幼き頃の記憶を抱きしめる⑥

「ぼくに見えるのはレイスだけみたいだ。悪魔の大半は人間の前には現れないっていうし、君の言う『リアン』もきっとその類なんじゃないかな?」

 リスコッチは1人そう答を完結させたらしかった。

 リアンにとってはありがたい成り行きだったが、レイスはどこか納得できない様子だった。

 ちらちらとリアンに目を向けては、頬を膨らませてそっぽを向いた。

 リスコッチに新しい友達を紹介できなかったのが、お気に召さなかったらしい。

 この短時間でそんな風に思ってもらえるのは正直に嬉しかった。

「初めまして、僕はリスコッチ・タクス。よろしくね、リアン」

 自分の目には見えていないのにレイスの言葉だけで全てを信じ、律義に挨拶をするリスコッチ。

 傍から見ればオモチャ箱に頭を下げる奇行に走る子供の図だが、彼の行動で2人がどれほど親しい仲なのかが窺えたような気がした。

 それから約1時間、2人は本を読んだりオモチャで遊んだりしながら短い時を過ごした。

 レイスが忘れてしまっているのはどうやら自分自身に関することだけのようで、本を読んでいる間はリスコッチにいろいろ教えている場面がよく見受けられた。

 さすがは魔術書の精霊だけあって知識は豊富で教え方も非常に分かりやすい。

 リアン自身も何度か感心してしまう箇所がいくつもあった。

「そろそろお母さんが帰ってくるから部屋に戻るよ。また明日。今度は君の友達に会えるといいな」

 手を振り床の出入り口を潜るリスコッチを見送るレイス。

 リスコッチは気づいていないようだったが、ひどく寂しそうな表情にこちらの胸が苦しくなる。

 精霊の時間感覚をリアンが理解するなど到底無理な話ではあるが、彼女の寂しさだけはひしひしと感じた。

 リスコッチを見送り振り返ったレイスが驚いた声を上げる。

「リアン! あなたどこに行ってたのよ。彼に嘘つきだって思われてたらどうするの」

 急に名前を呼ばれただけでなく、レイスの言葉に2度驚く。

「ずっとここに居たけど」

「嘘おっしゃい。彼が来てから今の今まで居なかったじゃない」

 腹いせとばかりに手の甲をひっぱられる。

 どうやらレイス以外にリアンの姿は見えないものと思っていたがどうやら違うらしい。

 1人の時のレイスにしかリアンは見えないし言葉も届かない。

 完全な彼女の記憶にだけしか干渉できないのか。

「俺は君にしか見えないみたいだ」

「それは彼もそう言ってだけど、わたしにだってあなたは見えなかったわ」

「君が1人の時でないと、見えないんだと思う」

「……どうして?」

「さぁ、どうしてだろう。わからない。そういうものとしか説明できないな」

「自分のことなのに?」

「自分のことなのにね」

「ふーん」

 さっきまで腰に手を当ててご立腹だったレイスの表情がだんだんと緩んでいく。

「それなら、私と同じね」

 彼女の機嫌を直すような発言をした覚えはなかったが、それだけ言ってレイスは満足そうに頷いて見せた。

「だから、俺は君が1人の時専用の友達ってことにでもしておいてくれればそれでいいよ」

「あら、おかしなこと言うのね。あなたが居るならわたしはもう1人じゃないじゃない」

 そう言い残しレイスは煙のごとく消えてなくなった。

「レイス!」

「なぁに?」

 消えたと思った彼女が不思議そうに首を傾げる姿に、こちらの方が首を傾げたくなる。

 さっきまで目の前にいたレイスは何故か壁際でぬいぐるみと遊んでいた。

「どうしたの?」

「……なんでもない」

 頭の中がゴチャゴチャして気持ち悪い。

 船酔いに似た胸の悪さのせいで吐き気すらもよおしている。

 今は、リアンが記憶の世界に来て一週間が経過していた。

 リアン自身全く身に覚えは無いのだが、確かにこの屋根裏部屋で過ごした一週間が脳に記憶されている。

 あれから毎日リスコッチは遊びに来たし、彼がいない間はリアンが遊び相手になったりもした。

 一緒に過ごすうちにレイスが実態を保っている時間にも限りがあることがわかり、彼女が本に戻っている間は有り余る時間を1人で過ごしたのだった。

 記憶だけを残し未来へタイムスリップした感覚に混乱を隠せない。

 自分から頼んでおいてなんだが魔法なんてものは自身で体験するものではないのかもしれない。

 知っているのに知らない時の流れに、妙な孤独感が付きまとう。

 完全にリアンが固まってしまっていると、すっかりお馴染みになったリスコッチが屋根裏へとやって来た。

 しかし、その顔に見慣れた笑顔はなく、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

「どうしたの!?」

 慌ててレイスが駆けよれば、必死で留めていた涙がせきをきって溢れだした。

「お母さんが、ジョンを森へ捨てちゃった」

 ジョンとは確かリスコッチが生まれた時から飼っている大型犬ではなかったか。

 少し前から元気がなくなり自力であるくこともできず食べ物もほとんど口にしなくなったのだと心配そうに話していた記憶だけが残っている。

 そうか、とうとう捨てられてしまったか。

「お母さんはジョンが嫌いになっちゃったのかな?」

 リスコッチはどうやら母親がジョンを捨てたのは弱って何もできなくなったことで嫌いになったと思っているらしい。

 きっと、そんなことはないだろう。

 急に嫌いになるくらいなら手のかかる大型犬を十何年もの間世話をし可愛がることなんてできないはずだ。

 幼いリスコッチには、この世界の理がまだ理解できていないようだった。

 死にかけの生物を捨てるのはこの世界では極々当たり前のこと。

「ねぇレイス、一緒にジョンを探して。早く家に連れて帰らないとジョンが死んじゃう」

 リスコッチの申し出にレイスが目に見えて動揺しているのがわかった。

 物知りなレイスのことだ、リスコッチの母親が愛犬を森に捨てた意味もわかっているだろう。

 大好きな子を危険に晒すこと、残酷な事実を教えなければならないことに抵抗を示しているようだった。

 助けを求めるようにリアンが座っているオモチャ箱に目を向けるが、リスコッチがこの場にいる以上例外なく姿だけでなく声すらも届くことはない。

 役に立ちたい、でも真実に近づけるのも気が引ける。

 ふたつの感情に板ばさみにされたレイスを決心させたのは、

「こんなことを頼める友達はレイスだけなんだ」

 そんなリスコッチの一言だった。


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