僕は裂け目から放り出され、転がるように着地する。ユーリアさんは僕より遅れて裂け目から顔を出すと、僕とは対照的に小さな障害物でも超えるかのように降り立つ。放り出された際に打ったところを擦りながら立ち上がると、そこはレンガ造りの建物が並ぶ城下町とは違う、周りを広大な緑に囲まれた村であった。ただ木造の家屋が立ち並んではいるが、屋内に人の気配はなく、村の中は生活の痕跡すら全く感じられない。それに、


「この臭いは……」


 咄嗟に鼻を覆い隠したくなるほどの我慢できない臭いが鼻腔に充満する。木が焼けた匂いではない。腐乱臭、と言えばよいのだろうか? いや、それだけじゃない。そこに血や嘔吐物の臭いを混然とさせた今までに感じたことのない臭いだ。得も言えぬ強烈な死臭が村には漂っている。


「死体の臭いだ。この村は屍喰らいに襲撃され、村民のほとんどが食われたそうだ。屍喰らいに食い散らかされ放置された死体がこの腐った臭いの原因だろうよ」

「屍喰らい?」

「名前の通り、死体を食い荒らす化物だよ」

「死体を……」

「いや、死体だけならこうも酷いことにはならない。奴らは生きている人間も襲うからよく問題になるんだ」


 そう言うと近くの家屋に近寄る彼女。彼女について家屋に近づくと、さらに死臭が強くなる。


「恐らくここだな」


 ユーリアさんは勢いよく戸を引く。そこにはもはや原型を留めていない死体の数々が山積みにされていた。この光景はあまりにも筆舌に尽くし難い。首と胴がくっついていればまだ良い方であり、誰のものとも分からない腕や足がそこら中に……。


「……うっ」

「屍喰らいはこうやって食べ物を保存する習性があるんだが……って、おいおい。これくらいで気分を害していたんでは先が思いやられるぞ」

「だって、こんなのを目の前にして普通にしている方がおかしいですよ。これ、全部が人の死体ですよ!」


 僕の指摘に暫時、彼女は黙考をする。


「まぁ、こういうのは慣れだ。この世界では往々にして自然の驚異に晒されることがある。これもその一つだ。この世界で生きていくためには、これを認めなくてはならんのだよ」

「でも……」

「あまりグチグチ言うんじゃない。それが嫌なら君がどうにかするんだな」


 厳しい口調で言うと、隠す様に戸を閉める。


「さて、死体が残っているということは奴らがここに戻ってくるということだ」

「それまで、待つんですか?」

「馬鹿を言うな。そんなことをしていたら日が暮れるよ」


 ユーリアさんは腰から短剣を取り出すと、刃を自らの手のひらに当てがう。


「何を……?」

「屍喰らいは非常に嗅覚が鋭い。様々な臭いが混然としている中でも一滴の鮮血の臭いを嗅ぎつけることが出来るくらいだ」


 彼女は短剣を軽く引き、手のひらに斬り傷をつける。ツーっと真っ赤な血が、彼女の白く細い腕に伝わっていく。


「さぁ、少年。準備をしろよ。奴らが寄ってくるぞ……」


 ユーリアさんは不敵な笑みを浮かべる。

 僕は急いで肩に掛けていたショートソードを引き抜くと、周囲に注意を向ける。すると、前方の崩れた家屋の影に何やらゴソゴソと動くモノが幾つか。


「ユーリアさん、あれ……」


 不安そうに尋ねるが、彼女は何も言わない。ジッと前方を見つめたままだ。恐らく集中しろと言いたいのだろう。僕は剣を握りなおすと意識を集中させる。

 崩壊した家屋の物陰からゆっくりと現れたのは四体の見たことのない生物だ。全身は皮膚がめくれたように赤黒く、発達した筋肉がむき出しになっている。顔にあたる部位には耳や鼻といった器官は見当たらず、大きく裂けた口があるだけだった。その口からは鋭利な牙が見え隠れしており、涎が滴っている。四つん這いになって近づいて来る様子は、胸いっぱいの嫌悪感を覚えさせるのに十分だ。


「ふむ、四匹か。私は手伝わないから、君が一人でどうにかしてみなさい」

 

 ユーリアさんはこんな状況にも関わらず欠伸をしており余裕な様子である。

 一人か。いきなり四対一は辛いものがあるがここはヒットアンドアウェイで確実に一匹ずつ仕留めてだな……。頭の中で完璧なシミュレートが完了し、いざ、動き出そうとしたその刹那、眼前にはもう一匹の屍喰らいが僕に食らいつこうと飛びかかってきていた!


「うわっ!」


 咄嗟に剣の面を向け、食われるのを阻止しようとする。しかし、思いのほか重量があるため、飛びかかられた僕はそのまま押し倒されてしまう。化物はその鋭い牙で必死に僕の首元に食いつこうとするが、僕もそれに負けないように剣で化物の首を抑え、押し返す。すこうしている内に残りの三匹が勢いよく駆け寄ってくる。このまま僕に襲い掛かるのかと思いきや僕の脇を素通りし、ユーリアさんの元へと向かっていく。


「危ない!」


 自分に置かれた状況を無視し、そう叫ぶ。

 彼女は自分に殺意むき出しで駆け寄ってくる化物をチラリと一瞥すると、左手を一振り。すると、左手からは強烈な炎が放たれ、最初に飛びかかった一匹が瞬く間に業火に包まれて消し炭と化す。それを見た残りの二匹は飛びかかるのを躊躇し、彼女から距離を取る。どうやら状況を判断できるだけの知能はあるらしい。


「私のことは気にしなくてもいいぞ。それより、君は自分のことを気にしたらどうかな?」

「それも、そうですね!」


 依然として僕は屍喰らいにマウントを取られた状況で格闘を続けていた。化物が僕に食らいつこうと大きく裂かれた口を近づける度に、この村に充満している強烈な死臭と同じ臭いが鼻を突き、僕は顔を歪ませる。それに化物の涎が皮膚に垂れ、皮膚が灼けるような痛みを覚える。

 

 どうにかしてこの状況を覆さないと不味い……。


 化物は噛みつこうとする際に大きく反動をつける。顔を僕から離した瞬間がチャンスだ。化物が喉を噛み切ろうと牙を鳴らす。そして大きく反動を取る。


 今だ……! 


 僕は首元に当てた剣に渾身の力を込めて化物の体を浮かす、そして、思い切り化物の腹部を蹴り飛ばした!化物は勢い余ってひっくり返るが、すぐさま起き上がると、僕に向かって低く唸る。問題はここからだ。どうやってこいつを殺すのか。正直なところ剣を振るう事しか教わっていないため、動こうにも動くことが出来ないのだ。


「まだ時間がかかりそうか?」

「そうやって、焦らせないでくださいよ!」


 行動の正解が見えない苛立ちから吐き出す様に答える。これが隙を生んでしまったようだ。屍喰らいが再び飛びかかってきたのだ!


「同じ手にかかるか!」


 飛びかかってくる赤い塊を交わし、同時に繰り出される引っ掻き攻撃を剣でどうにか防ぐ。何度も何度も化物の飛びつきを交わしては剣で攻撃を防ぐ。繰り返していくうちに攻撃のリズムが見え、何とか反撃の糸口を見つけることが出来そうだ。


「あと、少し……」


 だが、化物たちはそこまで甘くなかった。屍喰らいは三匹いるということをどうにも失念をしていたらしい。僕は目の前の一匹に集中するあまり、側面から飛びついてきた別の屍喰らいの存在に気が付かなかったのだ。


「しまった!」


 反射的に側面から飛びかかって来た一匹に剣を振るう。するとそれは見事に頭部を真っ二つにし、ピンク色の血が周囲に飛び散る。


「よし!」


 喜びもつかの間、今度は先ほどまで対峙をしていた一匹がこちらに飛びついてくる。どうにか防御態勢を取ろうとするが、側面からの一匹を相手にしていたことにより生まれた時間の差が隙となり、僕は屍喰らいに圧し掛かられ、押し倒される。加えて運の悪いことに押し倒された勢いで右手に持っていた剣はギリギリ手の届かないところへと飛んで行ってしまった。


「マズい……」


 両手で化物の肩付近を抑えるが、ヌメヌメとしているため、両手は滑り、上手い具合に力が伝わらない。カチカチと牙を鳴らす音が何度も聞こえる。僕はどうにか抵抗をしていると、視界の端で何かが勢いよく近寄ってくるのが見えた。いや、何かと表現しなくてもそれが何なのかはハッキリ分かっていた。近寄って来たのは残っていた屍喰らいだ。


「あぁ……」


 死の恐怖から呼吸が早くなるのを感じる。脳をフル回転させ、この状況を脱する策を模索するが、焦燥感から思考がまとまらない。それでも死の臭いをまとった化物は確実に近づいてくる。屍喰らいが勢いよく飛びかかるのが見えた。


「う、うわあああああああああああ!」


 僕は確実に死を覚悟した。

 次に目にしたのは二匹の屍喰らいがグチャグチャに四散する光景であった。

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