第18話 致命的な失敗

 「と、あのクズは絶対に考えている」


 「……ほ、本当か? ルナリエ……考えすぎじゃないか? とても親切そうな若者だったじゃないか……」




 ハヤスタン王国国王、フラーテス三世はルナリエを諌める。


 せっかく、同盟が成立したのに水を差すなと言いたいのだ。




 「ダメ、あの男は絶対に裏切る」


 「どうしてそう言えるんだ?」


 「私だって同じことをするから」




 ハヤスタン王国は小国である。


 小国と大国との約束など、まともに守られたことは滅多に無い。




 大国同士の密約、取り決めは如何なる宣誓や条約よりも優先されてしまう。


 それが外交というモノだ。




 「でも、そうはさせない。ハヤスタン王国を分裂させるなんて、許せない」




 ルナリエはハヤスタン王国を愛している。


 そしてハヤスタン王国の国民も、ルナリエや国王や、そして国を愛していた。




 大国であるファールスやレムリアの国民には理解できないだろう。


 王族、貴族、平民が寄り添って、力を合わせなければ維持出来ないような小国の気持ちは。




 元々、現在のアカイメネス朝ファールス王国が治めている地域は、大昔アルシャーク朝ファールス王国の支配下に置かれていて、アルシャーク家によって治められて来た。




 このアルシャーク朝ファールス王国は全盛期、東西分裂前のレムリア帝国と幾度もぶつかり合ったほどの大国だった。




 そんなアルシャーク朝ファールス王国とレムリア帝国の係争地となったのが、ハヤスタンである。


 このハヤスタンの地を巡り、両国は激しく対立した。




 が、最終的に和平が結ばれた。


 それが




 『ハヤスタン王国の国王はアルシャーク家から(アルシャーク朝)ファールス国王が選定し、レムリア皇帝が国王として任命し、レムリア皇帝もしくはその代理が戴冠をする』




 という条約である。




 斯くしてアルシャーク朝ハヤスタン王国が成立した。




 しかしいつしか、アルシャーク朝ファールス王国は衰退。 


 そんな中、アルシャーク王国の貴族の中で、有力な力を持っていたアカイメネス家が台頭してアルシャーク王国を打倒して、現在のアカイメネス朝ファールス王国が建国された。




 頼みの綱のレムリア帝国は内戦で混乱し、弱体化していた。




 そんな中、どうにかアカイメネス朝ファールス王国の属国として生き延びつつも国を維持するためにアルシャーク家はハヤスタン人に寄り添った。




 レムリア帝国やファールス王国の長耳族エルフが純血維持に躍起になっている中で、アルシャーク家は敢えて人族ヒューマンの血を混ぜることで、同化しようとしたのだ。




 そしてハヤスタン王国の国民も、国を守るためにアルシャーク家を支えた。




 それがアルシャーク朝ハヤスタン王国という国だ。




 ちなみにハヤスタン王国は世界で初めて、メシア教を国教化した国であり、ルナリエもフラーテス三世もメシア教徒だ。




 「し、しかしルナリエ。どうするんだ? ……我が国にレムリアやファールスの決定に逆らう力は無いぞ?」


 「簡単。レムリアとハヤスタンの間にもっと強い結びつきがあればいい」


 「具体的には?」




 すると、ルナリエは胸を張った。




 「私が色仕掛けで落とす。そして結婚する。身内になれば、さすがにレムリア皇帝も裏切れない。妻の出身国を切り売りしたら、醜聞になるのは間違いない」




 何言ってるんだ、こいつ?


 フラーテス三世は耳を疑った。




 「ヴァハンよ、お前が何か吹き込んだのか?」


 「陛下、いくらなんでも私も姫殿下に『色仕掛けをしろ』などと無謀なことは言いませぬ」




 自分の親と祖父に散々言われたルナリエはムスっと不機嫌そうに顔を歪めた。




 「おっぱいはある。あの、カロリナというレムリア皇帝の婚約者より大きい。勝ってる」




 ルナリエはそう言って胸を張る。 


 フラーテス三世とヴァハンはルナリエの胸を見て、苦笑いを浮かべる。




 確かにおっぱいは大きい。


 長耳族エルフはおっぱいが好きだ。だから、まあ体に関しては問題無い。




 そして……


 親馬鹿、爺馬鹿であることを考慮しても二人の目から見てもルナリエは非常に美しい容姿をしている。




 だが……




 「トークがな……」


 「もう少し顔の表情が……」


 「仕草が可愛くないと」


 「詩の一つも詠めないし……」




 ルナリエには致命的に『愛嬌』というものが欠陥していた。


 その上、この世界の貴族の恋愛においては必須技能である『詩』もまともに作れない。


 そして無口である。




 かと言って、何か男性を喜ばせる話ができるのかというと……




 「お前学問の話しか、できないだろ」


 「あとは政治・軍事ですかねえ……うーん……」




 なるほど、人によっては興味を持つかもしれない。 


 だがこの内容で恋愛に発展できるだろうか?




 出来るならば、それは相当なベストカップルだろう。




 そもそもだが……


 あまり賢い女性は残念ながらモテない。




 小賢しい、と思われることも多々あるのだ。




 無論、教養のある女性を好む男性もいるので一概には言えないが。




 「……じゃあ、見ていればいい。私の色気で陥落させて見せる」












 レムリア帝国軍がエルシュタットに入城した次の日の夜。


 ハヤスタン王国の宮殿では、エルキュール以下将軍たちを歓迎するための宴が催されていた。




 突然のことであり、並べられた料理は決して豪勢とは言えず、またレムリア帝国の宮廷料理ほど味はあまり良くなかったが……


 それでもエルキュールは、ハヤスタン王国の歓迎の意……というよりは、何とかして機嫌を取ろうという強い意図を感じ、それをありがたく受け止めていた。




 レムリア帝国とは違い、ハヤスタン王国では食事は床に敷いた絨毯の上に並べられる。


 副菜が一人につき、四皿程度。


 そして主菜は大皿に乗せられ、三人から四人につき一皿。




 副菜は自分に割り当てられた皿の料理を食べて、主菜は大皿から小皿に移して食べる。


 というスタイルだ。




 ちなみに……


 ハヤスタン王国には食器が無い。




 基本、手掴みで食べる。


 日本人からすると野蛮のように感じるが……そもそも地球でも世界人口の四割は手掴みで食事をしているので別に珍しいことでも何でもない。




 この世界では手掴みで食べる文化圏の方が圧倒的に多いので、むしろフォークとナイフが存在するレムリア帝国の方が変態的で、野蛮と言える。




 尚、大皿の料理を取り分けるためのナイフとフォークは存在する。




 エルキュールは郷に入っては郷に従え、の人間なので別にレムリア帝国のスタイルをハヤスタン王国に来てまで守るつもりはなく、ましてや箸を使おうなどとは全く考えていない。




 特に気にせず、召使に切り分けて貰った主菜『肉の香草詰め』を手で掴んで、噛み千切る。


 中から肉汁と、香草の良い匂いが溢れてくる。




 「この肉は美味いな……鳥ですか? ハヤスタン王」


 「ええ、我が国の特産品です。我が国の東部・・に生息する鳥、ハヤスタン鳩の肉です」




 (へえ……たまたま俺がファールス王国に割譲しようと考えている地域だね!!)




 エルキュールは偶然だろうと考え、相槌を打ってから葡萄酒を飲む。




 「今は季節が合いませんが……卵も絶品です。是非、次は戦時ではなく平時に我が国に訪れてください。その時は我が国東部・・で採れるハヤスタン鳩の卵を御馳走いたします」


 「……それは楽しみだ」




 妙にこいつ、東を強調してくるな。


 エルキュールは違和感を覚えつつ、葡萄酒に口を付けようとして……空になっていることに気付く。




 すると……




 「……どうぞ」


 「これはどうも」




 ルナリエは空になったエルキュールのワイングラスに、すかさず葡萄酒を注ぐ。


 エルキュールは軽く会釈して、対応する。




 「どうぞ、ルナリエ姫も」


 「ありがとうございます」




 エルキュールはお返しにルナリエのグラスに葡萄酒を注いだ。




 (しかし随分と露出の高い服装だな)




 エルキュールはルナリエの大きく開いた胸元を眺める。


 服の生地も薄く、肌が透けて見える。




 長耳族エルフにしては非常に大きい……


 エルキュールの見立てでは、CからDはある胸のサイズも相まって非常に色っぽい。




 「我が国の葡萄酒はどうですか?」


 「非常に美味ですね。特に香りが素晴らしい」




 どうですか? と聞かれて 不味いですね! と答えるアホはいない。


 エルキュールは極めて無難な回答をする。




 もっとも、美味しいという感想そのものに嘘はない。




 それもそのはず、この葡萄酒はハヤスタン王国ではここ二百年の間の最高の出来の葡萄酒だからだ。


 フラーテス三世ですらも、滅多に飲めない代物。




 不味かったら困る。




 「この葡萄酒は我が国の南部・・の葡萄畑で作られたものです」


 「へえ……」




 エルキュールはルナリエの言葉に相槌を打つ。




 さすがのエルキュールもここまで言われれば気付く。




 フラーテス三世、ルナリエの二人はエルキュールが、ハヤスタン王国をファールス王国と分割しようと考えていることに気付いているのだ。




 だから牽制しているのである。




 ……が、エルキュールとしては所詮弱小国の無様な抵抗に過ぎない。 


 ハヤスタンがどう抵抗しようとも、ファールス王国とその領土を分け合うのはエルキュールの中では確定事項。


 さらに残った西半分は二、三十年ほど経過してほとぼりが冷めた頃に……


 レムリア帝国の属州として組み込んでしまうつもりだ。




 ハヤスタン貴族を買収し、移民を送ってハヤスタンをレムリア化してしまえば容易に達成できる。




 悪いのは中途半端な場所に国を建てたハヤスタン人である。




 問題は残ったアルシャーク家だが……


 抵抗されると面倒なので、暗殺するか、それとも適当な罪をでっち上げて殺してしまうのが早い。


 アカイメネス家からすると前の主家であるアルシャーク家を、ユリアノス家が処分してくれたと聞けば口では批判しながらも内心で大喜びするだろう。




 レムリアもファールスも丁度いい具合の国境線を引けるし、加えて双方にとって邪魔な家計が消滅する。


 まさにwinwin。


 ……アルシャーク家、ハヤスタン王国からすればいい迷惑だが。




 (……でもルナリエ姫は殺すのは惜しいな」




 可愛いし、エロいし……


 とはいえ、それはハヤスタン王国を属国、属州化した後の話であり……さらに言えばファールスと講和した後の話である。




 「そうそう、酒の席でこのような話をするのも何ですが……実はお二人にお頼みしたいことがありましてね」


 「それはどのようなことでしょうか?」




 フラーテス三世はエルキュールに尋ねる。


 それは完全に、君主と臣下の構図であり両国の国力、軍事力の格差を如実に物語っていた。




 「この後、私は全軍・・でファールス王国のアルシニア州に攻め込むつもりです」


 「ぜ、全軍でですか」




 フラーテス三世の顔が引き攣る。


 というのも、レムリア帝国の全軍がアルシニア州に攻め込めば再びハヤスタン王国が丸裸になるからだ。




 ファールス王国から裏切って、レムリア帝国に寝返った手前…… 


 再びファールス王国に征服されればタダでは済まないのは明白だ。




 まあ、エルキュールからすればどうでも良い事である。




 「そこでですね、フラーテス三世かルナリエ様のどちらかに道案内・・・をして頂きたいのです」


 「み、道案内ですか……」




 要するに、人質になれとエルキュールは言っているのだ。




 エルキュールがアルシニア州に攻め込むのは、アルシニア州がレムリア帝国の属州シュリアに隣接しているからである。


 アルシニア州に攻め込み、ダジュラ・フラート河の対岸を確保すれば、エルキュールはレムリア帝国への連絡路を手に入れることができる。




 そうすれば晴れて、ハヤスタン王国は用済みだ。




 問題はエルキュールが連絡路を確保する前に、再びハヤスタン王国が蝙蝠外交をしてファールス王国に寝返る可能性があるということだ。




 もっともハヤスタン王国は軍隊を保有せず、ファールス軍が残していった武器もエルキュールが難癖を付けて、回収してしまったためハヤスタン王国は本当に丸腰で、何一つできないが。




 念には念を入れる。




 国王か、その一人娘がエルキュールに囚われていればさすがのハヤスタン王国も迂闊な行動には出れない。




 「ご安心を。我が国がアルシニア州に攻め込めば、ファールス王国の全軍はアルシニア州に集結します。ハヤスタン王国には攻め込むことはないでしょう」




 (多分ね)


 エルキュールは心の中で付け足した。




 「……仮にも国王である父上が国を離れるわけにはいきません。私が道案内をしましょう」




 ルナリエが道案内、いや人質に名乗りを上げる。


 エルキュールは微笑む。




 「これは有り難い。あなたのような美しい女性に道案内して頂けるとは。必ず我々は勝利に辿り着けるでしょう」(まあ、国王はさすがに来ないだろうし、予想通りだな)




 ルナリエはフラーテス三世の一人娘。


 エルキュールがルナリエの身柄を確保している間は、迂闊なことはしないだろう。




 「あ、あの……皇帝陛下。我が国の義勇軍も同行させては貰えないでしょうか? 五〇〇〇程度ではありますが、必ず陛下のお役に……」


 「ハヤスタン国王陛下、お気持ちは嬉しいですが……義勇軍では我が軍の進軍速度に付いてくることはできないでしょう」




 愛国心だけで、軍隊は動くことはできない。


 ただの足手纏いにしか、ならないだろう。




 「で、では……」


 「ご安心を。ルナリエ姫は我が軍と私が責任を持って、守ります。ですから、ハヤスタン王国からの護衛は一切不必要・・・・・です」




 ここまで言われてしまうと、フラーテス三世はルナリエの護衛すらも付けることが出来なくなってしまう。


 護衛を用意しようとすれば、「レムリア帝国を信用していない」と言ってしまうようなモノだからだ。




 仮にエルキュールがその気に成れば……


 レムリア軍は今すぐにでも、エルシュタットを略奪し、男を殺し、女を犯し、子供を奴隷として売り払い、エルシュタットを廃墟にすることが出来る。




 フラーテス三世を殺し、ルナリエを兵士の慰み者にでも、自分の性奴隷にでもすることが出来てしまう。




 もっとも、さすがに醜聞を気にしてそこまで酷いことはしないが……


 出来ないことはないのだ。




 だからフラーテス三世はエルキュールに逆らうどころか、その機嫌を損なうことすらもできない。


 いや、勇気がないと言い換えるべきか。








 斯くして、この日の宴会は終了した。


 エルキュールはほろ酔い気分で、床に就き……




 そして……






 「……これは、どういうことだ?」




 翌朝。


 自分の腕に抱き付きながら安らかな寝顔を浮かべている、ルナリエを見下ろして呟く。




 何故か、シーツには赤い染みがあった。




 「……あ、あれ? これ、もしかして、俺って、少女を一人大人にしちゃった?」




 エルキュールの背中を冷たい汗が伝った。

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