幼き頃の記憶を抱きしめる⑨

「あら、リアンじゃない。久しぶりね」

 およそ65年振りに声を発したレイスの表情に笑顔は無かった。

 自分の目の前にひっそりと立っているリアンの登場に驚きどころか感情らしい感情すら浮かべることもない。

 存在を忘れられ遊ばれることのなくなったオモチャに似た雰囲気がそこにはあった。

「リスコッチがね、死んじゃうの。わからないけど、わかるのよ」

「悲しいの?」

「……そうね、悲しいわ」

「君のことを忘れてほったらかしにしたのに?」

「そうだけど、仕方ないじゃない。きっとそれが普通なのよ」

 リスコッチが姿を現さなくなってから、毎日泣いていたのを知っている。

 消化できない怒りで呪いのような暴言を吐いていたのも知っている。

 何時しか泣くことにも怒ることにも疲れ、その答えに辿りついたことも知っていた。

 傍でずっと見ていたから。

「彼は人間で、私は精霊なんだもの。存在する時間も世界も次元も違う。きっと、こうなることは最初から決まっていたのよ。彼と出会わなければこんな思いをすることは無かったのにね。でもね――」

 じんわりと日が昇り、小屋の中が徐々に明るくなってくる。

 ガラスのはまっていない窓の向こうから草を踏みしめる足音が聞こえてきた。

「こんなところに人が住んでるとは思えないけど」

「フェネリは人なんて言ってない」

「じゃあ何が住んでいるって言うのさ」

 小屋に入って来た人物たちに、リアンは息を呑んだ。

「誰もいないじゃないか」

 そこにいたのはリアンとフェネリだった。

 不思議そうに周りを確認している自分に、思わず身体が強張ってしまう。

 これはあの日、初めて小屋を見つけた時の自分達だ。

 フェネリが消えかけている命があると連れてきてくれた小屋。

 こんなところに住んでいるモノ好きなどいるわけがないと思っていたが、実際は実態を保てないまでに弱り切った魔術書の精霊だったと判明した場面だ。

「もういいよ」

 フェネリが言った。

 外を指さしながら、リアンに向かって。

 しっかりとこちらを見据え放たれた言葉は、間違いなく『今』のリアンに向けられたもの。

 別のリアンにはフェネリの言葉は聞こえていないのか、興味深そうに魔術書を観察している。

「行こう」

「どこに?」

 あのリアンにこちらが見えていないように、レイスにも2人の姿は映っていないようだった。

 彼女の手を握って走り出す。

 何がどうなっているのか、どうなるのかはわからない。

 それでも、フェネリがいいと言うのだからいいのだろう。

 リアンは迷わず長方形の光の中へと飛び込んだ。

 握った小さな手は温かく柔らかで、人間と何ら変わらなかった。


 開けた視界の先にはフェネリがいた。

 本物のフェネリだ。

 さっきまで感じていた右手の温もりは既に薄れ始めている。

「あら、リスコッチ。貴方、随分とおじいちゃんになったのね」

 大粒の涙を流しながら、レイスがリスコッチの頬を撫でる。

「レイス、ごめん。本当にごめん」

 彼女に負けないくらいにこちらも涙を流しながら、年老いたリスコッチはレイスを抱きしめていた。

 その口からは「ごめん」と謝罪の言葉ばかりが零れ落ちている。

 そんなリスコッチを、レイスは笑顔で抱きしめ返した。

 未だに止まらない涙はそのままに抱きしめる姿は、弟をなだめる姉のように愛情に満ちていた。

「君は、大切な人だったのに。ぼくにとってとっても大切な友達だったはずなのに、どうして忘れてしまったんだろう。君はずっと、覚えていてくれたのに。私は――」

「いいのよ」

 レイスは言う。

「もういいの。確かに貴方と会えなくて悲しかった。さびしかった。貴方と出会わなければこんな思いはしなかったのにって何度も考えた。でも、でもね、やっぱり心の底からそうは思えなかったのよ。だって、貴方と過ごした時間は私にとってとても幸福な時間だったのだから。わたしを見つけたのが貴方でよかった。だからもう、謝らなくていいの。だってこうして思い出してくれたじゃない。会いに来てくれたじゃない。それがね、とっても嬉しいの」

 レイスの身体が透けていく。

 フェネリの魔力が働いているとはいえ、既に実態を保てないまでに弱り切っていたために限界が訪れたのだろう。

「ありがとう。会いに来てくれて」

「ぼくの方こそありがとう。今まで大切に想ってくれて」

 その言葉を最後にレイスは消えた。

 幸せそうな笑顔だった。

「どうしてリアンが泣くの?」

「さぁ、どうしてたろう。悲しいわけじゃないのにね」

 もらい泣きだろうか。

 リアンの頬にも一筋の涙が流れた。







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