第24話 ハドリアヌスの乱 その二
まずはエルキュール軍とハドリアヌス軍の違いを冷静に見比べてみよう。
大きな違いは数。
エルキュールの方が、数で優っている。
しかし、二倍以上の兵力差があるわけではなく、将軍や運、天候、地形次第では容易に覆せる数の差だ。
そして兵科ごとの違い。
まず、投射武器部隊。
エルキュール軍は九六〇〇のロングボウ部隊。
ハドリアヌス軍は二〇〇〇のクロスボウ部隊。
数の差でエルキュール軍は遥かに優っている。
連射性の違いを考慮すれば、投射武器ではエルキュール軍が遥かに優位だ。
次に歩兵部隊。
エルキュール軍は一九二〇〇のパイク部隊とハルバード部隊の混合。
ハドリアヌス軍は二〇〇〇〇で、武器は人によって異なり、統一性は無い。
前者の方が数では劣るが、さほど大きな差ではないので誤差の範囲といえる。
加えて、武器の性能さ、統一性、そして兵士一人一人の練度と士気を考えるとやはり前者が優位だ。
最後に騎兵部隊。
エルキュール軍は重装騎兵クリバナリウス九六〇〇。
ハドリアヌス軍は騎馬遊牧民ブルガロン人の軽騎兵八〇〇〇と自前で用意した騎兵二〇〇〇の合計一〇〇〇〇。
こちらも数の差は誤差。
練度は……なんとも言えない。
まずエルキュール軍の重装騎兵クリバナリウスは間違いなく精鋭であり、大陸最強の重装騎兵と言っても過言ではない。
だが、ハドリアヌス軍の有する騎馬遊牧民ブルガロン人の軽騎兵もまた精鋭だ。
何しろ、彼らは生まれながらの騎兵。
そしてその騎射の威力は絶大だ。
ハドリアヌスが自前で用意した二〇〇〇は数えなくても問題ない。
あれは、馬を用意できるだけの金持ちが馬に乗っただけの騎兵モドキである。
こうして見ると、分かるが……
この戦いを決めるのは両翼の騎兵である。
ハドリアヌス軍の勝ち目はそれしかなく、またエルキュール軍も唯一負ける可能性が高いのが騎兵だ。
そして騎兵での戦いに、どちらか一方が勝利すれば……
もう一方の歩兵の側面を突ける。
そうすれば、勝敗は決する。
そこでエルキュール先手を打った。
即ち、敵騎兵の排除。
具体的に言うのであれば……ブルガロン人の買収である。
エルキュール軍とハドリアヌス軍は互いに向かい合ったまま、三日間動かなかった。
というのも、エルキュール軍は強固な陣地を築いた上でハドリアヌス軍の徴発にも乗らずに閉じこもり続けていたからである。
エルキュールはハドリアヌスの安い挑発に乗るつもりはなかった。
目の前の交渉が終わるまでは。
「ブルガロン人の若き将軍よ。よく来てくれた」
エルキュールは目の前の若者―といっても、エルキュールより年上だが―にブルガロン語で話しかけた。
まさか、レムリア皇帝がブルガロン語を使えるとは思わず、若者は驚き、目を見開いた。
エルキュールはブルガロン人騎兵を率いる、将軍の一人を陣中に招いていた。
密かに使者を送り、話がしたいと言ったところ相手が応じてきたのである。
……話し合いに相手が応じた段階で、相手もエルキュールに話し合いたいことが全く無いということでは無いことを意味する。
相手をテーブルに着かせた段階で、勝負はほぼ決まっている。
「これはこれは、ご丁寧に……どこでブルガロン語を?」
「珍しいが、探せば家庭教師くらい居るモノだ。友人・・であり、同盟国・・・であるブルガロン国の言葉を覚えるのは、皇帝として当たり前だろう」
エルキュールは特定の単語に語気を強めて言う。
そこがブルガロン人たちの泣き所だから。
事実、将軍も平静を保とうとしているが……
その瞳には焦りの色が見える。
レムリア帝国とブルガロン王国の間に結ばれた条約は要約すると四つ。
・双方、不可侵、略奪をしない。
・交易をする。
・ブルガロン王国はレムリア皇帝の求めに応じて、援軍を派遣する。
・レムリア帝国はブルガロン王国に一定の貢納金を毎年支払う。
この条約により、両国は一応友好関係を築いているのだ。
一見、レムリア帝国が金でブルガロン王国に対して平和を買い、一時の安寧を得ているように見えるかもしれないが……
そこまで物事は単純ではない。
この条約で最も重大な項目は交易である。
遊牧民は、農耕民が居なくては生活が営めない。
羊の肉や馬乳酒だけでは、明らかに栄養が足りない。
遊牧民には、農耕民の生産する穀物やその他生活必需品が必要不可欠なのだ。
そしてそれを得るためには交易しかない。
無論、略奪でも得られるが……しかし略奪では限界があるし、リスクも大きい。
それに、略奪をすればレムリア帝国と戦うことになる。
ブルガロン人は強い。
百回戦い、九十九回勝つことだってできるだろう。
しかし、最後の一回、百回目で敗北すればブルガロン王国は敗北する。
一方、レムリア帝国は弱い。
百回戦い、九十九回負けることもある。
だが、最後の一回で勝利すればレムリア帝国の勝利だ。
人口が二百万に満たないブルガロン人と、一千万を軽く超すレムリア帝国。
その国力差は歴然だ。
そして何より、エルキュールは強い。
ダリオスを倒したのが何よりも、その証拠だ。
ブルガロン人はエルキュールとあまり戦いたくないのだ。
では、なぜハドリアヌスに呼応したのか?
これは簡単。
間抜けがハドリアヌスだけではなく、ブルガロン人にも居たということだ。
エルキュールが戦争で国土を回復させようとしていることは、ブルガロン人も知っている。
ブルガロン人たちの本音は、できればエルキュールには退場願いたいというものだ。
それに自分たちの手でハドリアヌスを皇位に付ければ、今後の交易も上手く行く。
そう考え、ついつい喰いついてしまったのである。
また、あまりにもハドリアヌスが自身満々だったというのも騙された理由の一つであった。
「将軍、今回の事に関しては私は不問にしようと思っている」
「……不問、ですか?」
「ああ。我々は友人同士だ。少し、不幸な行き違いがあっただけ、違うかな?」
エルキュールはブルガロン人の将軍に笑いかけた。
「で、では……」
「我らの間で結ばれた盟約はこれからも維持しなくてはならない。……早急に立ち去り給え」
「……陛下のご温情、感謝いたします」
「なーに、レムリア皇帝として当たり前の、寛大かつ一方的な譲歩だ」
将軍は苦々しい顔を浮かべる。
今回の件で、エルキュールに大きな借りが出来てしまった。
斯くして、エルキュールは一兵も損なわずに八〇〇〇の騎兵を戦場から排除したのである。
勝敗は殆ど決まった。
そして……これは余談だが……
後に、将軍は一生後悔することになる。
あの時、リスクを冒してでも戦い、エルキュールを倒すしておくべきだったと。
遠くない未来、『ブルガロン人殺し』と言われるあの残忍な皇帝を……
「だから信用ならないと言ったんだ!! あの野蛮人共め!! どいつもこいつも、僕を裏切りやがって!! 何でだ、何でだ!!!」
ハドリアヌスは叫ぶ。
しかし、すでにブルガロン人たちは不利を悟って逃げた後、どうしようもない。
そして……
待ち受けるのはエルキュール。
もはや逃げる必要のないエルキュールは、陣地から出て、陣形を組み立てつつある。
……例え、不利でも勝負に出るしかないのだ。
「大丈夫だ、僕には神様が付いている。ジブリール様だって、おっしゃったじゃないか。僕が皇帝に相応しいと。大丈夫、勝てるさ」
ここへ来て、ようやく自分が追い詰められていると気付いたハドリアヌスは震えながら神に祈る。
……ハドリアヌスのところに現れたのは、神でも天使でもなく、悪魔だということは言わぬが花だろう。
それを知らないことは、唯一の幸運だった。
一方、ハドリアヌスとは別に覚悟を決めた男がいた。
「……だから私は言ったんだ。皇帝陛下に逆らうべきじゃないと……」
浅黒い肌の男、オスカル・アルモンだ。
オスカルは分かっていた。
エルキュールの勝ちが揺るがないことを。
そして、エルキュールの狙いを。
それが成功すれば、多くの人間が―自分を含め―死ぬということを。
オスカルには分かってしまったのだ。
だからこそ、オスカルは……
「自分と、自分の部下の命だけはどうにかして、助かるように動かないと、な」
勝つ戦いではなく、負けない戦いを。
オスカルは選んだ。
オスカルは知らない。
この決断により、自分の運命が大きく変わることに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます