第7話 自然保護とコークス炉
製鉄はさほど難しい理論ではない。
要するに、鉄鉱石(酸化鉄)と炭素を反応させ、酸化還元反応により鉄を取り出す、という中学生理科レベルの化学知識があればある程度理解できる。
さて、酸化還元反応に使用する炭素は昔から木材、つまり木炭が使用されていた。
問題は大量の木材を使用することだ。
どんなに国内に鉄鉱石が採れても、木材が無ければ鉄は生産できない。
かつてイギリスは国内に鉄鉱石を有し、製鉄技術も持っていたにも関わらず、鉄の多くをスウェーデンから輸入していたという。
これは森や山の木々を、開拓や船の建造などのために伐り過ぎてしまい、木材が不足したからである。
逆にスウェーデンは木材が豊富にあったため、その木材で鉄を作り、海外に輸出することで財を得て、バルト帝国と呼ばれるほどの国力を有した。
そんな状況を打破したのが、イギリスのダービー父子が作り出したコークスである。
石炭には、炭素以外にも硫黄などの不純物が混じっている。
石炭を使用して鉄を作ると、硫黄と鉄が反応して硫化鉄ができてしまい、鉄が脆くなる。
そこで石炭を乾留―空気を断った状態で蒸し焼き―することで、石炭から不純物を取り出して、高純度の炭素だけを取り出す。
これがコークスである。
幸い、イギリスは山は禿げていたが石炭は豊富にあった。
このコークスの発明により、イギリスは鉄を自給できるようになったというわけである。
つまり!
禿は罪。
「という理論なのだが、理解できるか?」
「うーむ、感覚的には何となく分かりますぞ、陛下」
エルキュールは顎髭を三つ編みにして、首に巻きつけるという独特なファッションをしている男……炭鉱族ドワーフに、コークスに関する説明をしていた。
炭鉱族ドワーフ、それは長耳族エルフにとって長い間共にレムリア帝国を支えてきた同胞であり、伴侶と言っても過言ではない種族である。
手先が器用で、力も強く、そして長耳族エルフと同様に精霊術に長ける。
長耳族エルフとは近縁の種族で、寿命も平均百五十年と長耳族エルフに次ぐ長さだ。
もっとも、見た目は大きく異なる。
長耳族エルフは綺麗な肌と薄い体毛、すらりと長い手足に、高い身長、非常に整った顔立ちの者が多い。
一方、炭鉱族ドワーフは……
浅黒い肌、濃い体毛、短くてずんぐりした手足、低い身長、お世辞にもあまり整っているとは言えない顔立ち……
と、見た目に関しては正反対である。
そのため、出会った当初は紛争が絶えなかったという。
しかし都市国家レムリアを建国した、レムロスが炭鉱族ドワーフを征服したことで話は変わる。
実は長耳族エルフという種族は工業が……というより、仕事が苦手だ。
仕事よりも遊ぶこと、そして遊びよりも……戦争を好む。
事実、長耳族エルフは精霊術の多くを戦争に転用してきた。
その長い手足と人族ヒューマンの数倍の腕力、樹上生活で鍛えられた平衡感覚、そして元々狩猟民族であり、産まれながらに有する闘争本能は戦争で真価を発揮する。
普段は
「まあ、なんとかなるさ。来年から本気だすって」
「可愛い女の子(カッコイイ男)いないかなあ」
「農業ってめんどくさくね?」
「家作るくらいなら雨に濡れるわ」
「服着る必要ある? 一々作るくらいならもう裸でよくね?」
などと言ってはいるが、一度戦争に出れば次々と敵を討ち取っていく優秀な戦士へと変わる。
一方、炭鉱族ドワーフは戦うのが苦手だ。
身長が低く、手足が短いため武器を扱うのが下手くそなのだ。
また集中力が高く、細かい作業をするのは得意だが……咄嗟の判断力が問われる戦闘は苦手とする。
そして集団行動が得意な長耳族エルフと比べて、個人行動を好む炭鉱族ドワーフは集団行動が苦手で、隊列を組むことができない。
戦争は得意だが、武器や住居を作るのは下手な長耳族エルフ。
戦争は苦手だが、武器や住居を作るのは得意な炭鉱族ドワーフ。
まさに運命の出会いである。
以来、炭鉱族ドワーフはレムリア帝国の産業を支えてきたのである。
ちなみにこれは余談だが、頑張って純血を維持し、その上で混血長耳族ハーフ・エルフの数を増やそうと頑張っている長耳族エルフと対照的に炭鉱族ドワーフは何の苦労もせずに純血を保ち、そして混血も殆ど居ない。
これは……
推して量るべし。
察しろ、相手が同じ炭鉱族ドワーフしかいないんだ!
男も女も毛むくじゃらなんだから、仕方がないだろ。
さらに余談だが、炭鉱族ドワーフに禿はいない。
そして長耳族エルフは禿が多い。
「しかし、どこでこのようなことを学んだのですか? それとも、陛下がご自分で?」
「いや、本で読んだんだよ。どの本かは忘れたけど」
コークスの発明はエルキュールの発明ではない。
昔の偉い人の発明である。
だから、エルキュールも自分で考えたなどと嘘は言わないし、誇りもしない。
まあ、知っているという点で優位なのは事実であるので、そのことに一々卑屈になったりするつもりはない。
知っているエルキュールと知らない人間では、知っているエルキュールの方が幾分か偉大であるのは間違いない。
そもそも、パクリが正義なのは世界史が証明している。
パクられた方が悪いのだ。
「で、肝心なのはできるかどうかだが……」
「要するに、木炭を作る際に木材が空気に触れないようにするのと原理は同じ。ならば、十分に可能ですな。簡単な仕事です。一か月ほどお待ち頂ければ、作り方を理論化できます。さらに半年頂ければ、コークスを作るのに最適な炉を作って見せましょう」
「さすが、炭鉱族ドワーフだな」
「当然です、陛下」
炭鉱族ドワーフの男はくぐもった低い声で笑った。
「陛下、いつになく今回は精力的ですね」
「失礼だな。俺はいつも政治に熱心な名君だぞ」
クリストスに対してエルキュールは答えた。
クリストスは苦笑いを浮かべる。
「本当のところ、動機は何ですか?」
「カロリナに、財政改革で内政を終えてしまうんですか? って言われてな」
結局、下心が主な動機であった。
エルキュールなのだから、仕方がないが。
「しかし、そこまでして森を保護する意味がありますか?」
「ほう……意外だな。一番お前が賛成してくれると思ったが」
エルキュールの言葉にクリストスは首を傾げた。
「製鉄で使用する木材がなくなれば、それだけ木を別のところに回せる。……造船とかな」
エルキュールがそう答えると、クリストスは成るほどと手を打った。
現在のレムリア帝国は海運国家である。
海運国家であるレムリアにとって、強力な海軍を維持するのも、大きな交易船を作るのにも、どちらにせよ大きくて丈夫な木材が、竜骨が必要になる。
エルキュールの森林保護は、農業林業以外にも貿易や軍事に繋がる多角的な政策なのである。
「そう言うわけで、異論は無いな?」
「はい……ところで、どのように保護をするおつもりで?」
「さすがにいきなり禁令を出すと経済が混乱するから、一先ず全ての森林を国有化をする。で、その森林を普段から使用している村に、森の独占的な利用と管理権を与える」
これは割と有名な『共有地の悲劇』と言われる経済学説を前提とした政策である。
『共有地の悲劇』の概略を簡単に説明するのであれば、「共有地は誰の物でもないから、みんな好き勝手に使って荒れ果てちゃうけど、私有地だったり何か、特定の人たちの物だったら、計画的に使って、荒れ果てたりしないよね」という理論で、現代地球の環境破壊が主な例として挙げられる。
ちなみにこの『共有地の悲劇』の理論を前提として作られたのが、京都議定書であり、温室効果ガス排出枠である。
レムリア帝国の森林は当然誰の物でもない共有地である。
現在は大商人などが好き勝手に切り出して、材木を売る状態になっている。
これを防ぐために、レムリア帝国の森を『みんなのモノ』ではなく『森周辺の村民のモノ』にしようというわけである。
これなら、多少は維持管理されるだろうという見込みだ。
もっともエルキュールもこの程度で森林保護になるとは思っていない。
これはあくまで第一段階、下処理である。
「森での利益を村民は得るわけだから、その見返りとして森の植林を義務付けて、定期的に報告書を提出させるつもりだ。どれくらい植林が進んでいるのか、とね。ああ、大切なことだが……森の使用権は村民のモノだが、木材の販売権は今まで通り木材組合ギルドにある。販売は全て木材組合ギルドを通すわけだから、帝国内の木の供給量と価格はある程度調整できるし、無暗な伐採が行われているかどうか、監視もできる」
独占権は要するに、監視のためである。
現状、誰が出入りして誰が伐っているのか分からない状態では監視のしようがないが、使用している人間が限られるのであれば、監視は容易になる。
エルキュールが組合ギルドを認めたのと、同様の理由である。
ついでに政府として植林をやらせるよりも、半自発的に自費でやらせた方が経費が浮く。
「ああ、そうだ……」
「どうかしました?」
「トリュフとかのキノコ類を、見返りにある程度貢納させないとな」
市場に出回っているのを買うよりも、直接仕入れた方が安全だし、新鮮で味も良いはず。
とエルキュールは期待に胸を膨らませた。
娯楽の少ないこの世界では、読書と食事とカロリナがエルキュールの数少ない楽しみだ。
「森林保護のメリットと言えば、地味で忘れていたが……漁業の発展にも繋がったな」
「それはどういうことですか?」
「森の養分を含んだ水が海に流れ込むということだ」
他にも津波対策にもなるな……
などとエルキュールは指折りメリットを数えていく。
考えれば考えるほどメリットが浮かぶ。
我ながら、天才的な政策だ。
とエルキュールは自画自賛した。
「まあ、何はともあれ、最初は伐採規制を設けない。炭鉱族ドワーフのコークス待ちだし、そのコークスもどれくらい普及させられるか怪しいからな。まあ、今は下準備と……石炭採掘に投資するしかないな」
石炭の鉱山は帝国にいくつもある。
金銀ばかり注目され、ハドリアヌス三世の時代にはあまり投資されず生産は拡大しなかったが……
政府として莫大な投資をすれば採掘量も増えるはず。
とエルキュールは考えた。
「そう言えば石炭の組合ギルドはないな……最初は専売にするか、それとも薪組合ギルドに委託するか……」
ぶつぶつとエルキュールは呟きながら、次の政策を考え始めた。
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