幼き頃の記憶を抱きしめる④
「あなた、だぁれ?」
「ははっ」
リアンはオモチャ箱から顔を覗かせながら笑うことしかできなかった。
5歳くらいの女の子が警戒心剥き出しで睨んでいる。
ふわふわの黒髪に水色の目。
身に纏っているワンピースは、両目とここに来る前に目にした本の表紙と同じ色。
「ここはわたしと彼の場所よ」
「ごめんね。好きでこんな所から出てきた訳じゃないんだけど」
大きなオモチャ箱。
海賊の宝箱を模したそれの蓋を持ち上げながら外へ出る。
どうやらここは狭い屋根裏部屋らしかった。
ごちゃごちゃと統一性のない物が並んでいることから、物置にでもなっているのだろう。
随分と長い間掃除をしていないのか、たったひとつの天窓から差す光りには埃がキラキラと舞っている。
「あら、あなたの髪、黒いのね」
オモチャ箱から脱出したリアンの全貌を確認し女の子は呟いた。
自分の髪に触れながら、心なしか嬉しそうに声が弾んでいる。
「わたしもよ」
確かに同じ黒だがそれがどうかしたのだろうか。
「わたしはレイス。よろしくね、悪魔さん」
仲間に会ったのは初めてよ、と続けながらすっかり警戒心を解いた女の子が気恥ずかしそうに笑った。
彼女とこうして正面から向き合ったのは初めてだった。
リスコッチの住む村に向かう途中、ショートカットにと通った森の中で見つけた古ぼけた小屋。
その中で見つけた魔術書に精霊が封じられていると教えてくれたのはフェネリだった。
そして、彼女がもうすぐ消えてしまうことも。
肉体を持たない精霊は生物としてカウントされないので世界に食べられることはないにせよ、人知れず消えてしまう命という点では変わらない。
物の記憶を読み解く術のあるフェネリの力を借り、彼女を唯一関わりのある人物であるリスコッチに接触したのが今から3日前。
まさか彼自身も命の終わりが近いとは思わず、相当焦ったのは記憶に新しい。
ここは、魔術書の精霊――レイスと名乗る女の子の記憶の中。
魔術書が体験した過去に、リアンはいた。
これももちろんフェネリの力で、リアン自身は原理もなにも理解することなく身を任せているので、正直これからどうしていいのかわからない。
【思い出せばいい】
それだけ告げられ魔法陣の上に押し出された時はどうしようかと思った。
何を、と問いかける暇もなく、気が付けばオモチャ箱の中だった。
リスコッチとレイスの命が連動していることといい、フェネリは肝心なことをなかなか説明してくれない。
それもあえて説明しないのではなく説明するという発想がないものだから、そのことを教えても理解するまでに至らず、こうした行き当たりばったりの旅を初めて1年が経とうとしていた。
「あなたの名前は?」
「俺はリアン。よろしくね、レイス」
「ええ、わたし仲間に会うのは初めてなの。それ以前にこの場所と彼のこと以外は何も知らないのだけれど。あなたはわたしのことを何か知っている? リアンはオモチャ箱の悪魔なの?」
「何も知らない?」
「そうよ、何も覚えていないの」
とりあえずオモチャ箱の悪魔説は否定し、彼女の話を聞いた。
頑なにリアンと自分を悪魔だと信じて疑わないことに対しては、とりあえず言及することは止めおいた。
目を開けると、彼がいたのだという。
ここは彼の住む家の屋根裏で、出会ってから毎日一緒に遊ぶことだけが楽しみなのだとか。
自身のことが何も覚えておらず、レイスという名も彼が付けてくれたのだそう。
レイスはまるではちみつでも含んだ時のように甘くとろけた表情で彼との思い出を語った。
本人でさえ分からない自分を無条件で受け入れてくれた彼のことが大好きなのだと、恥ずかしげもなく言ってのける。
子供とは実に純粋だ。
レイスの実年齢が子供と言えるものかはさておき、会話の内容から外見にそぐう精神年齢には違いないだろう。
「もうそろそろ彼の来る時間よ」
彼の両親はしつけに厳しく、会えるのは1日のうちたったの1時間程度で、母親が買い物に出ている間だけらしい。
「わたしと遊んでいるのがバレると怒られるんですって。どうしてかはわからないけれど、彼が怒られるのは嫌」
だからこうして来る日も来る日も、彼女は静かに彼が来るのを1人で待っているのだそうだ。
「だから、リアンに会えてとっても嬉しいわ。もう1人で彼を待たなくていいんだもの。彼だってお友達が増えて喜ぶはずだわ」
レイスは心底嬉しそうに笑った。
「でも、彼の1番はわたしだからね」
と可愛らしい念押しも忘れない。
そうこうしているうちに下から階段を上っているらしい音が聞こえてきた。
「彼だわ!」
壁際の床にある出入り口が上がり、レイスと同じ年頃の男の子が顔出した。
「レイス、いる?」
「ええ、待ってたわよ。リスコッチ」
一層表情を明るくさせレイスが走り寄ったのは、予想通りの人物だった。
80歳近くなった現在の彼の面影が漂う男の子は、確かに彼女が呼ぶように幼い頃のリスコッチで間違いないだろう。
親がしつけに厳しいというのは本当らしく、身なりは同年代の子供よりも随分ときっちりとしており、髪の毛も7:3分けという徹底ぶりだった。
「今日はあなたに紹介したい人がいるの」
レイスはリスコッチの手を引きながら、オモチャ箱の蓋の上に座るリアンを指差した。
「わたしと同じ悪魔仲間のリアンよ」
一瞬で、まずいと悟った。
本来であればこの時この場所にリアンは存在しない。
昔読んだ小説ではないが、過去への干渉は少なからず未来へ影響するのではないだろうか。
「……」
幼いリスコッチの丸い目が、リアンの方に向く。
「誰もいないよ?」
不思議そうに首を傾げるリスコッチに、リアンとレイスは同時に声を上げて驚いた。
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