第5話 図書館

 「読む本が無い」




 エルキュールがそんなことを言い始めた。




 「どうしたんですか?」


 「だから読む本が無いんだよ」




 カロリナの問いにエルキュールは答えた。


 ソファーにどしりと座り、足を組む。




 「宮殿に付属する図書館の本は全て読んだ。ノヴァ・レムリア総司教座の保有する本も全て読んだ。外国から本も大量に買ったが、それも読み終わってしまった……」


 「一体、一日何冊読んでたら無くなるんですか?」


 「うーん、三冊くらいかな」




 暇だな、おい。




 「よくそんなに読めますね」


 「まあ、娯楽が無いからな」




 この世界にはそもそも本を読むか、演劇を見るか、狩猟に行くかの三択程度しか娯楽が無い。


 元々読む速度が速いエルキュールはあっという間に本を読み終えてしまったのだ。




 「どうしようかな……」


 「アレクティアの大図書館に行っては如何ですか?」




 エルキュールにそう提案したのは、シェヘラザード。


 ファールス王国の『巨乳』の姫君である。




 現在、レムリア帝国の宮殿に居候中であった。




 「なるほど、アレクティア大図書館か……」




 アレクティア。


 レムリア帝国第二の都市であり、ミスル属州の州都である。




 起源は古く、彼の有名な古の大王が建設した港町でレムリアが帝政に移行する前から存在する。




 ミスル属州は帝国最大の穀倉地帯ということもあり、アレクティアには帝国中から小麦や集約される。


 また、東方から輸入された香辛料が集まるのもアレクティアである。




 アレクティア大図書館はそんなアレクティアにある、世界最大規模の図書館で蔵書数は七十万巻に上り、また世界中から研究者が集まる研究機関でもあった。




 「なるほど、アレクティア大図書館か……あそこには一生掛けても読み切れない本があると聞くしな……」




 悪くない。


 とエルキュールは考えていた。




 元々ミスル属州には、稲作と砂糖栽培の視察のためにいつかは訪れる予定であったし、また現地の総督府から治水灌漑のための特別予算が欲しいという要請も降りてきていた。




 良い機会だ。




 「よし、行くか。アレクティアに」
















 「しかし、熱いな……ミスル属州は……相変わらず」


 「砂漠ですからねえ」




 善は急げ、ということで一か月後にエルキュールはミスル属州のアレクティアに訪れていた。


 首都から南に船で行けば、すぐに付いてしまう程度の距離なので訪れるのはさほど手間ではない。




 ミスル属州は砂漠気候に属する。


 太陽が大地を焼き、風が砂を巻き上げる、灼熱の土地。




 それがミスル属州だ。




 しかしそれはミスル属州の一面でしかない。




 ミスル属州は決して、死の大地ではない。


 むしろ、その逆。




 生命の溢れる大地である。




 というのも……




 「しかし、いつ見てもニール河は大きいな」


 「海みたいですよね」




 エルキュールとカロリナは総督府のバルコニーから、海へと注がれる大河、ニール河を見下ろす。




 ニール河。




 ミスル地方に恵みを齎す大河である。




 ミスル地方はこのニール河によって齎される大量の水と、そして毎年の氾濫によって齎される上流の地味豊かな土壌により、大昔から発展してきた。




 砂漠地帯でありながら、帝国最大の穀倉地帯となっているのは偏にニール河の恵みである。




 「うわあ、凄いですね。これがニール河ですか。私の故郷にある大河、ダジュラ・フラート河も大きいですけど、ニール河も負けず劣らずですね」




 一緒に付いてきたシェヘラザードも感嘆の声を上げる。




 アレクティアにも聖堂や司教座があるので、是非巡礼に行きたい。


 というシェヘラザードの希望があったからだ。




 あまりレムリアの宮殿から出すのは望ましくないが、シェヘラザードも長い間宮殿に閉じ込められては気が滅入るだろう。


 と考えたエルキュールが特別に許可を出したのだ。




 ちなみにシェヘラザードは、訳ありの貴族の娘。


 という設定になっている。




 訳あり、と言われるとみんな「触れてはいけないんだな」と思って詮索しなくなるモノだ。




 他にも、護衛としてクリストフとガルフィス、重装騎兵五十、弓兵二十。


 そしてルーカノスが同行していた。




 「まあ、アレクティア図書館に行くのは明日からでも良いだろう」


 「……皇帝陛下、今回の主目的はミスル属州の視察です。優先順位を忘れないでくださいね?」


 「俺の中ではアレクティア図書館が一番上なのだが……」




 カロリナに釘を刺されるエルキュール。


 とはいえ、仕事は仕事。


 当然、やるつもりはある。後回しだが。




 「カロリナ、お前もそう固くならず気楽に考えろ。旅行みたいなモノだろ?」


 「ダメです。陛下、視察は視察で……ちょっと、やめてください。こんなところで……」




 エルキュールはカロリナの肩に手を回し、ゆっくりと手を下に落としていく。


 カロリナの体を抱き寄せ、背中、腰、臀部を弄る。




 季節は夏。


 熱帯に属するミスル属州の熱さは尋常ではない。




 故に男性も女性も衣服は薄く、露出も多くなる。




 エルキュールが発情しているのは、そう言った理由であった。




 「ドアの鍵は開けておけよ?」


 「……はい」




 エルキュールはカロリナの耳元で囁く。


 カロリナは顔を赤くして、小さく頷いた。




 (進んでるなあ……レムリアって、いろいろと……)




 そんな様子を見ながらシェヘラザードは内心で思った。 


 メシア教徒、ということもあり王宮の奥深くで半分軟禁される形で育ったシェヘラザードはそう云った恋愛事情には疎い。




 自分には無縁なことだ。


 と、思っていた。




 もっとも、シェヘラザードの長耳族エルフ的には非常に発達した胸部が多くの男性長耳族エルフの視線を釘付けにしていることに、彼女は気付いていない。
















 その夜の事である。




 「あの……本当にやるのですか?」


 「当たり前ではないか!! 皇帝陛下がいらっしゃっているのだぞ? このような異教の本を陛下にお見せするわけにはいかない!!」




 心配そうな顔をする助司祭に対して、アレクティア総司教は真っ直ぐと、澄んで目でそう言い張った。




 アレクティア総司教はメシア教正統派の神官であり、二十年ほど前から総司教を務めている。


 彼を総司教に任命したのは、エルキュールの父である先帝ハドリアヌスだ。




 元々ミスル属州は正統派とは違う、『異端』である『アレクティア派』のメシア教徒が多い地域であり、この地の総司教は『アレクティア派』だったのだが、国論の二分を嫌ったハドリアヌス帝が『アレクティア派』の総司教を追放して、新たに『正統派』の総司教を立てたのだった。




 それが彼である。




 そのため、彼は『異端』と『異教徒』の排斥にとても熱心であり、そしてハドリアヌス帝に厚い恩を感じていた。


 その恩は当然、息子のエルキュールにも向けられている。




 エルキュールの即位を聞いた時、真っ先にノヴァ・レムリアに駆けつけて忠誠を誓ったほどだ。




 そんな仕事熱心な総司教はエルキュールを歓迎し、そして褒めてもらうためにあることを計画していた。


 それがアレクティア大図書館の破壊である。




 異教徒の書いた汚らわしい書物を図書館ごと燃やして浄化してしまおうということであった。






 「朝起きた皇帝陛下が真っ先に見るのは灰になった悪魔の図書館!! 


 皇帝陛下は真っ先に駆けつけてこういうのだ。




 『これをやったのは誰だ?』 




 そして私は答える。『私です』




 皇帝陛下は仰る。『よくやった、さすが私の忠臣だ。なんという優秀な総主教なのだ。よく調べれば、今まで多くの異端者や異教徒を裁いてきたようだな。お前にはアレクティア総主教は役不足だ。玉無しの使えないルーカノスを解任し、お前をノヴァ・レムリア総主教にしてやろう。今日から私の右腕として働くのだ!!』」




 一人芝居を始めるアレクティア総主教。


 捕らぬ狸の皮算用とはこのことであろう。




 「……本当にそんなに上手く行きますかね?」


 「どうした助司祭。何が不安かね?」


 「……皇帝陛下は確かに『正統派』のメシア教徒であらせられます。しかし異端や異教徒にどのような思いを抱いていらっしゃるかは分かりません。……様子を見てからでも遅くは……」


 「何を言う!! 貴様、皇帝陛下の信仰を疑っているのか!!」


 「い、いえそういうわけでは……」




 助司祭は困り顔を浮かべる。


 妄想癖の強い上司を持つと大変である。




 「もういい、貴様は留守番をしていろ!」


 「……分かりました。……私はお諫めしましたからね?」




 助司祭はこうして、幸運なことに『あの世超特急』から下車することになった。


 後に助司祭はこのように語る。




 「いやあ、危なかったですよ。ええ、本当に。あの時、留守番してて良かった……」


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