第11話 ペロソニア戦争 その一
「そう言えば、ティトゥス……ハドリアヌス殿下は今、どうしている?」
エルキュールは目の前の優男……
自分の一つ上の兄、つまりハドリアヌス三世の次男であるティトゥスに尋ねた。
エルキュールは三兄弟の末っ子であり、二つの兄がいる。
長男のハドリアヌスと次男のティトゥスである。
長男のハドリアヌスとエルキュールは会話した文字数が百文字に満たないほど疎遠だが、ティトゥスとはそれなりに親しく、それは即位してからも変わらなかった。
腹違いで、別々で育てられたので兄弟意識はほぼ皆無だが、文学やら芸術の話に関してはお互い話が合うので、偶に二人で食事をしながら、語り合う程度の関係である。
「まだ引き籠ってますよ。自分に帝冠が来なかったのが相当堪えたようです」
「俺はいつでも譲ってやるが」
「やめてください。アレに帝冠なんて与えたら、この国は滅びますよ」
「ティトゥスは要るか?」
「はは、御冗談を」
ティトゥスは手を大きく振って、エルキュールの申し出を断った。
しかしティトゥス自身、自分が皇帝には向かないと自覚しているのと、そもそもエルキュールと同様に帝冠なんぞ要らないと思っている。
ティトゥスの趣味は絵を描いたり、彫刻を掘ったり、音楽を奏でたり、詩を作ることだ。
実際、そっちの方面では帝国一、二を争うほどで後世の文化史に間違いなく乗るレベルなので、皇帝になるのは勿体ないと、父であるハドリアヌス三世に言われていた。
地球の歴史上の人物で例えるならば、徽宗であろう。
ティトゥスが即位すれば、レムリア帝国が徽宗バッドエンドを迎えるのは時間の問題だ。
「俺はハドリアヌス殿下については全く分からんからな。あの人、俺のこと絶対嫌いだろ? 俺は悪い事をしたつもりはないが……」
「まあ、兄上からすれば陛下の存在そのものが許せないのでしょうね」
「俺、何かしたか?」
「……自覚が無いのは無理もありません、陛下には非はありませんから」
そう言いながら、ティトゥスは自分の兄であるハドリアヌスがエルキュールを嫌う理由を話し始めた。
ハドリアヌス、という名前から分かる通り長男ハドリアヌスの名前は父であるハドリアヌス三世から取られている。(以下、ハドリアヌス三世は父、ハドリアヌスは長男とする)
おそらく、皇帝として即位すればハドリアヌス四世と呼ばれたことだろう。
そして元々皇帝になるはずだった。
ハドリアヌス三世は初めて生まれた我が子を後継者にと、期待と願いを込めて自分の名前を受け継がせた。
自分と同じ名前を与えるほど、幼少期のハドリアヌスを可愛がっていたのである。
しかし甘やかされて育ったのが悪かったのか、ハドリアヌスは我儘で融通の利かない子供に育ってしまった。
腕力だけは強く、よく貴族の子弟に暴力を振るってはハドリアヌス三世を困らせていた。
それでもハドリアヌス三世は貴族たちに頭を下げ、なんとかハドリアヌスを後継者にしようとしていた。
それほど可愛がっていたし、時間が解決してくれるだろうと思っていたのである。
しかし時間は解決してくれなかった。
十四年前、ついにハドリアヌスは貴族の子女を一人強姦するという皇太子としては有るまじき事件を引き起こしたのだ。
これは大きな騒動となり、帝国の政局を大きく揺るがすことになった。
この時点で、ハドリアヌス三世はハドリアヌスをついに見限った。
しかし見限ったからとはいえ、次男のティトゥスもあまり優秀とは言えない。
どうしたモノか……
と思っていた時に産まれたのがエルキュールであった。
こうしてハドリアヌス三世の寵愛は一気にエルキュールに向き、今まで自分を期待し、可愛がってくれたハドリアヌス三世の寵愛を一気に失ったハドリアヌスはエルキュールを憎むようになったとさ。
めでたし、めでたし……
「めでたくないだろ。というか、父上も子育て下手クソだな」
「陛下で育成大成功したじゃないですか。長男、次男の養育失敗の反省を活かせていますよ」
ティトゥスはケラケラと面白そうに笑った。
二人はハドリアヌス三世に対して、あまり父親としての意識を持っていない。
そもそも期待されていなかったティトゥスはハドリアヌス三世と殆ど会話していないし、エルキュールに対しては長男ハドリアヌスの時の反省を生かして、過剰に甘やかさないように関わりを避けたため、殆ど親子の会話をしていない。
二人にとっては父親と言うよりも、先帝であり、それ以下でもそれ以上でもなかった。
「それで、いつ殺しますか? 陛下」
「物騒だな。大人しくしている限り、殺す予定はないぞ」
エルキュールは肩を竦める。
ハドリアヌスがエルキュールのことを憎み、その帝冠を奪おうとしているのは自明である。
しかし思っている、だけであり実際に行動に移したわけでも計画したわけでもない。
この段階で殺すのは、エルキュールの評判を悪くするだけと言える。
「あれが大人しくしているわけでないでしょう……貴族共と組んだら、厄介ですよ」
「その貴族共の不満も今は鳴りを潜めているだろ」
蛮族を倒し、失われた領土を取り戻し、そして永遠の都であるレムリアを再び手中に収める。
そのためには、精強な軍隊が必要で、その軍隊を維持するためには重税が必要だ。
というエルキュールの説明を聞いて、多くの貴族は納得した。
レムリア帝国はかつて大国であった。
現在では半分の領土を失い、かつての故地すらも蛮族が割拠する状態である。
そんなレムリア人の心を支えているのは、自分たちは神聖なる神の国、最後の審判が訪れるその時まで、地上にあり続ける最後の帝国の民である。
というプライドであった。
領土の回復。
という言葉は貴族たちの心を強く揺らしたのだ。
とはいえ、心を揺らした貴族の多くは建国当初から、レムリア帝国に居て、その上寿命が長く望郷の念が強い長耳族エルフだけである。
新参貴族家の者たちは、領土回復にあまり興味が無く、エルキュールに対して不満を抱えたままだ。
「ですが、陛下。非長耳族エルフの貴族は不満を抱えたまま。彼らがハドリアヌスと手を組んだら……」
「あなたはやはり、政治が苦手だな。ティトゥス。連中に何ができると言うのだ? 反乱は不可能だぞ。組合ギルドを通じて、物と者の移動は容易に把握できる。仮に連中が武器と食糧と傭兵を集めれば、容易に分かる。暗殺? それはより不可能だ。カロリナの守りを突破できる刺客なんぞ、いるわけない」
私が陛下を守ります。
と、息巻いているカロリナをエルキュールは思い浮かべた。
カロリナだけでなく、エルキュールの身の回りには手練れが常に守りを固めている。
この守りを突破し、カロリナを突破し、そしてエルキュール自身を突破するのは不可能と言える。
十人以内の刺客であれば、エルキュールが契約している大精霊・・・でどうとでも対処できる。
「まあ、どちらかと言えば暴発待ちだね。暗殺未遂でもしてくれれば、こちらとしては簡単に殺せるわけだし」
エルキュールは手をひらひらと振って見せた。
毛頭、エルキュールは殺されるつもりはなかった。
「ところで、例のアレはできてるか?」
「そりゃあ、勿論」
ティトゥスはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、木箱を取り出した。
木箱の中に入っている、白と赤の布をエルキュールに広げて見せる。
「カロリナ殿専用メイド服!!」
ティトゥスがそう言って取り出したのは、エルキュールがカロリナに着せるために作らせたミニスカメイド服である。
白と赤を基調としたそのメイド服はとても可愛らしく、そして若干エロいデザインで、十四歳という大人と子供の間という危うい時期のカロリナに着せれば、似合うことは間違いなしの代物であった。
エルキュールの趣味全開である。
「サイズは言われた通りに設計しましたが……大丈夫ですか?」
「安心しろ。俺の目に狂いはない」
エルキュールの視力九・〇は狂いなく、カロリナのスリーサイズと身長を計測していた。
伊達にいつもカロリナの肢体をじろじろ見ていたわけではないのである。
……何やってるんだ、お前は。
「ところで、いつ着せるんですか? 陛下とカロリナ殿の約束は、軍制改革が成功したら。ですよね? 成果が出るまでダメだと聞いたのですが……」
「ああ、それは安心しろ」
エルキュールは笑顔を浮かべた。
「明日、戦争しに行くから」
まるでピクニックに行くかのような、エルキュールは言った。
ペロソニア傭兵団領。
それはレムリア帝国内部に建国された国家である。
約八年前、エルキュールが四歳の頃、時の皇帝ハドリアヌス三世が傭兵に対して契約金を支払うのを渋ったことが原因で、傭兵の反乱が勃発した。
ハドリアヌス三世はこれを鎮圧するために、軍隊を率いて戦いを挑んだが……
傭兵隊長ダリオスに敗北。
最終的にペロソニア半島を割譲することで、和睦が成立した。
以降、ペロソニア半島は傭兵による実質的な国家により支配された。
このペロソニア半島は帝国南方領土からノヴァ・レムリアまでの航路の近くにあり、レムリア帝国の制海権を脅かしていた。
幸いなことに、傭兵団領は海軍を持っていないため商業の妨げにはなっていないが……
目の上のたん瘤であり、そして国防上厄介な憂いであることは変わらない。
なお、三年前、エルキュールが十二歳(即位前の数か月前)にハドリアヌス三世はこの傭兵たちを国内から追い出すために再び戦いを挑んだが、こっぴどく負けている。
崩御はその時の心労が間接的な原因になっている。
この戦争に参加させられたエルキュールは命からがら逃げる羽目になった。
エルキュールは新たな常備軍を試すために、このペロソニア傭兵団領に攻め込もうと考えていた。
つまり失地回復戦争であり、父親の名誉を晴らす戦いであり、三年前の復讐であった。
「というわけで、行くぞ! ガルフィス!!」
「これはまた、突然ですね」
エルキュールがガルフィスにペロソニア半島への遠征を提案したのは、ティトゥスとの会談の一週間前だった。
「陛下、いくらなんでも早すぎではありませんか? もう少し、様子を見て、陛下御自身も経験を御積みになられてからの方が……」
「ペロソニア傭兵共の方が、戦争を仕掛けようとしているとしたら?」
ガルフィスの言葉をエルキュールは遮った。
怪訝そうな表情なガルフィスにエルキュールは答える。
「小麦組合ギルドや鉄組合ギルドからの報告でな。不自然な小麦や鉄の動きがある。それに各地の商人たちから、傭兵の不自然な動きも報告されている。それらを辿ると、ペロソニア傭兵団領に行きついた。連中の準備が整うのは、二週間後だな」
ガルフィスは目を見開いた。
「へ、陛下……それは……」
「な? 組合ギルドを作らせて良かっただろ」
エルキュールが組合ギルドを作らせたのは、何も税金を採るだけではない。
商人たちから情報を集めるためでもあるのだ。
情報を征するモノが、世界を征する。
というわけである。
「若い王をぶん殴って、金を奪ってやろうという魂胆だろうな。連中の財政基盤はかなり不味いらしいし。ペロソニア半島の農民たちも、かなりの重税で苦しめられているようだ。……ここは一つ、人のことを舐めて掛かっている失礼な傭兵共の顔面を先にぶん殴ってやろう」
「ですが、今から兵は……いえ、常備軍ならすぐに動かせますね。海路で向かえば、敵よりも先に攻撃できる!」
「そういうことだ」
エルキュールはニヤリと笑う。
しかしガルフィスの顔は晴れない。
「どうした? 何か心配事か?」
「……いえ、陛下にとっての初めての指揮です。地の利のある防衛に徹した方が……」
「ペロソニア半島は八年前まで我が国の領土だろう。安心しろ、商人たちからの情報で八年前とさほど地理は変わっていないことは分かっている。それにペロソニア半島の民は傭兵共の圧政からの救済を望んでいる。住民の支持は我らにある。……それに後手に回る防衛よりも先手の攻撃の方が俺は好きだね」
攻撃と防衛。
一般的には防衛の方が有利と言われるが、必ずしもそうとは言えない。
自由に攻撃地点を選べる、という意味合いでは攻撃側の方が有利だ。
どちらを優先するかは、指揮官次第。
エルキュールは後者の方が好きだ。
「しかし猛将ガルフィスともあろう者が随分と引け腰だな。……まあ父上の所為で連敗していれば、後ろ向きにもなるか……安心しろ。俺は父上とは違う。ちゃんとお前の意見を聞いて、、深入りしない。作戦は将軍たちと話し合って決める。どうだ?」
「……約束してくださいますか?」
「ああ。勿論。忠告を聞かずに失敗すれば、カロリナに嫌われるしな」
エルキュールは片目を瞑る。
ガルフィスは溜息混じりに立ち上がり……
「分かりました。……私も守るより攻めの方が好きですしね。陛下に勝利を献上いたします」
「頼りにしているよ、『猛火のガルフィス』」
斯くして、ペロソニア戦争が始まった。
軍制改革から一年。
エルキュール帝十五歳の時である。
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