第三話 友人でも殺るときは殺る
(銀の槌)の扉を開けると、竜の息吹のような熱風が二人に吹きかかった。
熱気の元は、品物を売るためのカウンターを超えた先の工房だ。
工房では炉が魔晶石の火で鋼を溶かし、茹で上がるような熱気を放出しているために、鍛冶屋の中は常に高温である。
密室でストーブを焚いているような暑さに耐えながら、ハリーとユエルは扉をくぐった。壁にかかった剣呑な武具の数々と、客の試し切りのために切り傷だらけの木人が二人を出迎えた。
「スドゥン爺さん!?」
ハリーが声を張り上げると、奥の工房からカーン、カーン、という金槌の音と一緒に、しわがれているが力強い声が返ってきた。
「ハリーか!?今は手が離せんから、奥まで入ってこい!」
ハリーとユエルは、カウンターを通り過ぎて工房に入った。熱気はますます強くなり、身体の奥から汗がじんわりと出てくるのを感じる。
「コラッ!もっと力加減しろ!力任せじゃなく、もっと丁寧にだ!」
スドゥン爺さんは炉の前で、赤熱した鉄の棒を金槌で叩いているギグを怒鳴りつけていた。
普段なら見習い弟子のギグに作業はさせないのだが、今日は珍しくギグに鍛冶を教えている。
ギグはスドゥン爺さんの弟子で、オークだ。弟子になった経緯は知らないが、まだ日が浅いことだけは知っている。
そして、いい奴だ。オークと言えば、野蛮で乱暴なイメージがついて回るものだが、ギグには全くもってそれが当てはまらない。
常に陽気で、面白い冗談をいくつも知っている。ある時、オークというだけで人に馬鹿にされたときに、
「もう少し上手く馬鹿にしてくれよ、あくびが出てくるから」と笑って返したのを見た時は、尊敬すら覚えたものだ。
今、スドゥン爺さんはギグに金槌を握らせて、ギグはスドゥン爺さんから技術を学び取ろうと実践している。正しい師弟関係の在り方がそこにあった。
とても話しかけ辛い雰囲気だ。だが、ハリーは意を決して声をかけた。
「なあ、爺さん。ちょっといいか?」
すると、スドゥン爺さんはハリーに睨みを効かせながら言った。
「今、俺が何をしてるか見えないか?時間がねえんだ。こいつに少しでもな……」
「スドゥンさん。僕が話を聞きます」
話を遮ったのは、ギドだった。
スドゥン爺さんは、鍛冶道具と一緒に床においてあるパイプを手に取り、先端を炉の炎に突き入れて火をつけると、それをふかしながら言った。
「ちっ、まあいい。休憩だ。話を聞くついでに少し休んで来い」
「わかりました。ハリー、話とはなんだい?」
ギグの問いかけに、ハリーはユエルを肘でつついた。
「ほら、お前の話だろ」
「分かってますよ。実は、売れ残った武器を引き取ってほしいんです」
「それなら、店の方で話を聞こう。こっちに来てくれ」
ギグはハリーからカイトシールドを受け取ると、オークらしからぬ丁寧さでユエルを店のカウンターまで連れて行った。
そして、ユエルが地面に木箱を置いてロングソードを取り出すと、二人は値段の交渉を始めた。
工房に残ったハリーは、スドゥン爺さんのある言葉が気にかかって尋ねた。
「なあ、スドゥン爺さん。さっき言ってた、時間がないってどういうことだ?」
「言ったとおりだよ。時間がないんだ」
スドゥン爺さんはパイプの煙を吐き出した。
「ギグはこの街を出ていくんだとさ」
その事実にハリーはうろたえた。
「どうして?」
「近いうち、オークがここから追い出されるって噂が出てる。追い出されるくらいなら、自分から出ていくんだとさ」
「だから残された時間で、できる限り教えようと?」
「まあ、そんなところだ」
パイプの灰を地面に落として、スドゥン爺さんは続ける。
「言っておくがな、これは同情じゃねえ。責任だ。ここから出ていってナイフの一つも打てないようじゃ、教えていた俺の名が落ちるからな」
そういうものか。とハリーは思った。
なら、自分のバーンロッドの腕は師匠の名を落としてはいないだろうか。
「なあ、ハリーよ。俺も話があるんだが…」
スドゥン爺さんがパイプを置いて言った。その時、扉を開けて一人の客が入ってきた。ハリーはそちらに視線を向けた。
客は灰色のローブを身にまとった女性だった。青白い肌の不健康そうな顔つきをしていて、裾の長いローブで足元まですっぽりと肌を隠している。
おそらくは妖術師か、古臭い魔術師のどちらかだろう。
魔術師は他人に肌を見せてはならない。なんて古臭いジンクスは、魔術が特別な人々のものだと信じられていた時代の名残に過ぎないからだ。
ギグがカウンターに立つと、客はそちらに近づいてギグと話をし始めた。
しかし、一言か二言だけ口をきいただけで、客は店から出て行ってしまった。
その時、ハリーは言いようの知れない違和感を覚えた。
客がすぐに出ていったのもそうだが、その立ち振る舞いが何かを買うために店に入ったように見えなかったからだ。
もっと他の理由があって、この店に入った。そんな感じだ。
だが、客と話していたギグに異常は見られないし、ユエルも何事もなくカイトシールドを布で拭いている。
気のせいだろうか。
「おい、聞いてるか?」
「いや、ちょっと気になったことがあって…」
スドゥン爺さんに声をかけられて、ハリーは視線を戻しかけた。
その時だった。
ギグがカウンターに並べられていたロングソードの一つを振り上げた。
ただ振り上げただけなら、ハリーは何もせずスドゥン爺さんとの話に戻っていただろう。
だが、ギグの振り上げ方は、熟練の戦士が今まさに目の前の魔物を切り殺そうとするような、明確な殺意があった。
狙いはユエルだ。
温厚なギグがそんなことをするはずがない、何かの間違いだ。
そんな甘ったれた思考の介入を許さずに、とっさに『ガルム』を抜いて撃てたのは、
ハリーが根っからの傭兵である証左である。放たれた鉛玉はギグが振り上げていたロングソードを弾き飛ばした。
ギグの手から剣は離れて、地面に落ちてカランカランと音を立てた。
「きゃあ!?」
ユエルは拭いていたカイトシールドを取り落として、ギグを見上げた。
「ハリー、何してんだ!?」
急にバーンロッドを撃ったことにびっくりしたのか、スドゥン爺さんは怒鳴りつける勢いだ。
「凶暴化してる!隠れてろ!」
ハリーは『ガルム』を構えながら答える。
「フーッ!フーッ!」
ギグは荒い息を吐き出しながら、剣を取り落とした手を眺めた。まるで獣だ。
何があったか理解できない様子だったが、ギグはそれに構うことなく拳を頭上に振り上げた。
鍛冶仕事で鍛えられた手で作られた拳は、鉄のハンマーのようだ。食えばただでは済まないだろう。
その拳がユエルに叩きつけられる直前、ハリーがギグに飛びかかった。
『ガルム』で撃ち殺すこともできた。だが、そうするにはあまりに相手のことを知りすぎていた。
もみくちゃになった二人は、品物を地面にまき散らしながらカウンターを乗り越えて、店の入り口で取っ組み合い、やがて離れた。
ハリーが店の扉を背にする格好だ。ギグは荒い息と共にタックルの構えを見せた。ハリーは撃つべきか迷った。
たとえ体のどの部位に撃ち込んだとしても、ギグの体にいかなる後遺症を残すのかわからない。
ハリーの一瞬のためらいは、まさに致命的だった。ギグのタックルがハリーの腹に直撃した。けたたましい音と共に、ハリーはドアを破壊しながら通りに転げ出た。
突然、鍛冶屋から砲弾のように飛び出してきたハリーを、通行人たちは驚きと困惑の表情で見ていた。
「ごほっ、ごほっ…」
ハリーはせき込みながら、立ち上がった。腰に下げた二挺のバーンロッドは使えない。だからといって、素手でオークに勝つのは至難の業だ。
ギグは獲物を前にした魔獣じみて、こちらにじりじりと近づいてくる。
「お、オークだ!凶暴化したオークが出たぞ!」
「衛兵!誰か衛兵を呼んで!」
通行人が悲鳴を上げながら逃げていく。
何も武器を持たないわけにはいかないと、ハリーは右手で大型のナイフを抜いた。
ナイフは片刃だから、みねを使えば棍棒のように扱える。ギグを殺さずに無力化できるはずだ。
それでも、最後の手段としてギグを殺すことも考えねばならない。
ハリーの思考が慈悲のない戦士としての形をとり始める。どこを打つべきか、どの程度まで傷つけられるか、ギグはどのように動くか。
それなりの経験を積んできたのだ。正気を失ったオークの一人くらいなんともない。
ギグが拳を振り上げて飛びかかる。
ハリーは致命的な一撃をギグの懐に潜り込んで躱すと、ナイフの峰を右足のくるぶしに叩きつけた。
メキリ、と骨が歪むような感触を手で感じた。普通なら激痛でもだえ苦しむだろう。ハリーの予想では、ギグは足を抱えてうずくまるはずだった。
しかし、ギグは痛みにひるむことなくハリーを蹴り飛ばした。
つま先が腹にめり込んで、口の中におそろしく苦い味が広がる。朝食のバタートーストを吐き出しそうになった。
蹴り飛ばされたハリーは、路上を転がりながら左手で『フェンリル』を抜いて立ち上がった。
この時、ハリーの思考は、このオークをどうやって殺すか。に移っていた。
これはもはや、殺さずに無力化なんて甘いことは言えない。
目の前の敵を殺す。今までもそのようにやってきたのだ。人であれば持つべきためらいをハリーは持ち合わせていなかった。
そして、バーンロッドの照準をギグの胴体に向けた。腹に1発、頭に1発。同じように殺した、盗賊のオークの姿を思い出す。
今ではあの森の土中で腐り果てているであろう、太ったオークの姿。同じように撃ち殺してやる。
ハリーが決意とともに引き金を引こうとした時だった。鍛冶屋の中から、ギグの背後に向けてユエルが駆けだしていた。
その手にはさっきまで拭いていたカイトシールドがある。
「目を覚ましてください!」
そして、ユエルが叫びながらギグの頭にカイトシールドを叩きつけた。
ガツン!という鈍い音がハリーのところまで聞こえてきた。見ているだけで頭痛がしてきそうな一撃だった。
「ガ、アアアアアアアアアア!!!」
だが、ギグは何ともないようにその一撃に耐えると、咆哮を街に響かせながら、ハリーから目を離してユエルの方に振り返った。
本当に痛みを感じているのだろうか、と疑うほどにギグは頑丈だった。頭からダラダラと血を流しながらも、倒れそうな素振りすら見せない。
ギグはユエルを殴り飛ばした。ユエルはカイトシールドでそれを受けるが、あまりに強烈な一撃によって吹き飛ばされる。
「ウッ、ウオオオオオオオオオオオオオ!!!」
咆哮し、横たわるユエルに近づくギグ。ハリーはその背中に『フェンリル』を向けた。今度こそ撃つ。
その時、道の向こうから一閃の雷撃が飛んできて、ギグに直撃した。ギグは身をのけぞらせながら膝をつく。
雷撃は紫色に発光しながら、蛇のようにギグに巻き付いてその動きを完全にとめた。
『捕縛の雷』の魔術だ。衛兵が暴れる相手を傷つけることなく拘束するために使う魔術である。
「そこのオーク!これ以上暴れさせんぞ!」
声の方を見れば、剣を抜いた数人の衛兵が駆けてくるのが見えた。それを率いるように先頭を走る女性はハリーになじみがある顔だった。
衛兵隊長のアインスだ。
衛兵たちがギグを取り押さえる中、アインスがハリーに近づいた。
「おやおや、グレイブディッガーじゃないか。オークが暴れていると聞いたんだが、苦戦していたのか?」
珍しいものを見たような顔をしながら、アインスは言った。
「アインスか。早かったな」
ハリーはバーンロッドをホルスターにしまうと、歩き出した。自分の腹は大丈夫そうだが、ユエルが心配だ。
アインスは、地味な衛兵の格好に似合わない長い髪を撫でながら言った。
「たまたま、近くの広場でオークを迫害する内容の演説をしていた男を逮捕してね。ほら、あいつだ」
アインスが指さす先には、衛兵に連れられている男がいた。縄で腕を厳重に縛り上げられている。
たしか、広場の中央で演説をしていた男だ。男は、衛兵たちに縛り上げられているギグを見ながら、にやにやと笑っている。
ハリーはユエルの傍にたどり着くと、腕をつかんで立たせてやった。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。それよりも……」
ユエルはショックを受けた顔で言った。
「ギグさん、どうしてしまったんでしょう……」
ハリーは何も言えなかった。この街で起きている異変の正体どころか、何の手掛かりもつかめていない。
「ハリー…」
その時、数人がかりで取り押さえられているギグが呻くようにハリーを呼んだ。
頭から流れる血を見ると、今にも死んでしまいそうな気がした。
「どうした?」
「おいお前!離れろ!」
ハリーはギグの傍に駆け寄ると、衛兵に止められた。
「うるせえ!話くらいさせろ!」
衛兵に怒鳴りつけると、ささやくようなギグの言葉を聞いた。
「魔王だ……」
「魔王?」
「あの女が……言った……」
「なんて言ったんだ?」
「魔王の誓約を思い出せ……ううっ……」
そこまで言うと、ギグは気を失った。
「このオークを留置所に連れていけ」
アインスが衛兵たちに命令した。
「おい、ギグは俺の友人だ」
ハリーが抗議した。
アインスはその氷のような表情を崩すことなく、ハリーに言った。
「貴様の友人だろうが、のんだくれのろくでなしだろうが、凶暴化したオークは等しく留置所行きだ。これは王命でもある」
「王命?」
王命とは、その名の通りこのローラッド王国の王、クラム2世による直々の命令である。
この国にいる以上は、いかなるものも王の威光から逃れることはできない。逆らえば、裁判を通すことなく即座に死刑である。
「納得したか?お前たち、連れていけ」
衛兵たちが、気絶したギグを引きずるように連れていくのを見ながら、ハリーはギグの言ったことを考えた。
魔王。魔王の誓約。灰色のローブの女。この異変が人為的に起こっているのだとしたら、犯人は間違いなくその灰色のローブの女に違いない。
「見ただろ!やっぱりオークはこの街から追い出すべきなんだ!」
声を張り上げたのは、広場で演説をしていた男だった。
アインスは男に剣を突き付けた。
「黙れ!これ以上叫ぶと更に罪が重くなるぞ!」
「事実だ!今にオーク全員が暴れだして、この街は破壊されるんだ!俺たち全員が殺されるんだ!」
「さっさと連れていけ!」
男は衛兵に連行された。アインスはため息をつきながらハリーの方に向いた。
「はあ…最近はあの手の手合いが多くてな」
「オーク迫害派か」
ハリーはオルビスに聞いた話を思い出した。
「そうだ。今に、奴らは実力行使に出るだろうな」
「実力行使って、オークの人たちをこの街から追い出すってことですよね」
ユエルが悲しげに言った。
「どうしてそんな酷いことができるんですか?オークの人たちは、好きで凶暴化してるわけじゃないのに……」
「元からオークが嫌いな奴はいる。それが今回の件で勢力を増したというわけだ」
アインスが答えた。彼女は、面倒はうんざりだというように首を振った。
「奴らが実力行使に出るなら、私たちも駆り出されるだろうな。その前に、オーク凶暴化の原因の調査が終わるだろうが……」
「そのオーク凶暴化の原因なんだが」
「なんだ?」
ハリーは、ギグから聞いたことをアインスに話した。
灰色のローブの女の事と、その女がギグにささやいた『魔王の誓約』という言葉。
「灰色のローブの女か……」
アインスはしばし考えこんで、それからハリーに言った。
「分かった。衛兵隊で探しておこう。協力に感謝する」
「ああ、頼むよ。たぶんそいつが犯人だ」
「だとしたら、必ず捕まえないとな……それにしても、まさか君ほどの使い手がオーク一人に手こずるとは。これは酒場が盛り上がりそうだ」
アインスはおかしげに笑いながら言った。
「殺したくなかっただけだ。そういうのは苦手だ」
「ふうん。まあいいさ。それじゃ、私は業務に戻らせてもらう」
そう言うと、アインスは去っていった。
「ユエル」
「なんです?」
アインスが居なくなると、ハリーは言った。
「なんでギグを殴った?鍛冶屋に居れば、安全だったはずだ」
すると、ユエルはハリーの目を見て言った。その目はハリーを非難しているようだった。
「ハリーさん、ギグさんを殺すつもりでしたよね」
ハリーは、ぎくりとした。あの時、殺すと決めた時には感じなかったはずの罪悪感が、胸にこみあげてくるのを感じた。
「…そうだ」
ためらいながら呟く。
「ハリーさん、ギグさんを殺したらすごく後悔していたと思います。それを見たくなかっただけです」
「俺がそんないい奴に見えるか?」
「見えますよ。だから、その前にギグさんを気絶させようとしたんです」
ユエルは道に転がったままの、血の付いたカイトシールドを拾い上げた。
「失敗しちゃいましたけど」
『俺がこうして、殺したやつを埋めるのは。弔うためだ。二度と戻らない過ちを、失われることのなかったはずの命を弔うためにな』
師匠の声が聞こえて、ハリーは頭を振った。それは関係ない。過ちだろうが、結局は撃ち殺すしかなかった。
ギグだって衛兵が来なければ撃つしかなかっただろう。殺すと決めたのは事実なのだから。
「……中に戻るぞ。爺さんが話をしたがってた」
そう言うと、ハリーは壊れたドアを抜けて、鍛冶屋の中に入った。
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