第2話 カロリナの手記
皇帝陛下は滅多に笑わない方だ。
というと、皇帝陛下を知る人は首を傾げるだろう。
きっとお父様は首を傾げるだろうし、オーギュスト卿も同様。もしかしたらルカリオス総主教は薄々勘付いているかもしれないけど……
おそらく、このことは私か……陛下のお母上しか気が付いていない。
陛下は滅多に笑わないのだ。
また怒りもしないし、悲しみもしない。
では、陛下のあの笑みは何だろうか?
と思うかもしれない。
なるほど、確かに皇帝陛下はよく機嫌が良さそうに、ニコニコと笑っているイメージがある。
私もそれを容易に思い浮かべることができる。
それほど陛下はよく微笑んでいらっしゃる。
だけど……
あれは微笑んでいるだけでしかない。
陛下のお心は何一つ、揺れていないのだ。
あれは『微笑み』という名の仮面を被っているに過ぎず、実際のところ無表情と変わらない。
陛下の表情や言動と、感情は一致しないことが多い。
例えば陛下は以前、傭兵隊長ダリオス―ダリオス将軍―に怒ったことがある。
将軍に対して自分の部下になるように言った時だ。
あの時の陛下は確かに怖かった。
だが……陛下はあの時、実際のところ何一つ怒ってもいなかったし、機嫌も悪くなかった。
むしろあの時は優秀な部下が得られると、内心ではずっとお喜びになられていた。
陛下はそういう方なのだ。
陛下は御自分の感情を決して漏らさず、周囲を騙すために全く異なる感情を表現するのだ。
もっとも……
陛下に感情が無いのか、というとそんなことはない。
長い付き合いなので、偽物の表情か本物の表情かを見分けることはできる。
例えば……美味しいものを食べている時はご機嫌が良さそうにしている。
肌を重ね合わせている時に……私が愛していると言えば、やはり嬉しそうにする。
私が毒入りのメロンを食べてしまった時は……表情には出ていなかったが、怒ってくれていた。
まあそれすらも演技と言われてしまえば、私はどうしようもないのだが。
それでも私は陛下のことが好きだし、愛している。
例え私が「愛している」と言った時に、お喜びになられたのが『演技』だとしても……
裏返せば私のために気を使ってくれた、私を大切に扱ってくれている、という事実だけは確かに残るのだから。
それに陛下が私のことが嫌いだったとしても、嫌いになったとしても、私は陛下のことを愛しているし、愛し続ける。
ただ……もしかしたら私は変わり者なのかもしれない。
先程も述べたが、陛下のお母上はおそらくこの事に気が付いている。
だからあの人は陛下のことを快く思っていないのでしょう……
あの人は陛下のことを、薄気味悪く思い、また恐れているように見える。
でも同時にハドリアヌス四世と同様、自分がお腹を痛めて産んだ子という意識はあるのでしょうね。
時折、罪悪感のようなものが見え隠れしている。
子供を産んだこともない私が言う(書く?)のもおこがましいけれども、やっぱり仲直りしたいのかもしれない。
だからといって、私は陛下に関係を改善なさるように上奏することはしないのだけど。
あれは陛下と陛下のお母上の問題で、私が口を出して良いような問題ではないし。
何より、陛下が関係改善を望んでおられない。
あの人には母親など、どうでも良い存在なのでしょう。
きっと、『胎を一時期間借りした』程度の認識なんだろうな……
それにあまりこういう思いを抱くのは良くないと思うけど……
陛下はきっと、お母上から貰えなかった愛情を私や私のお母様に求めているように見える。
だとすれば、私はその分得をしたと言える。
愛情と言えば、陛下は間違いなく童貞じゃなかった。
明らかに手慣れていたし、上手だった。
私は処女だったのに……ちょっと不公平じゃないかな?
しかし疑問に思うのは、陛下はどこで童貞を捨てたのか? ということだ。
私はいつも陛下と一緒にいたけれど、陛下が他の女性を抱いているところは見たことないし……宦官や召使たちに聞いても、分からないという。
宦官や召使たちが言うには、陛下のお相手は私が初めてだそうだ。
……本当かな?
とはいえ、彼らと彼女らが嘘を言う理由はない。
未来の皇后である私に嘘をいうデメリットは大きいから……信用しても良いはずだ。
ちなみに陛下は最近、『シファニー』という召使に御熱心のようだ。
宮殿の裏庭で肌を重ねていた。
よりにもよって、そこでやるか? という呆れと若干の嫉妬が入り混じって、複雑な気分だ。
やはり覚悟はしていたとはいえ、自分が愛する相手が他の女性も愛しているというのはあまり良い気分ではない。
でもまあ……だからといって私一人で陛下のお相手をするのは無理なのだけど。
私は陛下しかお相手したことないが、陛下がいろいろと規格外なことだけは分かる。
それに側室制度というのは、実のところ女性を守るためでもあるのだ。
もし一夫一妻制で……私が子供の産めないからだであったら、私は非難を受けただろうし、離婚する必要も出るかもしれない。
皇帝と皇后にとって、性行為とは愛の営みである以上に後継者を作るという極めて政治的な行為なのだ。
だが一夫多妻制なら……最悪誰かが身籠ればいい。
私への責任は分散される。
ただまあ……この制度を制定したのは我らの父祖、別名禿の借金大魔王の『女誑し』なので、女性を守る云々はきっと結果論だろうけど。
……陛下は我らの父祖の血をちゃんと引いてらっしゃるということかな?
だとしたら禿げるのか? うーん……
まあ何はともあれ、お父様が健在であるうちは私の立場は揺るがない。
陛下はお父様を信用なさっているし、お父様を必要とされているはずだから。
それと……
陛下は私たちが考えている以上に、物事を考えていらっしゃっている。
一見何の意味も無さそうな行為でも、どこかに意味が隠れているのだ。
多分、今回の大粛清は……何か政治的な大仕事の前段階なのだろう。
実際、最近陛下はどこかに親書を送っている。
近々、陛下自らお出向きになって誰かと会談をするようだ。
陛下が自らお出向きになるような人物なんて、ファールス王か姫巫女メディウム猊下くらしかいないけど……
陛下のお考えが私になんか、分かるはずがないか。
さて……
最近、一つ疑問に思ったことがある。
それは本当に陛下は『皇帝になりたくなかったのか?』ということだ。
旅を出るだなんて言っていたけれど……
旅に出ようと考える人が、果たして骨灰磁器だなんて作らせておくだろうか?
珈琲だって、随分と用意が良かった。
そもそも陛下は人並み以上の自尊心と虚栄心と野心、そして独占欲をお持ちだ。
そんな方が旅に出たい?
嘘に決まってる。
あの時は信じてしまったけど……後々考えると、あまりにも不自然だ。
だいたい政治や戦争をやりたくない人が、あんなにも策謀を巡らし、ノリノリで敵地に攻め込むはずがない。
陛下は最初から、皇帝に御即位なさるつもりだったのだ。
では、なぜ陛下は逃げ出したのか?
答えは簡単だ。
きっと陛下は私たちを試そうとしたのだろう。
どれくらい私……いや、お父様やオーギュスト卿、ルカリオス総主教、ティトゥス殿下、エドモンド様、その他官僚、宦官、国民たちが自分の即位を望んでいるかを。
考えてみれば、十二歳の陛下にとってはハドリアヌス四世はかなり危険な政敵なのだ。
もし自分の重臣となり得る者たちの中に、ハドリアヌス四世でも良いと思うような人間がいれば危険……と考えたに違いない。
その後も定期的に辞めたいなどと言いだしたり、ティトゥス殿下に皇帝をやらないか? などと言ったのはただのお戯れではなく、見定めていたに違いない。
もしティトゥス殿下が少しでも皇位への野心を見せたら、殿下は翌日には死を下賜されることになったでしょうし……
もし父やクリストス卿、ルーカノス卿が陛下に『やる気がない』からといって、陛下を無視して勝手に政治を取り計らうような動きがあれば……自分の婚約者の父、自分の叔父、自分の恩師であろうとも、左遷させるか……死を下賜されたでしょう。
陛下は……そういうことができるお方ですからね。
さて……
できれば、こんなことは書きたくないのだけれど……
私の考察が正しければ、絶対に陛下はそういうことをなさるので、書いておきましょう。
皇帝陛下。
レディーの日記を盗み見るのは、さすがにマナー違反ですよ。
エッチです。
下着ならいつでも見せてあげますけどね。
「おう……ドキッとしたじゃないか! カロリナの奴も性格悪いな……」
[いや、ご主人様。あなたに言われたくはないと思いますよ。カロリナちゃんも]
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