川のほとりのミ.二
「ほらほらキョウさん、見て下さい」
畑仕事まではまだ時間がある。居間で怠けていると雷華とレンさんが現れた。
雷華は照れ臭そうに頬を染めながらも、それでも嬉しそうに目を輝かせていた。
雷華はいつもの巫女装束ではなく、珍しく普通の着物を着ていた。深紅の振袖だ。
「ああ、それがどうした」
俺がそっけなく返すと雷華は寂しそうに視線を落とした。これだから女は面倒だ。
「雷華ちゃん、気にすることないよ。そこの唐変木は表ではそう言うけれど、ちゃんと心では可愛いって思ってるから」
レンさんが他にも色取り取り着物を抱えて現れた。
「か、かわ……そ、そうなんですか?」
こちらを窺う雷華の顔は着物に負けないくらい真っ赤だ。
「はぁ? 何を馬鹿なことを……」
反論しよとしたその口は、レンさんの射殺すよな視線によって塞がれた。相変わらず、本当に殺されるかと錯覚する。知らぬうちにいくらか寿命を縮められているのやもしれない。
「あっ、いや……その、なんだ? そう思えなくも……ないな……」
「はぁぁ」
と、雷華はより一層目を輝かせた。
「レンさん! そっちのも着てみていいですか?」
「慌てない、慌てない」
レンさんは雷華を宥めながらも、鮮やかな着物達を丁寧に並べていく。
「ったく、何事だってんだ」
それを横目に俺は溜息を吐いた。
「これはね、おばあちゃんやわたしが子供の頃に着ていたものなの。ヒノトやツヅミにはこんな着物なんてまだ少し早いから雷華ちゃんに貸してあげようと思って。雷華ちゃん、女の子なのに持ってる着替えが少なくて可哀想だから」
「居候にそこまですることあるのか?」
「居候のあんたが言えたことじゃないでしょう。それに着物だってせっかく綺麗な色してるのに着てあげられないなんて可哀想じゃない。こういうものは着てなんぼなのよ」
面白くない。
このままレンさんの言いなりになり、畑仕事をして野菜をミの所まで届けるのかと思うと、馬鹿らしく思えた。ならば最初からこっそりと抜け出そうなんてしなければよかった。まんまと口実を与えてしまった。不覚極まりない。
「キョウさん、キョウさん。こっちはどうですか?」
「…………」
俺は顔を向けずに雷華に向かって無言で手招きをしてやる。
「え? あ、な、なんですか?」
雷華はぱたぱたと小走りで遣って来た。
俺はその雷華のおでこ目掛けて指を弾く。
ぺちん!
「はわっ!」
雷華は軽く後ろへ仰け反ると、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
「何をするんですかぁー?」
目に涙を浮かべていた。当たり前だ。ヒノト達にやるよりも数段強く弾いてやったのだ。年を重ねることの厳しさを知れ。
「お前、はしゃぎ過ぎなんだよ」
「ごめんなさい……」
俺は嘆息し、雷華に背を向けて横になった。
「キョウさん、キョウさんはあの晩、ミさんの小屋に泊っていたんですよね?」
「ああ? 何で俺がそんなこと。一応俺は説得したんだぞ。ジュソも持たないお前が森に留まるなんて自殺行為だってな。それで訊かなかったんだ、後はもう知らん」
「ではあの晩はどこに? 朝方帰って来たようですけど……まさか、他にも寝床を貸してくれる女性が?」
「いるか、阿呆。あの時は……あれだ。適当に野宿した」
小屋の外にいたのだ。嘘は言ってない。
あの晩だけはジュソが襲いにこないように見張っていた。ただ俺にもやることがある。それ以降はあの小屋に近づきもしなかった。
「そ、そんな、野宿だなんて危険ですよ!」
慌てた口調とは裏腹に、雷華は何故か安心したように息を吐いた。
「雷華ちゃーん。わたしちょっと出ちゃうけど、着物、選んじゃいな。いらないやつはまた土蔵に仕舞っちゃうからさ――って、あれ? どうしたの? ここ、赤いよ?」
不意に顔を出したレンさんが雷華の額に手を当てて訝しげな顔をした。もう片方の手には稲刈り鎌を持っている。
「キョウにいじめられたの? 怖くて仕返しができないなら代わりにわたしがしてあげようか? キョウのここが同じくらい赤くなるまで……」
手にしている鎌の刃がぎらりと、不穏な光を発した。本当に同じくらいで済むのだろうか。鮮血で染められてしまいそうだ。
「あああ、いえ! 違うんです。大丈夫です。ぼくが勝手にはしゃぎすぎてぶつけただけですから!」
「そう」
レンさんはどこか残念そうだった。
「ああそれと、雷華ちゃん、あなたに手紙よ。珍しいわね、こんな村に手紙だなんて」
「紗千?」
送り主の名が書かれていない封筒を見て雷華がそう呟いた。
昔から紗千が手紙を書く時はこの封筒だったんですと、訊いてもいないのに雷華は説明し、封を切る。そして広げた手紙をその場で読み始めた。
随分と長ったらしく書かれているのであろうか、雷華は困ったような苦笑するような複雑な顔でしばらく読んでいたが、「ふっ」と、不意に吹き出した。そして大事そうにその手紙を懐に仕舞った。
「急にどうした?」
「いえ、すみません」
「で、あいつは何だって?」
俺が問うと雷華はまた「ふふっ」と、小さく笑った。
「ただの悪口です。悪口が延々と書かれています。本当に、これでもかって言うくらい」
雷華は手紙を仕舞った胸に着物の上から優しく手を重ねる。
「それで最後に、やっぱり帰って来いと……」
「諦めの悪い奴だな」
「ふふ、昔からそうでした。紗千は手紙を書く時、散々文句や悪口を書いて、最後にほんの少し、本当に少しだけ、本音を書くんです。何かお願いをしたり、ぼくをいじめ過ぎたことを謝ったりする時はいつもこんなでした」
大人ぶってはいるが、雷華の方が幾分か大人のようだ。
「ミさんの所に……行かないのですか」
「行くか、馬鹿」
不意の質問に即答する。
「なぜ俺が行かねばならん」
「なぜって……、それはぼくが訊きたいですよ」
珍しく雷華は普段とは違って強気な態度を見せる。
「なぜ行かないんです」
「知るか。ならばお前が行けばいいだろう」
「行ってください」
「あ? 意味がわからん。意味がわからんことばかり言ってるとまた額に一発食らわせるぞ」
「いいですよ。やって下さい。その変わりレンさんに言いますから、キョウさんに苛められたって。それが嫌なら行って下さい。ぼくじゃ駄目なんです」
「…………」
弱虫相手の脅しが通じず、一瞬固まってしまった。
こいつは先程の俺とレンさんのやり取りを知らないのだろう。
だが、まあいい。説明するのも面倒だ。
俺はほんのりと赤くなった雷華のおでこをぽんと軽く叩くと、立ち上がった。
「レンさん。悪いけど、畑仕事行けないわ。ちょっと化け物退治に行ってくる」
わざとらしく、居間に聞こえる位の声でもって、玄関で準備をしていたレンさんにそう言うと、自然に横を通り過ぎようとした。
「そう、お仕置きが必要ね」
会話の内容とは裏腹に優しく澄ました顔だった。
「それは帰ってきてからな」
「うん、楽しみに待ってる。あと、これ。前々からみーちゃんにあげようと思ってたんだけど、ついでに持って行ってくれる? 絶対みーちゃんに似合うから。ほらあの娘、いつも同じ色の着物着てるでしょ? こんな華やかなの着た姿も見たいなーってね」
レンさんから手渡されたのは桜色の鮮やかな振袖であった。
このまま行かせてくれれば良いものを、まったく、女というものはすぐに調子に乗りやがる。
「あのな、レンさん。あいつらは人形じゃないんだぞ」
「いいのよ、みんなお人形さんみたいに可愛いんだから。あと採れたてじゃないけど野菜もまだあるからさ」
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