妹.七

 森の出口へと歩いているとキョウの姿が見えた。

 ここへ来る途中に足止めされた場所から全く同じ位置に。まさか、ずっとあそこでああしていたのだろうか。

 わたしは半ば横を通り過ぎるような勢いで、真っ直ぐ向き合うことなく立ち止まった。

「キョウ、わたしは死ぬつもりだったよ」

 言ってから上手く声が出ないことに気が付く。

「……そうか」

「勿論、最初は約束通り帰ろうと思っていた。でも駄目だった。ヒナを前にしたらやっぱり駄目だったよ」

「そうか」

「ヒナは消えたよ」

「そうか」

「キョウから言わせればこれで良かったのだろう? これが正しいことなのだろう?」

 八つ当たりと言われても仕方がない。

 みっともない。そう思うとまた無性に泣きたくなった。

 キョウからの返事が途絶えた。恐らく返答に困っているのだろう。惨めだ。キョウを困らせてどうする。

「唄が……聞こえたんだ」

「え?」

 突然の一言に頭が追い付かない。

「夜、布団の中で唄を聞いた。どこか懐かしい唄だった」

「ヒナ……か……、わたしも聞いてたよ。ジュソは眠らない。ヒナは夜になってすることがなくなるとああやってよく唄を口ずさんでいたんだ。羊を数えても眠れない時は、それが良い子守唄になっていた」

「懐かしい唄………それだけが心残りだ……」

 キョウは本当に優しい。

「キョウ、わたしは今どんな顔をしている?」

 言ってキョウの正面に向き直る。

「笑ってる。とても気持ちが悪い」

 キョウは笑ってしまうくらいに真面目な表情でそう答えた。

「なら良かった。それならヒナの前でもちゃんと笑えていた筈だから」

 わたしは縋るようにキョウの腕を掴むと、また泣いた。

 今度は声を上げて、キョウの胸に頭を押し付けて、子供のようにわんわんと泣いた。

 キョウはそんなわたしを抱きしめるでもなく、拒絶するでもなく、それでもわたしが落ち着くまでずっとそこに立っていてくれた。



「キョウ、わたしを小屋まで連れて行ってくれ」

「あ? お前何を」

「いいんだ。わたしはもうこれ以上弱くなるわけにはいかない」

 言葉を聞いたキョウはそれ以上は何も言わなかった。泣いて、笑って、それでもまた泣いて、疲れ果てたわたしは結局またキョウにおぶわれる形で小屋まで行くことになった。

「あの鳥は島の外に出るのかな?」

 葉の合間合間から鳥達が飛ぶのを眺める。

「出るんじゃないか、鳥には罪は無いし、何よりもあいつらは自由だ」

「ということはあの鳥は島と島の外と、両方の風景を知っているのだな」

「そうなるな」

「なんかずるいな」

「俺だってそうだけどな」

「うん、キョウもずるい」

「…………」

「だからその分、いつか祭りにはちゃんと連れて行ってくれよ?」

「意味がわからん。それに間違えるなよ? 祭りに、じゃない。花火を眺めるだけだ。遠くからな」

「うん、それでもいい」

 もしこの島から呪いが消えてなくなってくれるのならば。

「ああ、わたしもキョウみたく強ければいいのになぁ」

「俺は強いか?」

「強いよ。すごく強い」

「そうか。でも俺はまだ許すことができないんだけどな」

 最後にキョウが呟いた言葉は風で良く聞き取れなかった。でも恐らく聞かせるように言った言葉ではないのだろう。訊き返すようなことはしなかった。

「キョウ、わたしはキョウが好きだ」

 今更何も恥じる気持ちなどなかった。ただ思ったことを口にしたのだ。

 予想に反して背中から伝わる振動に微塵も変化はなく、ただただキョウの足が土を踏む振動が一定の間隔で胸のあたりに届いていた。

「そうか、俺はそんなに好きじゃないなぁ」

 一拍置いて、感情のない言い方でキョウはそう答えた。

 まったくひどい返答だな。でも、いつもなら「俺は嫌いだ」と答えそうなところを考えると、弱っているわたしを考えてのキョウなりの精一杯の気遣いなのかもしれない。

 キョウの背中で交わした会話は、そんな他愛の無いものだけあった。

 小屋までの短い時間だというのに、おぶわれて間もなく、わたしはキョウの背中で眠ってしまったからだ。身も心も疲れ果てたのだ。今回は我慢ができなかった。

 その際、キョウの着物をよだれで濡らしてしまい、それを怒ったキョウから頭を引っ叩かれた。やはりこの男はこんな時でも容赦がないなと苦笑しつつも、わたしは別れの言葉を言った。

「さようなら」

 と、

 これでわたしはもう、キョウと共にジュソを退治して回ることはできないだろう。

 それでも縋ればきっと皆わたしを助けてくれる。手を取ってくれる。温かく向かい入れてくれる。レンさんも、雷華も、勿論キョウだって。それでもわたしはこれ以上強さを捨てるわけにはいかなかった。気持ちだけは強いままでいたかった。

「ああ」

 とだけ、ぶっきらぼうに返事をし、キョウは小屋から出て行った。

 目を閉じて、ヒナの唄を思い出す。

 詩のすべてを覚えているわけではないけれど、それでもあの声ははっきりと頭に響く。

 川のせせらぎのように優しく、静かに。

 耐えられるだろうか。

 夢の中で、お姉さまという声を聞く度に、わたしはこれまで以上に苦しむだろう。

 わたしはそれに耐えられるだろうか。


 その日の夜はやけに長く感じた。

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