第4話 カード

 「で、誘拐して来たと」


 「誘拐じゃない、っての。ファールス人で長耳族エルフだぞ? 高確率で貴族だ。それが我が国で死んでみろ。戦争になるぞ」




 シェヘラザードを……具体的には胸部に視線を向けてから、カロリナはエルキュールを睨む。


 エルキュールはそれに対して、肩を竦めて答えた。




 実際のところ……


 長耳族エルフでなくとも貴族はいるし、長耳族エルフでも平民はいる。




 それはレムリア帝国もファールス王国も変わらない。




 だがエルキュールは『レムリア語を学べる教養』とシェヘラザードの話す『上流階級のファールス語』からシェヘラザードを貴族であると断定した。




 特に決め手はシェヘラザードの話す、美しいファールス語である。




 レムリア語や前世の世界での英語でも同様だが、下層民の話す言葉と上流階級の話す言葉は同じ言語でも若干異なる。




 話し言葉で階級は判断できる。




 「とにかく、今は外務大臣を呼ぶのが先決だ。……さて、その前にいろいろ聞いておくか。シェヘラザードさん、正直にお答えくださいね」




 エルキュールはシェヘラザードに笑顔を向ける。


 シェヘラザードは緊張した顔でエルキュールに尋ねた。




 「あの……お一つお聞きしても?」


 「良いぞ」


 「そ、その……皇帝陛下であらせられるんですか」


 「うん」




 エルキュールが笑顔で頷くと、シェヘラザードは膝を曲げ、手を床に付いた。




 「ご、御無礼をお許しください! あ、あれは決して陛下を非難する意図があったわけではなく……」


 「いや、良いさ。あの時は皇帝ではなく、ただのエルキュールだったしね」




 エルキュールは手をひらひらさせて、気にしていないとアピールする。


 そもそも身分を明かさなかったエルキュールが悪い。




 「だが、今の俺は皇帝だ。……嘘は許さない。君はファールス王国の貴族で間違いないね?」


 「え、えっと……」




 エルキュールに真っ直ぐ見つめられ、シェヘラザードは視線を逸らしながら口籠る。


 エルキュールは内心で溜息を付いてから……




 「目を逸らすな!!!」


 「は、はい!!」




 突然のエルキュールの怒鳴り声に、シェヘラザードは泣きそうな顔で返事をした。


 そして言われるままにエルキュールの目を真っ直ぐ見つめる。




 「君は貴族か?」


 「……違います」




 エルキュールはシェヘラザードの瞳を真っ直ぐ見つめる。


 嘘ではないようだ。




 「では平民か?」


 「……違います」




 これも嘘ではなさそうだ。


 どういうことだ?




 エルキュールは首を傾げる。




 「君の身分を教えてくれ」


 「……黙秘します」


 「悪いが、黙秘権は無い。言え!」


 「っひ!! 許してください!!」




 エルキュールは魔法『畏怖』を使ってシェヘラザードを威圧するが、シェヘラザードは泣きながら首を左右に振るばかり。




 エルキュールは溜息を付いた。




 「仕方があるまい」




 これ以上、エルキュールが尋問しても成果は出ないだろう。




 「……陛下、女の子を虐めて楽しいですか?」


 「語弊のある言い方をするな。カロリナ」




 ジト目で睨むカロリナに、エルキュールは苦笑した。


 と、そんなことをしている内に外務大臣が到着する。




 「トドリス・トドリアヌスです。皇帝陛下」


 「おお、よく来たな」




 エルキュールは小太りの男性……


 外務大臣トドリス・トドリアヌスを出迎えた。




 トドリス・トドリアヌス。


 種族は混血長耳族ハーフエルフ。




 先帝ハドリアヌス三世に重用された家臣で、外交事務の一切合切を取り仕切っている。




 エルキュールはハドリアヌス三世の人材を見抜く目に関しては割と信用していたので、トドリス・トドリアヌスをそのまま登用していた。




 「それで彼女が?」


 「ああ、そうだ。分かるか?」




 トドリスはシェヘラザードをじっと見つめる。




 「……シェヘラザードと聞いてまさかと思いましたが」


 「分かるか」


 「分かるも何も……彼女はシェヘラザード姫。ササン八世の娘、ファールス王国の姫君です」
















 シェヘラザード。


 ササン八世の五人の子供の一人で、純血長耳族ハイエルフの王族である。




 その美貌はファールス王国では有名らしいが、滅多に社交界に出ないことでもまた有名である。


 理由は簡単だ。


 シェヘラザードがメシア教徒だからである。




 決して有名な話、というわけではない。


 が、全く知られていないという話でもない。




 少し前まで、ファールス王国ではメシア教は弾圧されていなかったし……


 国の中枢にも、少数だがメシア教徒がいたのだ。




 「しかし、まさか家出して聖地巡礼しているとは、随分と敬虔だな」


 「全くです……聞いたことありませんよ。一国の姫が家出なんて」




 エルキュールとトドリスはシェヘラザードを見つめる。


 言われてみると、姫っぽい気がしなくもない。




 「ううっ……レムリア皇帝に捕まるなんて……ああ、もう駄目。お父様に怒られる……」




 グスグスと泣くシェヘラザード。


 おそらくだが、怒られるレベルで済まないのは間違いない。




 「で、どうする? これ」


 「陛下、これとは言わないでください。仮にも姫君です」




 トドリスはエルキュール諌める。


 エルキュールは肩を竦めてから、シェヘラザードの元へ近づいた。




 シェヘラザードは怯えた様子で後ずさる。


 そんなシェヘラザードにエルキュールは笑顔を浮かべた。




 「ご安心を。シェヘラザード姫。私はレムリア帝国皇帝。最後の審判が下るまで、地上にただ唯一あり続ける神の帝国の支配者にして、全てのメシア教徒の守護者です。あなたの身分がどうであれ、メシア教徒であることは変わりありません。私にとって全てのメシア教徒は守るべきもの。あなたを守って見せますよ」


 「こ、皇帝陛下……」




 シェヘラザードは涙を浮かべてエルキュールを見上げる。


 今、シェヘラザードの中でエルキュールの株が爆上げしていた。




 「お、お願いです! ど、どうか、お父様にだけは! レムリア皇帝に捕まったと、お父様がお知りになったら……」




 相当父親が怖いのか、シェヘラザードはエルキュールの服の袖を掴む。




 「どうか、何でも、何でもします! だから秘密にしてください」


 「ご安心を。私はあなたの味方です」




 エルキュールは笑顔で答えた。




















 「あれ、熨斗付けて返そうと思うんだけど異存はあるか?」




 重臣たちだけを集めてエルキュールは早速、そう切り出した。


 シェヘラザードに対して、「絶対に守る」と言う発言を聞いていたカロリナとトドリスは思わず肩を落とした。




 「陛下……見直したと思ったら……」


 「先程のお言葉は何だったんですか?」


 「いや、嘘は方便って言うだろ?」




 エルキュールは肩を竦める。


 取り敢えず、慰めてやろうという優しさだが、カロリナとトドリスには理解できないらしい。




 やれやれ、困ったものだね。




 などとエルキュールは内心で思いながら周囲を見回した。




 「異存はありません。下手をすれば我が国が誘拐した、と難癖を付けられても仕方がないですからね。このままだと」




 クリストフはエルキュールに賛同を示した。




 「私も同様の意見です。ファールス王国との国境線は現在、安定しています。わざわざ戦争の火種を作ることはないかと。ファールス王国の軍事力は我が国よりも上ですしね。悔しいことですが」




 ガルフィスも珍しくクリストフと同様の意見なのか、うんうんと頷いた。




 「ルーカノス、お前はどうだ?」


 「………………」


 「ルーカノス」


 「え? あ……申し訳ありません。何でしょうか?」


 「だから、シェヘラザードを返すべきか、返さないべきかと聞いているが……どうした? 体調でも悪いのか?」




 エルキュールは心配そうにルーカノスに尋ねる。


 ルーカノスがボーっとするなど、滅多なことでは無い。




 「……申し訳ありません。少し、気になることがありまして」


 「気になること?」


 「大したことではありません。……私も返すべきである、と思います」




 エルキュールはいつもと違う、ルーカノスの様子に首を傾げたが…… 


 言わなくてはいけないことなら、言うだろうと考えて、この場では忘れることにした。




 エルキュールはカロリナに視線を向ける。




 「どう思う?」 


 「私には政治的な判断は分かりませんが……彼女は可哀想ですが、まあ返した方が良いのでは? ササン八世も心配していらっしゃるでしょうし」


 「はは……確かにササン八世が可哀想だな。まあ、ここは恩を売るつもりで返すのが妥当か」




 エルキュールはそう考えながら、トドリスに目を向ける。


 トドリスは外交の専門家だ。




 最終判断を下すのはトドリスの意見を聞いてからでも遅くない。




 「私は反対でございます、皇帝陛下」


 「それはどうしてだ?」


 「重要な外交カードを手放すべきではありません」




 トドリスはまずそう言ってエルキュールの気を引いてから、説明を始める。




 「まず彼女を返すことによる、我が国の受ける損害からご説明します。先程、皇帝陛下がシェヘラザード殿に申し上げなさった通り、皇帝陛下は全メシア教徒の守護者でございます。例え、それがファールス王国の王族でも……いえ、ファールス王国の王族だからこそ、陛下は彼女を守らなくてはなりません。仮に陛下が彼女をササン八世に返せば、我が国の、陛下のメシア教徒の守護者としての権威は失墜します」




 レムリア皇帝がメシア教徒の守護者である。


 というのはあくまで建前だが……




 外交ではその建前が大切になる。




 外交ではこの権威が非常に大きな力を持つことを、トドリスはよく分かっていた。


 だからこそ、権威の失墜は避けなくてはならないという意見だ。




 しかしエルキュールはそこへ疑問を投げかける。




 「それは戦争になっても守らなくてはならないものか? 領土を失っても、人民の命を使っても守らなくてはならないものか?」


 「それは規模に依ります。皇帝陛下。無論、帝国の要地……シュリアやミスルまたは聖地とは比べるまでもありません。ですが、陛下。領土は奪い返せます。人口はいずれ増えるでしょう。軍隊も再建できる。しかし、一度失墜した権威と信用はなかなか回復致しません」


 「なるほど、領土や人口よりも信用が大切と言うか」




 エルキュールは愉快そうに笑みを浮かべる。


 エルキュールにはあまり無い考えだ。




 しかし、理にかなっている。




 「また、返したからと言ってササン八世が我が国に友好的になるとは限りません。場合によっては、『誘拐された』などと謗り攻めてくるやもしれません。これは十分にあり得ます。ササン八世の性格から考えると、娘がメシア教徒である、と知られた外交的失策を戦争で巻き返そうとするのは別段不思議なことではありません」




 「ササン八世の性格とやらは俺は分からんが……まあ、確かに俺も感謝はしないな。ササン八世の立場なら。攻めてくる可能性は確かにある」




 ファールス王国の軍事力はレムリア帝国よりも上。


 拳銃を持つ相手をナイフで脅すのは逆効果だろう。




 「利点は何だ?」


 「まず第一に我が国と皇帝陛下の信用と権威が上昇します。勝てば無論、負けても我が国がメシア教徒を守るためにファールス王国と戦った事実は残ります。陛下の国内での支持も上がるでしょう」


 「なるほどね……しかし、俺としては実益が欲しいところだな。信用と権威はあまり魅力的ではない」




 無論、「さすエル!!」と褒められるのは悪い気はしないが……




 「ええ、分かっております。まず……そもそもササン八世は我が国がシェヘラザード姫を匿っている事実を知りません。もし疑われても、知らぬ存ぜぬで通せます。シェヘラザード姫は外交のカードとして、非常に有用です。保持しておくべきでしょう」




 なるほど、とエルキュールは内心で納得する。


 シェヘラザードはジョーカーだ。




 使い方次第で、レムリア帝国に損害を与えることもあれば大きな恩恵を与えることもある。




 トドリスは恩恵の方が大きいと判断したのだ。




 「我が国は軍事力でファールス王国に負けています。そして今まで不利な立場に立たされている。……カードを逃すべきではありません」




 トドリスは最後にそう締めくくった。


 最後に決めるのはエルキュールだ。




 エルキュールは少し悩んでから……




 「よし、トドリスの案で行こうか」




 斯くしてシェヘラザードは暫くレムリア帝国に留まることになった。


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