夜.二

「お前、ヒナのやつはまだ帰ってないんだろう? 大丈夫なのか?」

 紗千を見送った後も依然としてヒナは姿を見せない。

ジュソである以上、飲まず食わずが当たり前なので別段差し迫った問題も無いのだが、あの大鋏はあの晩に診療所で突然消えてしまったそうだ。それはヒナが持って行ったということらしい。ジュソのキョウキは、そのジュソの意思で所有し、所有させるからだ。

「心配には及ばないよ。これまでも拗ねて何処かへ行ってしまうことは度々あったし、ジュソは憑いた人間からそう離れることはできない。この島のどこかに必ずいる」

 別に何も心配してはいない。

「それにしても、今回程長いやつは初めてだな。そう考えると大丈夫ではないのか……ヒナがいないと結局、わたしはジュソと戦えないのだし」

「とは言っても、お前の怪我も完全には治ってないだろう」 

「あ? ああ、まあな。でもこっちの方は大丈夫だよ。武器さえあればすぐにでも戦える」

「…………」

「ヒナ……どこに行ったのかなぁ。とても怖い思いをさせてしまった。ちゃんと謝ってやらないと……」

 そう呟くと、ミは酷く寂しそうな表情をした。

 こいつにこんな表情ができるだなんて、思ってもみなかった。

 何故だかわからない。レンさんからやりたくもない掃除を無理矢理やらされているような、そんなもどかしさにも似た何かを感じた。

「もしかしたらヒナはヒナで気を使っているのかもなぁ」

「ヒナが?」

「自分がいればお前は無茶をしてでもジュソ退治に行くだろうから、怪我が癒えるまでは身を隠そうと………あ、いや……」

 ふと気が付くと、柄にもなく可笑しなことを口走っていた。慌てて口を噤むが、もう遅い。口から出てしまった分は取り返せない。

 まあ、あんな目に会って、なおもこんなことをのたまう阿呆が相手ならば、それを恥と感じることはないが。

「キョウ……、やはりキョウは顔は怖いが根は優しいのだな――あいてっ!」

「引っ叩くぞ」

「もう叩いてるよ?」

 思わず言う前に引っ叩いていた。

「それはそうと、そろそろレンさんに言われていた畑の時間だろう? 行こう。わたしも手伝うよ」

 ミは叩かれた頭を撫でながら言った。

「駄目だ。お前、まだ怪我が治ってないだろう。ああ勘違いするなよ? お前を連れて行ったら俺が怒られるんだ。怪我人に無理矢理手伝わせたってな」

 さっきのように変な事を言われないよう、そう付け加えておく。

「大丈夫だよ? レンさんにはわたしが勝手に付いて来たってちゃんと説明するから。それに、何でもいいから体を動かしたいんだ。鈍ってしまう気がして」

「ああ勝手にしろ。面倒くさい」

 どうせこいつは何を言おうと聞きはしないんだ。



 ヒノトとツヅミの子守を雷華に任せ、俺達はレンさんのいる畑へやって来た。

 雷華はこういう時に便利だ。ヒノトとツヅミに揉みくちゃにされ、挙句の果てには抜け殻のようになってしまい、元に戻るのに時間が掛かることを除けばガキ共の良い餌だ。

 日の眩しさに目を細めながら凝らすと、レンさんは既にせっせと働いている。

「キョウか?」

 レンさんは俺の気配に気が付くと汗を腕で拭い、顔を上げた。拭った際、頬に泥が付いた。

「今日は怠けなかったじゃないかぁ、偉い偉い――って、あれ?」

 ミに気が付いたレンさんは怪訝そうに顔を顰めた。

「みーちゃん?」

「あの、このまま何日も休んでいると体が鈍ってしまうので少し手伝ってもいいですか?」

「何でみーちゃんがいるの? キョウが連れて来たの? 自分が働くの面倒だからって怪我してるみーちゃん連れて来て、馬鹿なの? 死ぬの?」

 レンさんの手にする鎌に付いた泥が古い血の塊のように見えた。

「聞けって! レンさん!」

「レンさん、違うんです。わたしがキョウに頼んだんです。手伝わせてくれと」

「あら、そう」

 どうやら今度は言葉が届いたようだ。レンさんは時折こうだから困る。

「でもやっぱり駄目よ。野菜採るのだって結構腕の力使うんだから。それで傷が開きでもしたら大変」

「いや、でも……」

「駄目ったら。だーめ。ほら、これ」

 レンさんはさっきまで採っていた赤茄子をミに無理矢理押し付ける。

「これ味見してなさい。みーちゃんの今日の仕事はこれっ」

 釈然としない様子で赤茄子とまとを受け取ったミは、渋々と一口かじった。

「おいしい……」

 それを聞いてにっこりとほほ笑んだレンさんは、道に置いている採った野菜を運ぶ為の荷車を指差す。

「ほら、食べたい野菜持ったらあそこに腰掛けてなさい。仕事はわたし達だけでやるから」

「うう……」

 さすがのミもレンさんの言葉には逆らえない。レンさんの言葉にはそんな不思議な力がある。

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