第3話 はじめてのいせかい
異世界と言われて想像するのは、中世ヨーロッパを基調とした剣と魔法のファンタジー的な世界だ。しかし初めて行った異世界は現代と何も変わっていないように見えた。アスファルトで舗装された道路。立ち並ぶ家屋とビルディング。何も変わらない。
「ここは第638C世界ね。比較的貴女のいた世界に近いところよ」
「いや、近いっていうかまんま同じじゃないですか」
「いいえ。ここは旭光共和国。島国であることは共通しているけれどあなたのいた国ではないわ」
「あの電柱の住所、普通に読めるんですけど」
私は『時波市幅峰区味白4-30-3』と書かれた電柱の街区表示板を指さす。
「旭光共和国の公用語があなたの母国語とほとんど同じ言語だからよ。もっとも貴女は魔法少女だから全く知らない言語でも魔法力パワーで理解可能なのだけど」
「マジですか。翻訳家になり放題じゃないですか」
「そのとおり。魔法少女の居住世界における職業ランキング第二位は翻訳家よ」
「一位は?」
「学生」
「なるほど」
私は納得した。魔法少女は魔法少女なのだから学生であるべきだ。
海老原さんがスタスタスタと歩いていくのでとりあえず私も彼女についていく。
「どこに行くんですか?」
「せっかくだから見学させてあげようと思って」
「何をですか?」
「第638C世界を」
それは悪くない提案だった。「いいですね」と海老原さんの横に並ぶ。
「この世界の特徴は料理ね。とても美味しいわ」
「へえ」
そうしてしばらく第638C世界を散策するものの、やはりこの世界は元の世界と大差なかった。この旭光共和国とやらの国民もやや肌が浅黒いもののほとんど私の国の人間と変わらない。
だが、歩いているうちに目についた大きな違いが一つだけある。それは現地人の体型だ。やたらめったら肥満体型の人間がいるのだ。これは亜米理伽合衆国人よりも深刻なデブり具合だった。デブがでぶでぶとデブらしく闊歩している様子はごく平凡な魔法少女である私にとってでぶでぶしい圧力があった。要するにデブい。
そしてこのデブ共は虫けらを見るような侮蔑的視線を私達に向けるのだ。意味がわからないデブばかりだ。腹が立つ。
「なんでこんなデブばっかなんですか」
「この世界では太っていることが唯一にして至高の美とされているの。だから顔が失敗した福笑いみたいに酷かったとしても百貫デブあればそれだけで美しいと褒め称えられるわ。逆にどんな美貌を持った聖人君主であろうと痩せていれば寸毫たりとも価値はないわ」
「何ソレ怖い。体重で人間の価値が決まるなんて頭おかしい」
「そうかしら」
海老原さんは小首をかしげる。
「じゃあ貴女の世界ではどのように社会的優劣が決められていたの?」
「えと……、学歴とか人格とか容貌とか、色々かな」
「その色々な基準値は正確に測定され、その基準は正確に運用されているの? そうでないとしたら、そんな不誠実な価値基準にどれだけの意味があるというの?」
「それは、その、わかんないけど」
私は上手く答えられなかった。デブ塗れの空気はのったりとした重さで、息苦しさを覚えた。
海老原さんは平然とした調子を崩さずに言う。
「つまり、この世界ではデブにあらねば人に非ずということよ。ま、常識ね」
それから海老原さんが案内してくれたのは、繁華街の路地裏にある小さなレストランだった。話を聞くに彼女は何度かここに行ったことがあるらしい。私達は氾濫するデブの群れを抜け出し、なんとか店の中に入る。
肉塊的店員が模範的営業スマイルで私達を席へ案内した。一番トイレに近い薄暗い席だった。ちなみに他の席も空いていた。腹が立つ。そして腹が減る。
「好きなの頼んでいいよ」
海老原さんが言うのでお品書きを開いてみる。タレレレバのペルクローニ。藍住町踊り食い。ダンジョンのもつ煮込み。アルゼンチン殺し。どれも意味のわからない料理ばかりだ。アルゼンチンを殺してどうする、殺して。
一通りメニューを確認し、さっぱりわからんという結論に達した私はここは素直に先達の叡智を拝借することにした。
「海老沢セレクションってあります?」
「んー、無難に行くとスルッパゲの井筒ソースかけかアルゼンチン殺しかなあ。エレベーター風ハンバーグは少し癖が強いから好みがわかれるかも。私は好きだけどね。あっさりめがいいならエゲロもアリかな。デザートなら断然ガルシア=マルケスだね」
「それじゃあアルゼンチン殺しとクルリッパン。お腹に余裕があったらガルシア=マルケスも行ってみます」
「いいんじゃない。じゃ、呼ぶよ」
海老原さんが呼出ボタンを押す。しばらくすると、店員が来なかった。
海老原さんが呼出ボタンを押す。しばらくすると、店員が来なかった。
海老原さんが呼出ボタンを連打して交響曲第6番「田園」を演奏する。しばらくすると、ようやく肉塊的店員が現れた。このデブめ。
「注文いいですか」
「はい、お伺いいたしまーす」
海老原さんは澄まし顔で注文を諳んじる。私はこの贅肉の塊にガソリンハイオク満タンをぶっかけた後、着火してこんがりローストにすべきかどうかを真剣に検討していた。けど結局やめることにした。近くにガソリンスタンドがあるかわからなかったからだ。
肉塊的店員が去ってからしばらくして、順次注文した料理が届けられる。
一番意味の分からなかった料理であるアルゼンチン殺しは、とりあえず煮込み料理だった。あえてたとえるならカレーに近い。とてもスパイシーな味わいだ。
「なんでこれがアルゼンチン殺しなんですか」
「昔、資産家のアルゼンチン・トバーストが大好きで好きすぎて食べすぎて、これを食べるために破産したという逸話からよ。アルゼンチン殺しに使われる食材と香辛料は、当時からすれば超高級品だったの。今じゃ誰もが食べられる普通の料理だけどね」
「なるほど、アルゼンチンさんマジ馬鹿だったんですね」
「そうとも言うわ」
アルゼンチン殺しをもう一口食べると、業の深い味がした。
「どう、美味しいでしょ?」
私は頷く。海老原さんが言ったとおり、確かにこの世界の料理は美味しい。限界まで食べたくなるような美味しさだ。きっとデブになるためたくさん食べられるよう美味しさが追及されたのだろう。
と、そこで私は恐ろしい真実に気がついた。
「……海老原さん」
「なあに?」
「もしかしてこの世界の料理ってカロリー高いですか?」
「バリ高だよ」
「バ、バリ高ってどれくらい高いんですか」
「一皿で成人女性が必要なカロリーの二日分くらい」
私は絶望した。しかしアルゼンチン殺しを食べる手は止まらなかった。こいつはアルゼンチン氏に飽き足らずこの美少女JKまで殺したいらしい。
絶望と美味に翻弄される私を余所に、海老原さんはナプキンで優雅に口元をぬぐう。
「さて。そろそろ仕事しないとね」
「仕事?」
「そう、魔法少女としての仕事よ」
「魔法少女って職業だったんですか」
「いいえ、生き様よ」
魔法少女は生き様だった。
「私達が向かうのは第7742A世界。そこに行くために複数の世界を経由することはもう話したわね。今回することはこの世界に中継ポイントを作成することよ。そうすれば次の転移では直接他の世界に行けることになる」
「なんかRPGのセーブ地点みたいですね。で、どうやってその中継ポイントとやらを作るんですか?」
「魔法少女によって色々ね。たとえばかの有名な魔法少女ファナ・スティミュラントは、現地人を三十人撲殺することで中継ポイントを作っていたわ」
「そりゃ有名になるわ」
どう考えてもヤバい人だった。というか私は知らなかった。魔法少女業界では有名なのだろうか。
「え、じゃあ私達も三十人くらい撲殺しないといけないんですか」
「大丈夫、安心して。そんなことないわ」
海老原さんが開花する桜のように口元をほころばせる。それは見る者を安堵させる笑みであった。思わず私も微笑んでしまう。
「今回の作成方法はここの料理を十皿食べることよ。美味しいしちょうどいいでしょ?」
私は女子高生としての死を覚悟した。
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