幼き頃の記憶を抱きしめる②

「初めまして、タクスさん」

 リスコッチの病室に珍客が訪ねてきたのは3日前のこと。

 真っ黒な服に身を包んだ長身の青年と、青年と対照的に真っ白ないでたちで杖を握る少女。

 辛気くさい病室と相まって、両者の雰囲気はさながら悪魔と天使のようにも見えた。

 実際、とうとう迎えがきたかと感心したものだ。

 こんな時期に面会の希望など珍しく、最近では家族すら中々会えないというのに。

 見ず知らずの者がやってくるなど、今のリスコッチにとっては悪魔と天使の方がよっぽど信憑性があった。

「俺はリアン。こっちはフェネリ。急に押し掛けて申し訳ありません。あまり時間が無いようなので」

 リアンと名乗った青年が深々と頭を下げる。

 随分と礼儀正しい青年だ。

 初対面の老人に半ば強引に面会を申し込んだ変わり者とは思えない。

「いえ、構いません。見ての通り最近では話す相手も先生や看護師さんだけだったので新鮮で嬉しいですよ」

 リスコッチの言葉にリアンが薄く笑う。

 艶のない黒い前髪の間から覗く薄むらさき色の瞳がとても印象的だった。

「それで、あなた方がリスクを犯してまで私に会いに来た理由を伺っても? 」

「ああ、そうですね。実はタスクさんに会ってもらいたい子がいるんです」

 リアンが病室に唯一あるパイプ椅子に腰掛けながら言う。

 怖いかと思って敢えて勧めなかったが、見かけによらず中々肝が据わっているらしい。

 フェネリという少女は壁に寄りかかりながら感情の読み取れない表情で虚空を見つめていた。

「子、ですか」

 リスコッチは首を傾げながら繰り返した。

 自分に会って欲しい子とは。

 友人などの知り合いは軒並み天に召されているし、そもそも『子』という表現は当てはまらない。

 思い当たるとすれば孫のリリアがいるが、家族であれば望めば面会はできるのでわざわざ第三者を仲介する必要はないだろう。

 はて、それ以外の知り合いなどいただろうか。

 記憶力には自信を持てない年齢だが、少なくとも入院生活が始まってからは幼い子供が自分に会いたいと思ってもらえるような人間関係は築いていない。

「近いうちにお亡くなりになるそうですね」

「ええ、まぁ、そのようですね。医師からも言われてますし、ここにいるのが何よりの証拠でしょう」

 リアンの直球な質問に顔色ひとつ変えることなく、リスコッチは頷いた。

「もうすぐ私は世界の一部になるのです。世界に食されてね」

「その前に会ってあげて欲しいんです。でないと、あの子はたった1人でこの世を去ることになる」

 どうにも会話の要領が掴めず眉間に皺が寄るが、リアンにふざけている素振りは微塵もない。

「あなたが幼い頃によく一緒に遊んだ女の子を覚えていませんか?」

 女の子。

 一緒に遊んだ女の子。

 幼馴染みのジョアン、従姉妹のアニー、隣近所だったローラ、小学校の同級生の顔がうすらぼんやりと浮かんでくる。

 ポツリポツリと思いついた名前を口に出すが、リアンは首を降るばかり。

「やはり覚えていませんか。無理もないですよね。フェネリの話によれば、あなたがあの子と会っていたのは60年以上も前のことらしいですから」

 話の流れからそうではないかと思っていたが、リアンが言う女の子とは人間ではなかった。

 精霊の類いで、その子はとある魔術書の番人として長年封印されているそうだ。

「貴方と彼女の命は繋がっている。貴方が死ねばあの子も消えてしまうんです。覚えていないでしょうが貴方は昔、確かにその子と約束をした。その約束のせいで彼女の命はずっと捕えられたままなんです。お願いです、手伝っていただけませんか?」

「どうしてそこまで……」

 そこまで必死になるのだろう。

 偶然出会った精霊のために、どうして目の前の青年はこんなに必死に頭を下げるのだろう。

 自分の身を危険にさらしてまで。

「俺達は幻獣のおくり人と名乗っています」

 リアンは言った。

 ようやくフェネリが此方を向く。

「世界の糧になるだけが最期じゃありません。後悔のない生を送るのはは難しいけれど、せめて悔いのない死で眠って欲しいんです」


 

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