虎は死して皮を、人は死して何を.六

 私がレンさんの屋敷へ戻ってから二日後、屋敷近くの畦道にて、雷華は決心を口にした。まさにこの時まで決心は揺らいでいたようだが、今の表情はあの時、初めてジュソを祓った時に見せた表情と同じものであった。

「ぼく、決めました。もうしばらくの間、ミさんとキョウさんと一緒にいさせて下さい。あなた達と一緒なら強くなれる気がするんです。あなた達のような人が手本ならきっと。これは別に甘えで言ってるわけじゃありません。いずれは自分一人の力でも戦えるようになります。きっと強くなって村に帰ってみせます」

「そうか、俺は別に構わん」

 珍しくキョウは素直だった。いつもならここで厳しい言葉の一つでも浴びせるところなのに。

「お前が死ぬまでそう時間は掛からなそうだからな。それまでの間は我慢してやる」

 そうでもなかったようだ。

「はい、これ」

 雷華とキョウの様子を不機嫌そうに眺めていた紗千は、こちらに向き直ると数枚の札を手渡す。

「あんた、あのジュソがいないと戦えないんでしょ? それ持っときなさい。弱いジュソくらいなら祓い詞無しでも祓えるから」

 ヒナはあれから戻っていない。冷静を装ってはいるものの、心配でならない。

「そんな、心配には及ばないよ。ヒナだってすぐに帰って来ると思う」

「別に心配なんかじゃないわよ。あんたのその怪我は雷華の為にしたものなんだから同じ村の者として当然の償いをしたまで。気持ちの悪い勘違いしないでよね、ったく。ああそれと、その札は一度使うと効力を失うから忘れないで。あと間違ってもこの間のような大物相手に使おうだなんて馬鹿なこと思わないでよね。それで祓えるのはせいぜい人の形をした弱いものだけ。わかった?」

「ああ心得た。ありがとう」

「一応ジュソを祓えたようだし、わたしはもうあなたに何も言わないわ。勝手になさい」

 今度は雷華へ向かって、まるで独り言のような語調で言葉を贈る。

 わたし達は村へ帰るという紗千の見送りに来ていた。

「本当に帰っちゃうの?」

「当たり前でしょ。何でこんな所にいつまでもいなくちゃいけないの? わたしは忙しいの。村から必要とされてるんだから。あなたと違ってね」

 雷華はしばし考え込む様子を見せる。何かを言うか言うまいか迷っているようだ。それを見て眉を顰める紗千であったが、雷華は意を決したように顔を上げると……しかし、その顔はすぐに元の頼りないものに戻った。

「思ってたんだけど、紗千って何でこの村まで来たの? 一人で来たってことは仕事の依頼ってわけじゃないんでしょう?」

 確かに、それはわたしも予てから思っていたことだ。思っていながらも、あえて口にしなかったこと。

「は? へ? ど、どうだっていいでしょう!? そんなこと、どうして一々あなたに教えなきゃいけないの?」

 一変して明らかにうろたえている様子が見て取れる。とてもわかりやすい。

「もしかして、僕の為に来てくれたの? わざわざこんな所まで」

「べっ、別にぃ! あなたなんかの為じゃないわよ! 大体この村にだけ来たわけじゃないし……………………そう! 色々な村を回っているうちに偶然あなたを見つけただけ。そう、偶然よ」

 紗千は行方の知れぬ雷華を探し回っていたのだろう。そしてようやくこの村で見つけた。紗千が雷華を見つけた時のあの叫ぶような声を思い出す。あの時紗千は、態度とは裏腹に胸を撫で下ろしていたに違いない。ようやく見つけたと。ようやく二人で村へ帰れると。

「ありがとうね……紗千……」

「………………………………………………………………………いらないわよ……」

「え?」

「お礼なんて……いらないわよ……」

 紗千の言葉には先程までの気迫は無く、微かに震えていた。

 言葉を震わせ、体を震わせ。

 見ることも聞くこともできない気持ちの揺らぎは、それ以上にこちらへ伝わってきた。

「お礼なんてするくらいなら…………一緒に帰ろうよ……」

 そしてゆっくりと手を差し出す。しかしその手は、真っ直ぐに上がりきることはなく、遠慮がちに斜め下の地面を向いていた。

 雷華はその手を取ろうとしない。「もう決めたことだから」と、微笑んで首を振った。

「そ! じゃあもう知らない!」

 紗千は何か熱いものにでも触れてしまったかのように素早く手を引くと、顔を上げ、あっけらかんとした態度でくるりと背を向ける。そして名残惜しそうな雷華を尻目に、足早に歩き出してしまった。

 数歩歩みを進めたかと思うと、ぴたりと立ち止まる。

「?」

「?」

 振り返って今度はこちらを、わたしとキョウを見据えると、深々と頭を下げ、

「雷華のこと、よろしくお願いします!! もし雷華が死んだりなんかしたらわたし、あなた達のこと絶対に許さないんだから!」

 一息にそれだけ叫び、山の方角へ向かって駈けて行ってしまった。

 見間違えでなければ、紗千の目にはやはり少し涙が浮かんでいたように思う。

 それは雷華を連れ戻せなかったことに対する悔し涙か、別れを惜しむ悲しみの涙か、はたまた雷華の成長に対する嬉し涙か。恐らく全て当てはまるのだろうな。

 遠くなって行く紗千の背中を眺めていると、突然姿が消えた。石にでも躓いたのだろう、「きゃん!」と子犬のような短い悲鳴を上げて倒れ込んでしまった。

 聞き逃してしまいそうなくらいに静かな、しかし吹き出すような笑い声が聞こえたので横に目をやると、キョウが子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。

 子供の痛々しい姿を眺めて笑うなど、なんて薄情で意地の悪い奴だろうと思ったが、これには正直、わたし自身も口元を緩めずにはいられなかった。


  *  *  *


「ありがとう、キョウ」

 夜、雷華の寝息が隣の布団から聞こえてきたのを確認してからキョウに礼を言った。

「何がだ? 礼なんて言われる覚えは無いぞ」

「あの時助けてくれて、ありがとう」

 肩の痛みはまだあるが、わたしの傷がこの程度で済んだのもキョウと紗千のお陰だ。

「知らん。俺は化け物の首を狙ったんだが、あのガキが邪魔で手元が狂った。それだけだ」

「それにしてもよくあの場所がわかったな」

「あの生意気な鬼のガキがこそこそと妙な術を使っていたからな。獲物を横取りしようと跡をつけたまでだ」

 それは紗千のことだろう。二人ともなんだかんだ言って、最初から雷華を助けるつもりだったらしい。 一人で奔走していた自分が恥ずかしくなる。それなら最初からそうと言えば良いのに。やはり、この男のことはよくわからない。

「そうそう、キョウ」

「あ?」

 佐久間さんとの会話を思い出す。

 直接本人に訊いてみな、か。

「キョウは異常な変態なのか?」

 佐久間さんの言うことは難しくて、あまり正確に内容を覚えてはいなかったので、掻い摘んで言おうとしたのだが、あれ? 何かおかしかったかな。

「ん? あ? …………ああ、そうか、一度ぶん殴ればいいんだな」

 キョウは一瞬困惑したかと思うと、妙に納得し、乱暴に跳ね除けた布団そのままに、こちらへ向かって来た。

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