第22話 神のお告げ

 「ふざけるな!! 裏切り共め!!!」




 レムリア帝国、元皇太子。


 ハドリアヌスは怒りに震えていた。




 元々、彼はレムリア帝国の正式な継承者だった。




 しかし、つい欲望に負けて貴族の女子に暴行を加えたことが原因で廃嫡させられたのだ。


 尚、ハドリアヌスは今でも「自分を誘惑した」相手が悪いと思っている。




 皇太后と父であるハドリアヌス三世に甘やかされて育ったハドリアヌスの辞書に反省の二文字は無い。


 悪いのは自分ではない、世界だ。




 「何故だ!! 僕が、僕こそがレムリア帝国の皇帝に相応しいはずだ!! あり得ない、あんな若造が皇帝だなんて!! それなのに!!!」




 ハドリアヌスの行動には全く擁護はできないが、しかしかと言って全く同情できないわけではない。


 そもそもだが、甘やかされて育ったハドリアヌスが急に自分を自制出来るはずが無いのだから。




 今まで甘やかされ、散々持ち上げられ、可愛がられていたのに……


 たった一度の失敗で廃嫡させられ、父親から見捨てられ、挙句に三十歳以上も年下の弟、それも当時生まれたばかりの赤子に次期皇帝の座を奪われたのだ。




 確かに、可哀想ではある。




 だが、世の中は可哀想だから、同情できるから、という理由で許されない。


 現実は非常なのだ。




 「裏切り者共め!! 僕のことを持ち上げて、たった一度の演説で寝返るだなんて!!」




 実はハドリアヌスの元にはそこそこの貴族たちが集まっていた。


 非長耳族エルフの貴族たちだ。


 エルキュールに重税を掛けられ、不満を抱いていた彼らはエルキュールに対抗するためにハドリアヌスを持ち上げていた。




 無論だが、多くの貴族はハドリアヌスを皇帝にしようなどとは思っていなかった。


 エルキュールの方がハドリアヌスよりマシなのは、どんな立場の者も同じだ。




 ただ、非長耳族エルフの貴族たちは伝統的に長耳族エルフの貴族に対して劣等感を抱いている。


 エルキュールを手放しに支持する長耳族エルフの貴族への対抗心と、これ以上重税を掛けられないように、ハドリアヌスを持ち上げることで対抗しようとしただけである。




 もっとも、ハドリアヌスを調子に乗せるために甘い言葉を吹き込んでいたのも事実だが。




 しかし先の演説で情勢が変わる。




 蛮族に先祖伝来の土地を荒らされているのは、長耳族エルフ貴族も非長耳族エルフ貴族も変わらない。


 すべての貴族の心をエルキュールは掴んだ。




 エルキュールの演説に感動した者。


 賛同した者。


 空気を読んだ者。


 そして……ごくわずかだがエルキュールの意図を汲み取った賢い者たちは一斉にハドリアヌスから離れた。




 また、演説以外にももう一つハドリアヌスから人が離れる決定的な要因がある。


 それはエルキュールへの暗殺未遂である。




 暗殺未遂に関しては公表されてはいなかったが、噂として貴族の間で流れていた。




 レムリアの皇帝は絶対権力者であり、神の代理人に等しい。


 そんな皇帝を暗殺する?




 それは明らかに「やり過ぎ」だ。




 エルキュールの怒りを恐れた貴族たちは、危険なハドリアヌスから離れたのである。




 結果、ハドリアヌスの元に残ったのは……


 情勢を読めない愚か者か、都合の良いことだけしか見れないハドリアヌスの同類。そしてハドリアヌスと癒着し過ぎて引くに引けなくなった不幸な貴族だけであった。




 「皇帝陛下。皇太后殿下がお見えです」




 情勢を読めない愚か者がハドリアヌスの母親の訪問を伝える。


 尚、ハドリアヌスは自邸や自分の派閥の貴族家の家では自分のことを『皇帝陛下』と呼ぶように指示している。




 「追い返せ! どうせ、いつもみたいに『エルキュール陛下に臣従しなさい!!』だろ? 母上もあいつの味方だ!! 敵だよ!!!」




 ハドリアヌスはまだ、エルキュールに対して臣下の礼を取っていない。


 これは大問題である。




 皇帝には、友人は無論兄弟もいてはならない。


 皇帝は唯一、絶対でなくてはならないし、歴代のレムリア皇帝はそれを目指してきた。




 だからこそ、皇帝となったからにはもはや兄弟ではない。


 君臣関係以外、成立しない。




 エルキュールに対して臣下の礼を取らないハドリアヌスの行動は、『自分はエルキュールを皇帝と認めない』と言っているのに等しく、反逆罪で処刑されても仕方がない態度だ。




 ハドリアヌスがまだ生きているのは、皇太后の助命嘆願とエルキュールが外聞を気にしているからである。


 もっとも、ハドリアヌスはエルキュールが自分を恐れているからだと思っている。




 人は自分が信じたいモノしか信じないし、見れないのだ。




 ハドリアヌスと対照的なのは、エルキュールとは異腹の兄弟であるティトゥスである。


 ティトゥスはエルキュールが皇帝に即位したその日にエルキュールに謁見し、臣下の礼を取った。




 だからこそ、エルキュールもティトゥスを信頼し、親しく接しているのだ。




 ハドリアヌスも形だけでも同じことをすれば、もう少し警戒も薄らぐのだが……


 その程度のことだけでも、プライドが許さない。




 甘やかされて肥大化したプライドは、もはや抑えることはできない。




 証拠に、母親の忠告すらも聞くことができなくなっている。




 母親がただ一人、息子として真に愛しているのはハドリアヌスだけだというのに。


 愛してるからこそ、生きて欲しいと、エルキュールに命乞いをしているのに。




 その愛はハドリアヌスに伝わらない。




 挙句、皇太后は自分のことを愛していない。


 エルキュールのことを愛していて、皇帝として支持し、期待している。


 とまでハドリアヌスは思い込んでいる。




 エルキュールが聞いたら、せせら笑うだろう。




 お前には、あの女が俺を愛しているように見えるのか?


 と。




 ハッキリ言ってしまうと、エルキュールと皇太后の関係は非常に冷え込んでいる。


 二人の間には愛情は無い。


 そして憎しみも無い。




 あるのは無関心だ。




 エルキュールは皇太后とまともに話したことがないため、自分の母親である皇太后のことを『夫に先立たれた未亡人』としか認識していない。




 一方、皇太后は優秀過ぎるエルキュールに対して薄ら寒い恐怖を抱いていた。


 ハッキリ言ってしまえば、エルキュールは可愛くないのだ。




 家族からの愛、という点ではハドリアヌスは非常に恵まれている。


 情勢を読め、最後まで見捨てずに説得してくれる母親がいるのだから。




 だが、ハドリアヌスはそれに気付かない。


 気付けない。


 気付こうとしない。




 「ところで、皇帝陛下。お聞きになりましたか?」


 「何がだ?」




 ハドリアヌスの取り巻きがハドリアヌスに伝える。




 「エルキュール殿下がトラビゾス公国へ遠征するそうです」


 「おのれ……一度たまたま勝ったからと言って、調子に乗りおって……」




 ハドリアヌスは恨めしそうに呟く。


 自分だって、手持ちに軍隊さえあれば獣人族ワービーストの傭兵くらい、簡単に倒すことができる。


 そうすれば、誰もが自分が皇帝に相応しいと思ってくれるのに……




 などとハドリアヌスは考えていた。




 もっとも、ダリオスが聞いたら鼻で笑うだろうが。




 ダリオスの実力を「大した事は無い」と思っている時点で、ハドリアヌスに勝ち目は無い。




 ダリオスは間違いなく、今世紀では十指には確実に入る将軍なのだから。




 「どうして、僕に父上は冠をくれなかったんだ……」




 ハドリアヌスは今日も喚き散らす。


 ハドリアヌスには、それ以上のことを成しえる実力も、行動に移す度胸もないのだから。
















 その夜の事である。


 ハドリアヌスの上に少女が乗っていた。




 奇妙な衣服を着た、黒髪の少女だ。




 「お前は何だ?」


 「私はアス……じゃなかった。大天使ジブリールです」




 少女は若干、嫌そうな顔をしながらそう名乗った。


 ハドリアヌスは尋ねる。




 「大天使様なのに、どうして翼が無いのですか?」


 「え、翼? あ、ありますよ。ほら、どうですか?」




 自称ジブリールは背中に白い翼を生やして見せた。


 その表情は何故か、引き攣っていた。




 「一体、大天使ジブリール様がどうして……」




 メシア教では大天使ジブリールは三大天使の一柱に数えられている。


 その役目は、神の言葉を人間に伝えることだ。


 つまりハドリアヌスの元にジブリールが訪れたということは……




 「主からのお言葉を伝えます。エルキュールはトラビゾス公国への遠征に失敗します。海路で向かう途中、嵐に会い、全ての軍隊を失うのです。今のうちに兵を集めなさい。エルキュール帝は次の遠征に夢中で気が付きません。そして、エルキュールが全ての兵を失ったという報が届いた時に、旗を掲げるのです。あなたには主の御加護が付いています。必ず、皇帝になれるでしょう。そして、あなたが皇帝になることでこのレムリア帝国は更なる発展を遂げるのです」




 「そ、それはなんと!!!」




 ハドリアヌスは驚愕した。


 自分へ、神からのお言葉が来るとは。




 しかも、皇帝に即位せよと!!




 「さ、早速兵を集めます!」


 「ええ、そうするのが良いでしょう」




 そして自称ジブリールは主から言われた内容を伝えると、ハドリアヌスの夢の中から去った。












 「変な夢を見た……いくらなんでも大天使ジブリールが来るわけないだろ」




 翌日、ハドリアヌスは冷静になって昨晩の夢について考えていた。


 さすがのハドリアヌスも、夢の内容を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。




 だが……




 「もしも、ということもあるな」




 そこでハドリアヌスは自分にとっての最大の支援者である、人族ヒューマンの大貴族を呼び、昨晩の夢の内容を話した。


 すると……




 「その大天使ジブリール様は奇妙なお召し物を着ていらっしゃいませんでしたか?」


 「着ていたぞ。それに、黒髪だった」


 「……私も同じ夢を見ました」




 ハドリアヌスは他の大貴族にも、同じように夢の内容を語る。


 するとすべての大貴族たちが、同じ夢を見ていた。




 (間違いない!! 天啓だ!!!)




 ハドリアヌスは確信した。


 自分は神に愛されている。


 そして、皇帝になるのが約束されているのだと。






 そして……


 それから一月後、トラビゾス公国遠征でエルキュールが全ての兵士を失ったという情報はハドリアヌスの元に届いた。




 ハドリアヌスは小躍りして喜び、兵を上げた。












 ところで……


 自称ジブリールに似た、悪魔が居るような気がするのだが気のせいだろうか?


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