妹.三

 あれからひと月が過ぎようとしていた。

 にもかかわらず、体を動かせば傷が痛む。

 虎のジュソの時の傷とは違い、今度は紛れもなく深手を負っていたので、回復するまでにはまだ時間が掛かりそうだ。死ななかったのが不思議なくらいだ。診療所の医者が言うには、あと一寸もずれた所に傷を負ったならば、すぐにでも諦めが付いたそうだ。

 日は高く、光は容赦なく照り付けるが不思議と汗は流れない。  

 ざり、ざり、と乾いた地面を踏む草履の音も心なしか寂しげだ。いや、気の所為ではないのだろう。

 レンさんの家でじっとしているか、こうして外へ出ては当もなく徘徊し、何かを探すように見回してはその挙句、キョウや雷華に連れ戻されてレンさんにこっ酷く叱られる。そんな日々を繰り返していた。

「ヒナどこにいるんだろう……」

 呟いてはみたものの、本当にわたしはヒナを探しているのだろうか。だとしたら何故こんなにも足が重いのだろう。会ったとしてどうなるのだろう。ヒナはわたしを殺そうとするだろう。

 死ぬのは……怖い。

 あの子に殺されるのはそれ以上に悲しい……。


「おい、お嬢さんじゃないか」


 はっとして振り返る。

「佐久間さん」

 そこにはあの雨の日に会った大男の姿があった。外で立ったところを見るとさらにでかい。

「その着物、やっぱりそうだ。あの時のお嬢さん」

「佐久間さん、こんなところで何を?」

「何をって、調査だよ調査。言ったろ? 俺は学者さんだって」

 確かに言っていた。だが、何があるのだろう。村から少し離れれば、田んぼと、草と、木くらいしか見当たらないというのに。文化がどうのこうのと言っていた気がするが、それは本当にこんな島まで来て調べるに値するものなのだろうか。

「そういえば佐久間さんはどうしてこの島まで来れたのですか?」

 ふと気になったことを口に出す。

「そりゃあ俺が罪人だからじゃないのか? そういう島なんだろ?」

 躊躇いもせずにそう言い切った。しかし呪いやそういった類のものを信じない佐久間さんのことだ、それはある意味皮肉を含めた言葉なのだろう。

「って何だ? その口ぶりじゃあ俺が初めてなのか? まっ、そりゃあそうか。もっと早く見つかってりゃ大騒ぎだ。ニュースや新聞に載らないこと自体おかしい」

「あっ、そうか……。キョウだって本島の人間だった……」

 だがキョウに訊いたところで、果たしてすんなりと教えてくれるのか怪しいものだ。

「なんだぁ、噂の色男さんも島の外の人間かぁ。こりゃ俺の勝ち目が薄くなってきたな」

 戯けてみせる佐久間さんを尻目に、わたしの頭には一つの言葉が刺さったままであった。皮肉の一つと取れなくもないが、それでも訊かずにはいられなかった。だって、それが本当ならキョウは……。

「あの……、佐久間さんが罪人とはどういう……」

「人を殺している」

「え?」

 あまりの唐突さに言葉を失う。あまりに淡々とした口調だったので一瞬聞き間違えたかと疑った。

「それも一人二人じゃない。たくさんだ」

「たくさん……、それって……」

「おいおいそんな引くな。別にこの手で刺し殺したり首を絞めたりしたわけじゃない」

 そんなことを言われて、佐久間さんのことを恐れたわけじゃない。だからこそ頭が追い付かなかった。

「ただな、本島にはな、存在するだけで、そこにいるだけで人を殺しちまう、不幸にしちまう人間ってのがいるんだよ。俺はその一人ってわけだ」

「それでたくさんの人を?」

「ああ殺した。でもそれは俺が選んだ道なんだ。最初は違ったさ。逆だった。たくさんの人を救えると思ってた。でも無理だったのさ。いや、自分が思った以上に無能だった。だから途中で逃げたんだよ。そんな矛盾だらけの人生にさ」

 苦笑する佐久間さんの顔を見て、訊いて良かったと思った。やっぱり話の意味はさっぱりわからなかったが、仮に佐久間さんが罪人であったとしても、悪人ではないと感じたからだ。

「まあ最初はノリで言ったが、言ったろ? 俺はそんなオカルト信じねぇって。でもな仮にあるんだとしたらその色男さんは誰を殺して来たんだろうな」

 不意に意識を戻される。

 キョウが……人を……?

「ああ悪い悪い、そんなこと言っちゃあ駄目だな。やはりここはフェアにいかないと。いくら勝ち目がなさそうだからって相手を貶めちゃあいけねぇ。つってももう遅いか」

「いえ、大丈夫だと思います。キョウはきっとそんなことしませんから」

「おいおい随分信頼されてるじゃねぇか、その色男さん。これじゃあ俺が悪者だぜ」

「あ、いえ、そんなつもりじゃぁ」

「いいんだ、いいんだ。実際俺の調査ってのも褒められた内容じゃないしな、実際。調査って言えば聞こえが良いってだけだ」

「と言いますと?」

「早い話が宝探しだよ」

「宝……探し?」

「そうさ。桃太郎伝説って知ってるか? これは本島に伝わる伝説でな、この海のどこかに鬼が住む島があって、その島には金銀財宝が眠ってるってな話。俺は鬼なんて信じちゃいないが、宝はあってもおかしくねーって思ってるのよ。そしてこの島こそがそうだと考えてる。だってよ、こんな島自体が見つかりにくい島ならその昔、誰かが宝の一つくらい隠してても不思議じゃねぇだろ? つまりこの島は俺にとっての鬼ヶ島っつうわけだ」

「本当に鬼が出たらどうしますか?」

 実はわたしの知り合いにいるのだが、可愛い鬼が二人。

「そりゃあ宝の為だ、戦うさ………ってのは冗談だ。つっても俺はただの一学者だ。俺にはそんな映画の中のハリソンフォードみてぇな真似はできねぇからな。そん時は尻尾巻いて逃げるわ」

 佐久間さんは悪戯っぽく笑うと突然顔をこちらへ向けた。

「ところでお嬢さん。何をそんなに悩んでいるんだ?」

「わたしが……ですか?」

 いきなりの言葉に困惑するわたしを完全に無視する形で佐久間さんは続ける。

「俺はお嬢さんが何で悩んでいるのか、苦しんでいるのかなんてわかりゃしない。ただ、悩んでいるのはわかるぜ」

 佐久間さんはこちらを鋭く見据えた。

 その瞳は黒く、深く、吸い込まれそうな程わたしを圧倒したが、化け物のものとは違ってそこに恐ろしさはなかった。ただ奇妙であるとは言えるが。

 わたしは目を逸らすことができなかった。元より逸らすつもりなどなかったのだが、それでも、何か見えない糸のようなもので無理矢理繋がれている、そんな感覚を受けた。

「だがな、俺の人生経験を踏まえてこれだけは言っとくぞ。いいかいお嬢さん」

 そして言い放ったその口は、鋭い視線とは裏腹に、どこか笑みを零していた。

「矛盾で苦しむな。後悔で苦しめ」

 意味なんてわからない。

 わたしは頭が良くない。

 だがその言葉は今のわたしの心にこれでもかと突き刺さった。この人の笑みを宿した視線は、わたしの心をどこまでも見透かしているようであった。まるでここで出会ったのが偶然とは思えないくらいに。気味が悪かった。

 でも、なんだろう。何も考えなくて良いような気がした。そんな許しを得たような、そんな気がした。気味は悪いが、悪い気分ではなかった。

「一度きりの人生後悔だけはしたくないからなぁ」

 後悔はしたくない……か。

「だから俺は後悔はしてない。結局最後は逃げたかもしれないが、それはまた別の話だ。最初から何もしないよりは一回りも二回りもマシだと思ってる」

 短い会話であったが、心に響くものがあった。佐久間さんの言葉は半分も理解できないことが多いが、それでもその言葉に込められた意志や思いはその場しのぎの、あるいはうわべのものではないということくらいわかる。恐らくこの人も悩んで来たのだろう。楽観的な様子からは決して窺い知れない程に、苦しんできたのだろう。今の私にはそれが理解できた。

 わたしは立ち上がった。

 確固たる意志を持って。

「ん? なんだ、また探しものか?」

 佐久間さんが訝しげにこちらを見上げる。

「はい、実は……」

 そこで気付き、言い止まる。

 佐久間さんに話したところで意味は無いではないか。知らぬうちに焦る気持ちがあったのか、思わずヒナのことを話しそうになっていた。

「いえ、やっぱりいいです。佐久間さんには見えないものですので」

「おっとそれはどんな意味だ? きたない大人には見えないとかそんなアレか? 失礼な。おじさんはな、本島の若者達の間では夢溢れる、外見とは裏腹に子供心満載な、時には見た目は大人、頭脳おつむは子供だなんて褒め言葉も……」

「すみません、佐久間さん! 急いでるんで!」

「おいおい、それは俺の部下どもが俺の話から逃れる時にいつも使うセリフじゃないか。この島まで来てそんなだとおじさん、傷付いちゃうな」

 気が付けば、走りだしていた。



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