第8話 新しい魔法少女だよ


 始まりは例によって海老原さんだった。というか彼女しかありえない。


「今日は貴女だけで行ってもらうわ」


 今日も今日とてロリータドレスで人形的に美しい海老原さんは、ファミリーレストランで今月のパスタ(幼妻の人肉タラコパスタ)を先割れスプーンにくるくると巻きつけながらとんでもないことを言いだした。


「マジですか」

「マジマジアルマジローよ」


 海老原さんはパスタを口にして「あら、これはアタリね」とか可愛くぬかしおる。いや、そんなこと今月のパスタとか屋根裏さんのパンツの色くらいどうでもいい。単独異世界アタックとかレベル高すぎる。海老原さんには人心がないのだろうか。


「どっどど、どどうど、どどうど、どどうしてですか」


 どどど動揺の余り、私に左藤さんがうつった。仕方なかった。私、初体験なんですけど。


「鈴木信子を倒したことの重大さはもう神様から聞いてるのよね。実はその関連でちょっと会議に行かなくちゃいけなくて」

「会議って、え、何それ。会社?」

「魔法少女業界も一枚岩でないのよ。私は神域派に属しているけど、他にも不在派、エレクア派、みみみ派、悪魔派など、たくさんの派閥があるの」

「聞きたくなかった」

「当然貴女も神域派よ」

「聞きたくなかった」


 魔法少女に夢も希望なかった。ただ現実があるだけだった。


「神域派は他の派閥とも比較的良好な関係を築いているから、今回はその伝手で不在派の魔法少女にサポートを頼んでいるわ。現地で合流して頂戴」

「なんていう魔法少女なんですか」

「魔法少女マッスル・ハッスルよ」

「え?」

「魔法少女マッスル・ハッスルよ」


 一度だけ聞き返してみたが、残念ながら聞き間違えではなかった。魔法少女マッスル・ハッスルである。


「何その脳みそ筋肉症候群にかかってそうな名前」

「安心なさい。業界随一の技巧派よ。魔法少女マッスル・ハッスルの魔法力パワーの繊細なコントロールは、きっと貴女にとって良い勉強になると思うわ」

「それが本当なら酷い名前詐欺ですね。訴えたら勝てますよ、それ」

「判決は原告敗訴で確定したわ」

「したのかよ。しかも負けてるし」

 私のツッコミが火を噴いた。







 そんなわけで私は単独で第4649P世界に行くことになった。魔法少女にとっては小さな一歩だが、私にとっては大きな一歩である。


 第4649P世界はどことなく欧州風だった。街は石畳が敷かれ、瓦斯灯がすとうの明かりが霧の中でうっすらとぼやけた。行きかう男性は皆々スーツ着て頭にシルクハット手にはステッキが基本で、女性はいわゆるスクール水着のようなものを着ていた。どこかで泳いできたのか全身が濡れている美女すらいる。美女がびしょびしょ。意味がわからない。この世界の人々は制服の私をまるで変人を見るかのような目で一瞥していった。意味がわからない。心が折れそうだった。


 魔法少女マッスル・ハッスルとの待ち合わせは時計塔前と海老原さんに言われていた。時計塔ってどこだよと感じだが、海老原さんは「行けばわかるわ」の一点張りだった。

 果たして彼女の言葉は正しかった。行けばわかった。時計塔は天を衝く高さであり、遠く離れたところから見ても頂上が全く見えなかった。時計塔の先端は遥か彼方の上空に消えていた。何故この塔が時計塔と呼ばれているのかは全くわからなかった。


 しかしえっちらおっちらと一時間ほどかけて時計塔前まで辿りつくと、ようやくこの建造物が時計塔と言われている意味がわかった。人間が見上げられる高さの根本部分まで無秩序に数多の時計が設置されているのだ。そしてどの時計も同じ時間を示していた。


 時計塔前は待ち合わせスポットになっているらしく、たくさんの人々が集まっていた。これでは魔法少女マッスル・ハッスルが誰なのかわからない。そう嘆きながら視線を巡らせると、「私が魔法少女マッスル・ハッスルです」と書かれた看板を持っている人がいた。


 いた。しかしそれは立派なカイゼル髭を蓄えたロマンスグレーなおじさまだった。


 もうマジでわけワカメだった。あれが魔法少女マッスル・ハッスルなの? え、魔法少女って何か知ってる? 少女なんだよ。ロマンスでグレーなおじさまのどこが魔法少女なの? ほんとわけワカメ。わけワカメえええええ!


 とても残念なことに、こっちが声をかけるよりも早く自称魔法少女マッスル・ハッスルが私の存在に気づいてしまった。ダンディな微笑みを浮かべこちらにやってくる。私は逃げたかった。けれども足が動かなかった。


「貴女が」そのワンセンテンスでイケボランキング上位入り間違いなしだと確信する。「【小指ザ・ラスト】の言っていた魔法少女ですね。私の名前は魔法少女マッスル・ハッスル。以後、よろしくお願いいたします」

「鶯谷蟻紗、です。よろしくお願いします」


 誰か何かつっこんでほしかった。しかし情報が渋滞で私にはできなかった。きっとここに左藤さんがいれば良心の呵責なく指摘していたに違いない。いや違う。私も勇気を出すべきだ。さあ、訊くんだ私!


「あのっ! その、本当に魔法少女なんですか?」

「もちろんです、ほら」


 失礼な質問にもかかわらず、魔法少女マッスル・ハッスルはにこやかに頷き、私へ魔法をかける。するとたちまち私の制服が白いスクール水着に変わってしまった。しかもちゃんと「ありさ」と名前まで書かれている。なんということだ! 私の制服がスクール水着になってしまった! 予備はクリーニングに出しているというのに明日は何を着て学校に行けばいいのだろうか。実に恐るべき魔法だった。


「貴女の服はこの世界では目立ちすぎますから。ど変態扱いされても文句を言えませんよ」

「マジですか」

「マジマジ浜次郎です。安心してください、帰るときにはきっちり元に戻して差し上げましょう」

「ありがとうございます」


 ど変態扱いされるより白スクの方がいくらかマシだ。私は素直にお礼を言っておいた。


「【小指ザ・ラスト】から聞いていると思いますが、ここは私のホームワールドなので安全してください」

「いえ、聞いていませんし、そもそもホームワールドの意味がわからないというか、【小指ザ・ラスト】って海老原さんのことですか?」

「なるほど」魔法少女マッスル・ハッスルは紳士的苦笑を浮かべた。「よくわかりました。【小指ザ・ラスト】は相変わらず説明が舌足らずですね」


 魔法少女マッスル・ハッスルがパチコーンと指を鳴らすと、パチコーンと精緻な彫刻の施されたテーブルと椅子が現れ、さりげなくミニスカメイドがアフタヌーンティーの用意を始めた。明らかにビックリ驚きイベントだ。しかし周りの人間は何も気にした様子はなく、まるでこの異常事態がまるで当たり前のように気にも留めない。つまりこの魔法少女は、現実を改変し、それすらも認識させないことができるのだ。恐ろしいまでに精緻な魔法力パワーだった。


「まあお座りなさい」


 魔法少女マッスル・ハッスルは自身も椅子に座り、ティーカップに口をつける。私も座る。ティーカップに口をつける。紅茶だった。すっきりとした味わい。とても正常である気がした。


「まず、貴女は、【小指ザ・ラスト】――貴女の言う斑っちがどのような魔法少女か知らなくてはなりません」

「いえ、斑っちとは言ってませんが」

「斑っちは――」私の指摘は華麗に無視された。「神域派の筆頭【神の右手ゴッド・ファイブ】として、その一指を担う優れた魔法少女なのですよ。彼女の名は派閥を問わず広く知られています」

「マジですか」

「マジエゴイスティック浜三郎です。そもそも神様にスカウトされた貴女を任されていることからも斑っちに対する信頼の高さは明らかではないですか」

「なるほど遊歩道」


 盲点だった。言われてみれば先日の神様の説明も、海老原さんがすごめの魔法少女であることが前提であった気がする。それでもやっぱり海老原さんがそんなにすごい魔法少女だという実感がわかなかった。だってわりとドジっ属性だし。


 魔法少女マッスル・ハッスルがパチコーンと指をならすと、ミニスカメイドが茶色いケーキを給仕する。おそらくチョコレートケーキだろう。魔法少女マッスル・ハッスルはフォークを用いた優雅な所作でそれを口に運んだ。私にもケーキが給仕される。食べてみるとやはりチョコレートだった。口当たりのよい上品な甘さだ。


「今回の会議は、鈴木信子の撃破を踏まえて各派閥がどのように行動するか、という内容です」

「どう行動するって役割分担とかですか?」

「いえ。魔法少女業界には様々な派閥があり、一枚岩でないことはご存知ですね」

「それは知ってます」

「実は派閥ごとに魔邪神サテュノリゼへの対応も分かれているのです」

「アッチョンブリケ!」


 思わず両手で強く頬をおさえる。まさか魔邪神サテュノリゼに与する魔法少女がいるとは! にわかには信じがたい事実だった。


「二大派閥である神域派と不在派を筆頭に主流は魔邪神サテュノリゼ討伐を掲げています。しかし、己の美の追求だけを目的とするみみみ派や終末思想を有する沈没派は魔邪神サテュノリゼの蛮行を傍観しています。そして積極的な世界の破壊を掲げるカーブル派などはあろうことか魔邪神サテュノリゼに協調姿勢をとっているのです」

「なるほど遊歩道」


 ひとまず頷いておく。とりあえず不在派の魔法少女マッスル・ハッスルが味方らしいということはわかった。


「なので会議は主として魔邪神サテュノリゼ討伐に賛同する派閥を増やすことにあります」

「その、マッスル・ハッスルさんは会議に参加しなくていいのですか?」

「私は第4649P世界を守る役割がありますので辞退しました。この世界は位相的に戦略的価値を持っていて、多くの世界に接続することができるのです。そのため、魔邪神サテュノリゼの侵蝕が激しく、今は大丈夫ですが私が離れると一気呵成にこの世界は狂ってしまうのです」

「もう既に狂ってませんか?」

「そのような視点を持つことは非常に重要なことです。疑いなさい全てを。我思う、故に我あり、などは言いません。どうして自分の意思をもって疑っていると断言できるのでしょう。疑っていると錯覚しているだけかもしれないのに。疑うことが絶対ではありません。ただ、疑わなくては隠された真実を掴むことはできないのです。さて、以上を踏まえて貴女の疑問にお答えしましょう。この世界はオールグリーン、何も問題ありません。どうして既に狂っていると感じたのですか?」

「だって女性がみんなスク水じゃないですか」

「スク水?」


 魔法少女マッスル・ハッスルはロマンスグレーダンディのくせに可愛らしく小首をかしげた。これが金髪縦ロールの貴族美少女だったら完璧だっただろう。


「スク水とはなんですか? 河豚ふぐの親戚でしょうか?」

「なんでやねん」


 私のツッコミが火を噴いた。


 そして私は説明した。スクール水着が普及したのは戦後、学習指導要領が定められ、学校において水泳が事実上必修科目となったこと、授業に用いるに適切な機能を持つ水着が各メーカーから作られ定着していったこと、材質は化学繊維が基本であること、特に女子用のスク水は旧型と新型が主流だが昨今ではスパッツ型などの新しいスク水が登場していることエトセトラエトセトラ。私はスクール水着検定準二級の知識を総動員して魔法少女マッスル・ハッスルにスク水がなんたるかを教え諭した。


 私の説法を聞き終えた魔法少女マッスル・ハッスルは鷹揚に頷いた。


「なるほど、貴女の世界にはそのようなものが存在するのですね。安心してください。大丈夫です。この世界で女性がそのスク水と似たような恰好をしているのは伝統なのです。この世界では漁業や治水といった水に関連する仕事は全て女性が担うという伝統があり、女性の入水が現代でも貴ばれているのです。ですので、いたるところには入水場があり女性が入水しているのですよ」

「マジですか」

「マジマジどっこい浜次郎です」


 確かにびしびしょ美女とかいたけれどもあれが伝統だというのか。伝統。なんというパワーワード。十万馬力は固い。


「ふふ。これも勉強です。貴女の常識の外にあるものが必ずしも異常であるとは限らないのですよ」


 魔法少女マッスル・ハッスルはダンディズム丸出しで微笑む。

 しかしスク水っぽいのがこの世界の正常だとしても、果たして魔法少女マッスル・ハッスルの存在が普通として許容されるのかどうか、私には判断がつかなかった。

 結局そういう疑問は抱かなかったことにして、「勉強になります」とだけ言っておいた。

 

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