第25話 和平交渉 前

 戦いの後、レムリア軍はさらに南に三日進軍し、アルシニア州の州都を占領した。


 すでにファールス王国軍の敗北が伝わっていたこともあり、街は無抵抗でエルキュールに対して城門を開いた。




 結果、エルキュールは無傷で街に入ることが出来たのだ。




 入城後、エルキュールは改めて兵士たちに強く略奪や強姦を禁じた後に、兵士たちに小遣いを支払った。


 臨時ボーナスを貰った兵士たちは、街の娼館だったり、故郷の家族へのお土産、そして久しぶりにまともに食べられる美味しい食事を手に入れるために、喜び勇んで街に繰り出した。




 なお、この金はエルキュールの財布から出たものではない。


 アルシニア州の州都の総督府の金庫から取り出された金である。




 まあ、今はエルキュールのモノなのでエルキュールの財布から出た、と言えなくもないのだが。




 そして兵士たちが遊んでいる間に、エルキュールは街の有力者や商人たちに命じて出来るだけ新鮮な食糧、秣、そして薪を集めさせた。




 可能な限り、兵士たちに新鮮で暖かい食事を与えるためである。




 また、今までの行軍で現地調達で賄いきれなかった分を補うために、持ち込んでいた食糧を少なからず―具体的には五日分ほど―消費していたため、新たに四日分の食糧を掻き集めて、輜重部隊の荷馬車に乗せた。




 そしてその後は……












 「しかし、この後どうするか……なあ? カロリナ、聞いてるか?」


 「うぅ……い、今はそれどころじゃ……」




 エルキュールとカロリナはお互い、半裸で寝具の上にいた。


 澄ました顔のエルキュールとは対照的に、カロリナは顔を赤くし、白い素肌に汗を浮かべ、息も絶え絶えだ。




 「……もう少し、加減してください。死んじゃいますよ……」


 「すまんすまん……久しぶりだから、少し加減を忘れていてな」




 一週間以上も禁欲生活をしていたエルキュールのそれ・・は、まあ凄いモノだった。


 何がって?


 それは想像にお任せする。




 「ところで……私とどっちが良かったですか?」


 「……どっち?」


 「あの、売女です」


 「ああ、ルナリエか。無論、君さ。比べ物にならないよ」




 このような質問をされた時には迷わず「君が一番さ!」と答えるのが正解である。


 少しでも迷ったら、嫌われる。


 例え、嘘でも一番だと言うのが正しい。




 ちなみにエルキュールは割と雑食の方なので、その日の気分で女性の好みが変わる。


 そういう意味では「(今日の今、この時では)君が一番」と答えるのは決して嘘にならない。




 「……そうですか、なら良いです」




 カロリナは納得したように、満足気な表情を浮かべる。




 無論、カロリナもエルキュールとの付き合いが長いため、このような質問をした場合エルキュールが嘘八百を言っている可能性も、当然理解している。




 が、エルキュールの脳味噌を割ってみない限り真偽は分からない。




 ならばエルキュールの口から出た言葉を真実だと受け取るのが、利口というものだ。




 「それで、どうするか? というのは?」




 「うん、取り敢えずファールス王国首都のヤズデギルドに講和の使者を送ったんだけどね。果たして交渉のテーブルに着いてくれるか、心配なところがあってね」




 「あれだけ大敗したんですよ? 講和を結ばないという選択肢はないと思いますが……」




 「負けを認めれば、彼の王位継承は不可能になる。そればかりか、父親からどんな叱責が来るか分かったものじゃないからね」




 最悪、首が物理的に宙に舞うかもしれない。


 少なくともお尻ペンペンで済まないのは明白だろう。




 「まあ、講和するにせよ戦争を続行するにせよ……いつまでもここに留まるわけにはいかない。この辺りの食糧を喰い尽すのも時間の問題だしな」




 軍隊とは回遊魚のようなもので、止まると死んでしまうのだ。


 常に歩きながら、食い続けなければならない。




 それに……敵の反撃を許す前に攻撃しなくてはならない。




 「まあ……ヤズデギルドが講和に応じない。というのであれば、したくなるようにすればいいだけの話だ」








 翌日、エルキュールは一人の男の元を訪れていた。


 エルキュールが後ろから矢で射貫いた男……カワードである。




 「調子はどうかね? カワード殿」


 「これは……レムリアの皇帝陛下。ありがとうございます……」




 カワードは複雑な顔で、エルキュールを出迎えた。




 自分を打ち破り、後ろから矢で射貫いた難い相手。


 しかし治療を施してくれた、恩人でもあるし、何よりエルキュールのような将軍には敬意を表しなくてはならない。




 という相反する気持ちに、挟まれているようであった。




 「実はカワード殿、あなたに一つ、提案がある」


 「……提案、ですか?」


 「私の部下にならないかね?」




 エルキュールはそう言って、カワードに手を差し伸べた。


 カワードは呆気に取られる。




 「……私は聖火教徒ですよ?」


 「だからといって、君が優秀な将軍であることに変わりない。私は君を高く評価している。是非、私の部下になり、私と共に戦って欲しい。……このままではファールス王国に居場所はないだろう?」




 エルキュールの提案に、カワードは顔を綻ばせた。




 「……あなたのような君主に高く評価していただくとは、光栄の至りです」


 「では……」


 「ですが、我が主君はササン八世、ただ一人です」




 カワードはエルキュールを真っ直ぐ見つめ、言い切った。




 「殺されるかもしれないぞ?」


 「祖国を、主君を裏切るくらいならば、主君の手で殺されたいと思います」




 迷いのない、カワードの答えを聞いたエルキュールは深い溜息をついた。




 「残念だね、それは……まあ、良いだろう。君を解放するか、しないかはどちらにせよ身代金と和平交渉次第だ。……気が変わったら、いつでも申し出てくれ」


 「ご心配なく」




 カワードはベットの上から、エルキュールに一礼した。


 エルキュールは肩を竦めてから、その場を立ち去った。










 五日間街に滞在した後に、エルキュールはダジュラ河を沿うように十日間ほど進軍を続けた。




 エルキュールが河沿いを行軍しているのには二つほど、理由がある。




 一つ目の理由として、ダジュラ河がファールス王国の穀倉地帯であるから、というものがある。


 ダジュラ河周辺は農耕文明発祥の地であり、かつて多くの古代文明が勃興した場所でもある。


 そのため土地はとても肥えていて、食糧も豊かだ。




 つまり食糧には全く困らない。




 二つ目の理由は、ダジュラ河の水運を利用出来るというものがある。


 ダジュラ河のような大河周辺は、河川を利用した水運が盛んだ。




 そのシステムを乗っ取る形で、多くの食糧や秣を輸送できる。


 兵站の負担がかなり軽くなる。




 まあ、つまり兵站のためであった。




 


 「いやはや、最近飯が上手くて良いね」




 エルキュールはチーズが溶けたスープの中に、堅パンを突っ込み、柔らかくして口に運ぶ。


 エルキュールが普段、宮殿で食べている食事に比べればずっと貧相だが……


 ここ暫くの食事の中ではかなり良質のモノであった。




 「……これが美味しいと感じる自分が悲しい」


 「戦争が終わるまでの辛抱だ。我慢しろ」




 エルキュールは不満顔のルナリエを諌める。


 レムリア軍は一兵卒から士官、将校、皇帝、他国の姫であろうとも同じ食事内容である。




 「パンの堅さ、なんとかならないの? 陛下」


 「なるなら苦労はしない」




 堅いパン、と聞くと大概の日本人はおそらくフランスパンのようなパンを思い浮かべるだろうが……


 あれはこの世界の基準では『柔らかい』パンである。




 南極ではバナナで釘が打てると言うが、この世界の軍隊ではパンで釘が打てる。




 レムリア軍では現在進行形で、日本の乾パンくらい『柔らかい』堅パンを開発中である。


 製造方法を思いついた方は是非、レムリア軍にご連絡ください。




 堅いパンを何とか柔らかくして、咀嚼して飲み込むとエルキュールは干しデーツに手を伸ばす。




 ナツメヤシの果実を乾燥させて、ドライフルーツに加工したものだ。


 この辺り一体では、保存食として盛んに用いられている。




 「やっぱり干し果物は美味いな……うん、これを軍用食レーションの主軸にしよう」




 長期間の遠征のおかげで、エルキュールはいくつか学んだことがある。




 まず第一に専門の輜重部隊の必要性である。


 本国から食糧を調達し、ピストン輸送するのはどう考えても不可能だが……




 やはり現地で食糧を掻き集めることに特化した部隊はある程度必要だと考えていた。




 特に数字に強く、残りの食糧を計算できるような部下をエルキュールは欲していた。




 別に現状でもエルキュールが『とてつもなく』頑張れば、なんとか計算できなくもない。


 が、エルキュールは『とてつもなく』頑張りたくない人なのだ。




 第二に軍用食レーションの開発である。




 缶詰を作ったのは良い。が、問題はその缶詰が重くて嵩張り、それだけに頼ることが出来ないということだ。


 ちなみにエルキュールが今まで食べた食事の中で、携帯性や保存性、栄養、カロリー、食味などを考慮して、順位を付けると……




 第六位:瓶詰……割れる、重いで最悪。


 第五位:缶詰……それでもやっぱり重い。


 第四位:干し肉……ショッパイ、堅い。


 第三位:堅パン…堅過ぎ


 第二位:チーズ……栄養過高い、腐らない、味もそこそこ。


 第一位:干し果物……美味しい、栄養豊富、腐らない。




 となる。




 そんなことを考えつつ、エルキュールがルナリエと話していると……




 「皇帝陛下!! お食事中、失礼致します!! ファールス王国から使者が参っています!!」


 「分かった。食事が終わるまで待っていてくれと伝えてくれ」




 エルキュールはそう答えて、再び食事に集中する。


 ルナリエが尋ねる。




 「良いの?」


 「泣いて謝るのはあっちだ。俺が慌てて駆けつける必要は無い」


 「……でも、講和拒否かもしれないよ?」




 そういうルナリエの問いに、エルキュールは首を横に振って答える。




 「それは無いね」


 「……どうして?」


 「そりゃあ……」




 エルキュールはニヤッと笑みを浮かべた。




 「行く先々でメシア教の聖書をばら撒いて進軍する軍隊に長期間居座られたくないに決まってるからさ」




 ルナリエはジト目でエルキュールを見つめる。


 それに大して、エルキュールは楽しそうに答えた。




 「自分がやられたら嫌なことを他人にやる、それが戦争ってものさ」












 それから食事を終えた後、エルキュールは使者の謁見を許した。




 エルキュールの予想通り、ファールス王国は講和を受け入れたのである。

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