第6話 ワンダフルわんちゃん敗れる

「さて。一応貴女も攻撃魔法を覚えたし、この流れで次の世界に行くわよ」


 私の練習が一区切りした頃合いで、海老原さんがとんでもないことを言いだした。いやいや、きっと「人生にはいつか理屈ではなく感情を以って乗り越えなければならぬ壁に直面することがある」の聞き間違いだろう。きっとそうだ。絶対そうだ。なので念のために確認することにした。


「え、なんですって?」

「だから次の世界に行きましょう。行くわよ」


 海老原さんは岩石跡地に「えいっ」と深淵まで続くような大穴を作り、「お先に」とひょいんと飛びこんでしまった。

 うそーんと思いつつも、私は一人で異世界転移ができないし、ここにいては座して死を待つだけ的状況なので、意を決して海老原ホールに飛びこんだ。


 どこまでも落下していくような感覚。このまま地面(そもそも下は地面なのか?)に墜落したら自殺志願者も真っ青な赤い染みができるだろう。

 果たしてグッバイ人生、と目をつぶっていると誰かがふわりと私を抱きとめてくれた。べちゃりという湿った感触。

 目を開けるとバナナ色をした触腕だった。五本の触腕を持つ巨大な蛸のような生物だった。端的に言ってきもかった。


「紹介するわ。この子はこの第542L世界の協力者。フェラディアンドよ」

「は? はあ……」


 海老原さん曰く、フェラディアンドなる生物は静かに私をおろした。下はぬかるんだ地面だった。受け止めてもらってよかったのかもしれない。

 どうやらここは湿地帯、というか沼のほとりのようだ。周りには案の定やたら背の高い雑草が生い茂っており、朽ちかけた木造の小屋だけが唯一の人工物だった。まあここの知的生命体が「人」だったら、の話だが。


「えと、フェラディアンド……さん? も魔法少女なんですか?」

「いいえ、この子はあくまで協力者。魔法少女業界では各世界に協力者を配置していることがあるけれども、この子はそれよ」

「それですか」

「ええ、それ」


 全く知らなかったが雰囲気で物知り顔して頷いておいた。とりあえずフェラディアンドにお辞儀する。


「あの、ありがとうございました。よろしくお願いします」

「うみ。殊勝な小娘じゃじゃん! 朕にあれうし!」


 魔法力パワーできちんと翻訳されているはずなのにちょっと何を言っているのかよくわからなかった。力不足なのだろうか。困って海老原さんに視線を向けると、彼女は満足そうに頷き、「お互い円満に挨拶は済んだようね。行くわよ」とか言いだした。挨拶どころか意思疎通ができたかすら不明確なんですけど。


 置いていかれても困るのでジュクジュクと海老原さんの後をついていく。どうやらボロ小屋に入るようだ。フェラディアンドの重みで悲鳴をあげるボロ小屋は、本当にただのボロ小屋でよくわからない廃材が乱雑に置かれていた。


「それで、この世界の調子はどうなの?」

「朕、てらこう。劇物の夢が暗燦と滲みて、そまり。サテュノリゼめきめきし」

「なるほどね」

「どういうことですか?」


 さっぱり意味がわからなかったので、憂い顔した海老原さんに尋ねてみる。


「この世界は位相の関係上、魔邪神サテュノリゼによる侵蝕の影響を受けやすいの。どうやらかなり侵蝕が進んでいるみたいね」

「このフェラディアンドさんが何を言っているのかよくわかんないのもそのせいですか?」

「何を言っているの? この子は簡潔かつ明瞭な報告をしてくれているじゃないの」


 海老原さんは不思議そうに首をかしげた。


「でも私にはそうは聞こえません」

「なるほどね……。フェラディアンドはどういうふうに見える?」

「バナナ色した蛸っぽい何かです」

「私はどう?」

「いつもどおりです」

「今いるここはどんな感じ」

「廃材が転がっているボロ小屋です」

「いい、よく聞きなさい。フェラディアンドは蛸なんかじゃなくて黄金色のハサミムシだし、ここは洞窟の中よ」


 そのとおりだった。夢から醒めたように世界が、いや私の認識が切り替わる。フェラディアンドはぺかぺか輝く黄金っぽいハサミムシだったし、ここは綺麗に舗装された洞窟の中だった。


「え、なんで」

「理由は二つあるわ」


 海老原さんはタカアシガニっぽく指を二本立てる。


「まず、さっきも言ったとおり、この世界は魔邪神サテュノリゼによる侵蝕を受けていること。そしてもう一つは貴女が未だ魔邪神サテュノリゼの影響下にあること。この世界は薄皮一枚剥がせば貴女が認識するようになってしまう危険を孕んでいるのだわ」

「そのとおりよ!」


 洞窟の入口から凛とした声が響いた。振り向くとそこにはショッピングピンクの軍服を着た金髪ドリルの美女がいた。男性の性欲を解消する的職業嬢のような恰好だった。


「私こそ邪神軍L世界支部第三侵蝕部魔法少女対策課偵察係係長補佐代理【踊る田中One night carnival】鈴木信子!」


 肩書が長すぎてよくわからなかったが、とりあえず魔邪神魔邪神サテュノリゼ側の人なんだなってことは予測がついた。どうやらそれは正しかったらしく、海老原さんは苦々しく舌打ちをする。


「邪神軍の愚図め」

「邪神に軍隊なんてあるんですか」

「真なる悪は集団を以って為される――ブライアン・フロー(1712-1774)。つまりはそういうことよ」

「誰ですか、それ」

「問題はそこじゃないわ。魔邪神サテュノリゼは配下を組織的に配備して世界を崩壊に向かわせているのよ」


 いやだからブライアンって誰だよ、と思ったが私は空気の読めるJKなのでそんなこと言わなかった。


「よくぞこの世界の異常に気づいたわね、褒めてあげるわ。けれど私がいる限り、この世界はサテュノリゼ様のものよ!」

「ワンダフルわんちゃん!」


 海老原さんの魔法によって高らかに笑っていた鈴木信子の存在が滅殺された。滅殺されて塵になった。どちゃくそ呆気なかった。


「え、これで解決ですか?」

「フハハハハハ! そんなわけないじゃない!」


 再び高笑いが聞こえる。そこにはショッピングピンクの軍服を着た金髪ドリルの美女がいた。もう一度見ても男性の性欲を解消する的職業嬢のような恰好だった。


「私こそ邪神軍L世界支部第三侵蝕部魔法少女対策課偵察係係長補佐【踊る佐藤Second night carnival】鈴木信子!」



 相変わらず肩書が長すぎてさっきと何が違うのかわからなかった。とりあえず同じ人っぽかった。


「そんな! 海老原さんのワンダフルわんちゃんを喰らってまだ生きているなんて……」

「確かにあの魔法は凶悪だったわ。しかし、存在が滅殺されるなら別の存在になればいいだけ。恐るるに足らずよ!」


 海老原さんは不機嫌そのものという顔で、得意げな鈴木信子に魔法をぶつける。


「ならば存在の痕跡すら滅殺してあげるわ。ワンダフルわんちゃん!」


 滅殺した。


「私こそ邪神軍L世界支部第三侵蝕部魔法少女対策課偵察係係長【踊る高橋Third night carnival】鈴木信子!」


 復活した。


「ワンダフルわんちゃん!」


 滅殺した。


「私こそ邪神軍L世界支部第三侵蝕部魔法少女対策課偵察係係長補佐【踊る伊集院Fourth night carnival】鈴木信子!」


 復活した。


「ワンダフルわんちゃん!」


 滅殺した。


「私こそ邪神軍L世界支部第三侵蝕部魔法少女対策課偵察係係長補佐代理【鈴木鈴木Refrain night carnival】鈴木信子!」


 復活した。


 そんな感じの繰り返しが日が暮れるまで続いた。

 私は暇だった。激戦に介入する余地はなかった。フェラディアンドがトランプを持っていたので一緒にババ抜きして遊んでいた。私の勝率は三割程度だった。フェラディアンドはポーカーフェイスなので、というかハサミムシなので表情が読めなかったのだ。


 そうしてようやく海老原さんは「埒が明かない!」と叫んだ。ちょっと気づくのが遅いんじゃないかなと思った。


「蟻紗、交代よ!」

「え、マジですか」

「マジストイックマジよ!」


 マジストイックマジだった。私の出番だった。


 邪神軍(以下略)鈴木信子は律義にも私達の交代を待っていた。もしかしたら血液型がA型なのかもしれない。


「ふっ、見たところ貴女は新米の様子。そんな殻つきヒヨコぴよ子に私が敗北する筈がありませんわ!」

「違います」


 とりあえず否定してみた。


「私はこの道三十年の大ベテラン。魔法少女パート・タイマー油淋鶏ユーリンチーです」

「な、なんですって!? もしやパート四天王の……!」

「そう、それ」


 とりあえず肯定してみた。

 しかしパート四天王とはいったいなんだろうか。半額シールを貼ってくれそうだった。いや、そんなことはどうでもいい。これは戦いなのだ。戦争なのだ。持てる力を尽くして仇敵を屠らねばならないのだ。


 私はマジカル・リリカル・チェーンソー(以下、「マリチェ」と言う。)を出現させる。どちゃくそ五月蠅い駆動音が洞窟に反響した。


「信子、パート四天王とまで呼ばれた私の本気を見せてあげましょう」

「ふん、相手にとって不足なしです。あと信子って呼ぶな」


 大きく息を吸いこんだ後、私は鈴木信子の後ろを指さして叫んだ。


「ああああああ! う、後ろに魔邪神サテュノリゼが!」

「サテュノリゼ様ですって!」


 鈴木信子は思わず背後を確認してしまう。その隙を突いてマリチェが彼女の首を切り飛ばした。一瞬の手段が死を招く。女子高生界の常識だ。けれど彼女には常識がなかった。つまりはそういうことだ。

 頭部とさよならバイバイまた来世した鈴木信子の首から噴水のように鮮血が噴き出す。これで1キルである。


「あのう、一応殺せたと思うんですけど、これでいいんですかね?」

「完璧。貴女、才能あるわね。殺しの」

「殺しの」


 私は鸚鵡オウムした。そして尋ねた。


「魔法少女の才能はありますか?」

「中の下ってところかしら……」

「中の下」


 私は鸚鵡した。現実はシビアだった。


「それと蟻紗、嘘をつくのはよくないと思うわ。そうやってすぐに嘘をつくのは人間の悪癖よね」

「兵は詭道なりって昔の偉い人が言ってたんですけど駄目ですかね?」

「駄目よ。嘘はよくないわ。だって美しくないもの」

「なるほど」


 それは大事だった。美しくないとインスタ映えしない。

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