第8話 アレクティア公会議と勅令
「で、どうだ? 栽培できるか?」
「ある程度の試行錯誤は必要ですが、おそらく十分に可能かと思われます」
エルキュールは地主貴族の問いに満足気に頷いた。
公会議を布告したのは良いが、すぐに世界中から司教たちが瞬間移動するはずがないし、様々な下準備も必要になる。
だからエルキュールはその間、ミスル属州の視察をしていた。
具体的には、米と砂糖の栽培が可能かどうかの確認である。
まず米を栽培してくれる地主を探した。
米、という奇怪な穀物を栽培しようという変人地主は中々見つからなかったが、エルキュールがある程度援助金を出す、としたことでようやく栽培してくれる人間が見つかった。
すでに十人の地主に種籾と、稲を育てた経験のある奴隷を渡している。
安定的な収穫を望むには最低三年は掛かるが……
三年の月日を掛けるだけの価値はあるだろう。
尚、砂糖栽培はすでに皇帝直轄地や皇族の私有地で栽培が始まっている。
こちらもエルキュールは視察したが、順調そうであった。
「ところで、最近何か困ったことはあるか?」
「困ったこと、でしょうか?」
「何でも良いぞ」
エルキュールの問いに地主は腕を組んで悩み……
「そうですな……私は被害を受けていませんが、一部灌漑設備が老朽化しているという話を聞いております。ミスル属州の灌漑設備は百年、二百年前のモノもありますから」
「みんな、同じことを言うな」
エルキュールは苦笑いを浮かべた。
エルキュールは視察の際に、様々な人々……
地主貴族、神官、商人、農民、小作人に声を掛けたが……
もっとも多かった意見が『治水してくれ』であった。
長らく帝国は財政難で、治水や灌漑は放っておかれていた。
そのツケが今になって、来たのである。
(思うと俺は先帝の尻拭いばかりしているなあ……)
エルキュールはハドリアヌス帝を思い出す。
決して無能な人物ではなかった。
事実ハドリアヌス帝の『騎兵重視』の軍制改革は的を射ていたし、ガルフィス、クリストス、ルーカノス、トドリス等の家臣、官僚たち、兵士は文句の付け所が無いほど優秀だった。
問題を上げるとすれば、ちょいちょい詰めが甘いところだろうか。
「まあ、治水に関しては近い内に手を入れる。安心してくれ」
「……はい、皇帝陛下の慧眼には恐れ入ります」
あんまり期待して無さそうな顔で地主は答える。
中央政府に金が無い、ということは十分理解しているのだろう。
まあ、エルキュールもそれは分かっている。
資金確保の目処は立っている。
後は公会議を開くだけだ。
「ようこそ、御出で下さいました。ミレニア《・・・・》猊下」
「ほほほ……随分と大きくなりましたね、エルキュール・・・・・・陛下」
アレクティア港でエルキュールは一人の老婆を迎えていた。
顔は皺が浮かび、腰は曲がり、髪は艶を失った銀髪。
しかしその声は凛としていて、年を感じさせない。
レムリア帝国の皇帝を前にして、堂々たるその姿はかつての若々しく、輝いていた頃の姿を想起させた。
この老婆の名前はミレニア・ペテロ。
メシア教の最高指導者、姫巫女メディウムである。(※婆でも姫は姫です)
初代姫巫女メディウムは神の子によって拾われ、育てられた孤児の少女であった。
その少女は後に、『神の子』に仕えるために神に遣わされた、人間の体を得た『天使』であると明らかにされた。
後に神の子と姫巫女メディウムは処刑されるが……
『神の子』が子供を残さなかったのに対して、姫巫女メディウムは子供を残していた。(一説によれば、神の子との子である)
その子供に初代姫巫女メディウムの能力は受け継がれた。
それが二代目姫巫女メディウムである。
それから数世紀に渡り、姫巫女メディウムは『神の子』の代わりにメシア教を指導して来た。
最終的にメシア教がレムリア帝国の国教となり、皇帝が神に代わって地上を治める、即ち『地上における神の代理人』とされた後は姫巫女メディウムはその輔佐をすることが決められた。
つまり『神の子』と『姫巫女メディウム』の関係が再現されることになったのである。
現在姫巫女メディウムはレムリア帝国の旧都であるレムリアに拠点を構えている。
これは初代姫巫女メディウムがレムリアで殉教したからである。
歴代の姫巫女メディウムには初代姫巫女メディウムの墓守としての使命があるのだ。
そんなわけで姫巫女メディウムを補佐するレムリア総主教座と皇帝神の代理人を補佐するノヴァ・レムリア総主教座は対立関係にあり、首位権を争っているが……
ここでは特筆しないことにする。
尚、姫巫女メディウムには若干長耳族エルフの血が混ざっている。
これはメシア教を国教に定めたレムリア皇帝が姫巫女メディウムと婚姻したからである。
今代の姫巫女メディウムは血が薄まり、人族ヒューマンだが。
「私があなたの頭に冠を乗せた時は私と同じくらいの背でしたのにね。身長をお聞きしても?」
「百七十五です、ミレニア様。まあ、成長期ですから」
エルキュールは笑った。
そんな二人の様子は、まるで久しぶりに再会した祖母と孫のようであった。
ちなみに姫巫女メディウムは普通、姫巫女メディウム猊下と呼ばれて決して名前を呼ばれることもなく、そしてレムリア皇帝も皇帝陛下が普通で、名前を呼ばれることはない。
エルキュールと姫巫女メディウムが互いに名前を呼び合っていることを考えると……
その関係が対等であるということがよく分かる。
一方、二人から少し離れた場所では別の二人が和やかに手を握りあっていた。
「これはこれは、ルーカノス殿。お久しぶりですね。お元気そうで」(早くくたばって死ね、この玉無し野郎)
「ええ、おかげさまで。あなたもお元気そうで何よりです。クロノス殿」(死ぬのは手前だ、この禿野郎!!!)
ルーカノスが固く握手を交わしている相手はクロノス・クローリウス。
レムリア総主教である。
即ち、ルーカノスの敵であった。
お互い顔は和やかだが、互いの手は万力で握りつぶし合っている。
「……お早く手をお話しになられては?」
「いえいえ、どうぞお先に」
「そんな、お構いなく」
先に手を離した方が負けである。
そんな二人の頭に杖が振り下ろされる。
ゴツン!!
二人は溜まらず、頭を押さえた。
エルキュールが皇笏で、姫巫女メディウムが司教杖で互いの部下の頭を殴ったのだ。
「じゃれるな、行くぞ」
「あなたも子供じゃないんだから」
二人はしぶしぶ、己の主の後に続いた。
「皆さん、よく集まって頂いた。これより、第一回アレクティア公会議を開催する」
エルキュールは今日、この時世界中から集まった聖職者たちを見回して宣言した。
聖職者たちは拍手で開催を祝う。
(やはりアレクティア派は出席拒否か。まあ、居ない方が良いか)
エルキュールは一応、アレクティア派の聖職者にも出席するように求めて書簡を送っていたが……しかし彼らはそれを無視して欠席した。
袋叩きにされる、と思ったのだろう。
事実、今回公会議に集まった聖職者は全員正統派であった。
妥当な判断だ。
欠席していれば、もし排斥が決まっても「不当だ!!」と主張できる。
戦わなければ、負けは無い。
「皆さんもよく分かっているだろう。現在、我々メシア教は危機に瀕している。東では聖火教が勢力を拡大しており、西では西方派……異端者の獣人族ワービーストたちが国家を立て、歪んだ教えを広めている」
レムリア帝国のかつての西半分には、西方派の教えを信じる獣人族ワービーストたちが国家を建設し、凌ぎを削っていた。
西では正統派の信者は少なく、メシア教は危機的状況に瀕していた。
「また……我がレムリア帝国領内でもアレクティア派が大勢存在する。そして何より……『聖像問題』!! 我々メシア教徒は分裂を防がなくてはならない。それが今回の公会議の開催の理由である」
と、エルキュールは演説した。
次に姫巫女メディウムが立ち上がる。
「私たちは一致団結しなくてはなりません。そのためには教義の統一が不可欠。皆さまにも協力して頂きたい」
エルキュール、姫巫女メディウムの両者に拍手が送られる。
斯くして……
アレクティア公会議が始まった。
アレクティア公会議は予めエルキュールと姫巫女メディウムが結んだ『密約』通りに進み、特に波乱もなく終了した。
この時、確定して後の公会議にも大きな影響を齎す通称『アレクティア信条』についてだけ、記すことにする。
・先帝ハドリアヌス帝の作った『新正統派』を撤廃。旧来の正統主義を正統として、アレクティア派は排除される。
・ついてはレムリア皇帝及び姫巫女メディウムは『新正統派』主義の司祭を排除する義務を負う。
・聖像への敬拝・尊敬は画像に帰すものであり、聖像そのものへの崇拝ではない。神への崇拝と聖像への崇拝は区別され、神のみが崇拝の対象である。(訳:聖像はセーフ)
・先帝ハドリアヌスの出した『聖像破壊令』は撤廃される。
・名誉上レムリア総主教座は五総主教座の首位である。しかしその権限は五総主教座と同等であり、地位は平等である。
・以後、教義は姫巫女メディウム、皇帝、そして公会議の決定の三つによって定められるとし、三者の承認の無い決定は、この公会議以前以後を問わず無効とする。
・姫巫女メディウムは皇帝に冠を授け、皇帝を補佐する。
・皇帝は姫巫女メディウムを守護し、その地位を保証する。
又……
この公会議と同じ日、同じ時刻。
エルキュールはもう一つ、全く別の勅令を帝国領内に出していた。
俗に『アレクティア勅令』と呼ばれるその勅令は以下のような内容であった。
前文
レムリア帝国は一つでなくてはならない。
レムリア帝国の国教はメシア教であり、その教義は公会議で定められたモノのみが有効であり、それ以外は異端、異教である。
しかしレムリア帝国には多くの異端、異教徒が住み、彼らはレムリア帝国に税を治め、時には兵士となって戦う臣民である。
彼らの権利は守られなければならない。
第一条
余エルキュールが今日、この日にこの勅令を出すまで、及びこれに先立つ争乱の間に起こった全ての出来事に関する記憶は、双方とも、起こらなかったこととして消し去り、鎮めること。
第二条
アレクティア派は教義が違えど、同じ神を信じるメシア教徒であり、啓典の民である。よってその権利は、それに反する如何なる誓約があろうとも、これを保持し行使し、また差別されることなく受け入れられるものとする。
第三条
アレクティア派の多いアレクティア(ミスル属州)、及びオロンティア(シュリア属州)に於いて特例として正統派と並列してアレクティア派による総主教座の設置を許可する。但し叙任権は皇帝が有する。
第四条
その他異教、異端は原則として排除されなくてはならない。しかし『財産の多寡に応じた人頭税』を支払った者は我が国の臣民として扱い、その信仰及び宗教活動の自由を認め、正統派及びアレクティア派メシア教徒と同等の権利を認める。
第五条
正統派またはアレクティア派への改宗に応じた異教徒、異端者はその日、その時から正統派及びアレクティア派と同様に扱われる。
第五条
異端者異教徒の宗教施設、結社はその活動内容を皇帝に報告し、また所属する信者の氏名及び住所を報告せよ。
第六条
異端者、異教徒に課す人頭税は以下の通りである……
……
……
……
以上を拒む異教徒、異端者は剣を取れ。
諸君らには『聖書か貢納か剣か』選択肢を与える。
つまり、今日この時エルキュールは……
公会議で教義を正統派に絞るのと同時に……
帝国領内における信教の自由を認めたのであった。
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