第11話 レーション
それから幾分か、時間が流れ……
エルキュールは十七歳となった。
そんなある日のことである。
「どうだ? 美味しいか?」
「ええ……まあ、美味しいと思いますけど……これ、調味料でそのまま食べるものじゃないですよね?」
「まあ、な」
カロリナが食べているのはエルキュールが料理人に作らせたトマトソースだった。
トマトが手に入った以上、作らないわけにはいかない。
トマトソースは基本的に何にでも使えるので、それだけ料理のバリエーションが広がる。
「うん、旨いですね……」
「まあ、美味しいですけど……」
「これがどうしました?」
「まさか、美味しいだろう? で終わりではないですよね?」
「いや、陛下がそんな意味の無いことを……」
「待て待て、陛下だぞ?」
「お前ら、失礼だな」
カロリナと同じく、エルキュールに呼び出されてトマトソースを食べさせられた六人……
ガルフィス、クリストス、ルーカノス、エドモンド、オスカル、ダリオスがトマトソースを一口食べた後、こそこそと話し合う。
もっとも、聴覚の優れる長耳族エルフの中でも特に五感が敏感なエルキュールの耳にはしっかりと聞こえていたが。
「では、何か意図がおありで?」
「当たり前だろ。何が悲しくて、おっさん共とトマトソースを一緒に食わねばならん」
エルキュールはそう言って立ち上がり……
笑みを浮かべる。
「何か、違和感はあったか?」
「……違和感ですか?」
カロリナが首を傾げる。
六人も顔を見合わせた。
ただのトマトソース。
それがカロリナを含めた七人の感想であった。
そんな様子の七人を見てエルキュールは満足気に頷いた。
「よしよし……なら良いんだ」
「もしかして……何か入ってました?」
カロリナがエルキュールに尋ねる。
もしかしたら、何等かの毒が入っていて自分たちを試したのでは?
とカロリナは考えたのだ。
エルキュールならやりそう。
……と、それとなくエルキュールの人格への信頼の無さが露呈する。
「いや、ただのトマトソースだよ。これはね」
そう言ってエルキュールは笑った。
「但し、五か月前・・・・に作られた、というところを除けばね」
エルキュールは愉快そうにネタバレした。
そして……
七人は顔を見合わせてから……
「へ、陛下!! なんてモノを食べさせるんですか!!」
カロリナがエルキュールに詰め寄る。
「そ、そんな腐った物を! 下手すれば命に……」
「腐って無かっただろ?」
と、言われて……
七人は気付いた。
そう、トマトソースは腐って居なかった。
長耳族エルフは五感が人族ヒューマンよりも長けている。
だから遠くの物も見えるし、高い音、小さい音も聞き分けられる。
皮膚の感度も高く―痛みには弱いが―小さな振動、人族ヒューマンには分からない凹凸にも気付く。
そして……
その嗅覚と味覚は料理の繊細な匂い、味を感じることが出来る。
毒だって……
長耳族エルフ用に作られた無味無臭のモノでない限り確実に分かる。
ましてや腐敗の有無を見分けるなど、朝飯前だ。
だから……
トマトソースが腐っていたら確実にカロリナは気付くことが出来る。
しかし……
五か月もトマトソースは持つ物なのだろうか?
塩漬けや燻製、発酵食品ならともかく……
トマトソースはトマトを煮込んで、味を付けてペースト状にしただけのモノ。
防腐処理はされていない。
それが五か月経っても腐っていない?
ということは……
「トマトって腐らないんですか?」
「いや、腐るよ」
カロリナの導き出した答えをエルキュールはあっさり否定した。
カロリナは顔を顰める。
「……陛下のそういう、人を試したように勿体ぶって話すの……好きじゃないです」
「こればっかりは性だからな……」
エルキュールは苦笑いを浮かべて、種明かしをする。
「瓶にトマトソースを入れて、コルクで蓋をしてから蝋で固めた。それを長時間高温で加熱した。それだけだよ」
「……それだけ?」
「それだけ」
カロリナは無論、ルーカノスですらもわけわからないという顔だ。
エルキュールのやった処理は別に不思議なことでも、変わったことでもない。
容器を密閉して、中に微生物が入らないように処理を施してから熱で中の微生物を死滅させる。
腐敗の原因は微生物なのだから、当然中のトマトソースは腐らない。
「少なくとも、容器が破損したりして外の微生物が中に入らない限りは、ね?」
「……微生物?」
余計、混乱が広がる。
微生物……というよりも、人が目に見ることのできない世界が存在することが一般的に知られるのは顕微鏡の発明を待たなければならない。
観測できないものは、存在しないのだから。
そして……
その微生物が腐敗や病気の原因の一つであることを証明するには……
たくさんの実験が必要になるだろう。
また、生物の自然発生説も否定する必要がある。
生物の自然発生説、というのはそのままの意味で『生物が無生物から発生することがある』という説であり、この世界では広く一般的に受け入れられている。
日本語の『ウジが湧く・・』という表現はまさに自然発生説だ。
ウジがハエから誕生するのではなく、自然に腐敗物や汚物に湧くという昔の人の考えがはっきりと表れている。
と、……
科学的な話はこの際、どうでも良い。
大切なのは瓶詰で長期保存が可能、という点である。
「これなら容器の寿命次第だが……まあ、二、三年は確実に持つ。軍の食糧事情も改善されるだろう」
「……確かに、原理は分かりませんが……長期保存できるのであればこれほど有用なモノはありませんね」
ガルフィスが興味深そうに瓶詰を見る。
早くも有用性に気付いたようだ。
基本的に軍隊の食事は不味い。
というのも、そもそも食糧の確保すら難しいのだから味にこだわることはできないのだ。
また長期保存用に塩漬けにすれば塩辛くなり、乾燥させれば固くなる。
唯一マシなのはドライフルーツ程度だ。
多くの将兵の食事は石のように固いパンと塩の味しかしない僅かな肉を食べて戦うことになる。
これでは上がる士気も上がらない。
食事事情の改善は兵士の戦闘継続能力に直結する問題だ。
「ですが陛下……瓶だと割れませんか?」
「そう思うと思って、もう一つ良いモノがある」
そう言ってエルキュールが取り出したのは四角い形の金属の容器だった。
「缶詰……金属容器に食品を入れて同様の処置を施した。重さも瓶より軽い。ただ……まあ生産が難しいというのが欠点かな? あと、やっぱり重いからたくさんは持てない」
その上……
エルキュールはノミとハンマーを取り出してせっせと缶の蓋を取り外し……
ようやく、中身が姿を現した。
「と、まあ金属の蓋の部分が分厚くてな。ノミとハンマーが無いと開かない。こちらはこれからの改善次第だが……まあ、それはともかく、食べてみてくれ。サバのオリーブオイル漬けだ」
と言ってエルキュールは手を叩き、使用人にフォークを人数分持ってこさせる。
一つを手に取り、一切れのサバに突き刺して口に運んだ。
「うん、旨いな。三か月前のだけど。お前らも早く食べろ……皇帝自ら毒味してやったんだぞ?」
そう言われてしまえば、家臣は食べるしかない。
七人はおっかなびっくり、サバを口に運び……
「……腐ってないですね」
「だから言っただろ? ……最後に一切れ残ったな、カロリナ、あーん」
「あーん」
エルキュールは最後に残った一切れをカロリナの口に運ぶ。
すでに一切れ口にして、安全であると確証したカロリナは躊躇いなく咀嚼して、飲み込んだ。
「美味しいです……ところで、これは陛下がお考えになられたのですか? それとも……異教徒の学者が?」
「うん? うーん……神の思し召しってやつだよ」
エルキュールは適当に濁した。
この世界に缶詰を持ち込んだのはエルキュールだが、考えたのはエルキュールではない。
自分が考えた、どうだ偉いだろう。などと言うほどエルキュールは厚顔ではない。
もっとも、俺が持ち込んでやった、どうだ偉いだろうとは思っていたが。
「と……まあ、缶詰はこちらで生産させている。後は現在建設中の食糧庫……軍用道路上に立てた食糧の保管場所に用意するだけだ」
予め道路の上に配備しておけば、持ち運ぶ食糧の量は軽減できるし、国内での移動が速くなる、という寸法である。
可能な限り、進軍速度を早く、そして補給を考える。
それがエルキュールの軍事政策であった。
「ああ、そうそう……三日後、また宮殿に集まれ。ヒュパティアたちが開発した新型の弓の性能を確認する。良いな?」
「「「はい!!!」」」
順調にレムリア帝国の軍事力は強化されていた。
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