第6話 鎮火

 「カロリナ……」 


 「皇帝陛下……」




 深夜。


 エルキュールはカロリナの部屋を訪れていた。




 二人は寝具の上で互いを抱きしめ合う。




 「今日も可愛いのを着ているね」


 「や、やめてください……陛下、そんな……恥ずかしいです」




 カロリナは絹で出来た、レースであしらわれたピンク色の可愛らしいネグリジェを着ていた。


 絹製で、薄い生地で出来ているためカロリナの白い肌が透けて見える。




 「よく似合ってる」


 「陛下……あの……灯りを消してください」 


 「相変わらず恥ずかしがり屋だな。分かったよ」




 エルキュールはランプの灯りを消す。


 辺りが暗くなり、窓から照らされる月明かりだけが二人を包み込む。




 二人は唇を貪り合う。


 互いの体を密着させ合い、相手の体温と体を肌で感じながら、熱い接吻を交わす。




 二人の体温が高く上昇しているのは、ミスル属州の気温だけが原因ではないだろう。




 「あの……陛下……」


 「どうした?」


 「あの、灯りを……」 


 「灯りは消したぞ?」


 「え? でも明るいような……」




 そしれ二人は気付く、


 窓の向こう側に仄かに赤く光るものがあることを。




 その灯りは街の真ん中から発生しているものだった。




 「なあ、カロリナ」


 「何でしょう?」


 「あれは……俗にいう火事というものじゃないかな?」


 「私もそう思います」




 エルキュールとカロリナは互いに顔を見合わせた。


 そして……




 「カロリナ! すぐに服を着ろ。俺はクリストフとガルフィス、ルーカノスを叩き起こしてくる」


 「分かりました! 私は馬を用意しておきます」


 「ああ、頼むよ」




 二人は急いで走り出した。














 「全く! 誰だ、こんな夜更けに火事を起こした馬鹿は!!」




 エルキュールたちは火事の現場まで、馬を走らせていた。


 幸いなことに、パニックはまだ起きておらず、法で夜中の外出が原則禁じられていることもあり道は空いていた。




 「ですが不幸中の幸いです。今日は我々がいますからね」




 クリストフはエルキュールの隣を並走しながら言った。




 エルキュールもカロリナも、クリストフもガルフィス、ルーカノス、そしてエルキュールの護衛としてついてきた長耳族エルフの騎士たち。


 彼らは全員が精霊術師である。




 消防車が存在しないこの世界では、最速の鎮火方法は精霊魔法だ。


 特にクリストフ、ガルフィスは火事の鎮火には持って来いの精霊と契約している。




 「しかしシェヘラザード。お前は客だから別に来なくても良いが……」


 「困っている人がいるならば、助けるのが当たり前ですから」


 「そうか」




 エルキュールは馬が躍動するたびに揺れるシェヘラザードの双丘を見つめる。


 本当に素晴らしいモノをお持ちだ。




 「……陛下、余所見をしないでください。危険です」


 「え? あ、はい、すみません」




 妙に殺気の籠ったカロリナの言葉にエルキュールは反射的に謝った。


 カロリナは少し不機嫌そうな顔をしたまま、馬を走らせる。




 (たかが脂肪の塊に何の価値があるのやら……別に食べるわけでもないのに)




 これだから男は。


 とカロリナは思ったが、口には出さない。




 そんな二人の様子を見たルーカノスが「恋愛できるって良いですね」と呟く。


 男性器を無くした奴の発言だと考えると、いろいろと重い。










 そうこうしている内に、一行は現場に到着する。


 そこでは松明を持って建物に火を投げ込もうとしている集団と、それを防ごうとしている少数の集団が揉めていた。




 少数の集団が押し負けていて、次から次へと松明が投げ込まれている。




 「何をしている!!」


 「これは! 皇帝陛下!!」




 エルキュールが叫ぶと、一人の男が姿を現した。


 アレクティア総主教である。




 「アレクティア総主教か。今、何が燃えている?」


 「悪魔の図書館でございます!!」




 アレクティア総主教は胸を張ってそう答えた。




 なるほど、悪魔の図書館か。


 悪魔のなら問題無いな……




 図書館・・・?




 エルキュールの背中に冷たいものが走る。




 「……もしかして、アレクティア図書館か?」


 「その通りでございます!!」




 アレクティア図書館。 


 七十万巻ある、世界最大の図書館。




 大昔の、世界で唯一しかない蔵書がたくさん眠る図書館。




 それが……


 燃えている?




 ファイヤー?




 ここの図書館の本って何で出来てるっけ? 


 紙は無いから……なるほど、パピルスか。




 つまり草だ。


 とってもよく燃えそうだね!!




 「……もしかして、アレクティア図書館か?」




 エルキュールは聞き間違いであることを考慮に入れて、もう一度尋ねた。


 そしてアレクティア総主教は答える。




 「その通りでございます!!」




 一瞬、エルキュールの意識が飛んだ。


 足元がぐらつく。




 頭を押さえながら、エルキュールは考える。




 よし、燃えたのは良い。


 問題は誰が燃やしているかだ。というか、あの松明を持った集団は誰かだ。




 エルキュールは一度深呼吸をし、頭を冷静にしてから尋ねた。




 「燃やしたのは誰だ?」


 「私でございます!!」




 アレクティア総主教は胸を張って答えた。




 プルプルと体を震わせるエルキュール。


 そんなエルキュールを見て、アレクティア総主教は思った。




 体が震えるほど喜んでらっしゃる!!




 さあ、次の言葉は何だ!


 お褒めの言葉か、それともノヴァ・レムリア総主教への出世か!!




 期待の芽でアレクティア総主教はエルキュールを見る。


 そんなアレクティア総主教に対して、エルキュールは笑顔で言った。




 「死ね」




 エルキュールは右手に握っていた剣を抜き放ち、そのままの勢いでアレクティア総主教の首筋を斬りかかる。




 エルキュールの人生史上、最速の斬撃。




 しかし剣はアレクティア総主教の首を斬り飛ばすには至らなかった。




 「陛下! お、お待ちください!!」




 とっさにカロリナがエルキュールの腕を掴んだのである。


 剣は二ミリほどアレクティア総主教の首に埋まっていて、あとコンマ一秒カロリナの動きが遅ければ間違いなくアレクティア総主教の首はお空を舞ったであろう。




 「カロリナ、手を放せ。そいつを殺せない」


 「陛下、殺しちゃダメですって、せめて裁判にかけてから……ほら、それよりもまずは鎮火では?」




 咄嗟のカロリナの機転により、頭が冷えたエルキュールは剣を鞘にしまった。


 そして……




 「こ、皇帝陛下? い、一体何に御怒りゲホォ……」


 「後で殺してやる」




 エルキュールはアレクティア総主教の腹を殴り、気絶させる。 


 そして地面に倒れたアレクティア総主教の顔を腹いせに何度か踏みつけてから……




 「アスモデウス!! ゴミ共を気絶させろ!!」




 [はあ、別に構いませんが……良いんですか? その程度のことで……あ、すみません。すぐにやります]




 アスモデウスはエルキュールの殺気を敏感に感じ取り、魔法を行使する。


 松明を持った集団がバタバタと倒れていく。




 アスモデウスは人を強制的に眠らせることもできるのだ。




 「とはいえ、精神が強い奴は意識を保っているからな……カロリナ、殺してこい」


 「……気絶で良いですか?」


 「……仕方がないな」




 カロリナはホッとしながら、松明を持った人間を次々と鞘で殴って気絶させていく。


 あっという間に、松明集団は地面に倒れる。




 「よし、早く鎮火しろ!!」


 「もうやっていますよ」


 「準備オッケーです!」




 ガルフィスとシェヘラザードは魔力を溜め、手を燃える図書館に突き出した。




 「アモン!!」




 ガルフィスはアモンを呼び出し、炎を操り、出来るだけ燃え広がらないようにする。




 そしてシェヘラザードは……




 「ベリト!!」




 虚偽と錬金の大精霊『ベリト』。


 七十二柱の大精霊の一角。




 階級は公爵。




 その能力は錬金。


 つまり、黄金の錬成!!




 「まだ燃えていないパピルスの本を、たった今一時的に黄金に変えました。これで暫くは燃えないでしょう」


 「黄金……凄い能力だな」


 「そうでもありませんよ。これ、私が魔力を注ぐのを解除すると戻ってしまいますから。お金儲けには使えません」




 シェヘラザードは笑顔を浮かべた。


 何はともあれ、本が一時的に守られたのだ。




 「よし、クリストフ!! パピルスのことは気にせず、やれ!!」


 「ようやく、私の出番ですか……初登場からようやく、私の見せ場……長かった……」




 クリストフは今まで、エルキュールたちを船で送り、留守番する日々を思い出す。


 ガルフィスばかり活躍し、まるで自分の出番が来ない。




 腹いせで海賊相手に無双するも、あまりに敵が弱く、そして描写されない所為で逆に虚しい……


 しかしそんな日々も今日で終わりである。




 「フォカロル!!!」




 海と風の大精霊『フォカロル』


 七十二柱の大精霊の一角。




 階級は公爵。




 能力は……海水と海風を操る。




 そして……


 ここはアレクティア。




 港町である。




 「洗い流してやりますよ」




 フォカロルが集めた大量の海水。


 それが雨のように図書館に降り注ぐ。




 表面の炎を鎮火し終えると、今度は風を纏った水流が図書館の中に蛇のように侵入し、洗い流すように炎を鎮火していく。




 炎は三分で鎮火された。


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