虎は死して皮を、人は死して何を.二

「どう思う?」

「もし、いれば、あるいは見間違いじゃなければの話だけど、そんな色した虎なら十中八九ジュソでしょうね。ま、わたしだって本物の虎がどんなのか、絵でしか見たことないけど」

「放っておけ、あれだけ言ってこうなんだ。死んでも自業自得ってやつだろう」

「今だけはその男に賛成よ。放っておくといいわ」

「紗千までそんなことを言うのか」

 二人揃って冷たい言葉を並べていく。こちらと目も合わせようとしないで。この二人はどことなく似ていると思っていたが、今に限ってはそれが忌々しくもあった。どこにもやれない気持ちを拳に込め、爪が手のひらに食い込むのがわかった。

「勘違いしないで。無意味だって言ってるの。ジュソは水を嫌うのよ、特に雨水をね。聞いたことくらいあるでしょう? 結構有名なんだけどね、雨には少なからず浄化の力があるって話。その虎の話が本当にジュソのことを言っているなら、雨の日に出会うことはまずないわ。成長したジュソに出会うことはただでさえ稀なのよ?」

「そうか、それは残念だな。あいつが死んで、お前は村に帰って、これで邪魔なガキ共がいなくなると思ったのに」

「何ですってぇ」

 紗千がキョウを鋭く睨み付けた。

「でも、弱っちいあいつのことだ、雨水に滑って転んで死んでるかもな、今頃。なんなら今から村に帰って葬式の準備でもした方が良いんじゃないか?」

「何ですってぇ!!」

「…………そうか……。良く分かった」

 騒ぐ二人を尻目に、落胆したわたしはそれだけ言うと、腰を上げた。



 ジュソが人ではなく虎の形を成しているならば、それは紛れもなく成長したジュソだ。

 成長したジュソはこの世のものを形作ることが多い。先日の熊然り、今回の虎然り。

 それはジュソが人を恐れているからだ。

 自分を殺めた〝人〟を恐れ、恨んでいる。

 だから、生前の記憶を元に、恐ろしい姿を成す。自身が恐ろしいと感じる姿を。

 恐れるが故、恐れさせようとする。

 強い恨みは殺すだけには飽き足らず、人の恐れを求める。

 果たして、今の雷華がそんな恐れに打ち勝てるのであろうか。ジュソ退治を生業にする者にとっては酷な宣告だが、それは到底無理な話だろう。今の雷華が虎のジュソを討とうとしているならば、それは明らかに死に急いでいる。それはまさしく虎の尾を踏みに行くようなものだ。

 そっと裏口から出ると雨粒が肩を濡らし、着物の藍色を濃くしていく。

 レンさんに言えば傘を貸してくれたであろうが、余計な心配はかけたくなかった。

 それでも黙って勝手に出て行くことに後ろめたさが無かったわけではないが、雨水が肌まで染み込み、ひやりとする感覚を感じると、不思議と気持ちが吹っ切れた。自身の事など、どうでも良くなった。

雨空を見上げ、ふとわたしはヒナが川の水を嫌って川に入るのを頑なに拒んだ時のことを思い出す。ジュソは水を嫌う。確かにそうだ。だが、だからといって雷華が必ずしも安全であるとは限らない。何が起こるかわからない。ならばここで動かない理由は無い。

 ヒナをレンさんの家に残し、わたしは佐久間さんとやらに会いに行くことにした。

 雷華の狙いがヒノト達の言う虎ならば、もしかしたら先回りできるかもしれない。

 わたしが先に斃してしまえばそれで済む話だ。そうすれば雷華がいくら探そうとも見つけられまい。

 佐久間さんとやらのいる場所はヒノトから訊き出した。幼さゆえに話の要領を得ない上、きかっけさえあればすぐにあちこちへと話が逸れる為、訊き出すのには苦労したが、何とか居場所を知ることができた。

 この家からそう遠くない海岸にある小屋。そこにその男は住んでいるらしい。

 わたしは帯で縛った大鋏を背に担ぐと、髪から滴る水滴も構わず、海岸目指して歩きだした。



 小屋らしきものは案外容易に見つけることができた。

 元々何もない閑散とした所だ。何かあればそれだけで遠くからでも目立ってしまう。

 しかし、小屋に近づくにつれ、その小屋が本当に小屋と呼んで良いものなのか、甚だ疑問に思えてきた。

 わたしが川のほとりに建てた小屋もそう大層なものではないが、それでもこの海岸にある小屋はお世辞にも人が住んでいる所とは思えなかった。まちまちな大きさの廃材を無理矢理押し固めて、それが偶然倒れずにいる、そんな印象しか持てない。こんな所に本当に人がいるのであろうか。風が吹けばすぐにでも吹き飛んでしまいそうであった。

「頼もう!」

 わたしは小屋の周りを一周し、戸らしき所の前で声を掛けた。戸を叩いてみようかと思ったが、迂闊に叩いて戸を外してしまっては大変と思い、止めておいた。

「おーい!」

 小屋の中からは物音一つ聞こえない。やはり、誰もいないのではないか。そう思い、念の為もう一度声を掛けておこうと息を吸ったその時である。がたがたと揺らしながら戸がゆっくりと開いた。

「ん? 何だ? こんな雨の中お客さんか?」

 中から姿を現したのは背が高く、恰幅の良い男だった。口元に無精髭を蓄えている所為か、それ相応に年を食っているように見えるが、声と肌で感じる雰囲気から、思っているよりもずっと若いのだろうと勝手に想像する。

「おや? ずぶ濡れじゃないか、どうしたってんだ。家出か何かか? まあ良い。お嬢さん、とりあえず上がりな。何も無いが髪を拭く何かくらいなら貸してやれる」

 そう言うと、入口塞いでいた巨体をずらし、小屋の中へ促す。

「突然押し掛けてしまい、失礼しました。わたしはミという者です。佐久間さんに少々お伺いしたいことがありましてここまで来ました」

「いやいや、本当に驚いた。こんな日にこんな可憐なお嬢さんが訪ねて来るなんて、夢を見ているようだ。遠慮することはない」

 佐久間さんはわたしを小屋へ上げるなり、ほれ、っと手拭いを頭から被せた。わたしはそれをありがたく使わせてもらうこととする。その間、佐久間さんはどうやらお茶を淹れてくれているようだ。いかにも急拵えといった感じの無骨な囲炉裏で湯を沸かすと、それを急須に注いでいる。

 成程、中は中で快適とまではいかないまでも、暮らせるだけのものはあるようだ。

 佐久間さんは二人分の湯のみを用意すると、囲炉裏を挟んで、どかっ、と乱暴に胡坐を組んだ。床が抜けやしないかと心配になる。

「いやしかし、随分とセクシーな出で立ちだな。こんなお嬢さんと二人でお話ができるなんて、歌舞伎町に通ってた頃を思い出すぜ。まあ飲んでるのは酒ではなく茶だがな。かっかっか」

「……? はて、せくしぃとは?」

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