第23話 ハドリアヌスの乱
レムリア人にとっての国民的英雄であり、名将としても名高いエルキュール帝は同時代に活躍した、ササン八世、ルートヴィッヒ一世と同様に物語の題材となる。
エルキュール帝を主人公とした戦記は無論、エルキュール帝に仕えた名将たち……『黒豹』ダリオス・レパードたちを主人公とした戦記では、その頼れる主君として。
またはカロリナ・ガレアノスを代表とする、エルキュール帝を彩る女性たちを描いた恋愛物語では、優しく、しかし女癖の悪い男性として。
またはエルキュール帝に支援された、芸術家や科学者たちを主人公とした物語では革新的で進歩的なパトロンとして。
絵本だったり、聖職者たちが説法に使うような話では敬虔深いメシア教の信者として。
そしてササン八世、ルートヴィッヒ一世を主人公とした物語では侮ることができない敵役として。
中には未来人がエルキュール帝の下にやって来て未来の知識を教える話や、エルキュール帝が女体化する話まで、様々である。
が、そんな物語で描かれるエルキュール帝の人格は二パターン存在する。
一つは、心優しく、常に民のことを思い、敬虔深く、兵士の死に涙を流すような善良な君主として。
もう一つは、残忍で、人を人と思わず、神を全く信じない、そして目的のためならば手段を選ばない、が、それでも国に栄光を齎す名君にして、暴君。
作家ごと、様々なエルキュール帝が存在するのは確かである。
だがエルキュール帝への見方が、大きく二分されているのは事実であろう。
さて、これから起こるのは作家によって描かれ方が完全に二分されてしまう、有名な歴史的事実。
『ハドリアヌスの反乱』である。
ある歴史家はこのように主張する。
ハドリアヌスの反乱はエルキュール帝によって計画されたものであると、
ある歴史家はこのように主張する。
ハドリアヌスの反乱はエルキュール帝にとって予想外であった。
さて……
真実はどちらであろうか?
ただ、一つだけ言えることはある。
エルキュールという男は『自分に都合の悪い事実』は歴史に残さない。
「しかし、ハドリアヌス殿下は御可哀想ですなあ。皇帝陛下の軍が壊滅して、チャンスだと思って兵を挙げたら、まさか陛下の軍勢が無傷だとは」
口髭を生やした、ダンディーな男性がエルキュールに笑いながら言った。
髪、瞳の色は茶色。
髪の毛から飛び出た細長い耳。
肌は日に良く焼けて褐色。
整髪料で髪の毛を固めたその髪型は、非常に先進的だ。
身に着けている衣服、装飾品から、お洒落に気を使っていることがよく分かる。
男の名前は、エドモンド・エルドモート
混血長耳族ハーフ・エルフの軍人貴族だ。
そして……
エルキュールの腹違いの兄でもある。
先代皇帝ハドリアヌス三世が人族ヒューマンの妾との間に作った子。
それがエドモンド・エルドモートの出自である。
ガルフィスは重装騎兵クリバナリウスの指揮を得意とする。
無論、重装騎兵クリバナリウスしか率いることができないわけではないが、それを最も得意としている。
一方、エドモンドはオールマイティーで基本どんな兵科でもそつなくこなせる。
もっとも、特に指揮が上手いという分野も無いが。
強いて言うのであれば、弓兵だが。
ダリオスとの戦いの時は、エドモンドしか帝都防衛を任せることができる将軍が居なかったためにお留守番となったが、
今回はガルフィスがお留守番をしている。
もっとも、今回はすぐにノヴァ・レムリアへ帰還するのだが。
「お前もティトゥスも、一応俺と同じ兄なのにどうしてこんなに差が付くのやら」
「これは、皇帝陛下にそう評価して頂けると嬉しいですね」
ひょっこりと顔を出したのは、同じくエルキュールと異腹の兄弟であるティトゥスだ。
もっとも、エドモンドと違いティトゥスはエルキュールと同じ純血長耳族ハイエルフだが。
ティトゥスは芸術家としての才能はあるが、政治や軍事の才能は全く無い。
だから、戦争に連れてきてもお荷物になるだけだが……
ティトゥスがノヴァ・レムリアに残っていると、ハドリアヌスに命を狙われる可能性がある。
だから今回に限って、もっとも安全なエルキュールの元にいるというわけである。
そう、今回のトラビゾス公国への遠征はハドリアヌスを釣るための罠である。
遠征途中で嵐に会い、軍隊が壊滅した。
という偽の情報を、こっそりとハドリアヌスに流して、ハドリアヌスとその支持派閥の貴族たちに反乱を起こさせて鎮圧することで、根こそぎ反対勢力を一掃する。
というのが、今回のエルキュールの考えた作戦だ。
ちまりま粛清するよりも、一度戦争で打ち破って屈服させ、敵わないことを教える。
そして根こそぎ粛清する。
その方が、最終的に政情も安定するだろう。
とエルキュールは判断したのである。
反乱はいつか、必ず起こる。
ならば、早い内に起こしてしまえば良い。
「しかし、陛下。本当に引っかかるとは……ハドリアヌス殿下はバカなのですか?」
「まあ、普通ならこんな簡単には釣れないだろうけど、ね?」
カロリナの問いに、エルキュールは苦笑いを浮かべた。
エルキュールは黒髪和服の美少女悪魔を思い返す。
アスモデウスが上手く、騙してくれたおかげで第一段階は大成功だ。
「陛下! 見えてきましたぞ! ノヴァ・レムリアです!!」
クリストスが叫ぶ。
今までエルキュールたちは洋上にいた。
そして、ハドリアヌスが偽の情報に引っかかって兵を挙げて皇帝を名乗った段階で引き返したのだ。
「さて、後はハドリアヌスと戦って勝つだけ、だな」
「はは、腕が鳴りますね。ようやく、出番ですから」
エドモンドが愉快そうに笑った。
一方、ハドリアヌスと愉快な仲間たちは沈んだ顔をしていた。
それもそのはず。
神からのお告げ通り、全てが上手く運んだ。
と思い、兵を挙げた途端にエルキュールが帰って来たのだから。
「兵はどれくらい集まっている?」
「歩兵が一八〇〇〇ほど。あと、クロスボウ部隊が二〇〇〇。騎兵が二〇〇〇。ブルガロン王国から援軍で騎兵八〇〇〇。合計、三〇〇〇〇です」
「……ふむ」
ハドリアヌスは考える。
エルキュールの持つ常備軍は歩兵約二〇〇〇〇と、騎兵約一〇〇〇〇、弓兵約一〇〇〇〇の合計約四〇〇〇〇。
そしてエルキュールが傭兵を集めたり、平民を兵士として徴発する時間的猶予は無い。
ということを考えると……
「勝算はある!! もはや、勝つしかあるまい!!」
ハドリアヌスは燃えていた。
相手の方が自分よりも、数が多いという状況に。
仮にハドリアヌスがエルキュールに勝てば、数の差を覆した名将としてハドリアヌスは評価される。
そうなれば、みんな自分を皇帝として認めてくれる。
と、考えたのだ。
……そもそも普通、戦争は相手よりも多くの数、質的優位を得た上で仕掛けるもので、敵が自分たちよりも優っている時点で戦略的に敗北しているのだが……
ハドリアヌスは気付いていない。
確かにエルキュールはダリオスに打ち勝った時、ダリオスよりも兵が少なかったが……
しかし常に戦争の主導権を握っていた。
兵力差を帳消しにした上で勝負を仕掛けていたから、勝てたのだ。
今回の場合、戦争の主導権は最初からエルキュールにある。
ハドリアヌスは反乱を起こさせられたのだから。
ハドリアヌスに軍事的才能が皆無なのは、明白だ。
しかし、それを指摘する者はいない。
多くの貴族がハドリアヌスを見捨てた今、ハドリアヌスについている貴族の多くは情勢を読めない愚か者か、もはや後に引けない者たちだけなのだから。
「やはり、平原での会戦で一気に勝負を付けようではないか」
「お待ちください!!」
ハドリアヌスの決定に待ったが掛かる。
声を上げたのは、浅黒い肌の男だった。
大柄な体。
浅黒い皮膚。
縮れた毛。
レムリア帝国南方の属州、ミスル州。
そのミスル州最南部に勢力を築いている、土着貴族。
アルモン家の分家の次男。
オスカル・アルモンだ。
アルモン家は大昔からミスル州南部に広大な土地を持ち、大きな経済力を持っていたが……
度々長耳族エルフ貴族と対立して来た。
巨大な財力を持つアルモン家に対して長耳族エルフは嫉妬し、アルモン家は長耳族エルフの血に嫉妬してきたのである。
今代のアルモン家本家の当主はあまり頭が回らず、泥船に乗ってしまった。
そして不幸にも、分家の次男であるオスカル・アルモンもまた同乗させられてしまったのだ。
「何だ? 本家の当主でもない、分家の当主でも無ければ跡取りでもない、無名貴族がこの僕に意見をしたのだ。内容次第では、叩き斬るぞ。覚悟の上か?」
「はい。……平原での会戦は避けた方が宜しいかと。数で皇帝軍は優っております。それに敵の重装騎兵クリバナリウスも危険です。何より、我々の軍は質の悪い傭兵でございます。ですから……」
「砦に篭って戦えと言うのか!! この僕に、引きこもって戦えと!!! そんな臆病者の戦い方をすると思うか!!」
「……申し訳ありません」
こりゃあ、ダメだ。
オスカルは内心で溜息をついた。
幸運にも手打ちにするほどは怒っていなかった……いや、手打ちにする覚悟もないハドリアヌスはオスカルを許し、今後口答えすることを禁じた。
斯くして、愚かにもハドリアヌスはエルキュールに対して平原での会戦に臨んだのである。
エルキュールとハドリアヌスの軍勢は帝都ノヴァ・レムリアから三日ほどの距離のところで向かい合った。
エルキュールはほぼ全軍である、
歩兵軍団二つ 一九二〇〇。
騎兵軍団一つ 九六〇〇。
弓兵軍団一つ 九六〇〇。
合計三八四〇〇。
対するハドリアヌスは歩兵の傭兵、一八〇〇〇とクロスボウ部隊二〇〇〇、そしてブルガロン人からの援軍八〇〇〇。
そして僅かだが、自前で用意した騎兵二〇〇〇。
合計三〇〇〇〇。
数はエルキュールが上だ。
「三〇〇〇〇……随分と揃えられましたね。敵さんは」
「いや、あんなモノだろ。腐っても帝国貴族だ」
敵の数に驚くダリオスに対して、エルキュールは冷静だった。
そもそもだが、レムリア帝国に於いて軍隊を有しているのは皇帝だけではない。
貴族もまた、一定数の私兵を持っているのである。
この世界の治安は日本と比べれば随分と悪い。
治安維持を専門する警察組織は存在せず、罪人を捕まえるのは騎士などの軍人。
そして軍人の本来の役割は外敵との戦いであって、罪人の取り締まりではない。
盗賊団などは早急に排除されるが……しかしその存在を撲滅することはできない。
故に、ある程度の資産を持つ人間は自衛のために武器を持つ。
貴族もまた、言うまでもない。
貴族は予め、一定数の傭兵を自衛のために有しているのだ。
また、ダリオスのような勢力基盤を持たない傭兵と違い、貴族たちは大昔から帝国各地に築いた地盤がある。
本家と本家の家臣。
分家と分家の家臣。
分家の分家の家臣。
家臣の家臣、そしてそのまた家臣……
それらの勢力を糾合すれば、一定以上の兵力を用意するのはさほど難しい事でもない。
だからこそ、貴族は厄介なのである。
血縁という、古来から脈々と受け継がれてきた力を持っている。
血筋は力だ。
才能や、努力、人脈、財力、教養と同じだけの価値を持つ、その人間の持つ確かな力だ。
血筋を『実力』ではないと否定するのは、神から与えられた才能を『実力』ではないと否定するのと同じほど、愚かで、現実が見えていない。
そしてエルキュールはこの世界で最も血筋による恩恵を受けている人間の一人だ。
「まあ、折角の血筋も腐らせればただの赤い水だ。……さて、連中には高貴な青い血は勿体ない。今、ここで大地にぶちまけて、神に返してしまおうじゃないか」
なあ?
エルキュールはそう言って自分の家臣を振り返る。
ガルフィス、エドモンド、ダリオス、カロリナがそれに答えて笑みを浮かべた。
「では、諸君……まずは、厄介な騎兵の排除から始めようか」
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