第19話 責任

  


 宴会が終わった後、ルナリエは首を傾げていた。




 「どうして私の色気が通じない?」


 「……あれで誘ってるつもりだったんですか?」




 ヴァハンは呆れた顔を浮かべた。


 確かに、恰好は色っぽかった。それは認めよう。




 だが言動に少しも色気が感じられない。




 「世辞の一つや二つ言ったり、体を触る程度はすると思ったが……それすらせずに、あれで誘惑しているつもりだったとは……我が娘ながら情けない……」




 フラーテス三世は頭を抱える。


 どうして、容姿は美しいのにここまで『女らしさ』に欠けた女性になってしまったのか。




 どこで育て方を間違えたのか、フラーテス三世は溜息をつく。




 まあ、かといってレムリア皇帝がルナリエに惚れて、「彼女をくれ!!」と言われても、それはそれでフラーテス三世としては父親として、悩ましいのだが。




 ……レムリア皇帝以上の優良物件は、ファールス王国の国王か、遥か東方の『絹の国』の天子程度しかいないというツッコミはしてはいけない。




 「ルナリエ、とにかく諦めてくれ……皇帝陛下を刺激したくない」




 フラーテス三世はルナリエの肩を掴み、説得する。




 現在、ハヤスタン王国はレムリア帝国に首を掴まれた状態。


 少しでも機嫌を損ねれば、何をされるのか分からないのだ。




 ルナリエの下手くそな誘惑で、レムリア皇帝のご機嫌を少しでも損ねることになればハヤスタン王国は地図から消滅し、アルシャーク王家は歴史から姿を消すだろう。




 「……分かった」




 ルナリエは不服そうな表情を浮かべながらも、小さく頷いた。
















 「ひ、姫様!! やめましょうよ……」


 「やめない」




 自室に戻った後、ルナリエは召使に命じた。


 これから夜這いするから、風呂湧かせ、香水を用意しろ、ネグリジェ持って来い。




 基本的に召使という生き物は主人に命令された以上、逆らうことはできない。


 召使たちはルナリエを説得しつつも、言われたように準備をする。




 風呂から上がったルナリエは召使が用意した、絹で出来た美しいレースで飾られた青色のネグリジェを着込み、鏡を覗く。




 ネグリジェを着込んだ自分の姿は非常に卑猥で、官能的だった。




 ルナリエは思わず顔を赤くした。




 「姫様、やめましょう。大丈夫です、レムリア皇帝は優しい人です!」


 「証拠は?」


 「あの人の良さそうな顔を見れば分かります」




 Q:どうして優しいと思うの?


 A:イケメンだから。




 おいおい……


 ルナリエは脳内でツッコミを入れた。




 レムリア皇帝がイケメンで、ぶっちゃけ好みのタイプとはいえ、いくらなんでもそれはない。




 「それに……婦女子に暴行しようとした兵士を処刑したそうですよ! 略奪も起きてませんし……」


 「それは彼が善人であることの証明にはならない」




 軍規を徹底するために、無許可に略奪を働いた者を処罰する。


 それは合理的な選択ではあるが、だからといって善意からの行動ではない。




 「そ、それにレムリア皇帝の寝室は兵士に守られていますよ!」




 エルキュールは常に手練れの長耳族エルフの騎士、戦闘訓練を仕込まれた召使、宦官に囲まれている。


 就寝時も当然で……部屋の扉は厳重に守られている。


 もっとも……猜疑心が強い傾向がある独裁者らしく、部屋の中には絶対に武装した人間を入れないが。




 「大丈夫。それは問題無い」




 ルナリエは召使の問いに答えつつ、体に香水を振りかける。




 香水、と言ってもただの香水ではない。


 匂いを嗅いだ人間の官能を刺激する香水……いわゆる媚薬である。




 ハヤスタン王国の特産品の一つで、少しの量で男性が野獣になると、倦怠期の夫婦に人気の商品であった。


 欠点を言うなら、男性に効果が出る前に自分に効果が出てしまうことだろうか?




 「……クラクラする」




 ルナリエは顔を赤らめながら、自分の部屋に向かう。


 そして召使に、ベッドの上に椅子を置くように命じた。




 「……何するんですか?」 


 「いいから」




 召使たちは首を傾げながらも、ルナリエの指示に従う。


 ルナリエは椅子の上に乗り、天井を探り……隠し扉・・・ を開いた。




 そしてそのまま天井裏に忍び込み……




 「行ってくる」




 そう言って扉を閉めた。


 召使たちは顔を見合わせる。




 「「そんなところに抜け道あったんだ……」」




 エルシュタット城はカラクリ屋敷です。












 その後、ルナリエは音を立てないように四つん這いで這いながらレムリア皇帝が寝ている天上の上まで移動した。


 そして慎重に隠し扉を開けて、音を立てないように着地する。




 ゆっくりと、レムリア皇帝のベッドに乗り、レムリア皇帝の上に跨った。


 レムリア皇帝……いや、エルキュールはスヤスヤと心地よさそうに寝息を立てている。




 今まで戦場という緊張状態で寝不足だったこと、そして酒の効果もありエルキュールは完全に眠りこけていた。




 (さて、どうしようか)




 ルナリエは思考を巡らす。


 取り敢えず、エルキュールのところまでは来た。




 この後抱かれるだけである。


 しかしどうやって抱かれれば良いのか分からない。




 起こせば良いのか?


 しかし起こせば追い出されてしまう。


 守る気のない国の姫を抱くほど、この男は愚かではない。




 場合によっては命を狙った、と言われて罪に問われるかもしれない。




 まあ、ルナリエにエルキュールを暗殺する意思は欠片も無いが。


 仮にルナリエがエルキュールにナイフを突き刺せば、次の朝には怒り狂ったレムリア軍がハヤスタン王国を灰にするのは目に見えている。




 こんな人格の皇帝でも、どういうわけか家臣には好かれている。




 「はあ……」




 ルナリエは溜息をついた。


 散々、エルキュールの人格についてクズクズ言っているルナリエだが……




 エルキュールの君主としての能力、カリスマ性に関しては大きく評価していた。




 家臣や兵士たちの顔を見れば分かる。


 誰もが、自信に満ち溢れている。




 誰もエルキュールという人間を、皇帝を疑っていないのだ。




 例え人格がイマイチ信用出来なくても、優しいとは程遠い人間でも、どちらかというと暴君よりの君主であっても……


 結局最後にはレムリア帝国に勝利と富と栄光を齎してくれる。




 エルキュールの家臣は、一兵卒に至るまでそれを欠片も疑っていない。




 君主に求められるのは人格ではない。




 指導力だ。




 国家を栄光に導くことが出来る君主なら、例えどのような酷い性格であっても、みんな喜んでその後ろに従うのだ。




 それに比べて、ハヤスタン王国の王……ルナリエの父親であるフラーテス三世はどうだ?




 ルナリエは父親として、人としてフラーテス三世を慕っている。


 優しい人だと、知っている。


 そしてそれはエルシュタット城、いやハヤスタン王国の国民みんなが知っている。




 だからこそ義勇軍は集まった。


 だが……




 それだけだ。




 フラーテス三世はいつも自信が無さそうな顔をしている。


 だからハヤスタン王国の国民も、兵士も、家臣も。


 みんな自信が無さそうな顔をしている。




 そしてエルキュールやレムリアの兵士、将軍たちを見て、溜息を付く。




 口には出さないが、彼らが何を思って溜息を付いたのか、ルナリエにはよく分かる。




 なぜなら自分も同様の気持ちだからだ。


 即ち……




 こんな皇帝に仕えたい。忠義を尽くしたい。この人の命令で命を懸けて戦いたい。導いて欲しい。支配して欲しい。どうか、この国の君主になって欲しい。




 なぜ己はレムリア帝国に生まれなかったのか。


 なぜエルキュールという偉大な皇帝の家臣になれなかったのか。




 なぜ……フラーテス三世という頼りない君主の家臣なのか。




 「……でも、今は敵」




 そうはいっても、ルナリエはハヤスタン王国の王女である。


 ならば、エルキュールという暴君に立ち向かわなくてはならない。




 そして再びルナリエの思考は回帰する。


 どうしようか?




 (……とりあえずズボンを脱がしてみよう)




 ルナリエはエルキュールのズボンに手を掛けて、ゆっくりと脱がす。


 するとパンツが姿を現す。




 ゴクリ。




 ルナリエは息を飲む。


 パンツを、パンツの下の何かが押し上げているのだ。




 ルナリエはゆっくりとパンツを脱がす。




 「おおぉ……」




 ルナリエは思わず声を漏らす。




 大きい、しかも太い。


 長さは二十センチ以上はある。




 これ、どうやったら入るのだろうか?




 ルナリエは首を傾げる。


 とりあえず触ってみよう。




 ルナリエは好奇心半分、そして若干先程の媚薬に影響されながらも、ゆっくりと手を伸ばし……




 「……何だ?」


 「ひぃ!」




 目を覚ました!!


 ルナリエは体を竦ませる。




 いつの間にか、エルキュールが目を覚ましていた。


 サファイヤのように、青い瞳がルナリエを射貫く。




 エルキュールはルナリエをジーっと見る。


 どうすればいいか分からなかったので、ルナリエも取り敢えずエルキュールを見つめ返す。




 すると、エルキュールは呆れたような声を出した。




 「……何だ、アスモデウスか。確かにルナリエ姫を抱きたいなあ……とは思って床に入ったが……サービス精神旺盛だな」


 「ひゃあ!」




 そう言って、エルキュールはルナリエを抱き寄せた。


 そして気付くと、ルナリエの口の中にエルキュールの舌が入っていた。




 エルキュールの舌が、ルナリエのファーストキスを蹂躙した。




 (だ、誰かと勘違いしてる?)




 どうやら低血圧気味なのか……寝惚けているようだ。


 ともかく、ルナリエとしては好都合である。




 「は、初めてだから……優しく……」


 「アスモデウス、今回は随分と演技に磨きが掛かってるな? ……まあ、良いか。よし、乗ってやろう。……ご安心を、ルナリエ姫。じっとしていれば……砂糖水よりも甘い夜を過ごさせて上げましょう」




 エルキュールはルナリエの耳元で甘く囁く。


 ルナリエは体から力が抜けるのを感じた。




 (ああ……もう、いいや。何でも)




 こうして暴君により、一輪の花が手折られたのである。


















 そして翌朝……


 エルキュールはルナリエを見下ろしながら必死に昨晩の記憶を辿っていた。




 (思いだせ、昨日は……そう、宴会があった。で、ほろ酔いで……俺はそのまま寝たはずだ。うん、決してルナリエ姫をベッドに連れ込むようなことはしていない。それは絶対にない。そして泥酔もしていないはずだ。俺は酒を泥酔するまで飲むほど馬鹿じゃない。それに寝る前に、カロリナを誘ったはずだ。断られたけど)




 昨晩、宴会が終わったあとエルキュールの息子(比喩)はいろんな意味で凄い事になっていた。


 だいたい、ルナリエのせいである。




 そりゃあ、一国の王女が危うい恰好でおっぱい揺らしながら自分に酌をしてくれていたのだ。


 興奮もする。




 そしてそれを押さえるために、カロリナをベッドに誘ったが断わられた。




 敵地で無防備になりたくない、とのことである。(実のところ、ルナリエのおっぱいを凝視していたエルキュールへの嫉妬が八割だが、秘密だ)




 仕方がないので、そのまま寝た。


 そして……




 (アスモデウス! おい、アスモデウス!!)




 [はい、何でしょうか?]




 (お、お前違うなら違うって言えよ!!)




 [いやあ、面白そうだったので。というか、そもそも昨晩は徴収の日ではありませんし。私も主人の下半身事情にそこまで責任は持てませんよ]




 (お、お前……クソ。この俺としたことが!!!)




 エルキュールは頭を抱える。


 まさか、一国の王女と自分の契約している淫魔を勘違いするとは……




 一生の不覚だ。


 まあ、日頃からアスモデウスをいろんな姿に化けさせて遊んでいたツケなのだが。




 (というか、お前……「ご主人様を狙う不届き者がいたら私の幻覚魔法で倒してやりますよ。ですからご主人様は大船に乗ったつもりで寝てください。私は睡眠とか、不必要ですし」って言ってたじゃないか!! 俺は一応、信用してたんだぞ!!!)




 基本、精霊(悪魔)は契約外のことや……主人の命令の範囲外のことはしない。


 が、個体によっては個別に対応して主人の利益になるように動く者もいる。


 アスモデウスは良い例で……アスモデウスは主人が危機に瀕した時は主人の命令を待たずに、主人を助けようと動く。


 エルキュールの父祖である禿の女誑しの借金大魔王は、不倫相手の人妻の息子と愉快な共和主義者たちに刺されそうになったブルトゥスされそうになったことがあるが……この時はアスモデウスが即座に行動に移し、暗殺者たちを排除した。


 もともとアスモデウスは戦闘向きの精霊とはいえないが、少数の人間ならば十分に相手できる。




 もっとも……


 当然全ての精霊が主人を守るように動くわけではなく、むしろ主人を守るように動く精霊は少数派である。


 まず前提条件として主人の状況を把握できる一定以上の知性、命令外のことを行っても良いと許可を出してもらえるほどの信頼関係、精霊本人の性格、最後に主人無しでも発動できる能力であること、という四つの条件が前提となる。


 例えばカロリナのエリゴスは最初の三つは満たしているが……武器精霊であるため、使用者であるカロリナがいなければその能力を発揮できない、そのため自動迎撃は不可能……ということになる。




 [そりゃあ、ルナリエちゃんがナイフでも持ってたら……というか殺意を持ってたら、幻覚魔法でルナリエちゃんをアヘ顔ダブルピースに加工しましたよ? でもルナリエちゃんの目的はご主人様の《自主規制》なわけじゃないですか。排除する必要は無いかなーって]




 (お、お前……俺が不利になることくらい分かるだろ!!)




 [悪魔に政治なんて分かるわけないじゃないですか]




 (嘘つけ!! お前が今まで大物と契約してきてるのは分かってるんだぞ!!!)




 エルキュールは頭を抱えた。


 今度からは抱く抱かないは別として、必ずカロリナと一緒に寝ようと決意した。




 [というか、何か問題あります? 入れる穴は多ければ多いに越したことは……]




 (お前の価値観で考えるな……人はただの棒でも穴でもないんだよ……)




 意思を持ち、考え、話し、行動する。


 それが人間であり……断じてただの棒でも穴でもないのだ。


 そこに穴があったから入れた、そこに棒があったから入れてみた、のように登山家みたいな言い訳は通用しないのである。




 [というか、私と勘違いするご主人様が悪いですよ。まあ、確かに私の演技は完璧ですよ。本物の処女よりも処女みたいに振舞える、真の処女と言っても過言ではありませんし、その他様々なシチュエーションを再現可能です。容姿もご主人様のお好みで変えられます。でも、私は一つだけ……《自主規制》の構造だけは絶対に変えないというプライドがあります。精々処女膜を付け足すか付け足さない程度です]




 (……何が言いたい?)




 [中に入れた段階で、「アレ? これアスモデウスじゃなくないか?」と思わなかったんですか?]




 (……そんなので個人を判断できるわけないだろ。そういうお前はできるのか?)




 [私は《自主規制》の臭いだけで判断出来ますよ。それどころか、健康状態まで分かります]




 (……良いか、俺は人間なんだ。お前とは違う)




 エルキュールは溜息を吐いた。


 この悪魔には常識は通用しないということを再度確認する。




 (……とりあえず、ここから逃げ出そう。落ち着いて、態勢を立て直すんだ!)




 エルキュールは心を落ち着かせる。


 戦争の基本は自分が主導権を握ることであり、そして敵に主導権を渡さないことだ。




 ここにいては、ルナリエに主導権を握られてしまう。




 エルキュールはこっそりと、ベッドから降りて抜け出そうとして……




 「待って」


 「っぐ!」




 ルナリエに右手を掴まれた。


 いつの間にか、起きていたルナリエが湖のように深い青色の瞳でエルキュールを見つめる。




 「責任を取って貰う」


 「!!!!」




 残念ながら、主導権はルナリエにあった。

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