第26話 ハドリアヌスの乱 その四

 「見たまえ、ダリオス。これこそ、戦争芸術だ。ああ……美しい……」




 (まさか、本当にここまで完璧に再現してしまうとは、な)




 うっとりとした表情のエルキュールをダリオスは驚きの表情で見つめる。




 エルキュールが再現して見せた戦術は、約千年前に伝説的名将が騎兵の機動力を最大限生かして作りだした、まさに戦争の、死体で出来た芸術と呼べる代物であった。




 あれだけの兵力差があれば、これくらい当然。


 と、思う者はいるかもしれない。




 だが、ダリオスは断言する。


 凡人では不可能だと。




 そもそも、この兵力差……特に敵の精鋭であるブルガロン騎兵を排除したのはエルキュールの外交交渉である。




 一兵の損害も出さず、そして金銭も払わず、挙句恩を売りつけた上で敵の騎兵を見事に排除した。


 その外交手腕、交渉能力だけでも特筆に値する。




 そして……


 忘れてはならないが、今回包囲を成し遂げたのはエルキュールが育てた兵士たちであり、そしてエルキュールが選び、登用した将軍たちである。




 まず、今までのレムリア軍の軍制では傭兵を受け止めきるのは難しかっただろう。


 傭兵に見切りをつけ、常備軍に変えた。




 より大事なのは武器だ。


 仮にレムリア軍の装備が全てパイク部隊であったならば、あそこまで柔軟に側面に周り込むことができなかった。




 そして全てがハルバード部隊であったならば、正面の敵を受け止めきることができたか、怪しいところがある。




 適切な武器、精強な常備軍。


 それが勝利の大前提。




 だが、これだけではここまで美しい包囲を作りだすことはできない。




 最後のピースは……




 ダリオスだ。




 エルキュール一人では、二万の軍勢を御し、ここまで複雑な指揮はできない。


 半分をダリオスに任せたからこそ、初めて包囲に成功したのだ。




 そして……


 ダリオスを、かつて敵であった、自分の父親に恥じを掻かせた憎むべき敵であるダリオスをレムリア軍に迎え入れたのは間違いなくエルキュールである。




 この勝利は今まで、エルキュールが積み上げてきたモノ。


 その集大成。




 ダリオスはそれをよく分かっていた。




 大昔、包囲戦術という必勝戦術を編み出した古の将軍。


 大山脈を越え、半島に侵入し、レムリアを追い詰めかけた伝説的名将。




 その真似をしようとして、無残に敗北したモノは大勢いる。




 それは包囲戦術の本質を理解していなかったからだ。


 これを成功させるには、兵の質、優れた指揮官、そして騎兵の兵力差。




 三つの要素を満たす必要がある。




 エルキュールはそれをよく分かっていた。


 だからこそ、兵の質を高め、優れた指揮官を用意し、外交交渉で騎兵の兵力差を作りだしたのだ。




 そして、何より恐ろしいのは……




 (十五歳、十五の若さでこれとは……成長すれば、どんな化け物になるのやら)




 長耳族エルフの平均寿命は二百年。


 つまり、あとエルキュールは百八十五年は経験を積める。




 (楽しみだ……実に、楽しみだ)




 ダリオスは笑みを浮かべる。


 自分の主人が、この若者が、どれだけ成長するのか。どれほどのことを成し遂げるのか。




 それをこれからも、見守っていこうと。




 「皇帝陛下」


 「ん?どうした、ダリオス」




 有頂天でテンション上がりまくりのエルキュールに対して、ダリオスは言った。




 「これからも、宜しくお願いします。我が主君」




 困惑気味のエルキュールに対して、ダリオスは笑みを浮かべる。




 この時、ダリオスはエルキュールに本当の意味での忠誠を誓った。










 「さて、あとは包囲を解かれないように殴り殺しにするだけですね。陛下、油断は禁物ですよ?」


 「分かっているさ。……しかし、案外包囲というのは包囲後も大変だな。水を限界まで入れて、伸びきった革袋のようになっている」




 包囲は全方面を囲わなくてはならないため、どうしても陣形が薄くなってしまう。


 仮に内側の兵士が一致団結して、一斉に同じ方向に突き進めば……




 突き破ることだって、出来るだろう。




 もっとも、一致団結できれば、だ。


 側面及び背面を囲まれ、完全に狂乱状態に陥っている彼らには一致団結することはできない。




 集団ヒステリーにより冷静な思考力を失っている状態では……


 彼らは自分たちを殺そうとするレムリア軍がいる外・ではなく、より簡単に逃げやすい内・へと向かう。


 そしてそれが愚かなことであると気が付くものがいたとしても、もうすでに人の流れが出来てしまっている以上、それに逆らうことはできない。


 もし逆らおうとすれば、同士討ちが発生するだけだ。




 包囲が完成した以上、兵力差は些細な問題である。




 包囲とは敵を取り囲むことで、接敵している部分以外の敵兵士を全て遊兵にしてしまう戦術。


 包囲が完成した段階で、もはや囲まれている兵士の九割は死人も同然であり……


 反乱軍はもはや軍ではなく、ただの人の群れでしかない。




 「まあ、あれだけ押し込められて、上からロングボウ部隊の矢が雨のように降っていくる状態で兵をまとめられるだけの将はいないでしょうけどね」


 「だろうな。まあ、油断はダメだが……気を抜くくらいは良いんじゃないか? 我らの勝ちは揺るがない」




 この時、エルキュールとダリオスは気を抜いていた。


 そう、完全に気を抜いてしまっていたのである。




 勝って兜の緒を締めよ。




 とは、この時の二人のためにある言葉だろう。




 無論、勝敗が決しているのは事実だ。


 この後、何が起きても勝敗は揺るがない。




 しかし……


 エルキュールの作りだした、戦争芸術包囲殲滅陣にケチをつけることは出来る。




 いくつか、庇っておこう。


 まず、エルキュールの作った包囲陣は完璧だ。




 鼠一匹、抜け出す隙は無い。


 そして、その上ロングボウ部隊から放たれる雨のように降り注ぐ矢がある。




 一人、一分間に十本。


 それが一個軍団九六〇〇人。




 つまり一分間に九六〇〇〇本の矢が降ってくる。




 この状況下で、兵をまとめ上げることができる人間はほぼ居ない。


 そして……


 まとめ上げたとして、僅かな陣形の揺らぎ目掛けて突撃し、抜け出すことに成功する人間は世界史上でも、どれほどいるだろうか。




 それには兵を率いる才能、僅かなチャンスを見逃さない戦術眼、そして……


 絶対的な幸運が必要になる。




 エルキュールやダリオスとて、幸運が無ければ抜け出せないだろう。




 しかし、この時……


 包囲陣の中に、居たのだ。




 兵を率いる才能と、僅かなチャンスを見逃さない戦術眼を兼ね備えた青年が。




 そして……


 彼は手にした。




 千分の一にも満たない、幸運を。




 「今だ!! 突撃! 生きて故郷に帰るぞ!!」




 青年は、オスカル・アルモンは叫ぶ。


 僅かに残った自分の兵士を率いて。


 そして一瞬の揺らぎで出来た、包囲陣の隙間に向かって突撃する。




 そして神は彼に味方した。




 オスカル・アルモン含め、僅か三十名はエルキュールの包囲陣から抜け出すことに成功したのである。










 「……ダリオス、どうだ? お前、抜け出せるか?」


 「運が良ければ。そうですね、百回中一回でしょうね」


 「そうか、ちなみに俺なら十回中一回なら成功すると思うぞ」




 エルキュールとダリオスは驚愕していた。


 なんと、包囲陣から抜け出した敵兵がいたのである。




 それは僅か三十名だが……


 しかし見事に抜け出したのだ。




 「まあ、戦況には影響せん。強いて言うならば、俺の芸術にケチが付いただけだ」


 「ははは……まあ、かの大戦術家もレムリア軍を何度か逃がしていますし……ね?」




 ダリオスはエルキュールを慰めようとして……


 気付く。




 エルキュールがとても嬉しそうな笑みを浮かべていることに。


 まるで、海岸でキレイな石を見つけた子供のような笑顔だ。




 「ダリオス、喜べ。ようやく新たに常備軍を増やせそうだよ」








 レムリア軍




歩兵        死者 約一〇〇〇。 残存 約一八二〇〇。


騎兵        死者 約二〇〇。   残存 約九四〇〇。


ロングボウ部隊  死者 約一〇〇。  残存 約九五〇〇。




合計        死者 約一三〇〇 残存 約三七一〇〇。






反乱軍




歩兵の傭兵   死者約一三〇〇〇。 降伏約二〇〇〇。  逃亡約三〇。 残存〇。


クロスボウ部隊  死者約一〇〇〇。   降伏約五〇〇。    逃亡約五〇〇。 残存〇。


 ブルガロン騎兵  撤退八〇〇〇。 残存〇。


 貴族騎兵      死者七〇〇。  降伏一三〇〇。






 合計        残存〇。






 結果




 レムリア軍の完全勝利。


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