第14話 ファールスとブルガロン
「ファールスねえ」
ファールス王国。
聖火教を国教とする、砂漠長耳族エルフの国家である。
シェヘラザードの故国でもある。
この世界で唯一、レムリア帝国に匹敵するだけの国力を有する大国だ。
特に軍事力に関しては、レムリア帝国を圧倒する。
現在の国王ササン八世は名君、名将として名高い。
だが……
レムリア帝国とファールス王国は随分と前に和平を結び、互いの国境を侵さないように条約を結んでいた。
永久平和条約と呼ばれるその条約の内容は、レムリア帝国がファールス王国に定額の貢納金を毎年支払う代わりに、ファールス王国はレムリア帝国に侵攻しないというモノだ。
この条約を結んで以来、ファールス王国はレムリア帝国には侵攻してこなかった。
ハドリアヌス帝がダリオスに敗北した時も、そして病死してエルキュールが戴冠した時も、ハドリアヌスが内乱を起こした時も……
そんなファールス王国が攻めてきた。
何故か?
……エルキュールには心当たりが一つだけあった。
「シェヘラザードか?」
「いえ、それは無いかと」
トドリスは首を振って否定した。
「シェヘラザード様が理由ならば、シェヘラザード様を奪還するため。と主張して攻めてくるはずです。今回の侵攻の大義名分は……我が国の屯田兵のようです」
曰く……
レムリア帝国がファールス王国の国境に兵を駐屯させた。
これは両国の平和の妨げになる。
エルキュール帝は早急に兵を撤退させよ。
……ハッキリ言うと、平和条約を破って侵攻するほどの大義があるとは言えない。
だが、基本的にこの世界の条約というものは守られることの方が少ないので別におかしくはない。
「その他にも水利関係に関しても、いろいろ言いたいことがあるようですね」
「まあ、気持ちは分からんでもないが。戦争を起こすまでのことか?」
エルキュールは首を傾げた。
レムリア帝国は腐っても大国である。
その気になれば二十万程度の兵を……傭兵だが、集めることも出来るのだ。
その大国を相手に戦争をして、無傷で居られるほどファールス王国は超大国ではない。
ササン八世もそこまで無謀な男ではないはずだ。
故に今回の侵攻は不自然である。
と、エルキュールは考えた。
「その件ですが、一つだけ心当たりがございます」
「言ってみろ」
「現在、ファールス王国の国王ササン八世はシンディラ遠征を行っているのは御存じですか?」
「ああ、存じているぞ。象さんと戯れてるらしいな」
ファールス王国はシンディラ地方と接している。
東方方面にせっせと領土を拡大しているのだ。
だからこそ、今の段階でレムリアを相手にする理由はない。
……ファールスが一枚岩であるならば。
「そのシンディラ遠征にはファールス王国の第三王子バハラームが随行しています。彼はファールス王国の次期王、最有力候補です」
「ほう……で?」
「現在、ファールス王国の首都クルテリフォンの守護を任されているのは第一王子のヤズデギルドです。……お分り頂けましたか?」
「なるほど、理解した」
エルキュールは大きく頷いた。
それに対して、カロリナが首を傾げる。
「意味が分からないです。どういうことですか?」
「シェヘラザード、詳しいだろ? 説明してやれ」
エルキュールはファールス王家の家庭事情に一番詳しいであろう、シェヘラザードに説明を求める。
シェヘラザードは少し考えてから……
「うーん……一応故国ですし、不利になることは言いたくないですが……まあ、もう分かってらっしゃるみたいですし。言いますが……カロリナ、次期王になると言われ、シンディラ遠征に随行させてもらえているのは第三王子のバハラーム殿下。一方、お留守番を命じられているのは第一王子のヤズデギルド兄殿下。……ヤズデギルド殿下としては、バハラーム殿下よりも自分が優秀だって、戦争にも勝てるんだって、父上……ササン八世に見せつけたい、というのは分かりますよね?」
すると、カロリナはなるほどとでも言うように手を打った。
「つまりレムリア帝国に戦争で勝って、次期王の座を?」
「そういうことです……多分……私もヤズデギルド殿下が何考えてるなんて正直分からないし……」
それに私幽閉されてたから……
と、小さな声でシェヘラザードは付け足した。
エルキュールは肩を竦める。
「全く……こちらはいい迷惑だ。それにしても……功績が欲しいからといって難癖付けて勝手に条約破って攻め込む阿呆を王に選ぼうとしない、という点では優秀だがそんな阿呆を王都の守りに当ててしまう辺り、ササン八世は人材を見る目……少なくとも子供を見る目は曇ってるようだな」
まあ、誰だって自分の子供がそこまでバカだとは思いたくないか。
と、エルキュールは内心で思いながらササン八世をそう評した。
自分の子供を客観的に評価するのは難しい。
ついつい甘く評価してしまうこともあれば……厳しく評価し過ぎることもある。
「ヤズデギルド殿下は正妻の子供なんです。で、バハラーム殿下や私は側室の子で……ヤズデギルド殿下を王様に、という声は結構大きいんですよ」
「なるほどね、アホと分かっていながらも支持層が大きいから手が付けられなかった、ということか」
レムリア帝国に於ける平民とは自由民のことである。
自由民は人間として人格を保障され、当然移動の自由も認められているし、法律の庇護を受ける。
法律上では貴族に害されても、裁判で訴えることができる立場だ。
故にレムリア帝国での貴族と平民の関係は、『地主と小作人』の域を出る事は無い。
レムリア帝国の土地と人民を支配するのは、皇帝ただ一人であり、貴族はその土地に対して『地税』を支払うことで一時的に借用を認められているに過ぎないのだ。
レムリア帝国で行われる、土地の下賜は基本的に土地だけであり、そしてその土地へ不輸不入権は認められていない。
レムリア帝国の『支配者』は神の代理人として地上を治める、全メシア教徒の守護者である『皇帝』ただ一人であり、貴族も平民の、そして皇帝の妻も子も、皇帝に支配される『被支配者』という点では同じだ。
故に皇位継承でもっとも重視されるのは、『皇帝の決定』であり、その他の要素はあってないようなモノだ。
一方、ファールス王国に於ける平民は二種類いる。
自由民と農奴であり、農奴が九十%を占める。
自由民に関してはレムリア帝国とさほど変わらないが……
農奴は別だ。
農奴は土地に隷属する小作人であり、半農民半奴隷的存在である。
彼らには移動の自由は認められていない。
この農奴、という存在はレムリア帝国とファールス王国の国制を決定的に違うモノにしている。
農奴は土地に隷属する民なので、土地に必ず不随する。
故にファールス王国で行われる、土地の下賜は土地と土地に付随する農奴が一つのセットで、土地の私有権と同時に農奴の私有権も認められるのだ。
だからファールス王国の貴族は土地への支配力が強く、結果としてその発言権は上がる。
そのため、王位継承では『王の決定』だけではなく『貴族からの支持』も重要な要素になるのだ。
尚……
レムリア帝国とファールス王国の国力が殆ど同じなのにも関わらず、ファールス王国の軍事力の方が圧倒的に強いのはこれが原因である。
レムリア帝国の平民は自由に移動が出来て、税金逃れも容易い。
それに個人の人格も認められているので……『重税』を掛けるのは躊躇される。
元々共和制国家だった頃の伝統が僅かとはいえ残っているのだ。
一方、ファールス王国の平民は農奴で……『人間』ではない。
人間ではない家畜に『重税』を掛けて、搾取することを躊躇する人間はいない。
結果として、国力や生産される富が両国ともに同じなのにファールス王国の方が国家総収入が大きくなりる。
加えてレムリア帝国が徹底的な中央集権国家であるのに対し、ファールスは直轄地への中央集権的支配と併用して、地方では封建的な支配制度を導入している。
その分ファールスでは貴族の力が強くなるが、多数の官僚を維持する人件費が減る。
と、まあファールスがレムリアよりも軍事力で優っているのはそのような理由があった。
但し……確かに国家総収入はファールスがレムリアを優っているが、君主が自由に使える資金という意味合いではレムリアの方が遥かに莫大だ。
国内の全ての税収入を一手に集めているレムリア皇帝と、家臣たちに分け与えているファールス王では前者の方が当然金持ち、ということになる。
もっともその分支出も多いのだが。
「まあ、理由がどうであれ我が国に土足で侵攻しようとしている以上は出迎えてやらねばならないな」
エルキュールが属州シュリア、ファールス王国との国境線近くに屯田した兵士の数は二万。
まだ訓練不足で、どれほど耐えられるか分からない。
「カロリナ、今からひとっ走り行ってダリオス、ガルフィス、エドモンド、オスカル、クリストス、ルーカノスを呼んできてくれ」
「分かりました!!」
カロリナはあっという間に走り去っていく。
「シェヘラザード。君には悪いが、しばらく大人しくしてもらう。内通されると困るからね」
「はい、分かっています。……陛下のご指示に従います」
シェヘラザードはそう言って軽く頭を下げた。
修道院にでも放り込んでおけば大丈夫だろう。とエルキュールはそう考えてから……
最後にトドリスを見た。
「おそらくブルガロン王国も攻めてくる。確認してきてくれ」
「……それは何故ですか?」
「ヤズデギルドが馬鹿なのは間違いないが、大馬鹿ではないはずだ。大馬鹿ではないなら、確実にブルガロン王国と連携してくる。……いや、違うな。おそらく最初に話を持ち掛けたのはブルガロンだろう。今年は少し寒かったからな」
寒い→羊が死ぬ→飢える→略奪だ!!
自明の真理である。
「やはり、ブルガロンもか」
エルキュールが指示を飛ばしてから一時間後、首都ノヴァ・レムリアにはブルガロン王国が属州トランキアを襲撃したという情報が齎された。
エルキュールの読みが的中したのだ。
トランキアにも兵がある程度屯田されている。
加えてブルガロン王国は攻城戦を苦手とするため、今のところ都市は一つも陥落していない。
……が、農村部への人的、経済的な被害は甚大だと推測された。
「二正面作戦になりますか……厄介ですな」
ガルフィスは難しそうに顔を顰める。
エルキュールの元にはすでに、軍事内政問わず帝国の重臣たちが集まっていた。
「いや、それは避けたい。どちらも片手間で相手出来るような、敵ではないからな」
エルキュールはガルフィスにそう言ってから……
トドリスに命じる。
「ブルガロンと講和だ。すぐに準備しろ」
「分かりました」
エルキュールの意図を汲んだトドリスはブルガロンと連絡を取るために、太ったお腹を揺らしながら走っていく。
そんなトドリスを見送ってから、カロリナがエルキュールに尋ねる。
「何故ブルガロン王国なのですか? ……前も約束を破った国ですよ。今、お金を払って講和しても絶対にまた破ります」
「そりゃそうさ。だが、ブルガロン王国の侵入は経済的なモノ。一方、ファールス王国の侵入は政治的なモノ。ブルガロン王国の方が簡単に片づけられる。それにファールス王国はおそらくブルガロン王国の侵入を前提に行動している可能性が高い。ブルガロン王国が撤退すれば、ファールス王国の士気を挫くことに繋がる」
エルキュールはさらに続ける。
「それに個人的に、ファールス王国よりもブルガロン王国の方が考えを読みやすい。連中はすぐに約束を破るが……行動そのものは合理的だ。遊牧民ってのは、そういう生き物さ」
遊牧民の生活環境は過酷だ。
故に彼らは常に合理的に動くし、益の無い戦いは避ける。
ブルガロン王国の目的は腹を満たすこと。
大事なのは目的であり、手段……略奪でも貢納金でも、収入が入れば問題無い。
だから講和も容易いというわけである。
「さて、我々は早く出陣してしまおう。今回は早さが肝心だ」
エルキュールはニヤリと笑った。
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