 賠償金で手を打ちませんか? 相応の額を支払いましょう!!」


 「……賠償金? 金で解決するおつもりで?」




 トドリスが睨みつけると、外務長官は思わずたじろいだ。


 トドリスは溜息を付く。




 「はあ、仕方がありませんね。では、賠償金で手を打ちましょう」




 そう言って、トドリスはアルシニア州及びフラート河以西の領土分の金額を請求した。


 その額は……




 「た、高すぎる!!」


 「……また文句ですか?」




 トドリスが軽く睨むと、外務長官は首を横に振った。




 「と、とんでもない……、で、ですが……この額を一括払いにするのは……せめて分割払いに……」


 「いえ、一括払いです。踏み倒されたら、困るので。ええ、もう約束を破られるのは御免ですから」




 そう言われると、もはや何も外務長官は言い返せなかった。




 斯くして両国の間には平和条約が締結され……


 一時の平和が訪れたのだった。








 ちなみに……


 エルキュールがトドリスに命じたのは、




 「最低限ハヤスタン王国の保護国化と、五年以上の不可侵条約の締結。あと、出来れば賠償金をせしめて来い。領土は統治が面倒だから、要らない。どうせ、反乱が起こるし、奪い返される。それに新たな戦争の火種になりかねない」




 というものであり、トドリスが外交的な大勝利を上げたことをここに記しておく。

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