第二章 そして『覇者』となり始めた若き皇帝
第1話 トラビゾス公国
『人が嫌がることをする、人を不幸にする天才は、人が喜ぶことをする、人を幸せにする天才を兼ね得るのだ。
人の心を読む能力、それが君主にもっとも必要な才能なのだろう』
エルキュールについて
―ルナリエ・アルシャーク―
「皇帝陛下。坑道が城壁の地下まで、達しました。……いつでも崩せます」
「よし、エドモンド、ダリオス、オスカルに伝えろ。総攻撃だ」
先の反乱鎮圧後、すぐに冬が訪れてエルキュールは誕生日を迎えて十六歳となった。
そして春を迎え、夏を迎えた今日……
エルキュールはトラビゾス公国を攻めていた。
去年の秋、反乱を起こさせるためとはいえトラビゾス公国へ攻めるような動きを見せていたエルキュールに対して、トラビゾス公国は警戒を強め、多くの傭兵を雇っていた。
が、しかし質の悪い傭兵。
そしてダリオスのような名将もいなかったトラビゾス公国はあっさりと野戦でエルキュールに敗北。
トラビゾス公国軍を打ち破った後、エルキュールは首都であり、貿易港でもあるトラビゾス港へ攻撃を仕掛けていた。
そして……
攻撃を始めて二週間。
ついにエルキュールが掘らせていた坑道が城壁の地下まで及んだ。
坑道、と言っても別に穴を掘って敵に直接攻め込もう!
というわけではない。
坑道は城壁を崩すために掘ったモノだ。
城壁の地下、土台部分に大きな空洞を作り、それを木材などで支える。
木材が支えている内は、城壁は崩れない。
だが火を放てば……
言うまでもない。
エルキュールの指示を受けた各将たちはというと……
「ほう、ようやく陥落するのか……全く、長い戦いだった。やはり、攻城戦は嫌いだな」
東側の城壁を受け持っていたダリオスは溜息を付き、
「やりましたなあ。これでようやく帰れるわけですか」
南側の城壁を受け持っていたエドモンドは嬉しそうに笑い、
「坑道は西側に掘られている。……つまり、最初に攻撃を仕掛けるのは私か。新米の私に花を持たせてやろう、という陛下のご配慮か。ありがたい」
西側の城壁を受け持っていた、オスカルは感慨深そうに呟いた。
そして……
音を立てて、城壁の一部が崩れる。
そこへ、オスカルが自らの兵を率いて突撃した。
「行け!! 皇帝陛下万歳!!!」
オスカル率いる兵たちが一斉に崩れた城壁からトラビゾスへ流れ込む。
突然のことで、混乱する時トラビゾス公国の兵士たちは対応ができない。
そうこうしているうちに、オスカルの兵士たちが東門と南門を開放する。
すると……
「さて、ようやくお仕事だ。行くぞ!!」
「これで終わりだ!! 心して戦え!!」
ダリオスとエドモンドが兵を率いて、それぞれの門から流れ込む。
「さて、勝敗は決した、か」
「さすがです。皇帝陛下」
十六歳になったカロリナはエルキュールに笑いかける。
エルキュールは立ち上がり、カロリナの額に接吻をしてから……
「どうだ? 攻城戦の感想は」
「つまらない、というとダメですか?」
「いや、俺も同じ感想だ。……全く、攻城戦というのは実に面倒だね」
エルキュールは肩を竦めた。
この日、トラビゾス公国はエルキュールによって滅亡した。
その後、首都へ凱旋を果たして『皇帝万歳』歓呼を受けたエルキュールは将軍たちと共に反省会を開いていた。
「俺としては、いくつか言う事はあるが……お前ら、何かあるか?」
「では、私から宜しいですか?」
オスカルが手を上げた。
エルキュールは無言で頷き、発言を許可する。
「やはり、新兵たちの動きが他の、ベテランたちと比べて悪い気が致します。……私の指揮が悪かったかもしれませんが……」
「いや、お前の指揮が劣る、という事は無いさ。実際、新兵はベテランに比べれば動きは悪い。……悪いな、お前に面倒を見させてしまって。だが、人種的にお前が適任だと思ったのだ」
「いえ、そんなことは……これから、さらに訓練を積ませ、陛下に納得して頂ける軍に仕上げます!!」
あの反乱の後。
エルキュールは新たに軍団を創設していた。
オスカル・アルモンという、新たな優秀な指揮官を得たからである。
財政的には珈琲、骨灰磁器の専売が軌道に乗り始めていて、一個軍団を創設するだけの余裕はあった。
ここで、エルキュールは一つ今まで考えていた案を実行に移した。
現在のレムリアの歩兵は、主に白人(正確には白人という人種はなく、肌の色で区別をするのは不適切だが、ここでは便宜上白人とする)の人族ヒューマンで構成されている。
これは首都近郊の住民が白人だからであり、一番簡単に集められるからだ。
しかし、レムリア帝国は多民族国家であり、領土も広い。
帝国南部には、俗に『黒人』に含まれる者たちも大勢いる。
白人だけで軍隊を構成するのは、偏っている。
エルキュールはそう考えていた。
そこで、今回得た優秀な指揮官であるオスカルが黒人だということもあり、新たに黒人だけの軍団を構成しようと考えたのだ。
これは人種同士、競争させるという狙いもある。
レムリア帝国は元来多民族国家で、あまり人種による差別というものも無かったので、これは何の抵抗もなく受け入れられた。
このようなわけで、オスカルは黒人だけで構成された第三軍団を率いていた。
「俺としては、中々活躍した方だと思っているよ。……やはり、南部の人族ヒューマンは体力も有って優秀だな。兵士として。暑いところでも、戦えるし……これからの活躍を期待している、と伝えておいてくれ」
「はい!」
オスカルは生真面目に深々と礼をする。
「他には?」
ダリオスとエドモンドは首を横に振ることでそれに答えた。
エルキュールは「そうか」と小さく呟く、本題に入る。
「これは先の反乱でもそうだが……側面包囲が甘い。……やはりハルバード部隊をある程度増やして、柔軟性を上げたい」
先の反乱では、オスカルが側面から抜け出ることに成功した。
今回の戦争でも、エルキュールは自分たちよりも数で劣るトラビゾス軍を包囲したが……
今度は包囲が遅く、少し兵を取り逃がしてしまった。
どちらも、ハルバード部隊の数の少なさが原因である。
まあ、反乱軍の包囲には成功して、トラビゾス軍の包囲に失敗したのには敵指揮官の技量にも大きな要因があるのだが。
反乱軍はあんぽんたんなハドリアヌス、トラビゾス軍は凡将だが、『凡』程度の実力はある将軍だった。
「では、パイク部隊を一個か、二個減らしてハルバード部隊を増やすということですか?……しかし、二個以上増やせばパイク部隊の戦力が落ちて、正面戦力が落ちますし……一個だと、奇数でバランスが悪くなりませんか?」
エドモンドの指摘に対して、エルキュールは大きく頷く。
「その通りだ。……そこで、二個大隊新たに増強して十個大隊とした上で、四個大隊をハルバード部隊に、六個大隊をパイク部隊にしようと思う」
つまり、一軍団九六〇〇だったのを二四〇〇〇追加して一二〇〇〇とする、というのがエルキュールの考えだ。
「お前たちは新たに、二個大隊の世話を焼かなくちゃならんが……さほど変わらんだろ」
「別に私としては、二個大隊程度増えたところで大して変わりませんし、柔軟性が増すのは戦術の幅が増えて喜ばしいことだとは思いますが……」
ダリオスはそう前置きした上で、この改革の最大の問題点を指摘する。
「三個軍団にそれぞれ新たに二個大隊増設。合計、六個大隊……つまり七二〇〇の軍拡です。実質的には新たに一個軍団増やすようなモノ……難しいのでは?」
「確かに、現状の財政では難しいが……資金の当てはある。安心しろ」
「なら、私としては何も言う事はございません」
ダリオスはあっさりと引き下がる。
エルキュールの内政手腕は、数年前に財政を立て直したことからよく分かる。
素人が口を挟むことでは無い。
そう、判断したのだ。
「それと、輜重部隊が欲しい」
「輜重部隊……となると、馬匹を増やすということですか?」
「そういうことになるな」
エルキュールはエドモンドの問いに対して、頷いて答える。
レムリアは兵站ロジックで勝つ。
と言われていたのは昔の話。
今では多くの兵站機能が失われている。
書物という形では残されてはいるが……しかし、どうしても経験的な技術は廃れてしまった。
が、しかしエルキュールによって少しづつ改善されつつある。
例えば、今のレムリア軍は各兵士一人一人が最低でも三日分の食料を運ぶように、決められている。
これで最低、三日は何も食糧が得られなくても活動できる。
たかが三日、されど三日だ。
しかし、まだ足りない。
「ですが馬匹を増やすほど財政に余裕が?」
「まあ、安く揃える策はあるが……まだ無理だな。こちらは折を見て、伝える。財政は俺の仕事で、お前らには関係が無いからな……」
エルキュールは溜息を付く。
皇帝という仕事はやはり、面倒である。
「後は騎兵の拡充かな? こちらは迅速に行いたい」
「騎兵、ですか? 現状では足りないということでしょうか?」
オスカルが首を傾げる。
オスカルからすると、十分にレムリア軍の騎兵戦力は足りているように見える。
「重装騎兵クリバナリウスは良いさ。間に合っている。俺が欲しいのは、偵察、伝令用の軽騎兵だ。……一個大隊は欲しいな」
「そんなに必要でしょうか?」
「情報収集も、情報のやり取りも大切だ。違うか?」
「いえ、御尤もです」
オスカルは大きく頷いた。
オスカルも情報の重要性については理解している。
「それと、最後に一つ。進軍速度をもっと早めるように、持久力を付ける訓練をしろ。……一日に二十キロが限界では話にならんぞ」
現在、戦争のレベルが停滞したこの世界では一日に十キロの行軍でも『早い』と呼ばれる。
酷い軍隊では、一日に五キロも進まない。
これは兵士の士気の問題だ。
傭兵や無理矢理徴兵された農民たちでは、体力があっても士気が足りない。
結果だらだらと歩くことになり、進軍速度が低下する。
だが、エルキュールの常備軍は違う。
国を守るために集められたこの精鋭は士気も高く、そして日々の訓練で体力を付けることができる。
そのおかげで、一日に二十キロの行軍に成功していた。
……が、エルキュールの求める水準には達していないようだ。
「陛下はどれくらいの速度を求めているんですか?」
ダリオスの問いにエルキュールは笑顔で答える。
「通常行軍、一日五時間で二十五キロ。強行軍、六時間から七時間で三十キロから三十五キロ。最強行軍、昼夜兼行で可能な限り……って感じ?」
「……それって、かつてのレムリア軍の速度ですよね?」
「かつてのレムリア軍も同じ人間だぞ?」
ダリオスがドン引きした顔をする。
無論、古代人も現代人も同じ人間である以上出来ない事は無い。
人間、訓練を重ね、気合いを振り絞れば出来ない事は無い。
将軍の中では一昼夜で七十キロ、八十キロを踏破させる、頭おかしい(褒め言葉)連中もいるので、エルキュールの要求はまだ常識の範囲内だ。
大事なのは日頃の訓練、そして気力だ。
「とにかく、マラソンだ。良いか、兵は迅速を尊ぶ。早く動けば動くほど、主導権が得られる。これは第一だ。個々の強さなんぞ、どうでも良い。一番は進軍速度、二番目に規律、三番目に連携だ。良いか、徹底的に訓練しろ。そのための常備軍なのだから」
「「「はい!!!」」」
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