幼き頃の記憶を抱きしめる⑧
時が流れるのはあっという間だ。
それから約半年後、リスコッチは小学校へ入学した。
最初こそ人見知りぶりを発揮して「学校に行きたくない」「友達ができない」と嘆いていたが、レイスの助言や幼馴染のおかげで少しずつ学校生活に慣れていったようだった。
多くはないが友達もでき、彼らと遊ぶ機会も増えていく。
体育と音楽は苦手だったようだが、机に向かってする勉強は好きなようでよい成績も修めているらしい。
毎日短時間ではあるが小屋へ訪れ、その日あった出来事を話すリスコッチとの会話をレイスは何時も笑顔で楽しみにしていた。
リスコッチが小学校に入学したのをきっかけに、彼の母親はボランティア活動を始めたらしく、こうしてここへ来る時間を作ることができると彼も彼女との時間を大切にしていることが窺える。
もしかしたら2人にとってこの期間が最も穏やかで幸せな時間ではないのだろうか。
彼らの触れ合いを横目に眺めながら、リアンはふとそんな風に思った。
不思議なことに、ここへ来て以来レイスにもリアンの姿は見えなくなっていた。
最初の頃こそリアンを屋根裏部屋に置いてきてしまったと慌てふためくレイスのために、部屋の中にあったものをいろいろ運んでいたリスコッチだったが既に持ち運べる大きさのものは残っていないらしい。
彼らはどうやらリアンがレイスの本のように屋根裏部屋の何かに宿っていると考えているようだったが、既に万作は尽きたみたいだ。
それでも時々、レイスは虚空に向かって話しかけてきた。
以前よりも寂しくないと、リスコッチと過ごす時間は減ったけれど、リアンのおかげで寂しくないと、静かに笑っては話すのだ。
こんなことになるのなら、最初から見えない方が良かったのではないだろうか。
彼女と少しではあるけれど会話をし近くにいたせいで妙に感情移入してしまう。
『俺もだよ』なんて言ってあげたくなる。
全くフェネリは何を考えてこんなことをしたのだろう。
彼女の事だから何も考えていない可能性の方が大きいが、それでもなお恨み言めいたことを考えてしまう。
ただ彼女の記憶を除いただけだったなら、こんなこと思いもしなかっただろうに。
この物悲しさは、一体どこからくるのだろう。
1年、2年と時が流れる。
レイスに見えなくなったことが関係しているのか、今度は小説の世界を想像している時のように目の前の光景が早送りで流れていく。
姿形が変わらないレイスと小屋のせいでわかりにくくはあるが、リスコッチの確かな成長で時の流れを感じることができた。
年齢を重ねるにつれ勉強や友人に誘われて始めたサッカーで忙しいのだろう、以前のように毎日こそ会いに来られなくなったが、それでも週2、3度は必ず顔を出す。
そのたびに語られるリスコッチの日常をレイスは遠い地の土産話でも聞くみたいにキラキラした瞳で耳を傾ける。
いつの間にか2人の時間の過ごし方は語り手と聞き手に固定されていたが、会えるだけで満足なレイスと幼稚な遊びから卒業し始めているリスコッチとではこれが自然な変化なのかもしれなかった。
決して己が介入できない物語を読まされている状態のリアンは、既に事の成り行きに気が付いてはいたが、流れる時間は止まらない。
現実の彼女と直接会ったわけではない。
記憶の中でさえまともに会話したのは数回程度のはずなのに、どうしてこんなにも物悲しくなるのだろう。
いつもそうだ。
消えかけの命に触れると、心がチクリと痛んで苦しくなる。
6年が過ぎ、リスコッチは小学校を卒業し中学生になり、ますます小屋から足が遠ざかっていった。
レイスもそのことには気が付いているらしく、3日を過ぎるとそわそわし始めリスコッチが現れるたびに安心して胸を撫で下ろす。
そんな期間がしばらく続いたある日。
何の前触れもなくぱったりとリスコッチはレイスのいる小屋へ来なくなった。
「両親が離婚したんです。どうやら私の教育に関して意見が食い違った結果だったらしいのですが、私は母に引き取られ母の実家で暮らすことになりました。祖父母の家はこの村から遠く離れた都会にありまして、大きな教育機関もありました。母は私をそこにいれたかったそうです。この村は父が生まれ育った土地でして、母はつまり嫁いできたわけですが、ずっと憧れていた自然の中での生活だったけれど、子供を持つと考えも変わるものだと引っ越しや環境の変化で落ち込む私に説明したものです」
枯れた土地から水源を引き当てたように次々と思い出される記憶を、誰に向けてでもなく語り続ける。
普通に考えれば言葉の先にはフェネリしかいないのだが、リスコッチの視線は完全に虚空へと向けられており、語り口もどことなく独り言に近いものがあった。
「あの頃は精神的にも不安定で、両親の口喧嘩を聞くのが嫌で、すっかり狭くなった屋根裏部屋で過ごすことが増えました。昔はだったらレイスがいて話を聞いてくれたのにと思う反面、こんな悩みに苛まれない彼女を疎ましくも感じました。だからおのずと小屋へ向かう回数が減り、そうこうしているうちに両親の離婚、引っ越しと環境が目まぐるしく変化しやらなければならないことも増えて……。気が付けば、そうだ……今日までずっと、レイスのことを忘れていたんだ」
リスコッチの顔にどんどん広がる困惑の色。
頭を抱え背中を丸め、何やら呟いている。
「私が村に戻ったのは、お母さんが病気で亡くなってから。三十代くらいの時で、幼馴染のジョアンと結婚した。あれ? どうして、どうして……僕は――。レイスはずっと、どうしていたの? ずっと、あんな風に……」
「もういいよ」
フェネリが言った。
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