第15話 マラソン
「ふむ……分かった。講和を受け入れて、撤退しましょう。……皇帝陛下には『飢えている我らに寛大な施しをして下さり、ありがとう』と伝えて頂きたい」
ブルガロン王国の将軍は、外交官として派遣されたトドリスに対してそう言った。
元々ブルガロン王国の目的は貢納金。
それが手に入った以上、大国レムリアと戦うつもりはなかった。
「ええ、分かりました。皇帝陛下にはそうお伝えします」
トドリスはそう言って、その場を立ち去った。
トドリスが立ち去った後、ブルガロン王国の将軍は呟く。
「さて……あとはファールスとレムリアの戦いを……エルキュール帝の実力とやらを高みの見物させて貰おうか」
「講和が成立したか。ふむ……案外安く済んだな」
エルキュールはトドリスからの報告書を見る。
ブルガロン王国との講和は端金(ブルガロン王国からすると国家収入と同額)と僅かに年間に支払う貢納金を増やす程度で済んだ。
「……私はお金で解決するなんて嫌です。おかしくないですか? 『国防に千金を賭すとも、貢物に一毛を割かず』って言うじゃないですか」
「一毛で済むなら、その方がお得だろ。割かなかった結果、国が滅んだら世話がないな」
何だかんだで、レムリア帝国が今まで保たれてきたのはエルキュールの父であるハドリアヌス帝の『貢納金』外交のおかげである。
その所為で国庫は圧迫されたが、それでも今まで生き残ってこれたのはこの外交方針が正しかったからに他ならない。
「それにブルガロン王国に支払った金は巡り巡って帰ってくるから、さほど問題にはならない」
「……どういうことですか?」
「ブルガロン王国に支払ったのは『金』だ。つまり貴金属。カロリナ、お前金食べれるか?」
「……食べれるわけないじゃないですか」
「その通り。貨幣は食えん。貨幣というものは引き取り手がいない限り、石ころ並みの価値しかない。……さて、貨幣が使える国はどれほどある?」
ブルガロン王国の周辺国で、貨幣経済が浸透しているのはレムリア帝国ただ一ヵ国だけ。
ブルガロン王国にとって最大の物資輸出国はレムリア帝国であり、輸入国もレムリア帝国なのだ。
ブルガロン王国に流れた金銀は必ずレムリア帝国に戻ってくる。
その上、金銀を使うことで得られる贅沢品……香辛料、絹、茶は無論、砂糖や珈琲、骨灰磁器は一度手に入れて使って見ると、次も欲しくなるのが人間の欲というものだ。
今のブルガロン王国の支配者層は羊や馬を売り払ってまで、レムリア帝国にそれらを買い求めている。
「それに連中は長続きしないよ。ブルガロン王国の主軸であり、支配層であるコトルミア氏族の求心力が長年の贅沢で低下している。連中が我が国からの貢納金を独占したからさ。すでに、不満はブルガロン王国の全氏族に広がっている、という話さ……遊牧民っていうのは、常に困窮しているから強い。贅沢を覚えた遊牧民なんて、太った羊も同然さ」
このまま太らせ続ければ良い。
その分、狩る時に楽になる。
エルキュールは残虐な笑みを浮かべた。
その笑みを見たカロリナの背筋に冷たいモノが走った。
(……この人はブルガロン王国を滅ぼす気なんだ)
カロリナは息を飲んだ。
「さて、カロリナ。……ここからが本番だ」
現在、エルキュール率いるレムリア軍はシュリア属州から北に離れたところを行軍していた。
ここから南に行けばそこはシュリアであり、さらに東に向かえばファールス軍が待ち構えている。
エルキュールが率いるのは、歩兵二個軍団で合計二四〇〇〇。騎兵が六個大隊七二〇〇。弓兵も六個大隊七二〇〇。そして新たに組織した軽騎兵が一個大隊一二〇〇。
合計三九六〇〇。
四〇〇〇〇に近い大軍だ。
一方、侵攻してきているファールス王国軍は歩兵が三〇〇〇〇前後、騎兵が一〇〇〇〇前後、クロスボウ部隊が五〇〇〇前後で、四五〇〇〇程度。
という報告がエルキュールに齎されていた。
五〇〇〇、敵が上回っている。
が、エルキュールは自信満々であった。
「カロリナ」
「何ですか?」
「戦争はサプライズだと思わないか?」
何言ってるんだ、こいつは。
カロリナはジト目でエルキュールを見る。
エルキュールは、戦争というものには方程式が存在すると考えている。
無論、数学も同様だが答えに辿り着くまでの方法は様々だ。
ベクトルを利用しても良いし、微積を使って解いてもいい。
それは人それぞれだろう。
しかし、人に合った方法というものが存在する。
エルキュールはすでに、自分に合った方法、ドクトリンを確立していた。
その一、出来る限り軍隊は常備軍を使用し、如何なる時も出撃できるように常に鍛えておく。
その二、敵、または敵になり得る者の情報は出来るだけ集めておく。
その三、原則として敵は一人に固定し、複数の敵と戦わない。常に外交的努力によって、他国と戦争中は第三国の介入を防ぐ。仮に敵が他国と同盟を結んでいた場合は、外交的努力によってその同盟を崩す。それに失敗した場合は、どちらか片方に兵力を集中させて各個撃破に努める。
その四、出来るだけ多数の兵を、可能であれば敵の二倍、三倍の兵数を用意する。但し、強兵の中に弱兵は混ぜない。軍隊の能力は最も弱い兵士に合わさるからである。
その五、原則として戦場は敵の領土の中に設定する。自国領内で戦うと、それだけ領土が荒れ果て、その上勝ったとしても領内に盗賊と化した敵兵が蔓延るからである。また自国領内だと、兵士が逃亡する恐れがある。他国領内であれば、兵士の逃亡は難しくなる。
その六、戦場は出来るだけ自軍に有利な土地、具体的には平原に設定する。なぜなら、騎兵、パイク兵、弓兵が主力のレムリア軍が真価を発揮するのは広い平原だからである。また戦場を敵の領土内で設定する以上、森林や山地では伏兵の不安が付きまとう。平原ならば、小細工は通用しない。
その七、六の目標を達成するために常に戦争の主導権を手中に収め、決して主導権を敵に渡さない。
その八、七の目標の達成のために敵よりも早く、そして敵が予想できない場所を攻撃する。
つまり……これからエルキュールの立てる作戦はできるだけこのドクトリンに沿ったものになる。
「ところで、そろそろ作戦を教えてくれませんか? 後で話す、と言ってそれ以降何も教えてくださらないじゃないですか」
「はは、悪い悪い。……ガルフィスたちを呼んでくれ」
エルキュールの命令で、カロリナがガルフィスたちを集める。
今回参戦する将軍はガルフィス、エドモンド、ダリオス、オスカルの四人である。
留守番は相変わらず、ルーカノスとクリストスである。
「さて、諸君。俺は夜のベッド上では、攻められるより攻める方が得意だし、好き勝手されるよりも、好き勝手する方が好きなんだよ。やはり主導権は自分の手の中に入れておきたくてね」
エルキュールはそう言って、カロリナに対してウィンクを飛ばす。
如何なる時も、セクハラは忘れない。
そしてエルキュールは将軍たちに言う。
「戦争でも同様だ。だからこれからやるのは防衛じゃない。攻撃だ。そのことを念頭にした上で……」
エルキュールはニヤリと笑う。
「諸君、マラソンは好きかね? 俺は大好きだよ」
「……雑兵ばかりと聞くが、以外に抵抗が激しいな」
ファールス王国将軍、カワードは眉を顰めた。
カワードはファールス王国のヤズデギルド派の貴族であり、ファールス王国有数の将軍である。
カワードとしてはレムリア帝国への宣戦布告は止めたかった。
ササン八世からヤズデギルドに託された使命は防衛であり、攻撃ではないからだ。
とはいえ、レムリア帝国の屯田兵を素直に見過ごすわけにもいかない。
という意見も一理あるし、攻撃される前に攻撃する、積極的防衛である。
と主張することもできなくはない。
それに今回のレムリア帝国侵攻はブルガロン王国が先に持ちかけたことである。
レムリア帝国の戦力が二つに割かれることになれば、確かに勝率は上がるし、このチャンスをみすみす見逃せば、ササン八世に「やはりヤズデギルドは次期王に相応しくない」と思われる可能性もある。
それにササン八世は結果主義の人だ。
勝ちさえすれば、多少の命令違反にも目をつぶってくれるし、機会を見逃さなかったという点を評価してくれるのも事実である。
カワードは結局、反対しきることはできず……
こうしてレムリア帝国に侵攻することになったのだ。
「はあ……被害はないが……しかし、進まんな」
当初の予想では、すでにシュリア属州の奥深くまで侵入できているはずであった。
しかし想像以上に屯田兵の防衛が固かったのである。
また、『アレクティア勅令』により親エルキュール派となったアレクティア派メシア教徒たちも、カワードたちに対して反抗的で、時には攻撃も受けた。
「……平民というのは攻撃すれば蜘蛛の子を散らすように逃げるモノだと思っていたが……レムリア帝国の平民共は好戦的だな。全く……」
カワードは溜息を付く。
だが、すでにいくつか要塞を落としているし屯田兵たちも撤退を始めている。
三日後にはシュリア属州の中枢を攻撃できるだろうとカワードは考えていた。
「それよりもレムリア皇帝の動向だな」
レムリア帝国皇帝、エルキュールが出陣して四万程度の兵と共にシュリア属州に向かっているという情報が届いたのは二十日ほど前である。
その後の動きは少しづつ、断片的ではあるがカワードに伝えられている。
その進軍ルートが少しおかしい。
どう考えても、シュリア属州への最短ルートではないのだ。
そもそも陸を移動しているのが不可解である。
海路からの方が、早いし兵站の確保も容易いはずなのに。
「カワード将軍!!」
「どうした?」
一人の将兵がカワードに駆け寄る。
斥候のとりまとめを託していた男だ。
「どうやらレムリア軍は前回のご報告のあと、さらに東に進んだようです」
「東? 間違いは無いか?」
カワードの問いに将兵は静かに頷いた。
カワードは首を傾げる。
今まで進軍ルートが若干遠回りだったのは……
まあ、目をつぶれる範囲である。
だがあの後さらに東に向かうのは、明らかに遠回りであり、無駄足だ。
おかしい……
カワードの頭の中で警笛がなる。
「……地図を持ってこい」
「ここにあります」
準備の将兵はカワードが地図を要求するであろうことを予想して、すでに地図を持ってきていた。
カワードはその地図を受け取り、広げる。
地図に描かれているのは、レムリア帝国とファールス王国の国境付近全体の広大な範囲だ。
西にレムリア帝国、東にファールス王国。
そして両国国境の北には、挟まれる形でハヤスタン王国がある。
ハヤスタン王国のある場所はレムリア帝国、ファールス王国にとっても戦略的に重要な場所で、度々両国の係争地となった。
現在はファールス王国の属国であり、ハヤスタン王国は武装を禁じられ、ファールス王国の軍隊に駐屯してもらうことで諸外国から身を守っていた。
「だが今はハヤスタン王国は関係ないか。ここから随分と離れている……」
と、カワードは呟いてから……
何かが引っかかる、と感じていた。
ハヤスタン王国は関係ない。
……本当に関係ないのか?
レムリア帝国軍は東に向かった。
……レムリア帝国から見て、ハヤスタン王国は東の方角。
そして……
カワードがレムリア帝国に攻め込むために、ハヤスタン王国の守備兵力を一部割いたため現在は手薄。
つまり……
「……レムリア帝国の狙いはハヤスタン王国か。確かにハヤスタン王国を攻め落とし、そこから南に進軍すれば我が国の中枢、首都圏だ。……だが、レムリア帝国の現在地からハヤスタン王国の国境までは約八百キロ。どんなに早く行軍しても、四十日から五十日は掛かるはず」
一方、カワードの現在地とシュリア属州の州都であるオロンティア市までは約二百五十キロ。十六日もあれば、到着する。
レムリア皇帝が率いている兵力が四万前後。
ということを考慮に入れると、レムリア本国に残る常備軍は一万前後であり、周辺国に備えるための兵力を首都に残さなければならないことを考えると、レムリア帝国がオロンティア市の防衛に割ける兵力は、屯田兵や義勇兵などを含めても一万程度だろう。
ファールス王国軍は三万以上。
オロンティア市は難攻不落で有名だが、三万の兵力差があれば……
カワードの実力ならば一月で落とせる。
レムリア軍がようやくハヤスタン王国に辿り着いた時には、すでにシュリア属州はファールス王国の手の中だ。
シュリア属州を失陥すれば、さすがのレムリア皇帝もとんぼ返りせざるを得ない。
「ふふ、着眼点は悪くないがな……距離、というものを考えるべきだな。レムリアの新皇帝は」
カワードは笑う。
レムリア皇帝には決定的に経験が足りていない。
勝ったも同然であった。
それから六日後、オロンティア市までカワードが進軍していると……
レムリア軍の新たな動向に関する情報がカワードの元に舞い込んだ。
それは……
「バカな!! レムリア軍がこんな場所にいるはずがない!! 誤報だ!!」
「で、ですが閣下。私も確かめましたが……正しい情報です!!」
「では、なんだ? レムリア軍が魔法でも使ったというのか? 瞬間移動でもしたのか、それとも時を止めたのか……もう一度調べさせろ!!」
レムリア軍は前回の報告された地点から、約二百七十キロ離れた地点で発見された。
六日で二百七十キロ。
それは一日に約四十五キロ進軍した、ということであり……
その進軍速度はファールス王国の三倍であった。
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