妹.五

「俺の母親の死に様はな、それはそれは無様だった」

 キョウは静かに話し始めた。

「俺の母親はジュソ退治をしていたんだ。今の俺みたいに。俺のこの剣術も母親から教わったものだった」

「そうだったのか」

 ジュソを見たり切ったりできる能力も母親譲りなのだろうか。

「母親は強かった。俺はそんな母親に憧れた。いつか俺も母親みたいな強い人間になりたいと思った。でも一つだけ、母親に関して一つだけ受け入れられないものがあった」

「受け入れられない?」

「俺の母親もまた、ジュソに憑かれてたんだ」

 そう言葉にしたキョウの口は苦しそうに歪んでいた。

「でも俺の母親はそれを受け入れていたんだ。そしてあろうことか、俺に対して見せる笑顔となんら違わないものをその化け物に対しても見せていたんだ。俺はそれが受け入れられなかった。俺が少しでもその化け物のことを悪く言おうものならば、母親は俺を本気で怒った。全く、理解ができなかった。当然、母親はそのジュソに殺された。時間の問題。至極当然だ。ジュソであるならばいずれ必ず自身の恨みを思い出す」

「キョウ……」

「だからなぁ、気分が悪いんだよ! そんなもん見せられても。別にレンさんやましてやお前の為でもない。俺の気分の問題だ」

 今まで耐えていた何かを爆発させるように、キョウはわたしに迫った。普段の怒り方とは違い、子供が駄々を捏ねるように捲し立てる姿を前に、わたしは宥めるようにキョウの名を呼ぶことしかできない。正直、戸惑った。

「俺の母親はな、こう言ったんだよ! あの人を許してあげてってな! 俺は怒りで狂いそうになった! 頭がどうかなってこのまま直らなくなるんじゃないかとさえ思った! 俺の母親は、あの人は、人だと言ったんだ! あの化け物のことを! 今まで数え切れない程切ってきた化け物に対して、自分達と同じ人だと! 許してあげてと言ったんだ! 人を殺すだけの化け物に対して、自分を殺した化け物に対して! 悲しかった。絶望すら感じた。許すことなどできない。化け物も、俺の母親も。お前がもしあの化け物に殺されに行くってんなら、俺はお前を許さない。その前に俺がお前を殺してやる。どの道同じ結果だ。お前が死んで、化け物が消えて。お前の気持ちなんて知ったことではない!!」

「キョウ……」

「俺の母親にはジュソが憑いていた。今のお前みたいにな。そしてそのジュソは恨みを思い出し、俺の母親を襲った。今のヒナみたいにな」

 キョウは急に力を無くしたように目を伏せた。

「俺が殺したようなものだ……」

「それはキョウの所為ではないよ」

「あの頃の俺だって、それが危険なことだということはわかっていた。だけど母親の幸せそうな表情を見るとそれ以上何もすることができなかった。目の前で溺れている人間を何もせず黙って見ているんだぞ。俺が殺したのと何も違わない」

「キョウの言いたいことはわかった。わからないけど……でもわかった。ようはわたしがヒナにやられなければよいのだろう?」

「あ? 今のお前に何が」

 キョウは呆気にとられて言葉を止めた。

「ほら、これ」

 わたしは懐から札を取り出す。紗千から譲り受けたあの札を。

「ヒナ程度のジュソならこれで祓えるのだろう?」

「知るか。俺はあんな小娘ども信用してない」

「大丈夫だよ、キョウ。わたしは死なない。雷華ともそう約束したんだ」

「別にお前の身を案じているわけではない」

「え? 違うのか?」

 話を聞く限りでは、わたしがヒナに殺されなければ良いというような理屈だと思ったのだが。

「違う! 何を聞いてたんだ、お前は。ここを通るならば殺すと何度も言ってるだろう」

「ならば殺してくれ」

 わたしは両腕を広げ、できるだけ優しい声色でそう言った。

「今すぐ殺してくれ」

「…………」

 キョウは押し黙ったまま動かない。

「キョウ、わたしは後悔だけはしたくない」

「…………」

「わたしの手で終わらせてやりたいんだ。あの子の恨みを。恨みに苦しむあの子を。」

 確かめるように一歩づつ前へ進む。

「キョウ、わたしはキョウや雷華が羨ましいんだ。使命があって力があってジュソを狩る者達が。わたしはそうじゃなかった。偶然ヒナと出会い、恨みを晴らす一心で家を出た。親達に反対され、罵られながらな」

 そして動かないキョウの真横まで来たことを確認すると。

「キョウ、ありがとう。すまない」

 一気に走り抜けた。

 キョウは本当に優しい。とことんまで打算的だと? 

 ならば何故、先にヒナを切りに行かない。




 小屋の戸を開いても、そこにはヒナの姿はなかった。探すように小屋から出て辺りを見回すと、川のほとりにある大岩の上、わたしとキョウが一緒に西瓜を食べていたあの岩の上に、白い着物姿の幼い体が見えた。

「遅かったわね。いやでも早かったのかも。死ぬにはさ。まだ若いのだし」

 その幼い体には到底似付かわしくない口調で、その化け物はヒナの声を発した。

 とん、と地面に飛び降りるとこちらを振り返る。着物が肌けようとも直す気配はない。

 ヒナであった。

 ただ絹のように白かった髪が漆黒に染められていることを除けば、紛れもなく、いつも一緒にいたあの子であった。

「どう? 場所変える? わたしは今すぐお前を殺してやりたいのだけれど。ずっと我慢していたのだし。ふふふ」

「そうだな、戦いの最中でまた小屋が壊れても困るしな」

 わたし達は森の中を移動した。そしてあの、わたしがヒナに刺された場所へと辿り着いた。

「ふふふふ。さあ始めようかしら」

「ああ、いつでもいいぞ」

 嘘だった。良くない。

 確かに成長しきる前のジュソは弱い。それも不意打ちを取られることなく、こうして予め相手を認めた状態でならば、何も考えることなく、難なく討ち取ることができる。以前のわたしやキョウのような者にとってはそれが当たり前であった。しかしそれは斃す術があってのことだ。ジュソを斃す為の武器を持って初めて言えること。だがどうだ。わたしの武器は、あの大鋏はヒナの、今現在相対するジュソの手にある。

 ジュソの持つキョウキは人に自身と同じ傷を負わせ、殺すためのものだ。そしてそれがひとたび獲物を捉えたならば決して逃すことはない。鋼の鎧を身に纏おうとも、ただ虚空を通り過ぎるのと同じく、獲物を切り裂いてしまうのだ。力は要らない。重さも無いに等しい。大して力の無いわたしが、キョウに対してあそこまで虚勢を張れたのもそれがあってのことだ。

 わたしは見えないように懐にある紗千の札を握りしめた。

 見た目が幼い子供とはいえ、ジュソだ。わたしはそのジュソが持つ必殺のキョウキ、大鋏を掻い潜り、この札を貼り付けなければならない。加えて手負いのこの体。少々どころではなく、骨の折れる仕事だ。だが、わたしもこれまで幾度と戦ってきた身。闇夜の礫とまではならないだろう。

「ねぇ。恨むことは異常なことなの? ならばこのわたしは、恨む為に存在するこのわたしは、本当はいてはならないの? ねぇ」

 ヒナは笑った。

「お前とどう違う。恨みを晴らすためにジュソを狩るお前と、恨みを晴らす為に人を殺めるジュソとはどこかに違いはあるのか、答えてみなさいよ。ねぇ」

 手に持った大鋏を弄ぶように片手でくるくると回し、しゃりん、しゃりん、と開閉してみせる。

 そこにはかつて見た、儚く、しかし楽しげに微笑む表情は見る影も無く、艶めかしく、淫靡に嬌笑する女の姿を借りた化け物の面があるだけであった。

「何も違わないよ、ヒナ。わたしはお前と同じだ」

「だから消してやる。わたしが今まで切ってきたジュソと同じように、お前もちゃんとこの世から消し去ってやる」

「くく、くふふふふ」

 ヒナは笑う。

 わたしを見て。

「ふふふふふふ……憎い……。ああ憎い……。お前が憎い!」

 ヒナの怒声を合図にわたし達は動いた。

 ヒナはその醜悪なキョウキを手に、距離を詰める。わたしはそれをかわすように距離を保つ。

 ヒナのあの目は、わたしを殺そうと追っている。今まさに、わたしの体に刃を突き立てる為に、わたしの動きを追っている。

 胸が痛い。それが怪我の所為なんかではないことはわかっていた。あの、不安げに姉の行方を追う目にはもう会えない。そう思うと、無性に胸が痛くなる。

 決心をして来た分、挙措を失い普段の立ち居振る舞いができなくなるということはないのだが、それでもやはり悲しいことに変わりはなかった。

「いくぞ、ヒナ」

 鋏の一撃を引いて交わしたその後ろ足を踏ん張り、今度は前に出る。懐に隠すように握っている札にも力が入る。

「ヒナね……ふふ、笑っちゃう。すべてを思い出したのよ? わたし。お前が勝手に与えた名前なんてもういらない。でも、そうね。最後くらいそう呼ばせてあげるわ。ねぇ、お姉ちゃん。こんなくだらない関係、終わらせてあげるから、お前を殺して、わたしも消えて、すべて終わらせてあげるから、早く来なさい」

 取った。と思った。


『お姉ちゃん』。


 だが、ヒナの言葉の中のその一言が耳に入り、腕から力が抜ける。

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