第17話 嘘は言っていない

 一方、その頃エルキュール率いるレムリア軍は一日三十から二十五キロの速度を保ったままハヤスタン王国領内に侵攻していた。




 さて、気になるのはなぜそんな速さを維持出来るのかということである。




 当然、種も仕掛けもある。




 まずエルキュールは軍隊を三つに分けて進軍していた。




 これには二つのメリットがある。


 一つは純粋に進軍速度が上がる。




 ずらずらと長い列を作って歩くよりも、複数に分けて進軍した方が速いということだ。




 もう一つのメリットは兵站の負担が減ること。


 原則として現地調達に頼っているため、軍隊は一つに纏まっているよりも分散していた方が都合が良い。




 尚、現地調達と言っても基本は購入と徴発である。


 原則としてエルキュールは略奪を禁じている。




 もっとも、食糧がどうしても得られないのであれば最後の手段として略奪する可能性はあるが。




 とはいえ、エルキュールは足りなかった分の食糧を補うために全ての将兵に三日分の食糧の携帯を義務付け、さらに輜重部隊により六日分の食糧を用意させてもいるので、九日間は無補給で進軍できる。




 心配なのは各個撃破される可能性だが……


 三つ、という数が重要だ。




 レムリア軍は約四〇〇〇〇。


 つまり三つにわけても、一万以上にはなる。




 ハヤスタン王国のファールス王国軍は精々一〇〇〇程度であり、しかもそれが国中に分散している。




 まあ、つまり各個撃破される可能性は極めて低い。




 エルキュールが素早い進軍速度を維持出来る理由はもう一つある。




 それは要塞や都市を無視して、迂回しながら首都に向かって進んでいるからだ。


 むろん、迂回できない要塞等は強引に突破するが……




 まあ、要塞に篭る敵兵は精々一〇〇程度であり、場合によってはすでに逃げ出した後、または戦う前に降参する……


 というありさまなので、大した障害にもならない。




 また……エルキュールが新設した軽騎兵が多いに役に立っていた。


 彼らが歩兵や重装騎兵よりも先んじて行軍し、地形を調べ、偵察を念入りに行ったため、スムーズに行軍できているのだ。






 そういうわけで信じられない速度でエルキュールは進んでいるのである。






 「まあ、この進軍速度は敵と会戦する可能性がゼロだから実現してるのであって、良い子は真似しちゃいけないけどね」




 エルキュールは馬を掛けながら、カロリナに自慢げに語る。




 エルキュールの行軍速度は、兵士の疲労を度外視している。


 連日、三十キロを維持していれば兵士の疲労は溜まる。




 まともに戦うことはできないだろう。




 ハヤスタン王国領内に敵の兵力が殆ど存在しない。


 と、予め分かっているからこその進軍速度だ。




 「陛下、あとどれくらいで王都ですか?」


 「うーん、地図を見る限りだと……あと三日だな。明日には予め決めてあった合流地点で、別動隊を率いるダリオス、ガルフィスと合流。そして一日休憩してから、翌日にゆっくりと進軍してハヤスタン王国の首都エルシュタットに行く」




 一度、休憩した上で進軍速度を緩めるのは攻城戦に突入する可能性が高いからだ。


 もっとも、碌な兵力はいないはずだが。




 注意しなければならないところでは、注意する。


 それがエルキュールという人間だ。














 その後、エルキュールたちは計画通りに首都エルシュタットに迫った。


 ハヤスタン王国に侵攻してから六日後、進軍速度を一気に早めてからは二十六日後であり、戦争が始まってからは四十六日後のことだ。




 「うーん、読みが外れたなあ……」




 エルキュールはのんびりと、しかし困ったように声を上げた、


 家臣たちの目の前なので、平静を装っているが……実は結構焦っていた。




 というのも、エルシュタットになんと一定の兵が籠城していたからである。




 「どうだ、ダリオス。軽く攻撃した手応えは」




 エルキュールは威力偵察を終えたダリオスに尋ねる。


 ダリオスは肩を竦ませて、答える。




 「戦った感じでは五〇〇〇程度ですね。旗の数だと、二〇〇〇〇前後はいますが。まあ、ハッタリですね。七割の確率では」


 「つまり残りの三割の確立で、本当に二〇〇〇〇前後居るという事か」




 見かけの上では、少なくとも旗の数では二〇〇〇〇はいる。


 が、二〇〇〇〇はさすがにあり得ない。それほどの軍事力の保有をファールス王国が認めるわけがない。




 しかしそもそも五〇〇〇程度の兵が籠城していることそれ自体も、おかしな話である。


 ファールス王国軍は全面撤退している、という情報はすでにエルキュールの元に届いている。




 情報が正しければ、あり得ない。


 と、そこでエルキュールの脳裏に一つの可能性が閃いた。




 「なるほど、義勇兵か」


 「どういうことですか?」




 カロリナがエルキュールに尋ねる。


 エルキュールはカロリナに説明する。




 「簡単だ。ファールス王国軍は大慌てで撤退した。おそらく、予備の武器や防具は全て武器庫に置いたままのはず。それを義勇兵でも募って武装させたのだろう」




 防衛戦ならば、新兵でも十分以上に戦える。


 子どもが上から石を投げるだけでも、役に立つのだから。




 「しかし義勇兵とは、驚いた。よく掻き集めたな」




 国民のための国。


 即ち国民国家、という概念は近世で初めて芽を出し始めた思想だ。




 この世界では、国とは王や貴族のモノであり国民はその国に住んでいるに過ぎない。




 国民の関心ごとは、税金と治水などの公共事業、あとは裁判などをちゃんとやってくれるか否かである。




 だから政治には口を出さない。


 その代わり、国を守ろうなどという意識はない。




 エルキュールからすると、ハヤスタン王国が義勇兵を集めた、ということは驚愕に値する。




 「だが……まあ、種が分かれば話は早い。大して武器庫の武器もないだろうし、ダリオスの読み通り兵数は五〇〇〇前後だろう。……力攻めで落とせる範囲内だ」




 義勇兵と言えば聞こえは良いが、所詮つい数日前までは鍬で畑を耕していた農民やパン屋の親父に過ぎない。




 エルキュールから見れば、蟷螂の斧だ。




 一週間、昼夜問わず波状攻撃すれば不眠に陥って何もせずとも城門が開くだろう、


 エルキュールはそう判断して、攻撃命令を出そうとした。




 その時であった。




 「皇帝陛下!!」 


 「エドモンドか、どうした?」




 エドモンドが馬に乗って、エルキュールの元まで走ってくる。


 そして馬から降りて、頭を下げた。




 「ハヤスタン王国国王の親書でございます」


 「ふむ」




 エルキュールは封を壊して、羊皮紙を開く。


 そこには……




 「なるほど、面白いな」




 エルキュールはニヤリと笑みを浮かべた。




 「よし、会ってやろう」
















 「あなたが義勇兵を集めた、ルナリエ姫かな?」


 「その通りでございます、皇帝陛下。本日はお時間を頂き、ありがとうございます」




 ルナリエ・アルシャークはエルキュールの前で跪いた。




 「顔を上げて欲しい。仮にも一国の姫がそのように跪くのは良くない」


 「……敗戦国の姫でございます」




 ルナリエは無表情で言った。


 しかしエルキュールはその無表情、紫水晶のように美しいが、冷たい瞳の奥に……ほんの少しだけ少女の感情を読み解いた。




 (緊張、不安、恐怖、そして興奮……自分で敗戦国の姫、と名乗るということは……俺を話に引き込んで何か交渉したいということか)




 面白い、乗ってやろうではないか。




 エルキュールはそう思い、ルナリエに言う。




 「敗戦国とはまたまた、あなたの国の義勇兵は勇敢に戦っている」


 「あなたの前では吹けば飛ぶような小石でしょう。……今は」


 「ほう、今は、というのはどのような意味で?」




 エルキュールはルナリエの話に乗ってやる。


 詰まらない話ならば打ち切ればいいのだ。




 ……この時点でエルキュールはルナリエの話術の中に半ば足を突っ込んでいるのだが、本人にそれを指摘すればわざと入っていると主張するだろう。




 「義勇兵は訓練不足です。しかし、国を思う気持ちはあります。時間を掛ければ、必ず強兵になるでしょう」


 「ほう、それで? 何が言いたい?」




 エルキュールは残虐な笑みを浮かべる。


 ルナリエの瞳に光が浮かんだ。




 「陛下、我が国と同盟を結んでください。我が国はレムリアの盾となり、矛となってファールスと戦いましょう」




 (ふーん、なるほどね。それが言いたかったことか)




 エルキュールは何となくルナリエの意図に気付く。


 義勇兵を集めたのは、エルキュールにハヤスタン王国の価値を伝えるためだ。




 「貴国はファールスの同盟国ではなかったのかな?」


 「同盟国に武装を禁じた上に、貢納金をせびり、いざとなったら逃げだす。そのような国が同盟国と言えるでしょうか?」




 ファールス王国は信用ならない。


 だからレムリア帝国に乗り換える。




 「蝙蝠のようだな」




 エルキュールが皮肉を言うと、ルナリエは淡々と答える。




 「だから今まで我が国は生き残ってきました。レムリア、ファールスに囲まれた我が国はそうする以外、道は無い」




 外交は裏切り、裏切られてが基本。


 エルキュールもその程度のことでは目くじらを立てない。




 だが……




 「我が国にメリットはあるかな?」


 「同盟を受け入れてくだされば、開城致します。ファールス王国との決戦前に、兵力を徒に消耗するのは下策ではありませんか? それに南下してファールス王国領内、もしくは我が国で決戦をするというのであれば、我が国の支援は陛下にとって役立つ物ではありませんか」




 ファールス王国領内で戦うのであれば、背後の憂いを断つ必要がある。


 ハヤスタン王国領内で戦うのであれば、それこそハヤスタン王国の地形などを教えて貰い、食糧を融通してもらった方が戦いやすい。




 エルキュールは暫く考えてから、答えた。




 「実に面白い話を聞かせてもらった。宜しい、その話受け入れようではないか」




 斯くしてエルシュタットは陥落した。








 「よろしかったのですか、陛下?」


 「何が?」


 「同盟です。……ファールス王国が大人しく認めるでしょうか? 私でもハヤスタン王国が戦略的な要地だってことくらい分かりますよ」




 エルシュタットに入城後、カロリナはエルキュールに小声で尋ねた。




 ハヤスタン王国はレムリア帝国、ファールス王国にとって戦略的な要地である。


 特にファールス王国にとっては、安全保障上重要な土地だ。




 というのも……


 仮にレムリア帝国がファールス王国に攻め込む場合、普通ならばダジュラ・フラート河を渡河しなくてはならない。


 この河は川幅が広く、水深も深いので橋か船でも無ければ絶対に軍隊は渡ることはできない。




 ファールス王国はこの天然の防壁に守られているのである。




 だが……


 ハヤスタン王国を経由するとどうだろうか?




 レムリア帝国からハヤスタン王国への侵攻ルートには、ダジュラ・フラート河のような巨大な自然の城壁は存在しない。


 また、ハヤスタン王国からファールス王国も同様である。




 そして……


 ハヤスタン王国から南に下れば、そこファールス王国の穀倉地帯であり、心臓部である。




 つまりハヤスタン王国をレムリア帝国に取られる、ということはファールス王国は絶対に負けられない戦いを強いられるということを意味する。




 それをファールス王国が認めるだろうか?




 仮に認めさせるには、相当な大勝利を掲げる必要が出てくるのではないか。


 というのがカロリナの懸念であった。




 それに対してエルキュールは不思議そうな顔で尋ねる。




 「ふむ……カロリナ、なぜ君は我が国がハヤスタン王国全土を守ることを前提にしているのかな?」


 「え? だって同盟で……」


 「そうだ、同盟を結んだ。当然、ハヤスタン王国は守る。が、全てを守るなどと約束はしていない。最悪、東半分か南半分をファールス王国に割譲してしまえば良い。そうすれば、ファールス王国も首都圏の守りが確約されるしな」




 カロリナは唖然とした表情でエルキュールを見た。


 エルキュールはニヤリと笑う。




 「騙される方が悪いのさ!!!」

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