村に放った火が、家屋や死体を焼き尽くしたのを確認したユーリアさんは、右腕を一振りする。右腕から放たれた強風が一気に炎を消し去った。もうここにはいる必要はない。後は街へと帰り、報告をするだけらしい。


 ここに来た時と同じように魔法で作られた裂け目を通り、街へと帰還した。裏路地に降り立った僕とユーリアさんは街が少しだけ騒がしいことに気が付く。


「広場の方か……」


 彼女は当然のように騒ぎがする方へ向かうので僕はそれに続く。広場ではやはり何かあるのか人だかりが出来ており、みんな一生懸命に掲示板に張り出された紙を見ているようだ。当然、僕は読むことが出来ないので内容をユーリアさんに尋ねる。


「警戒命令だとさ」

「そんな命令を出すほどの危ないことがこの街で起きるんですか?」

「いや、街中は問題ないと思うんだが、近郊にブッチャーが現れたらしい。どうやら付近の村々を襲い、大勢殺したようだな」


 ブッチャー? 食肉屋で肉を切り分ける人のことを指す言葉ではあるが。


「ブッチャーは異名さ。奴は元々この街の死刑執行を担当していたんだ。二メートル半はある身長に、ブクブクと太った体。巨大な斧を器用に扱い、肉を削ぎ落とすようにじわじわと罪人を嬲り殺す姿からその異名が付いたんだ」

「どうして化物でもない人間が村を、それに同じ国の人を殺す真似を……」

「さぁね。大方、魔女にでも誑かされたんじゃないかと思うが、詳細は知らんよ」


 ユーリアさんは大袈裟に肩をすくめる真似をしてみる。知らないというよりは興味がないのだろう。


「本当にブッチャーが現れたのなら、この街中にいるバウンティハンターは一斉に奴を狩りに行くだろうな。報酬もそうだが、領民の命にかかわる重大な案件だ。討伐を成功させたものにはきっと、市民権の付与が約束されるだろう」


 そう言えばそんなことも言っていたなと、まるで他人事みたいに彼女の言葉を聞いていると


「まぁ、もう帰ってしまう君には関係のないことだがね」


 と嫌味っぽく言う。僕は気分を損ねてしまい、帰りの道中は口を聞くことはなかった。



 その夜。僕はベッドの上で輾転としていた。

 ユーリアさんが言うには、三日ほど待てば元の世界へと帰れるようになるらしい。ここへは崖下へと突き落とされて辿り着いたが、帰る時はどうなるのだろうか。今度は舌ではなく、上へと昇っていくのだろうか。そもそも異世界への行き方に決まりはあるのだろうか。と、ここまで考えたところで、これは無粋であることに気づく。異世界への転生はいつだって唐突で不可解。だからこそロマンがあるのだ。それでいいのだ。


「……」


 僕は異世界へと転生することが出来たが、この世界で成し遂げたことなどはほとんどない。英雄譚を残すことも無ければ、かわいい女の子に囲まれて、穏やかで癒しのある生活を送れることもなかった。ここでの二週間はほぼ修練に費やされ、根拠のない自尊心をこの世界の現実に打ち砕かれたのである。


「君は、元の世界でも逃げ続けるんだろうな」


 不意にユーリアさんの言葉が頭の中で繰り返される。あの時の彼女の目は憐憫と侮蔑を含んでいた。


「別にあんな事を言わなくたって……」


 再び寝返りを打つ。

 僕だって逃げたくて逃げているわけじゃないんだ。自分に合わないことを続けていても無駄だと身をもって知っている。それにこれは僕の本質だ。人の本質は簡単には変わらないから仕方ないんだ。


「……」


 逃げちゃいけないことくらい僕だって分かってはいる。だからこそ異世界に転生をすることが出来た僕は自分が変わることに期待をした。けれど結果的に何も変わることはなかった。僕はユーリアさんの言うように、現実の世界でも逃げることを繰り返すのだろう。面倒事に直面すれば回避し、適当な理由をつけて合理化をする。そして、アニメやゲームの世界に浸り現実逃避を……。


「……」


 違う。これが間違っているのは分かっている。自分の性格を改めるべきなのは自分がよく知っている。このまま現実の世界へと戻り逃避の生活を繰り返せば、この認識はきっと霧散してしまう。変わりたい。確かに僕はそう思った。じゃあ、どうすればいい?


 ある考えが脳裏をよぎる。それはどう考えても難しい。しかし、今こそ僕は困難に向かっていかないとダメな気がするのだ。


「行くしかない……」


 部屋の窓からは蒼白い月の光が差し込む。外は人気がなく静まり返っている。

 僕は手早く準備を済ませると、唯一の居場所である民家を飛び出す。そして目的地へと、ブッチャーが目撃された場所へと向かったのであった。

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